「安物買いの銭失い」の意味を知るのに40年かかった話。
筆者は貧乏人の家系である。
父母ともに筋金入りの貧乏人だ。そういう家庭で育ったのだから、当然、筆者にも貧乏人魂が深く宿っている。
いや、正直に言えば家庭は貧乏ではなかった。ずっと共働きで、収入自体はそれなりにあったと思う。私立大学にも行かせてもらった。しかし、何というか、ライフスタイルが貧乏人なのだ。
子どもの頃、最も強烈に覚えているのは外食への憧れだった。母親は頑として外食を拒んだ。年に1度あるかないか。今なら分かる。家で食べるのに比べて、5倍、10倍のお金が飛んでいくのだから。しかし、子供心に何かあの食品サンプルが並んだお店で食べてみたい、という気持ちは募った。
そして住居。島根では父が設計して建てた家に住んでいたが、兵庫に引っ越した途端、何を思ったか、木造平屋で築40年、しかも、くみ取り便所、JRの線路横で振動騒音三昧という謎物件を借りた。おかげで1995年の阪神大震災で全壊した。家族は奇跡的に助かったが、本来は、この時に貧乏人根性と決別するべきだったのかもしれない。
しかし、金銭感覚の形成において決定的だったのは、小学校6年生のときの牛乳配達だ。パソコンを買うために、1年間、50軒・13kmの配達ルートを自転車で回った。2日に1度。給料は6,000円。日給じゃない。月給である。
配達に1回2時間かかるとすると、時給にして約200円。
この「時給200円」が、その後の人生における金銭感覚の基準になってしまった。
大学生の頃も、貧乏のくせにバイトは時給720円の大学内の手伝いのみで学業に専念していたから、とにかくお金がなかった。
財布を持っていなかった。靴下にお金を入れていたのだ。いや、はいている靴下に入れたわけじゃなくて、靴下を財布代わりにしていたのである。内側に小銭用のポケットを縫い付けたりして。本当の話だ。お金を入れる物にお金を掛ける気になれなかったのだ。
見かねた後輩が財布をプレゼントしてくれた。
後の妻である。
その20年後、ボロボロになった財布を見て、また財布をプレゼントしてくれた人がいる。
娘である。
度を超した貧乏人根性により、自分で財布を買わないまま一生を終えようとしている。
安いは正義、という呪い
前段が長くなったが、つまりこういうことだ。お金を使うことが怖い。何でもできるだけ安く。
幸い、ものへのこだわりがなかったから、とにかく最低限の品質で、一番安いものを選んでいた。
たとえば靴。いいオジサンになるまで、5,000円以下の靴を買い続けた。これ、牛乳配達1カ月やらないと買えないやつだから、という内なる声。
ビジネスリュックもそうだ。8,000円あたりが上限。「使えりゃいい」の精神。それが合理的だと本気で信じていた。
ところが、40歳を過ぎたあたりで、あることに気づき始める。
5,000円の靴を買って、半年でかかとがすり切れて、また買い換える。ビジネスリュックも2年でボロボロになる。肩紐が切れる。ポケットが取れる。表面の生地がみすぼらしくなる。そしてまた買う。
……これ、結局、損してないか?
二重の意味で損をしている。定期的に発生する購入代金。そして、買い物に出かけて探す時間的コスト。安さを追求した結果、むしろ高くついている。
そう。誤解していたのだ。
「安物買いの銭失い」
これ、激安の不良品を掴んでお金をドブに捨てるようなことだと思っていた。謎中華ガジェットみたいな。
違うのだ。たとえ普通に使えたとしても、長い目で見れば、適切な値段のものを買った方がQOLも上がるしTCO(total cost of ownership)も実は安くなる。
恐るべし、吉田カバン
ある時、思い切ってPorterのビジネスリュックを買ってみた。当時、約4万円。いつもの5倍の値段だ。正直、清水の舞台から飛び降りる気持ちだった。
結果。もう10年ぐらい経つが、今も普通に使えている。
驚いた。まったく劣化しない。紐はしっかりしているし、ポケットも取れない。表面の生地もきれいなまま。
吉田カバンは1935年に創業者の吉田吉蔵が設立した老舗で、Porterは1962年に生まれた自社ブランドだ。社是は「一針入魂」。すべての工程に手を抜かず、国内生産にこだわり続けている。60年以上愛され続けているのには、ちゃんと理由がある。
8,000円のリュックを2年おきに買い替えれば、10年で4万円。さらに4回分の買い物の手間もかかる。一方、4万円のPorterは10年経っても現役。同じ金額で、明らかに高品質なものを使い続けられるのだ。
低品質のものを定期的に買い換えるより、高品質なものを長く使う。
ああ、これが金持ちのメンタリティーか。気づくのに40年もかかった。
遅いって。
使用価値と顕示価値
ただし、高いものには2種類あると思っている。
「使用価値」と「顕示価値」だ。
Macで考えると分かりやすい。自分の側を向いている画面のUI、フォントの美しさ、操作性——これが使用価値。一方、裏側の光るアップルマークを見せつつスタバでドヤるのが顕示価値だ。
顕示価値が必要な職業もある。自分が裕福であることを示すこと自体が、ビジネス上の信用に繋がるような人々。しかし、筆者にはまったくそんな必要はない。ひたすら使用価値が高ければいい。
60万円のバッグはいらない。でも、4万円のリュックは必要。そういうことだ。
真・コスパ厨への道
こうして筆者は「真のコスパ厨」になった。安ければ良い、ではない。価値とコストのバランスが取れているもの。必要十分な品質を備えたものに、きちんとお金を出して、長く使う。
家電ならパナソニックではなくシャープ。車ならBMWではなくマツダ。スマホはiPhoneではなくてモトローラ。マニアックな人気があるが、「最高」を意味しないブランドがいい。顕示価値にお金を払うのではなく、使用価値にお金を使うことができる。
そもそも、貧乏人メンタリティーを持つ人が、今の時代にどのくらいいるのか分からない。でも、もし心当たりがあるなら、教訓はひとつだ。
流動性の制約がないならば、十分な品質を備えたものにお金を出して買い、長く使うこと。
これこそが、本当の意味での節約になる。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。
それでいい。
貧乏人のメンタリティーなど知らずに済めば、それに越したことはないのだから。


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