「マキちゃんには言わないで」故・ジャッキー佐藤(享年41)がマキ上田にがん闘病を“隠し続けた”真実…ビューティ・ペア解散から47年、伝説レスラーの現在
Number Web5/28(木)11:02
「マキちゃんには言わないで」故・ジャッキー佐藤(享年41)がマキ上田にがん闘病を“隠し続けた”真実…ビューティ・ペア解散から47年、伝説レスラーの現在 photograph by Shiro Miyake
「ビューティ・ペア」で一世を風靡した伝説のアイドルレスラー・マキ上田(67歳)。大フィーバーを巻き起こした全女での舞台裏、故・ジャッキー佐藤さん(享年41)への思い、現在の生活までを聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の最終回/第1回、第2回も公開中》
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1998年9月、その電話をかけたのは、マキ上田さんのほうからだった。地元の鳥取県内で経営していたスナックの開店10周年を祝して、ビューティ・ペアを復活させるためだった。
その翌1999年8月9日、ジャッキー佐藤さんは41歳の若さで壮絶死した。胃がんだった。
ここでは、ジャッキーさんとの最期、さらに40代後半で選んだ“フランス婚”の生き方について迫った。
ビューティ・ペア、最後の生歌唱
マキ 私のほうから、「お店の10周年記念でビューティの歌を歌いたいんだけど、来てくれる?」って連絡したら、「いいよ」っていう返事でね。
――おふたりは1979年のビューティ解散後も、テレビ番組の企画で何度か共演していますが、プライベートで会うのは珍しくないですか?
マキ あれが、初めてでしたね。そのときはもう彼女もプロレスをやってなくて、自分で考案した体操で教室を開いているっていうことで、会ったときはひと回り小さくなったというか、締まったなぁっていう印象でしたね。病気になったなんて知らないから、体操のおかげで華奢になったのかなって思ってました。
――スナックで、お客さんの前で「かけめぐる青春」をふたりで歌ったんですか?
マキ そうです。いま思えば、ビデオでも撮っときゃよかったなって思いますけど。
――結果的に、それが最後の生歌唱となりましたからね。
マキ そうなりますか。その日は彼女は近くのホテルを取ってて、翌日は温泉とかを楽しんで帰ったみたいです。私は、空港まで送りに行きましたけど。
――その翌月に、ジャッキーさんはがん告知を受けたんですよ。私事で恐縮ですが、宣告されて退院したわずか数日後に、神奈川県川崎市内で「週刊ファイト」の取材を受けてくださって。それが、ジャッキーさんが受けた最期のインタビューとなりました。11月29日に横浜アリーナで開催された全女創立30周年記念大会の殿堂入りセレモニーでは、マキさんの横にジャッキーさんが立ちましたね。
マキ あの日は、懐かしいメンバーがそろいましたね。そんななかでもやっぱり彼女は、昔からキャッキャするタイプではないので、みんなが「久しぶりっ!」とはしゃいでても、その輪の中にはいなかった気がする。私は池下(ユミ)なんかと、「いまどうしてんの?」って言ってたけど、彼女は影が薄かったですね。
――ジャッキーさんはあの日、途中でお帰りになられて。
マキ うん。たぶんそうだったと思います。会ったのは、あの日が最後になりました。
「マキちゃんには言わないで」
――翌年に亡くなったことは、どうやって知りましたか。
マキ ナンシー(久美)からの電話で知りました。聞いた瞬間? 頭が真っ白ですよね。なにも考えられず、嘘でしょ、去年会ったばかりじゃん……と。
――前年から入退院を繰り返していたことも知らなかったんですね。
マキ そうです。なんで言ってくれなかったんだろうと、そういう気持ちになりましたね。
――ナンシーさんは知っていたのに……。
マキ まぁ、ふたりは同じ横浜出身だし、ジャパン(女子プロレス)のときは一緒にやってた後輩でもあったから、(入院中は)お世話してた時期もあったようで。
――ナンシーさんはジャッキーさんから、「入院していることをマキちゃんには言わないで」と口止めされていたそうですね。
マキ 私も、そう聞きました。
――なぜだと想像しますか?
マキ 私がいちばんのライバルだったからじゃないですか、プロレス面で。私のことを、自分をいちばん認めてくれた戦友として見てたんじゃないかって思うんですよ。彼女がやることに文句や悪口を言ったことはないし、そういう意味で、認めてくれたのは私だけだったんじゃないですか。
「籍は入っていないんです」浅草での晩婚夫婦生活
――なるほど。さて、話題をガラリと変えますが、マキさんはいまはなにをしているのかを教えてください。48歳前後でご主人と出会われて。
マキ はい。知り合いが浅草でスナックを出すとなったときに、私も鳥取でやってましたから、「東京に帰ってきたときは手伝ってあげるよ」と気楽な感じで言ってて、実際にオープンしたてのときに手伝ったことがはじまりですね。彼はずっとここ(東京・浅草住まい)で、プロレスや相撲が好きで、私がこの土地にやって来たというのを噂で聞いて、友達と店に飲みにきて、通ってくれたんですね。
――おそらく、口説く気満々だったんでしょうけど。
マキ 最初はマキ上田のファンとして近づいてきたかもしれないけど、私はそういうの気づかないし、気にもしないから。恋愛音痴だし、鈍いほうなんで、わからないわけですよ。店が終わってからも飲みにいくっていうのが続いてて、あるとき、「俺が食わしてやるよ」と、そういうニュアンスのことを言ったから、私が「それってプロポーズなの?」って聞いたんですよ。あっちはそういうつもりで言ったわけではなかったみたいですけど、そこから(真剣交際を)考えはじめたみたいで。私は、まだ鳥取で店をやってたんで帰るんですよ。そこからは、いえば遠距離恋愛ですね。1年ほど。
――晩婚で初婚。決断は躊躇しましたか。
マキ いや、ぜんぜん。向こうはバツイチですけど、私は気にしたことはまったくなくて。お義姉さんとお義母さんを紹介されて、こっちに引っ越してきて、いまの店(やき鳥・釜めし 田毎)を手伝って……という流れですね。あと、ごめんなさい。「結婚」という言い方をしてますけど、籍は入ってないんです。
「結婚という形式にはこだわりがなかった」
――えーっ、それは失礼しました!! なぜ20年間ほども未入籍なんですか。
マキ 特別、気にしてないんで。それは彼が決めることだし、もう20年も一緒にいれば籍はどうであれ、夫婦同然ですよね。財産を狙ってるわけでもないし。
――籍にこだわりがないと?
マキ そうですね。最終的にはどうするかは、彼が死ぬまでに決めてくれればいいので。こういうのって、綺麗にたとえれば、「フランス婚」って言うらしいですよ。
――浅草でフランス婚(笑)。そもそもですが、若いころから結婚をあまり意識しないタイプですか。
マキ そういう形式に興味がないっていったら変ですけど、こだわりがなかったというか。昔のドラマ的にいうと、結婚って男性が紙(婚姻届)を持ってくるとか、指輪を買ってくるとか、そういう行動を起こすもんだって勝手に思ってて。私は、自分のほうから「そろそろ結婚しない?」って迫るようなことはしないし、思ったこともないから。
――プロポーズされたことは?
マキ ないです。だから、彼がそれらしいことを匂わせたときに、聞いたんですよ。はっきり言ってもらわないと、わからないタイプなんで。そういう面は、ビューティのころから変わってないところですね。ビューティでいうと、当時の追っかけのファンは、いまだに店に来てくれるんですよ。ファンクラブの子たちってつながってるみたいで、3〜4人で通ってくれてますよ。誕生日にはお花を送ってくれるし。
もし、ジャッキー佐藤が生きていたら
――元少女たちにとっては、永遠のアイドルなんですね。
マキ いまだにそう思ってくれてる子はいますね。来て拝まれたこともありますし、泣いて帰った子もいます。「もし自分が男だったら、結婚してくれますか?」って言われたこともあります。
――ビューティのころにはね。
マキ あっ、違う。最近です(笑)。ビューティのころは、会えないじゃないですか。その思いが何十年もずっと募ってたんでしょうね。私が店に出るようになったら、会えるじゃないですか。で、告白されたんです。聞き流しましたけど。
――その中年女性からの告白は、少し怖いです。さて、これからの人生設計は、変わらず夫婦で店を切り盛りしていくという感じですか。
マキ 店は創業60年ぐらいで、いまは彼と(パートナーが前妻との間にもうけた)息子の3人でやってますけど、ゆくゆくは息子を跡継ぎにしたいんですけどね。
――3代目店主として、安心して任せられるようになってほしいですね。最後にひとつ聞かせてください。振り返って、ビューティ・ペアはどういう存在でしたか。
マキ 濃い青春でしたよね。たった3年間でしたけど。長い人生で、ジャッキーとはそう長い時間一緒だったわけではないけど、話さなくてもアイコンタクトで全部わかりあえてたと思います。しゃべらなくてもね。プロレスに関しては意思がつながりあってたと思ってたからこそ、解散のときは、私を捨てて“そっち”を取ったと(感じてしまった)。
――もしジャッキーさんが生きていたら、いい関係になれたかもしれませんね。
マキ んー、それはどうかなぁ……。むずかしい……かな。複雑ですよね。だって、私ではなく、そっちを選んだわけだから。
――あっ、そこはまだ根に持っているんですね。《インタビュー第1回、第2回も公開中です》
文=伊藤雅奈子
photograph by Shiro Miyake