『クロエとテオの時間旅行』Part.6
第六話:壊れた秒針
冷たい雨が、
容赦なく石畳を叩きつけていた。
1960年代、冷戦下のベルリン。
東西を分断する壁の近くにある廃工場に、
クロエとテオは身を潜めていた。
時代に合わせたトレンチコートのえりを立て、
雨のしたたる窓ガラス越しに工場の内部を見下ろす。
「ビンゴね。
あいつら、こんな所に隠れてたんだ」
クロエがつぶやく。
工場のうす暗い土間には、
これまで何度も遭遇してきた
別の世界線からの侵略者たちが集結していた。
そしてその中央には、
黒い軍服風のコートを着た、
片目に傷のある男——
彼らのリーダーらしき人物が立っている。
男の前には、
巨大なアンテナのような
奇妙な機械がすえ付けられていた。
「……あれは
『特異点ジェネレーター』だ」
テオが顔を険しくする。
「あいつらは、あの機械を使って
この冷戦の緊張を意図的に暴発させる気だ。
第三次世界大戦を起こして
この世界線を灰にし、
自分たちの滅びた世界を
ここに上書きするつもりなんだ」
「そんなの、絶対させないわ。
私の大好きなベルリンのアンティーク市が
消えちゃうじゃない!」
クロエは迷わず窓枠に手をかけた。
「おい、クロエ!
今回ばかりは相手が多すぎる。
正面突破は無理だ!」
「誰が正面から行くって言ったのよ。
ほら、あそこを見て」
クロエの指差す先。
工場の高い天井から、
古びたクレーンがぶら下がっている。
そのフックには、
おそらく工場が稼働していた頃に放置された
数十本もの巨大な鉄パイプの束が、
ワイヤーでまとめられてつるされていた。
そしてその真下で、
侵略者たちがのんきに武器の点検をしているのだ。
「……ふふっ。
悪党の拠点の頭上には、
どうしていつもああいう
都合のいい重量物がぶら下がってるのかしらね」
クロエはニヤリと笑うと、
足元に落ちていた重たい鉄のスパナを拾い上げた。
「待て、
まさかここからあのクレーンのとめ具を狙う気か?
距離がありすぎる!」
「私の腕をナメないで。
修復師は、
ハンマーの重心を指先で
完璧に計算できるのよ!」
クロエは雨風の計算もそこそこに、
大きく振りかぶって
鉄のスパナを全力でぶん投げた。
ヒュンッ! と空気を裂いて飛んだスパナは、
見事な放物線を描き——
クレーンの老朽化したロックレバーに
「ガキィン!」とクリーンヒットした。
バチィンッ!!
限界を迎えていたワイヤーが弾け飛び、
数十本の巨大な鉄パイプが
滝のように降り注いだ。
「なっ!? 上だ!」
「うわああああっ!!」
ドゴォォォォン!!
凄まじい轟音とともに、
鉄パイプの雪崩が
侵略者たちを次々と押し潰し、
無数のドラム缶をなぎ倒して
拠点を一瞬でパニックに陥れた。
「ストライク!
さあテオ、今のうちにあの機械を壊すわよ!」
「君のその無茶苦茶なエイムは、
一体どこで習ったんだ……!」
二人は窓から工場内へ飛び降り、
混乱する敵の間を駆け抜けた。
クロエが機械の配線を次々と引きちぎり、
ジェネレーターを機能停止に追い込む。
「やったわ!」
「おのれ……ネズミ共め!」
その時、
鉄パイプの山から這い出してきた敵のリーダーが、
血走った目で立ち上がり、
手にした未来の銃をクロエに向けた。
「クロエ!!」
銃口が青く光った瞬間、
テオがクロエを突き飛ばし、
自らの身体を盾にした。
パァァンッ!!
乾いた破裂音が工場に響く。
「……っ!」
テオの身体が大きくよろけ、
崩れ落ちるようにひざをついた。
「テオ!!」
クロエの心臓が凍りついた。
敵のリーダーが次弾を撃とうとしたが、
崩れた鉄パイプがさらに滑り落ちて
彼を完全に下敷きにした。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
クロエは水たまりに這いつくばるようにしてテオに駆け寄り、
彼を抱き起こした。
「テオ!
テオ、しっかりして!
撃たれたの!?」
「……いや、弾は……
肉には届いていない」
テオは荒い息を吐きながら、
自分のコートの胸ポケットに手を入れた。
そこから取り出されたものを見て、
クロエは絶句した。
彼の「懐中時計」。
跳躍の要であるあの銀色の時計が、
銃弾を真っ向から受け止め、
中心から無惨にひび割れていたのだ。
文字盤のガラスは砕け散り、
逆回転していた針は歪んで
ピクリとも動かなくなっている。
「時計が……」
「……最悪だ。
パラドックスの心臓部が、完全にいかれた」
周囲から、気絶を免れた敵兵たちが体勢を立て直し、
こちらへ迫ってくる足音が聞こえ始めた。
「逃げるわよ、テオ!」
クロエはテオの腕を肩に回し、
彼を引きずるようにして
廃工場の裏口から外へ飛び出した。
再び、容赦ないベルリンの雨の中。
暗い路地裏のレンガ壁に寄りかかり、
テオはズルズルと座り込んだ。
時計の破片から散った時空の火花が、
彼の掌で痛々しくショートしている。
「これじゃ、もう跳べないわね……
どこか安全な場所に隠れて、
時計を直す道具を——」
「クロエ」
テオが、いつになく静かな声で彼女の言葉を遮った。
彼は壊れた時計をクロエの手に押し付けると、
壁に寄りかかったまま、冷たい雨に濡れた顔を上げた。
「……この時計に残されたパラドックスのエネルギーなら、
あと一回だけ、一人分なら時空の穴を開けられる」
「……え?」
「君の銀貨とこれを合わせろ。
俺はここに残る。
君一人なら、現代のロンドンに帰れるはずだ」
テオの瞳には、一切の揺らぎがなかった。
彼は、自分を切り捨てて
彼女だけを逃がそうとしているのだ。
「な、何言ってるのよ!
私の修復技術なら、これくらい——」
「直せない!
物理的な故障じゃないんだ!」
テオが初めて、
クロエに向かって怒鳴った。
「敵が来る。
これ以上、お前を危険な目に遭わせるわけにはいかないんだ!
お前はただの一般人だろう!
いいから、さっさと帰れ!」
雨音が、二人の間の沈黙を重く満たした。
テオは、自分が足手まといになることを悟っていた。
大切な相棒を、絶対に守り抜くために。
それが、彼なりの最大の優しさだった。
しかし。
パァンッ!
クロエの平手が、テオの頬を思い切り張った。
「……っ」
「馬鹿にしないでよ!!」
雨の音に負けないくらい、
クロエの声が路地裏に響いた。
彼女の大きな瞳から、
雨粒とは違う熱い雫がこぼれ落ちている。
「私の観光旅行を、勝手に終わらせないで!
一般人とか関係ない!
私は、あなたと一緒に色んな時代を見るのが……
あなたの隣で走るのが、楽しかったのに!!」
クロエはテオの胸ぐらを両手で強く掴み、
座り込んでいる彼を壁に押し付けるようにして、
強引にその身体を抱き寄せた。
「っ、やめろクロエ!
二人じゃ同調が保たない!
時空の狭間に引き裂かれるぞ!」
「引き裂かれない!!」
クロエは壊れた時計と自分の銀貨を重ね合わせ、
テオの胸の奥深くに押し当てた。
そして、彼が抵抗できないほど強く、
その首筋にしがみついた。
「私の命綱は、あなたしかいないって言ったでしょ!
私の手首を絶対に離さないって約束したじゃない! 嘘つき!!」
「クロエ……!」
氷のように冷たいベルリンの雨の中で、
クロエの身体の熱だけが、
テオの胸に痛いほど伝わってきた。
彼女は泣きながら、
それでも絶対に彼を置いていかないという強烈な意志で、
テオを抱きしめ続けている。
(……敵わないな、本当に)
テオは、小さく息を吐いた。
いつも彼女に振り回されてばかりだ。
だが、この温もりを手放して
安全な現代に彼女を一人で帰すことの方が、
彼にとっては何百倍も恐ろしかった。
「……わかった。
絶対に、離すなよ」
テオはそうつぶやくと、
クロエの腰に腕を回し、
彼女の背中を力強く抱きしめ返した。
壊れた時計のいびつな振動と、
二人の激しい鼓動が重なり合う。
死への恐怖でも、
落下への緊張でもない。
互いを絶対に失いたくないという強烈な感情だけが、
二人の脈拍を、これまでで最も完璧なリズムで同調させた。
バチバチバチィッ!!
壊れた遺物が悲鳴を上げ、
時空の壁が乱暴に引き裂かれる。
制御を失ったパラドックスの嵐が二人を飲み込んだ。
雨のベルリンの路地裏には、
二人がいた痕跡さえ残さず、
ただ静寂だけが戻っていった。


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