『クロエとテオの時間旅行』Part.4
第四話:古代エジプトと、気高き白猫
「ああん、もう最高!
見てよテオ、この気高いフォルム、絹みたいな毛並み!
やっぱり本場のエジプト猫は違うわね!」
「……君は、ただ猫をなでるためだけに、
紀元前のエジプトまで時空に穴を開けたのか?」
照りつける太陽と、見渡す限りの砂漠…。
巨大な神殿の影で、
クロエは一匹の美しいオッドアイの白猫を抱きしめ、
ほおずりをしていた。
一方のテオドールは、
容赦ない古代の直射日光に顔をしかめながら、
砂まみれになった自分のコートをはたいている。
「だって、あの酒場で
『次はどこへ行きたい?』って誰かが聞いてきて、
とっさに頭に浮かんだのが猫だったのよ」
「遺物が君の無意識の欲望を読み取っただけだ!」
呆れ果てるテオだったが、
クロエがご機嫌に猫のあごをなででていると、
白猫の首に
豪華な金とラピスラズリの装飾が施された
首輪がついていることに気がついた。
「これは、ただの野良猫じゃないわね。
王族の飼い猫かも」
「なら、さっさと宮殿に叩き返してこい。
歴史に関わる前に現代へ帰るぞ」
二人が猫を抱えて
神殿の奥へと歩き出した、その時だった。
巨大な石柱の立ち並ぶ列柱室の陰から、
ひそひそと話す声が聞こえてきた。
『……よし、柱への細工は終わったな』
『ああ。あと数分で、
若きファラオがこの回廊を通る。
その瞬間に支柱を砕けば、
ドミノ倒しで神殿ごと
奴を圧死させられる』
クロエとテオは顔を見合わせた。
見覚えのある黒ずくめのコート。
またしても、あの別世界線からの侵略者たちだ。
どうやら彼らは、
古代の王を暗殺して
歴史を改ざんしようとしているらしい。
「あいつら、本当にどこにでも湧いてくるわね」
「まずいぞ、クロエ。
俺たちが干渉する前に——」
「干渉するわよ」
クロエの目が、
職人としての怒りにスッと冷えた。
「歴史がどうとか以前の問題よ。
何千年も残るはずの美しい古代建築を、
あんな雑な手抜き工事で壊そうとするなんて……
修復師として絶対に見過ごせないわ!」
クロエの視線が、
侵略者たちが細工を施した石柱と、
その周囲の地形を瞬時にスキャンする。
(……なるほど。
あいつら、柱を倒すための『楔(くさび)』として、
巨大な丸太を滑車で固定してるわね。
でも、あの結び方じゃ、横からの衝撃に弱すぎるわ)
クロエは足元を見回した。
ちょうどいい具合に、
建設途中の神殿の資材を運ぶための
丸い石のローラー(コロ)が、
緩やかな斜面の上に
無造作に置かれている。
しかも、その斜面の先は、
暗殺者たちが隠れている柱の真裏だ。
「テオ!
あの猫をしっかり抱いてて!」
「おい、また何か企んで——
わっ!?」
クロエはテオの胸に白猫を放り投げると、
斜面の上にあった石のローラーの元へ駆け寄った。
「ごめんあそばせ!」
ピンヒールのブーツで、
ローラーを固定していた小さな石を
パコンッ!と蹴り飛ばす。
ゴロゴロゴロゴロ……!!
重さ数百キロはあろうかという石のローラーが、
斜面を転がり落ちていく。
それは見事な軌道を描き、
暗殺者たちが罠の支点としていた丸太に
「ドゴォン!」とクリーンヒットした。
「な、なんだ!?」
「うわあっ! 支柱が外れたぞ!」
連鎖反応は完璧だった。
敵がファラオのために用意していた崩落の罠が、
彼ら自身の手前で誤作動を起こしたのだ。
三本ほどの巨大な石柱がグラグラと揺れ、
暗殺者たちの頭上へ向かって倒れ込んでいく。
「退避しろぉっ!」
間抜けな悲鳴とともに、
侵略者たちはガラガラと崩れ落ちる石材の下敷きとなり、
砂埃の中に消えていった。
「ふん。
アンティークを舐めるんじゃないわよ」
クロエが満足げに腰に手を当てた、その瞬間。
ヒュンッ!
砂埃の中から、
辛うじて難を逃れた一人の暗殺者が、
クロエに向かって
小型のボウガンを引き絞っていた。
「クロエ!!」
テオが猫を放り出し、
弾かれたように飛び出した。
彼はクロエの身体を力強く引き寄せると、
彼女を庇うように背中を向けた。
ドスッ!
「……っ!!」
テオの口から、短い苦悶の息が漏れた。
彼の左肩のコートを貫き、
鋭い矢が深く突き刺さっていた。
「テオ!?」
クロエの顔から血の気が引く。
暗殺者が次弾を装填するより早く、
テオは痛みを堪えて
残った右手で懐中時計を取り出し、
クロエの胸元にある銀貨へと
強引に押し当てた。
「同調する……息を、止めろ……っ」
苦痛で荒くなったテオの激しい鼓動が、
クロエの心臓に直接打ち付けられる。
パニックになりかけたクロエの心拍が、
一瞬で彼のリズムに重なった。
時空の渦が弾け、
崩れゆく神殿から二人の姿が消滅した。
——パチッ、パチッ。
火の粉が爆ぜる音で、
クロエはハッと我に返った。
跳躍したのは、同じ時代の夜。
満天の星空の下、
冷え切った砂漠のオアシスだった。
「……テオ、痛む?」
岩陰に身を預け、
焚き火の光に照らされたテオの顔は、
酷く青白かった。
クロエは彼の上着を脱がせ、
すでに矢を抜いて
止血と包帯の手当てを終えていたが、
傷口から入った熱のせいか、
彼の息は荒い。
「大したことは、ない……。
ただの、かすり傷だ」
「嘘ばっかり。
すごく熱いじゃない」
クロエは、水で濡らした布を絞り、
テオの額の汗を拭った。
いつもなら
「あなたが勝手に庇うからでしょ」
と憎まれ口を叩くところだが、
今はそんな軽口を叩く余裕すらなかった。
彼が自分のために血を流したという事実が、
クロエの胸の奥をギリギリと締め付けている。
「……ごめんなさい。
私が、ふざけて跳躍なんてしたから」
クロエの声が、微かに震えていた。
その震えを隠すように、
クロエは彼の脈を測ろうと、
包帯を巻いた腕の先、
熱を持った手首にそっと指を当てた。
跳躍のための同調ではなく、
ただ彼の「命の音」を確かめるための接触。
トクン、トクンと、
彼の体温と一緒に伝わってくる少し早い脈拍。
普段、手首を掴んで
強引に引き寄せてくる大きな手が、
今は力なく砂の上に投げ出されている。
(私……この人がいなくなったら、どうしようって……)
初めて覚えた明確な恐怖に、
クロエの指先がかすかに震えた。
すると。
「……泣きそうな顔を、するな」
投げ出されていたはずのテオの手が不意に動き、
脈を測っていたクロエの指先を、
熱い掌でそっと、しかし力強く握り返した。
「テオ……」
「俺は……これくらいで死ぬほど、
ヤワな訓練は受けていない」
テオは薄く目を開け、
焚き火越しにクロエを真っ直ぐに見つめた。
不機嫌な皺の寄ったいつもの顔ではなく、
熱に浮かされた、どこか無防備で熱を帯びた瞳だった。
「だから……俺が治るまで、勝手に跳ぶなよ。
お前は……一人じゃ、
危なっかしくて見ていられないからな」
それは、ただの監視役としての言葉ではなかった。
どんな時代でも、どんな場所でも、
絶対に自分がお前を守るという、
不器用すぎる彼なりの誓いだった。
「……馬鹿。
跳べるわけないじゃない」
クロエは握り返された手の熱から逃げないように、
ゆっくりと彼の指に自分の指を絡め合わせた。
「私の命綱は、あなたしかいないんだから」
冷たい砂漠の夜風の中、
焚き火の爆ぜる音と、
二人の重なり合った脈の音だけが、
静かに、そして確かに響き続けていた。


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