『クロエとテオの時間旅行』Part.3
第三話:不機嫌なワルツ
視界が晴れると、
そこはむせ返るようなジャズの熱気と、
紫煙に包まれた地下空間だった。
「ひどい着地だ……
俺のコートが酒臭くなったじゃないか」
「文句言わないの。
ほら、見てよテオ!
最高にクールな時代じゃない!」
文句を言いながら立ち上がるテオをよそに、
クロエの瞳はキラキラと輝いていた。
金糸のフリンジが揺れるドレスを着た女性たち、
サスペンダー姿で葉巻を吹かす男たち。
ステージではブラスバンドが
陽気なスウィング・ジャズを奏でている。
ここは1920年代、
禁酒法時代のニューヨーク。
違法に酒を密売する
地下の潜り酒場(スピークイージー)のど真ん中に、
二人は跳躍してしまったのだ。
「ちょっとテオ、
そのヴィクトリア朝みたいなコートはここでは浮くわよ。
脱ぎなさい」
「なっ、何をする!
人前で勝手に剥ぐな!」
クロエはテオの抵抗を無視して
彼のロングコートを剥ぎ取ると、
中のシャツの袖を乱暴にまくり上げ、
胸元のボタンを二つほど開けさせた。
「ほら、これで少しは
『ワルい男』に見えるわ」
「……君という奴は、
本当に遠慮というものがないな」
不機嫌そうに前髪をかき上げるテオだったが、
乱れたシャツ姿と、
生真面目な顔立ちのアンバランスさが
妙な色気を醸し出していることに、
クロエは一瞬だけドギマギして視線を逸らした。
(な、なによ。ちょっと顔がいいからって)
その時だった。
酒場の入り口の重厚なドアが蹴り破られ、
黒いトレンチコートを着た大柄な男たちが数人、
ずかずかと押し入ってきた。
彼らの手には、
この時代のギャングが持つトンプソン・サブマシンガン……
ではなく、未来的な青い光を放つ奇妙な銃が握られている。
「またあいつら!?
どんだけ執念深いのよ!」
「俺たちの遺物が放つ時空の波長を追ってきたんだ。
まずいぞ、ここは逃げ場がない」
テオが舌打ちをする。
男たちは客の顔を一人一人乱暴に確認し、
確実にクロエたちの方へと近づいてきていた。
裏口はステージの奥にあるが、
そこへ向かえば確実に蜂の巣にされる。
「テオ、いつでも跳べるように準備して。
遺物をくっつけるのよ」
「無茶を言うな!
こんな明るい場所で抱き合ったら、
それこそ目立つだろうが!」
「じゃあ、目立たないように
抱き合えばいいじゃない!」
クロエはテオの腕を引くと、
彼をフロアの中央——ジャズの生演奏に合わせて
男女がひしめき合って踊る、
ダンスフロアのど真ん中へと引きずり込んだ。
「おい、クロエ!?」
「いいから、腰に手を回して!
私に合わせてステップを踏むのよ!」
クロエはテオの右手を取って
自分の腰に強く押し当てると、
もう片方の手を彼の肩に回した。
二人の身体が密着し、
ポケットに入った「銀貨」と「時計」が
触れ合う極近距離になる。
「……っ、君は本当に、
恥じらいというものがないのか」
「命がかかってるのよ、
文句言わない!
ほら、右足から!」
軽快なジャズのテンポに合わせ、
二人はフロアを回り始めた。
クロエはテオのステップが
素人丸出しで足を踏まれることを覚悟していたが、
予想に反して、彼のリードは驚くほど滑らかで力強かった。
クロエの動きを完全に支配し、
人混みを縫うように軽やかにターンを決める。
「ちょっと、あんた……意外と踊れるじゃない」
「俺を誰だと思っている。
元・局の特待生だぞ。
あらゆる時代の潜入訓練を受けているんだ」
「へえ、伊達に偉そうにしてるわけじゃないのね」
憎まれ口を叩き合いながらも、
敵の視線が近くを掠めるたび、
テオの腕にグッと力がこもり、
クロエの身体がさらに彼へと引き寄せられる。
(……ち、近いわよ)
クロエの心臓が、別の理由で跳ね始めた。
彼の胸板の硬さ。
少し開いたシャツの胸元から漂う、
シトラスと古い紙が混ざったような香水の匂い。
真剣な眼差しで周囲を警戒するテオの横顔が、
手の届く距離にある。
「……おい、クロエ。
ステップがずれてるぞ」
テオが耳元で低く囁いた。
その吐息が耳にかかり、
クロエはビクッと肩を震わせた。
「あ、あんたが強く引き寄せすぎるからでしょ!
息が詰まりそう!」
「我慢しろ。
奴らがこっちを見ている。
……顔を伏せろ」
テオはクロエの後頭部にそっと手を添え、
自分の胸元に彼女の顔を隠すように抱きしめた。
ドクン、ドクン。
テオの胸の奥で、彼の心臓が力強く、
そして意外なほど速く打っている音が聞こえた。
(テオも……ドキドキしてる?)
クロエが見上げると、
テオはそっぽを向いていたが、
その耳の裏は微かに赤く染まっていた。
どんなに冷静を装っていても、
彼もまた一人の青年なのだ。
この強引なダンスが、
二人の関係性にこれまでになかった「熱」を
生み出していることに、
お互いが気づき始めていた。
「——見つけたぞ!
あの二人だ!」
不意に、侵略者の一人が
フロアの中央にいる二人に気づき、銃を構えた。
「バレたわ!」
「チッ、ここまでか。
クロエ、跳ぶぞ!」
「待って、この距離じゃ撃たれる!」
クロエの視線が、
ダンスフロアの頭上を横切る「巨大なシャンデリア」と、
それを固定している壁際の「滑車のロープ」、
そしてその真下にある「シャンパンタワー」を捉えた。
(いける!)
「テオ、
私を思い切りあっちへターンさせて!」
「なっ、何を企んで——
ええい、勝手にしろ!」
テオはクロエの意図を汲み、
彼女の腕を引いて
フロアの端へと猛烈なスピンをかけた。
コマのように回転しながら
壁際に飛んだクロエは、
テーブルの上にあった銀のトレイをひょいと掴み、
フリスビーのように全力で投げつけた。
ガキンッ!!
トレイは見事に
壁の滑車の留め具にクリーンヒット。
ストッパーが外れ、
固定されていたロープが
猛烈な勢いで解け始めた。
「うおぉっ!?」
頭上の巨大なクリスタル製のシャンデリアが、
侵略者たちの真ん中へと向かって急降下する。
さらにクロエは、ターンした勢いそのままに、
足元にあった見事な七段積みのシャンパンタワーの
「一番下のグラス」を、
ピンヒールでカツン!と蹴り飛ばした。
ガシャアァァァン!!
シャンデリアの落下によるパニックと、
崩壊した何百個ものグラス、
そして床にぶちまけられた最高級のシャンパン。
侵略者たちは滑る床に足をとられ、
見事に全員がスッ転び、
落ちてきたシャンデリアの飾りに巻き込まれて
ドタバタと折り重なって気絶した。
「計算通り!
行くわよ、テオ!」
「君のそれは計算じゃなくて、ただの悪運だ!」
呆れ果てるテオだったが、
その口元には微かに笑みが浮かんでいた。
彼は滑る床をものともせず、
裏口に向かって走るクロエの手首をガシッと掴むと、
そのまま彼女を自分の胸へと強く引き寄せた。
「よくやった。
……さあ、息を止めろ」
テオの力強い腕がクロエを包み込む。
ダンスの熱気と、全速力で走った興奮。
そして何より、先ほどの密着の余韻によって、
二人の心拍数は
すでに完璧に同調していた。
ドクン、という二つの心音が
一つのリズムになった瞬間。
追っ手の怒号を置き去りにして、
二人は青白い時空の渦へと飛び込み、
狂騒のニューヨークから
鮮やかに姿を消したのだった。


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