1950年代から1980年代にかけて行われた北朝鮮帰国事業は、在日朝鮮人やその日本人配偶者が資本主義の日本から社会主義国家である北朝鮮に移住するという、世界に例を見ない特異な事業だった。
当時、北朝鮮は衣食住や医療・教育の保障をうたい、自国を「地上の楽園」と宣伝した。日本の一部メディアもこの宣伝を後押しした。この言葉に希望を見出し、およそ9万3千人余りの人々が日本から北朝鮮へと渡っていった。
忘れられつつある歴史だが、最近、日本と韓国に住む50人の脱北帰国者に対する聞き取り調査をまとめた証言集「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」(集英社新書)が出版された。
帰国事業に関しては国際政治の観点から研究され、帰国者の手記も発表されてきた。しかし大規模な生活調査は初めてで、帰国事業にあらためて関心が集まっている。
「山」は「おいで」、「川」は「来るな」
帰国者たちは「地上の楽園」という宣伝を信じて、新潟から北朝鮮に行く船に乗ったが、北朝鮮の港に到着した直後、街の暗さや人々の貧しい身なりなどに衝撃を受け、「だまされた」と絶望した。
しかし、彼らも事前に北朝鮮の宣伝をすべて素直に信じ切っていたわけではなかった。万が一に備え、後に帰国事業への参加を考えている日本の家族や親族に対して、真実を伝えるためのさまざまな「暗号」やシグナルを送っていた。今回出版された本にも克明に記録されている。
その代表的な方法の1つが「切手」だ。手紙は検閲され、内容によっては没収されることが多いため、切手の裏に「山」と書けば「おいで」、「川」と書いたら「来るな」という意味だと、スパイ小説のような約束をして旅立った男性もいた。
男性は、「来るな」の意味をこめて「川」と書いて送ったのに、手紙を受け取った男性の姉は漢字が分からず、自分の子どもたちを連れて、北朝鮮に渡ってしまった。
切手の裏に真実を書く約束をし、実際に「自由がない。ここへくるべからず」と書いて日本に送った人もいた。送り主は梁敏雄さんで、北朝鮮を脱出して現在は東京に住んでいる。送った相手は兄で、このメッセージを読んで北朝鮮行きを思いとどまった。
また、手紙が鉛筆で書いてあれば「来るな」、ボールペンで書いてあれば「来い」というサインと決めたり、必要な物資を数多く手紙に列挙することで、現地の生活が苦しいことを間接的に伝える工夫もした。こういった切手や手紙から日本にいる家族や親族が真意を察知し、北朝鮮への渡航を放棄した事例も確認されている。