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わからないから愛したい

生まれてくるべきではなかったなあ、と思うことはよくある。でも生まれてこなければよかった、とはあんまり思わない。このふたつは私の中では結構ちがう。少なくとも今は死にたいとは思っていない。もちろん酷く傷ついて将来に希望が持てないとき、衝動的に思うことは正直あるけど、でも、それと同じくらい幸せに思うこともある。だから苦しい。何の意味も喜びも見出せないのなら話は簡単だったのに、時折生きていてよかったと思えてしまうからそう易々とは手放せなくなっていく、人生。

中学生になると、さすがに多少は落ち着いた。とはいえ苦しいのは変わらないし、頻度は落ちたものの脈絡もなく泣き出す癖は残っていた。何度か学校にいる間だけ上手く声が出せなくなったり、記憶が混濁して大好きだった先生のことが長期休み明けに上手く思い出せなくなったりした。でもやっぱりそれは学校にいる間だけのことで、親には絶対に言わなかった。

それでも私は私を恵まれていると思う。支えてくれる人が、支えが必要なタイミングでいつも現れた。中学受験に落ちた後、新しく通い始めた高校受験塾で、中学から転入してきた同期と、塾長に出会った。中学三年生を控えた春休み、塾長に志望校どこにするの、と話しかけられた。どこでもいいと思っていたけど、そこそこいいところに行かないと親が怒るだろうな、と思ってそこそこいいところを答えた。塾長は顔をしかめて「今頑張らなくても行けるとこ言ったでしょ」と言った。そんなつもりはなくて、多分落ちるだろうな、と思いながら言った。

「お前はすぐサボる」
「宿題もサボってばっかだから模試の成績悪いし今日の小テストも追試になってるけど、お前はちゃんと一年間努力すれば余裕で翠嵐にも手が届くと思う」
「ということで先生たちはお前を翠嵐志望として扱います、いいですか」 
むちゃくちゃである。

横浜翠嵐高校、県内トップの公立校。行けるわけがないと思っていたから、まともに調べたこともなかった。でもやればできるはずだ、と言われたのが嬉しくてつい頷いてしまった。とりあえず自習室に通った。別に自習室でサボってることもあったけど、家にいなくていい新しい理由を得た、と思った。中学校で最後のクラス替えがあり、塾で一緒の同期と中学でも同じクラスになった。同期は私とは比べ物にならないほど賢く、聡明で、達観していた。転入してきたばかりの時、その優秀さを目の当たりにして驚き、なんでそんなに頭いいの、と話しかけたら半笑いで「勉強したからでしょ」と返され、私のプライドをそれはもうバッキバキにへし折った同期だ。学年全員がこいつは当たり前に翠嵐だろ、と思っていたし、多分本人もそう思っていた。尊敬を通り越して嫉妬と畏怖みたいな複雑な感情があり、ずっとなんとなく避けていたのだが、三年生になって仲良くなった。彼は勉強の面倒をすごく良く見てくれた。これができないと言えばこの参考書のこの部分をやれ、と的確なアドバイスをくれ、自習室でずっと隣の席を取ってなんでもすぐに教えてくれた。三年になって初めての模試で、いきなり上位100位以内に名前が載った。同期はいつも一桁だったので素直に自分を凄いと思えなかったけど、私は上位者表に名前が載ったのは初めてだった。

夏休みから、トップ校を目指す人だけを集めた少数精鋭のクラスを作る、と塾長が言った。いつもならクラス分けテストがあるのに、それは塾長の独断で決まった。夏期講習初日、塾に行くと入ってすぐのところに塾長がいて、お前はこっち、お前はあっち、と生徒に指示を出していた。当たり前にいつも通りの教室へ向かおうとした私を、塾長は、違う、お前はこっち、と精鋭クラスに突っ込んだ。たった九人のクラスで、女子は私一人だった。座席表の最前列のど真ん中に私の名前があり、左隣に同期の名前があった。はっきり言って、迷惑だった。落ちこぼれを実感させられるクラスにいるのはやる気を失いそうで嫌だった。初回、私立難関校の数学の過去問を解いて、塾長が採点して、みんなに点数を言いながら返却した。同期は60点くらいだった。最後の一人が私で「ごめんちょっと、言えない……」と言って渡された。7点だった。
7点。もう一度言おう。100点満点の、7点。あ、これ、来週からクラス落ちたわ。50分の試験時間ずっと必死に頭とペンを動かして7点だった。涙を堪えながら聞いた解説はほとんど頭に入ってこなかった。授業が終わって、同期と一緒に自習室の席を取りに行こうとしている私を塾長が呼び止めた。きた、降格勧告だ、と思った。だから出来ないって言ったのに、勝手に上のクラスに入れられたのに。塾長は私に「志望校は?」と聞いた。戸惑って顔を見たら、塾長は何かを訴えかけるような顔で笑った。

……すいらんです。

初めて自分の口から出た高校名は、知らない国の言葉みたいだった。ならいい、と言って塾長は私を解放した。
やっぱりむちゃくちゃである。
同期は微笑んで、早く解き直しやるぞ、と言った。翌週、同じ私立難関校の別の年の過去問を、塾長が変に顔をしかめながら返却してきた。こわごわ紙を開いたら75点だった。同期は横で大爆笑した。

努力という努力をしたのは、人生であの年が初めてだった気がする。夏期講習期間は日曜を除くほとんど毎日朝10時から夜22時まで塾にこもっていた。夏休みが明けると、通常授業に加えて毎週日曜日に電車に乗って大きい校舎に行き、難関校を目指す人のための講習を受けた。事前にクラス分けテストがあって、当日校舎に行ったらその結果が張り出されているという制度で、同期と一緒に行ったけど、どうせクラスは違うと思っていた。当たり前に上のクラスの名簿に名前を探す同期を横目に、私は下のクラスの名簿から探しはじめた。見つからない。同期が不意に、違う、お前はこっち、と言った。
上のクラスだった。

塾長ではないけど普段お世話になっている先生が休憩時間になってひょこっと顔を出して、「どう? 新堀さんも解けたんじゃない? まあ楽勝ではないだろうけど、ちゃんと闘えるって思ったでしょ?」と話しかけてきた。ちょっと泣いた。先生が帰った後、午前中に受けた試験について同じ塾の仲間が話し合ってるのが後ろの席から聞こえた。面倒を見てくれる同期以外の人とは私はあんまり話したことがなかった。初期の同期みたいに、尊敬と嫉妬が混ざった視線を向けていたから、なんとなく近寄りづらかった。
「国語のことなら新堀さんに聞いた方がいいよ」
ひとりが小声でそう言うのが聞こえた。またちょっと泣いた。

塾の授業がない日も上位クラスの人で集まり、自分たちの運営で公立用の模試を受け、提出して帰った。同期は本当に雲の上にいるような人で、どんなに追っても手の届かない人で、なのに、あまりにずっと一緒にいるからもしかしたら肩を並べられるんじゃないかと、愚かな勘違いをしてしまった。要は調子に乗っていたのだ。親は厳しく、同期は優しかった、ただそれだけなのに。努力をしたからと言って、努力に慣れていない私がそう簡単に実績を積めたわけではない。メンタルも全く安定していなくて、中身は未熟な小学生のままだった。入試直前の模試で思いっきり躓いて成績を落としたとき、親が久しぶりに私の前で泣いた。トップに行ってくれとは頼んでない、こんなに不安でしんどい思いをさせられるくらいなら志望校を下げて絶対に受かる公立を受けてくれ、と頭を下げた。
私は無視した。
志願票を出した後も、志願変更の期間に散々下げてくれと言われた。何しろ天下の翠嵐である、倍率は2倍を超えている。
私は無視した、無視したかったけど、さすがに不安になって、やっぱり私なんかが受かるわけないのかも、と思って同期に弱音を吐いた。同期は笑った。舐めんなよ、俺が一年かけて熟成させたんだぞ。
翠嵐という名前は私にとってはどうでもよかった。この人と同じ高校に行きたいから翠嵐を受けた。三月一日、合格した、と連絡したら、俺も、と返ってきた。おめでとう、とかはお互い言わなかった。どうせこいつは受かると二人とも知っていた。
一緒に合格通知を取りに行った。

でも、これでまだ一緒にいられる、と思ったのはやっぱり盛大に愚かな勘違いだった。同期は同期で、私は私だ、という当たり前の大切なことを私は忘れていた。結局受験を通して私は、努力ができない人間から、他人軸でしか努力ができない人間になっただけだった。やってもらえて当たり前で、感謝も謝罪もできない人のもとに、親以外の親身に面倒を見てくれる人が現れたのがよくなかった。勝手に同期はなんとなくずっとここにいると思っていた。彼はもっと自由なのに。私と違ってどこにでも飛んでいける翼があり、それでも彼が私を選んで横にいてくれただけにすぎないことを、視界があまりにも狭い私はすっかり失念していた。同期は部活の朝練で私と一緒に登校することはなくなり、同期が理系に、私が文系に進むと顔を見る機会すらほとんどなくなり、彼の助けを失くしてひたすら成績が下降する私とは塾のクラスも被らなくなった。

私の性格と現状的にどうしても暗い結論に達してしまうけど、このときの同期とは今でもほとんど毎日連絡をとってるし、先月も一緒に遊びに出かけました。同じ高校に受かったとき、彼は私の中学の卒業アルバムに「あと三年よろしく」と書いた。あれから五年目になった。いつもありがとう。そういう、奇跡みたいな手のあたたかさがあるから、私はギリギリのところで生きのびてしまう。感受性が豊かだとか、感性が鋭いねとか、そういう褒め言葉をもらうたびに、でも、生きづらいですよ、と思う。幸福を忘れないでずっと抱きしめているために、不幸も忘れないで一緒に抱きしめる羽目になっている。誰かからもらったものとか言われたことを、ずっと忘れないで抱えていると、長く生きれば生きるほど地雷を踏む可能性を増やすことになる。世界にきみを思い出すトリガーが、それはもう異常な量ある。その残酷さに苦しめられて、同時に救われている。

人間が生きている、それだけのことがほんとうに嬉しい。でも、それと同時にほんとうに怖い。満員電車で押しつぶされているとき、マンションやアパートに囲まれた道を歩いているとき、眠たい授業中、校舎の窓から反対側の校舎を眺めているとき、そこにいる、私ではない、それぞれにそれぞれの人生があり、思考があり、今全員が違うことを頭の中で考えている、そのとてつもなさに地面が揺らぐことがある。人間は分かり合えない。それなのに、人間はこんなにも一人では生きられない。目の前にいるきみのことを、私はなんとなく知っている。どういう人であるか、どういう人生を送ってきたか、もちろん全部は知らないし、それはきみにとっての私も一緒だけど、私たちはお互いに見せ合っている部分がある。他の人を知ることはできない。それだけのことが途方もなく寂しく、怖く、窮屈に思える。
新しい季節の匂いのする夜にだけ、他人を許せる気がする。知りたい。そこにあなたがいる、あなたのことをわかりたい。どうしてあなたがあなたに育ったのか、あなたが何を背負い、何を考えているのか。でもそれはできない。できないから、代わりにきみのことをわかろうとする。そうやって人は生きている。全員のことはわかれない、でも人間はわかりあいたい、だから、そのほか全員の代わりに、目の前の人をわかろうとする。そういう意味で、私にとって、きみは世界そのものなのである。世界の、愛の、私の知りたいことの全ての代理人として、きみはいま私の目の前にいる。

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わからないから愛したい|新堀笙子
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