エゴと刃物は使いよう

 皆さんは、料理をする時に包丁を使うことがあるだろう。

 料理を作ったり、果物の皮をむいたり。

 それを誰かにあげたら、喜ばれますよね。

 包丁を使うことで、良いことができる。人を幸せにすることができる。

 つまり、包丁は善の目的のための役に立った、ということができる。



 しかし。包丁を使って人を刺す、とか。

『金を出せ』と言って脅して、強盗を働くとか。

 包丁を使って、悪いこともできる。

 つまり、包丁は悪の目的のために役に立つこともあるのである。



 さて。

 こう考えた時に『包丁自体』、包丁そのものに善悪はあるのだろうか?

 ない。

 包丁自体が悪である。あるいは包丁そのものが善の存在である、ということはない。ただ、使い道によってその生じる結果に善悪などの価値判断がつくというだけである。



 今からあげるものは、すべてそれ自体に善悪はない。

 ただ、使いようによる。



 エゴ

 思考

 不安

 恐怖

 不満

 嫌いという感情



 宗教やスピリチュアルによっては、これらのものを敵視する。

 極端には、「なくそう」なんてことを言い、本気で目指そうとする。

 はっきり言いましょう。



●この世界に生きている限り、なくなりません。



 なくならないものをなくそうとしていらっしゃるので、見ていて痛々しい。

 ああ、自分はまだまだやり方が悪いんだ。修行が足りない。瞑想が足りない——。なくなるはずのないものをなくそうとしているので、大変です。

 それが悪いとは言いません。宇宙は自由なところです。あらゆる物事に善悪は本来ありません。

 ただ、この三次元ゲームをする上では、かなりクリア難易度の高いプレイスタイルかと。要は、刃物と同じで『使いよう』なのである。



 エゴは、はっきり言って必要である。

 逆に言えば、ないと困る。

 皆さんは、恋愛を悪いものだと思いますか?

 結婚制度を、悪いものだと思いますか?

 思わない、という人がほとんどでしょう。

 ましてや旦那さんや奥さんがいる方は、それを言えないでしょう。

 でも、それってエゴのおかげなんですよ。



 本来の神意識の愛・ワンネスの愛は完全な愛、つまり対象によって差が生まれることのない、すべての対象を最高の同じ愛で愛する愛である。

 だから、完全な愛の感覚から言えば、AよりBの方がより好きというのはあり得ない。逆に、差があってはおかしいのである。

 その時点で『完全な愛』などというのはウソになる。



 エゴというもののおかげで、人類愛として愛しているその他大勢、少し余計目に愛している友人知人、ずっと一緒にいたい、また体と体の濃密な接触があっても全然抵抗がない(あるいはもっとそうしたい)という、最高の愛で愛せる人というのが区別されるのである。

 女性がキムタクと江頭2:50を見る眼差しに違いがあっても、それはこの世界では自然なのだ。そういった認識も、エゴが存在してくれるおかげ。

 世の恋愛小説や映画・ドラマが面白いのも、エゴのおかげ。それがあるから、何十億人がいる中でもたった一人を、特に愛することができるのだ。



 エゴというものは、そういう「特別な人を愛する」という目的に使うなら、良いものだ。しかし、「自分だけが幸せであればいい」という基準で行動したり、人を攻撃したり戦争をしたり……それは、ちょっとエゴの使い道を誤っている。

(でも、何度も言うがこの場合間違っている、というのはこの世ゲームの特設ルールであって、究極には同価値である。)

 つまり、エゴ自体が悪いものであり、問答無用でなくすのがよいのだ、ということはない。かえって、人間ゲームを楽しく、潤いのあるものにしてくれる立役者であるのだ。

 この場合、エゴというものが存在することをゆるす上でのリスクを、恐れるべきではない。ゲームには障害が、敵キャラが、失敗するリスクはつきものでしょ?

 それがないなら、ゲームじゃありません! 問題もない代わりに、それでは楽しくも何ともない。

 


 完全であり永遠であり絶対である代わりに、冒険もロマンスもドキドキワクワクもない。そんな一元性の世界に帰りたいですか?

 生きる上で、苦しみや悲しみもある。不完全であり、失敗があり、愛とそうでないものがあるように見える。

 でも、『この愛すべき世界』という風に思いませんか?

 リスクを承知でも、この世界で喜びに生きていたいと思いませんか?

(完全な世界では、喜びというものすら自覚できませんよ? 反対の比較物がないので認識不可能なのです。凹凸がないので『浮き彫り』にされないのです)



 思考というものもまた、同じ。

 思考をなくせ、という話を時々聞くが、無理だ。

 思考をなくして、ハートで生きろ、というフレーズもよく聞く。

 言いたいことは分かる。でも、こう言い換えないと誤解を生む。



●思考はTPOに従って、必要な分を。

 それ以外は、ハートで生きることをメインにしましょう。



 思考がなかったら、交通機関は麻痺します。車社会は崩壊します。

 時間を守って逆算する概念もないので、企業が成り立ちません。

 人と会う約束も、守れなくなります。

 思考は必要だと、認めましょう。

 認めたうえで、刃物と同じで世の中を楽しく保つために使いましょう。

 不安、恐れもしかり。それらがあるから「安心」の価値が分かり、 「勇気」 が素晴らしいものだと称賛できる。

 もちろん、減らしていくという方向性はよい。しかし、なくなるものではない。

 過去の記事で、反比例のグラフのたとえ話をしたことがあると思う。ゼロに限りなく近づきはするけれど、絶対にゼロそのものにはならない『漸近線』 。

 エゴも思考も、不安も恐怖も、うまくトモダチになればいいのだ。うまく付き合っていくのがいい。



 古い、『鉄人28号』というアニメがある。

 普段は金田少年という主人公が、リモコンで操作する。

 もちろん、金田少年は正義の側なので、正義の目的のために鉄人を使う。

 でも、ストーリーの展開の中で、リモコンが敵の手に渡ってしまうことがある。

 そうしたら鉄人は「いやいや。悪いことのためには動きません」と拒否できるか?

 できない。操作された通りに、動くのである。



 今まで人類は、こういう疑問をもってきた。

『もし神という存在がいるなら、どうしてこの世界を救わないのか? なぜ戦争や悪を放っておくのか?』

 この疑問の欠点は、「神は善そのもの(もっと言えば善オンリーで、悪がない)」 という誤った前提である。

 


●神(神意識)に、善悪はない。

 人間の意識の中のホンネを、善悪の見境なくかなえてくれるのが神。



※筆者注:ただ、他人数参加型のゲーム世界という側面をもった世界のため、あなたのホンネが現実に反映されるといっても、それは他者のホンネやその行動の結果が絡んで化学反応を起こしたものが「最終的な現象(結果)」となり、あなたの願望がそのままダイレクトに起きるということは、システム的にほぼ起きない。

 だからこそ、逆にあなたの努力や思いが足りなくても、他者のおかげで成功や幸運に変化する「おかげさま」という素敵なことも起きるのである。



 そんなこと知らないから、人間は神という外の存在のせいにして、自分の意識のことは棚に上げてきた。神は何もしてくれない! と言いながら、実は自分が神だった、という滑稽な話である。

 この三次元宇宙ゲームで、どうゲームメイクをしていくかは、あなた次第。

 そこでものを言うのは、選択するのはあなたの意識。

 同じ離れられないのなら、エゴを、思考をどう使う?

 認めつつ、どう味方につける?

 そういうこと。



 皆さんは、なぜ外食をしますか?

 作るのが面倒、という方もいらっしゃるでしょう。

 でも、もっと大きな、本質的な理由があるでしょう。



●家では味わえない味を求めて、レストランに行く



 ……ということがあるはずです。

 家で同じものができるなら、お金を払ってわざわざ外食しません。

 家庭では出せない、一流のシェフの手による味。そして料理の味だけではなく盛り付けなどの見た目。店の醸し出す雰囲気。そういうものを含めて、家にはないそれらのものを求めて人はやってくる。



 このお話に、完全な一元性としての存在である神意識を当てはめてみよう。

 神意識、すなわち神は完全であり、絶対であり、永遠である。

 そのような存在が、ある時その状態に『退屈』した。だから、自分だけでは味わえない変化・冒険・特別な対象に注ぐ愛などの刺激を求めて、本来はない幻想世界である、この二極性に支配されるゲーム世界を創った。

 つまり、この世界に『外食に来た』のである!

 だから、おうち(一元性の世界)では味わえない、エゴ・分離を味わいにきた。

 思考も、恐れも。好きもキライも。

 それを注文して、「あ~おいし!」と舌鼓を打っているのが、神意識。

 


 せっかくこの世界に来たんだから、ここならではのものを注文しようよ。

 おうちで食べれるもの (完全になること、すべてを愛せること、死なないこと、失敗しないこと)を、わざわざこの世界で注文するんだったら……



●とっととおうちに帰りなさい!(by ふたりはプリキュア)



 宗教やスピリチュアルは、大方おうちで食べれるものを追及したがる。

 だったら、この宇宙という遊び場を開いた意味がないっつーの。

 すべてを愛するとか、エゴを超越するとか。キライなものをなくすとか、恐れをなくそうとか、見渡すとそんなんばっかり。

 完全を、目指さなくていいんよ。二極性を破壊しなくていいんよ。

 善だけとか、愛だけとか、そんなん無茶よ。

 その二極性のバランスの中で、どうゲームを楽しくしていくか。刃物をうまく扱うように。自分を手を切らず、うまく料理をして、いかに幸せになるか。

 まさに、「エゴと刃物は使いよう」なのである。

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