「路哲」運動の致命的な欠陥、それは「グランドルールの不在」。 鍋倉さんはnoteで「路哲は何をやってもいい」と書いていた。それは弱肉強食を意味します。「哲学対話」のグランドルールと比較してみればいい。 今回の騒動はその欠陥による当然の帰結だと考えます。
救いようがないな…。自己正当化のために著者の趣旨とは違うメッセージを勝手に著作から読み取って発信。酒井隆史さんの研究、ちゃんと読んでほしい。『暴力の哲学』を用いて、特定の政治家を射的の「的」にするといったことを「暴力」ではなく「暴力的」なものの範疇に押し込めようとする言葉は詭弁だ