ワロス曲線とかしたドル円チャート
何十年も前のことになる。当時の2ちゃんねる(現5ちゃんねる)、特に市況板や東亜板(ハングル板)で、「ワロス曲線」という言葉が流行していた。指し示していたのは、当時頻繁に観察されていた韓国ウォン・ドル相場の特徴的な値動きである。
ウォンがドルに対してじりじりと下落していくと、ある水準で突如として強力な買いが入り、急反発する。チャート上にはきれいに同じパターン(アルファベットのWのようなチャート)が何度も描かれ、まるで見えない床があるかのように同じ位置で下げ止まる。背景には韓国銀行と韓国政府による為替介入があるとされていた。アジア通貨危機(1997年)の後遺症から立ち直りきれない韓国経済を、ヘッジファンドが容赦なく売り浴びせ、当局が外貨準備を取り崩しながら必死に防衛する。その不自然な反発の連続を、日本のネットユーザーは「ワロス(笑える)草(=www)のようだ」と評し、嘲笑的な視線で眺めていた。ちなみにせっかく韓国側が巨額の資金を投入してウォン高に持っていったあと、売り方のせいでまたウォン安に一気に戻ってしまうこと、チャートの上ではウォン・ドルチャートに大陽線が出ることをストリートファイターの技名を取って「昇龍軒」などと読んで小馬鹿にしていた連中もいる。
当時の日本は、世界最大の対外債権国であり、円はリスクオフ局面で買われる「安全資産」であった。為替介入の必要すらほとんどなく、むしろ円高に苦しむ立場であった。韓国の通貨防衛を「滑稽だ」と笑える余裕が、確かにあったのである。
それからしばらくが経った。
巨弾も一か月で吸収される
2026年5月29日、財務省は4月28日から5月27日までの為替介入実績を発表した。総額11兆7,349億円。月次ベースで過去最大規模の介入である。2024年GW期間中の介入額9.8兆円をも上回り、当局の「160円を絶対に超えさせない」という強い意志を市場に示した格好となった。
具体的な動きはこうだ。4月30日、ドル円が1ドル=160円72銭まで上昇したところで第一弾の介入が入り、ドル円は一時155円台まで急落した。続いて5月1日、4日、6日と、薄商いとなるGW期間中を狙って追加介入と見られる急落が観測されている。GW明けの市場参加者には、「160円台に乗せれば必ず叩き落とされる」という強烈な印象が刻まれた。
ところが、である。介入から一月とちょっとで、ドル円は再び160円台となっている。11.7兆円という過去最大の巨弾を投じて作った「円高貯金」の7割以上が、既に巻き戻されてしまっているのである。
これはチャートに何度も同じパターンを描き続ける、紛れもないワロス曲線そのものである。これは具体的に画像として見てもらったほうが早いだろう。
これはドル円の2年分の日足チャートだが、160円付近で天井を打ち、急落し、また160円付近に戻るのを繰り返しているのがわかる。市場参加者から見れば、これは「160円が当局の防衛ライン」という確実なシグナルそのものであり、押し目買いの絶好の機会を提供している格好だ。「どうせ160円になったら介入するんでしょ。じゃあ介入で下げたところで買えば確実に儲かる」という思考が、すでに市場の常識となっている(そしてついでに言うならこういうあるライン、この場合なら160円ラインに何度も挑戦し続けるようなチャートの形は、上へ抜けたときに大きなエネルギーとなって一気に高い値段をつけることが多い。もしいまその160円ラインを決定的に超えたら180円や200円といったシナリオもありえない話ではない。もっとも日銀の利上げなど円高に振れる可能性がある手段もあるといえばあるので、どうなるかはその時にならないとわからない)。
介入で制御できる相手ではない
なぜ巨額の介入が効かないのか。三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト・植野大作氏のロイターコラムが、この問題の本質を鋭く指摘している。
現在の円安の原動力は、もはや「投機」ではない。介入で制御できるのは短期投機筋だけだが、現在の円売り圧力の主体は別のところにある。エネルギー・食料・建材を輸入する企業群による恒常的なドル買い。コロナ禍以降に急拡大した「デジタル赤字」(GAFAなど米国IT企業への支払い超過)。外貨建て投信を積み立てる個人投資家の老後資産形成マネー。グローバル展開を進める日本企業の対外直接投資。これらは構造的・恒常的なフローであり、当局の介入で散らせる相手ではない。
むしろ皮肉なことに、これらの実需勢にとって介入は「ギフト」である。普段は159〜160円で買わなければならないドルを、当局が一定のラインまで叩き落としてくれるのだから、これほどありがたい話はない。介入が下値で待ち構える買い手を呼び寄せ、結果として円安トレンドそのものを強化してしまうという、本末転倒の構造が出来上がっている。
これは「攻めてくる敵」を撃退する戦いではない。「水位がじりじり上がる海岸」に砂袋を積む戦いである。砂袋を積めば一時的に水を堰き止められるが、潮そのものを引かせることはできない。
スイス国立銀行という不気味な先例
植野氏のコラムで最も示唆的だったのは、スイス国立銀行(SNB)の先例への言及である。
2011年9月、SNBは1ユーロ=1.20フランの水準にフラン高阻止の防衛線を引き、「無制限のユーロ買い・フラン売り介入」を宣言した。自国通貨を売って外国通貨を買う方向の介入なので、理論上は無制限に実施できるはずだった。
しかし3年4か月後の2015年1月、SNBはこれを突如放棄した。結果、フランは数分で30%急騰し、通貨の歴史に残る大暴騰が発生した。多くのFX業者が破綻し、ヘッジファンドが瞬時に巨額損失を出した、いわゆる「フランショック」である。
理論上「無制限にできるはず」の自国通貨売り介入ですら継続困難だったのである。日本の介入は逆方向、つまり「外貨準備を取り崩してドルを売る」介入なので、有限の弾薬に依存する分、SNBよりさらに構造的に脆い。財務省の外貨準備のうち即時換金可能な分は約1兆1,694億ドル。一見すると巨額だが、月11.7兆円ペースで撃ち続ければ、数年で底を尽く計算になる。
そして市場参加者は、当局が「いつかは弾切れになる」ことを冷静に計算している。介入の信認は回数を重ねるごとに減衰し、いずれ「もう撃てない」という瞬間が来る。その時、堰き止められていた円売り圧力がどう放出されるか。スイスの先例は、その結末がどれほど劇的になり得るかを示唆している。
人を呪わば穴二つ
ここに、なんとも皮肉な歴史の巡り合わせがある。
数十年前、日本のネット民が韓国のワロス曲線を嘲笑していた頃、その韓国は通貨防衛の渦中にあった。アジア通貨危機の傷を抱え、ヘッジファンドの売り浴びせを受け、外貨準備を取り崩しながらウォンを支えていた。日本人は対岸の火事として、これを笑っていた。「介入で無理矢理ウォン高に押し戻している」「不自然極まりない」「滑稽だ」と。
そして数十年後、日本がまったく同じ立場に立たされている。
しかも、よく見ると当時の韓国より状況は深刻かもしれない。韓国の場合、相手は明確な投機筋であり、危機が落ち着けば圧力は自然と減衰した。一方、現在の日本の円売り主体は実需と長期投資マネーであり、決して散らない構造的なフローである。介入では止められない種類の圧力に、当局は外貨準備という有限の弾薬で抵抗している。
「人を呪わば穴二つ」とは、よく言ったものである。当時の日本人が韓国のワロス曲線を嘲笑していた時、まさか自分たちが数十年後に同じチャート形状を描かされる側になるとは、誰も想像していなかっただろう。しかし為替というものは残酷で、その国の経済の実力を正確に反映する。
何が変わったのか
数十年の間に、日本経済は静かに、しかし確実に変質した。
世界最大の対外債権国という地位そのものは数字上維持されているが、その内実は大きく変わった。貿易収支は構造的に赤字基調となり、エネルギー・食料の輸入依存は深まる一方である。GAFAをはじめとする米国IT企業への支払いが膨らみ、デジタル赤字は年々拡大している。実質賃金は30年近く伸び悩み、人口は減少局面に入り、期待成長率は低下し続けている。
円が「安全資産」として買われた時代の日本と、現在の日本は別の国と言ってよいほど違う。それでいて、円というブランドだけがかつての記憶を引きずって過大評価されていた時期があった。コロナ禍以降、その化けの皮が剥がれ、市場は本来の日本の実力に見合った水準まで円を売り込んでいる。そしてそれを当局が必死で押し戻している。これがドル円市場におけるワロス曲線の正体である。
植野氏は、さらに皮肉な指摘をしている。160円付近で介入し続けることは、170円超の円安だったら断念されたであろう企業の海外移転を助長し、海外に移転した生産拠点の国内回帰を妨げ、結果として日本企業の自助努力による「円安に強い経済体質」の構築を遅らせている可能性がある、というのである。
つまり、介入という「鎮痛剤」が、本来必要な構造改革の「手術」を先送りさせている。短期的には国民生活の痛みを和らげるが、長期的には病巣を温存し、いずれ来る痛みを大きくしている。膿は溜まれば溜まるほど、弾け飛んだときの被害が大きくなってしまう。
笑えなくなった笑い話
数十年前、韓国のワロス曲線は、日本人にとって完全に他人事の笑い話だった。「経済が弱い国はああなるのか」「介入なんて結局無駄なんだな」と、上から目線で論評できる余裕があった。
その同じチャートパターンが、今、ドル円相場に毎月のように描かれている。160円で頭を抑えられ、急落し、また160円へ戻る。介入と巻き戻し。砲撃と買い戻し。この光景を、以前の自分たちなら間違いなく「ワロス」と笑ったはずである。
しかし、もう誰も笑わない。笑えないからだ。それは自分たちの財布の中身、自分たちが買う食料品の値段、自分たちが支払うガソリン代に、直接跳ね返ってくる現象だからだ。
かつて他人を呪った穴は、二つあった。一つは呪った相手のため、もう一つは呪った自分のため。時間をかけて、二つ目の穴がゆっくりと自分の足元に掘られていたことに、私たちは今ようやく気づき始めている。
そして気づいた時には、もうチャートの上に、見覚えのあるあの曲線が、毎月のように描かれているのである。


コメント