河野洋平・自民党元総裁が死去 89歳 慰安婦問題で「河野談話」
自民党元総裁で、衆院議長を務めた河野洋平(こうの・ようへい)さんが8日、死去した。89歳。 【写真】「企業献金の全面禁止を意図」河野洋平氏、30年前の真相証言 1937年1月、神奈川県生まれ。党人派の実力者だった故河野一郎元農相の次男で、早稲田大政経学部卒業後、商社勤務などを経て67年の衆院選で旧神奈川3区から自民党公認で初当選。連続14回当選を果たした。 ロッキード事件で国民の政治不信が高まる中、76年に39歳で自民党を離党し、故西岡武夫元参院議長や山口敏夫元労相らとともに新自由クラブを結党して代表に就任。「反金権」や「保守2党論」を掲げて一時ブームを起こした。 しかし、党勢は伸び悩み、86年に自民党に復党し、92年に宮沢内閣の官房長官に就任。党内では、護憲派や「ハト派」の代表格で、官房長官時代の93年、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めて謝罪する「河野談話」を発表した。 93年の自民党の下野を受け、野党・自民党の総裁に就任。それまでの歴代の自民党総裁の中でただ一人、首相になれなかった。94年に当時の細川護熙首相と現行の小選挙区比例代表並立制導入を柱とする政治改革法案に合意。同年、自民、社会、さきがけ3党連立による村山内閣発足で自民党が政権復帰した際、副総理兼外相を務め、その後の小渕、森両内閣で外相を務めた。 2003~09年に衆院議長を務め、在職日数2029日は大島理森氏に次ぎ、憲政史上2番目に長い。09年の衆院選には立候補せず、政界を引退した。 12年、中選挙区制復活を目指す超党派議員連盟の会合で、小選挙区制導入について「不明をわびる」と謝罪した。重度の肝機能障害で、02年に長男で自民党の太郎元外相からの生体肝移植手術を受けた。99~13年に日本陸上競技連盟会長を務めた。