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吉本ばななさんが受けた虐待や親子関係、虐待によって壊れてしまった姉との共依存について綴られたnoteが話題となっている。「クラウドファンディング」というタイトルのその記事は、「虐待を受けて育った人に刺さりすぎる」と多くの人の目に触れることとなった。
本noteは1記事500円で販売されており、その売り上げは吉本ばななさんの姉への金銭的支援に使われるという。しかし、購読した人からは「姉を福祉につなげるべきだ」という声が上がっている。だが、毒親サバイバーの筆者が感じたのは、
「そもそも福祉につながる・つながらないの以前に『毒親から逃げる方法』をもっと議論するべきではないだろうか」
ということだった。
親が毒親だったとき、自分の人生を救うためには、逃げることは間違いなく選択肢のひとつだ。有料noteなので詳細は省くが、吉本ばななさんの姉も、母による束縛や、両親のW介護の末におかしくなってしまったと考えられる。「時代が今とは違う」といった指摘が来るのは承知のうえで、筆者としては「もし、若いうちに母親と距離を置くことができていたら、そもそも今のような状況にはなっていなかったのではないか」と感じてしまったのだ。
そこで前編に続く本稿では、毒親サバイバーであり、実母と絶縁を果たした筆者が「毒親から逃げる方法」についてフォーカスする。
「愛されたくて」毒親から逃げ出せない
冒頭でも触れたとおり、筆者は毒親サバイバーだ。東洋経済オンラインにて、「ドラと毒親」というエッセイを連載している。簡単に説明すると、筆者の母は子をネグレクトし餓死させかけてきた。また、性にも奔放で、幼少期は家に知らないおじさんがいたり、そのおじさんとの食事に連れて行かれたりした記憶がある。
そんな家庭で育った結果、筆者とひとつ上の兄は2人そろって毒親から逃げ出すこととなった。だが、毒親育ちの人ならわかってくれる通り、親との関係を絶つのは決して簡単ではない。吉本ばななさんもそうだったが、被虐待児の多くは人一倍「親に認められたい」という欲があるからだ。
承認されたくて、愛されたくてたまらないのに離れてしまったら一生それが叶わなくなる。親を切り捨てた先にある身軽で明るい人生をかなぐり捨ててでも、親にしがみついて認められたいと思ってしまう……。
筆者もずいぶんこの感情に苦しめられた。「こうすれば愛してもらえるのではないか」「産まなければ良かったと言ったことを謝ってもらえるのではないか」そんな希望がずっと捨てられなかったのだ。
何度裏切られて傷つき続けても、親を見捨てて逃げるという選択をできるのは、きっとほんのひと握りの人だけだろう。私たちは、親から愛される人間になりたいのだから……。
執着を断ち切り、毒親から逃げ出すための3つの方法
愛されたくて親との縁を切れなかった筆者だが、結果的に3年前に絶縁を果たした。そんな筆者が考える、被虐待児から見て現実的な毒親から逃げる方法を3つ紹介する。
2. 自立できるまで耐え続けて消える
3. 周囲の人に助けてもらう
1.自ら福祉を頼る
まず多くの人が想像する通り、「福祉を頼る」という選択肢がある。このとき、毒親そのものを福祉につなげるのは難しい。あくまで筆者のケースではあるが、毒親は「自分のことをまともな人間」だと思っている。福祉を頼る必要もなければ、つながる意味もわからない。つまり、福祉とのつながりを拒否するのだ。
人を変えようとしても無理なものは無理なので、あくまで「自分」を主体として福祉に頼るほかないだろう。
では、被虐待児はどうすれば良いのか。電話やネットから「自分で児相に相談する」のだ。よほど酷いケースであれば、保護してもらえる確率が高いはずだ。もし保護が困難でも、現状を親戚に相談し、家庭から抜け出すための手助けをしてもらえるかもしれない。
……とはいえ、絶対に本人が望んだ形で助けてもらえるとは限らない。きょうだいがいれば、バラバラの施設に送られて気軽に会えなくなるかもしれない。学校も転校になり、友人とも離れ離れになるだろう。
実際、筆者はあまりにも家庭環境が苦しかった高校時代に自分で電話したことがある。だが、家にいられなくなる恐怖やこれを知った親の反応を想像して、相談先の番号を着信拒否してしまった。福祉を頼るという選択は、決して手軽にできるものではないのだ。
「福祉を頼る」ことは誰もが真っ先に挙げる選択肢とはいえ、実際に選べる人は少ないのではないだろうか。
2.自立できるまで耐え続けて消える
筆者は「自立できるまで耐え続けて消える」が最も手堅い選択肢だと考えている。なぜか。これは実際に筆者の兄が毒親から逃げた方法だからだ。
兄は勉強が得意で、教科書を読むだけでテストで高得点を取れるタイプだった。地元中学に進学後、少し遠くの工業高校へ入学し、優秀な成績で卒業し、地元の大企業に就職した。夜勤で同年代より高額な給料を稼ぎ、実家暮らしのメリットを最大限活かしてお金を貯めていたらしい。らしい、というのは筆者は東京の大学に進学して以来、一度も兄と話していないからだ。
筆者が知ったころには兄は実家から出ていき、その消息がわからなくなっていた。兄は自立できるまで耐え続けることを選んだのだ。
そして、自立できるかつ家族が跡を追えないタイミングでそっと消え、生きているのか死んでいるのかすらわからない場所へ行ってしまった。寡黙で何でも我慢するタイプの兄らしい選択だったと思う。兄が大好きな妹にとっては本当に悲しい結末だが、無事に母から逃げ出せて良かったと心から思っている。
「耐える」力が残っているのであれば、どうにか耐え続けて消えるように自立するのが毒親から逃げる堅実的な方法だといえるだろう。
環境を変えて親と一切関わりのないコミュニティで助けを求めた
3.周囲の人に助けてもらう
難易度が高い一方で効果が絶大な「周囲の人に助けてもらう」選択肢もある。筆者は生き抜くために死ぬ気でコミュニケーション能力を身に付け、これを選んだ。筆者が最初に「逃げよう」と考えたのは小6の夏だった。
筆者が住んでいたのは、瀬戸内海の離島というどうしようもない田舎だった。「このまま地元中学に進学すれば、絶対にこの環境から逃げ出せないな」と感じ、死ぬ気で勉強を開始。そして、半年の猛勉強が実り、中高一貫の私立校への進学を決めた。
進学の良いところは、人間関係が広がって、周囲に「まとも」な人間が多くなることだ。その結果、筆者は親と一切関わりのないコミュニティで助けを求めることができた。
・家庭環境のヤバさを察し、何も聞かずに関係ない楽しい話をしてくれる先生
・子の体調に一切関心のない親に代わり、筆者の体調を心配してくれる顧問
・不登校になった筆者に寄り添いながら、いつでも話を聞いてくれた担任
など、筆者は本当に周囲の人間に恵まれ、ありとあらゆる場面で助けてもらい続けてきた。このとき、相談していた大人は口をそろえて「県外に進学して逃げろ」と教えてくれた。県外でのひとり暮らしのノウハウを聞いては、地獄の先にあるはずの希望に想いを馳せてきた。だが、これには自己開示が必須となる。
虐待を受けている子どもは、「自分が虐待を受けている」と言いたくないものだ。筆者自身も周りの人に頼るには、かなり勇気と覚悟が必要だった。幸い、筆者の周囲にはまともな人がたくさんいたので助けてもらえたが、頼った大人が必ずしも助けてくれるとは限らない。毒親から逃げ出すための選択肢としては、最もハードルが高いかもしれない。
そんな「周囲の人に助けてもらった」なかで、今なお忘れられないエピソードがある。
甲状腺に大量の嚢胞ができた高校時代、診察に付いてきてくれたのは親ではなく担任教師だった
高校生のころ、あまりの家庭環境の悪さから甲状腺に大量の嚢胞ができたことがある。本来なら親が病院に付き添うものの、筆者の母がそんなことをするはずもなく、自分の症状もわからず泣いていた。すると、見かねた担任が一緒に病院に行って話を聞いてくれたのだ。
女性ばかりの病院のなか、親子ほど年の離れた担任が気まずそうにしながらも一緒に病院に行ってくれたあの日の光景を、私は一生忘れないだろう。あまりの気まずさから「おい、今だけお父さんって呼んでくれ」と言う担任を、泣きそうになりながら「お父さん」と呼んだあの瞬間を今でも鮮明に思い出せる。
こうしたまともな大人のおかげで、筆者は人生の希望を捨てずに生き抜いてこられたのだ。
そもそも「親から逃げる」という話をすることは、一般的にはあまりない。親に愛されて生きてきて、親孝行したいと素直に思える人にはなかなかわからない世界がある。わからない世界の話だからこそ、真面目に議論する必要があるのではないだろうか。
毒親から逃げる一歩目を踏み出すには、「愛されたかった自分」ごと切り捨てる勇気も覚悟も必要だ。実際に毒親から逃げ出してしまった人間としては、1人でも多くの被虐待児が「逃げる」選択ができることを祈りたい。