20年前は“ラーメン未開の地”だったのに…「食べログ3.5以上が8軒」「ミシュラン掲載店も」新宿御苑前が激戦区化したワケ
あの街は、なぜラーメン激戦区になったのか。調べてみると、そこには様々な偶然や巡り合わせがあるものだ。 ラーメンライターの井手隊長が、様々な老舗店、有名店の店主らに話を聞きながら、「街のラーメン史」をたどる連載。初回は「新宿御苑前」を取り上げる。 【画像9枚】「食べログ3.5以上が8軒」「ミシュラン掲載店も」…新宿御苑前の名店たちの外観や絶品メニュー ■20年以上前のラーメン専門誌を開いてみると… 今や都内屈指のラーメン激戦区として知られる新宿御苑前。しかし、20年以上前のラーメンシーンを振り返ると、この街が現在のような存在になることを予想していた人は少なかっただろう。
手元にある1998年、2000年、03年発行のラーメン専門誌を開いてみると、新宿エリアの店は数多く掲載されている一方で、新宿御苑前の掲載店は「麺や 阿闍梨」と「新宿 源」のわずか2軒。現在のようにラーメン好きがわざわざ訪れる街ではなく、あくまで新宿周辺の一エリアという扱いだったことがわかる。 ところが今、新宿御苑前には食べログ3.5以上の店舗が8軒も集結する。ミシュラン掲載店も並び、国内外からラーメンファンが訪れる一大激戦区へと成長した。
では、何がこの街を変えたのだろうか。 その転換点を探ると、一つの店の移転にたどり着く。 新宿御苑前のラーメン史を語るうえで欠かせないのが、18年5月の「SOBAHOUSE 金色不如帰」の移転である。 幡ヶ谷で営業していた同店は、ハマグリ、真鯛、そして乾物のトリプルスープで仕上げた独創的な一杯で全国的な人気を獲得していた。当時から行列店だったが、新宿御苑前への移転後、その評価はさらに高まり、『ミシュランガイド東京』で一つ星を獲得。世界中のラーメンファンが訪れる名店となった。
■「物件」との出会いが移転の決め手 だが、意外なことに山本敦之店主は、移転時に街の将来性を見込んでいたわけではなかったという。 「移転先の理由は特にありません。自家製麺ができそうな所を数年間探していて、ようやくちょうど良い大きさの店舗が見つかった感じです。強いて言うなら通勤しやすかったくらいですかね。あとは路地裏っていうのが決め手でした」 現在の「金色不如帰」は、自家製麺や複雑な食材使いによって完成する一杯が特徴だ。そのためには広い厨房やストックスペースが必要だった。
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