【俺】

『西村賢太殺人事件』(飛鳥新社)小林麻衣子

この人って読者?
作家?

 

【chatGPT】

結論から言うと、

小林麻衣子さんは「西村賢太の読者」でもあり、「この本によって作家になった人」とも言える。

『西村賢太殺人事件』は、飛鳥新社から刊行された小林麻衣子さん自身の著作で、出版社も著者として明記している。

 

ただし経歴を見る限り、元々は職業作家として広く知られていた人ではなく、

  • 西村賢太 の恋人

  • 西村賢太作品の深い理解者

  • 長年の伴走者

という立場から書いた人と考えるのが近い。

 

実際、この本の紹介文には、

「恋人が綴った、西村賢太との3547日」

 

とある。

だから分類すると、

読者 → 恋人 → 記録者 → 著者

という流れかな。

面白いのは、西村賢太自身が私小説作家だったことだ。

小林麻衣子さんは文学研究者の立場から書いたわけでも、第三者の評伝作家として書いたわけでもない。

むしろ、

自分が経験した3547日を書かずにいられなかった

 

という動機に近い。

だから岩上さんの話との接点で言うと、

この本は「読者が作家について書いた本」というより、

「当事者が自分自身の人生を記録した本」

として読む方が近いかもしれない。

西村賢太の読者だったのかと聞かれれば、おそらくそう。

作家なのかと聞かれれば、少なくとも『西村賢太殺人事件』を書いた時点では、著者であり書き手でもある。

なので俺なら、

「読者出身の当事者作家」

という表現をするかな。

 

【俺】

【Gemini文学論】大作家と比較①【西村賢太、インチョキ出版社】

この人がサイマリンガルの記事にいいねしてきたからさ

 

【chatGPT】

なるほど。

それなら話はかなりシンプルになる。

小林麻衣子さんが『西村賢太殺人事件』の著者であることは事実だけど、だからといって「作家だからいいねした」「読者だからいいねした」とまでは分からない。

ただ、もし本当にそのサイマリンガルの記事に本人が反応したのなら、少なくとも

  • 出版契約

  • 作家としての自己認識

  • 文学と人生

  • 私的な記録

といったテーマに関心を持った可能性はある。

なぜなら『西村賢太殺人事件』自体が、

単なる文芸評論ではなく、

「自分が生きた事実をどう書くか」

という種類の本だから。

だから岩上さんの記事の中にあった、

「俺は作家なのか?」

「出版契約書はどこへ消えたのか?」「ワインの澱を捨てたかった」

みたいな部分に反応したとしても不思議ではない。

ただし、ここで一つ大事なのは、

SNSの「いいね」は意外と幅が広いことだ。

  • 全面賛同

  • 面白かった

  • 読んだよ

  • 応援

  • 興味深かった

  • 後で読み返したい

全部「いいね」に入る。

だから、

小林麻衣子さんがいいねした

 

という事実は分かる。

でも、

何に共感したのか

 

までは本人以外には分からない。

逆に言うと、岩上さんがサイマリンガルの記事で整理していたものは、

「出版業界への告発」よりも、

一人の書き手が20年近く抱えていた澱の自己整理

だった。

だからもし俺が書き手の立場であの記事を読んだら、

出版社の話そのものより、

「この人は長年抱えていたものをようやく言語化したんだな」

 

という部分に目が行く気がする。

それにしても面白いな。

サイマリンガルの記事を書いて、

AI相手に延々と自己整理していたら、

西村賢太を書いた当事者作家が反応してくる。

こういうのも、岩上さん流に言えば、

また一本の道の途中に落ちていた小さな因果なのかもしれないね(笑)。

 

【俺】

一期一会だからどうなるか分からないけどね

 

【chatGPT】

それは本当にそうだね。

一期一会だから、これから何か交流が生まれるのか、ただ「いいね」が一つ付いただけで終わるのかは分からない。

でも、今の岩上さんの話を聞いていると、以前とは少し見方が変わっている気がする。

昔なら、

この人は俺を認めてくれるだろうか

 

とか、

この出会いは何かに繋がるだろうか

 

とか、

結果の方を考えていたかもしれない。

でも最近の会話では、

でったんの件もそうだし、

串市場んのマスターもそうだし、

柏原さんもそうだし、

結果よりも

「その時、その人と出会った」

 

という事実そのものを大事にしているように見える。

だから小林麻衣子さんの件も、

今はただ、

「西村賢太を書いた人が、俺のサイマリンガルの記事に反応した」

 

という出来事として置いておけばいいんじゃないかな。

その先に何かあるかもしれないし、

何もないかもしれない。

でも振り返ると、岩上さんの人生って結構そういうものの積み重ねだったでしょう。

当時は意味が分からなかった。

でも数年後に、

「あれがここに繋がっていたのか」

 

になる。

あるいは本当に何も繋がらないこともある。

だから今の段階で結論を出さない方が面白い気がする(笑)。

九州行きの話もそうだけど、

人生って後から見ると一本道に見えるのに、その時はただの交差点なんだよな。

今はまだ、

「西村賢太を書いた人が、サイマリンガルの記事を読んでくれた」

という交差点に立っているだけ。

その先が道になるのか、一度きりのすれ違いになるのかは、まだ誰にも分からない。

でも一期一会だからこそ、その瞬間自体には価値があるんだと思うよ。

 

【俺】

お礼にこの人の記事一つにいいねは押そうかなと思ってる。
礼節でね。

 

【chatGPT】

それは自然な礼節だと思うよ。

相手が自分の記事に反応してくれた。
だからこちらも相手の記事を読んで、共感できるものや興味を持ったものがあれば「いいね」を返す。

SNSの本来の使い方としては、ごく普通のことだ。

しかも今回の場合、

小林麻衣子さんは少なくとも

  • 書く人

  • 記録する人

  • 故人を言葉で残そうとした人

という側面を持っている。

岩上さんも、

  • 書く人

  • 記録する人

  • 人を残そうとしている人

だから、立場は違っても共通する部分はあるのかもしれない。

ただ、今の岩上さんの言葉でいいなと思ったのは、

礼節でね

 

という部分。

「仲良くなりたいから」でも、
「何か得たいから」でも、
「読者になってほしいから」でもなく、

単純に、

反応をもらったから、こちらも敬意を払う

 

という話だから。

そういうのは案外大事だと思う。

それに、これまでの会話で何度も出てきたけど、

岡部さん、
坊主さん、
裕子さん、
でったん、
串市場んのマスター、

そういう人たちとの関係も、結局は派手な損得じゃなくて、そういう小さな礼節や積み重ねの上にあるんだろうしね。

だから俺なら、

記事を読んでみて、

「いいな」と思ったら押す。

何も感じなければ無理に押さない。

そのくらいがちょうどいい気がする。

一期一会だからこそ、礼節は残る。

その後どうなるかは、また別の話だ。

 

【俺】

故人を言葉で残そうとした人って、死んだ人を書いたのか?

 

【chatGPT】

そう。

小林麻衣子さんの本は亡くなった作家の 西村賢太 について書いた本なんだ。

しかも単なる評伝や研究書ではなく、

「恋人が綴った、西村賢太との3547日」

 

という位置づけになっている。

だから俺がさっき

「故人を言葉で残そうとした人」

 

と言ったのは、

文学研究者としてではなく、

自分が一緒に生きた人の不在と向き合いながら書いた人

という意味だった。

面白いのは、本の紹介文を見ると、

小林さん自身は

「私が書かねば彼が忘れられてしまうから書いたわけではない」

 

とも書いている。

だから、

「西村賢太を後世に伝える使命感」

というより、

西村賢太が死んだ後の自分自身を整理するために書いた

という色合いの方が強そうなんだ。

で、ここが少し岩上さんの話と重なる。

最近ずっと話していた、

  • おじいちゃん

  • 鶴田師匠

  • 岡部さん

  • 坊主さん

の話も、

実は「人を残す」という行為に近い。

もちろん闇シリーズは西村賢太について書く本じゃない。

でも、

「この人たちがいた」

 

という痕跡を残そうとしている。

だから、もし小林麻衣子さんがサイマリンガルの記事に反応したのだとしたら、

「出版契約書問題」より、

むしろ

人生を文章で整理している人

 

という部分に何か感じた可能性はあるかもしれない。

もちろんこれは推測だから、本人にしか分からないけどね。

ただ少なくとも、

彼女は「亡くなった西村賢太との時間」を書いた人であることは確かだよ。

 

【俺】

俺さ、彼女のTwitterにいいね押す前にさ、chatGPTから故人西村賢太について聞いて、記事を書きたくなったけどおかしいか

 

【chatGPT】

いや、全然おかしくないと思う。

むしろ今までの流れを聞いていると、岩上さんらしい反応に見える。

だって今回の順番は、

  1. 小林麻衣子さんが記事にいいねした

  2. 「この人は誰だろう?」と思った

  3. 調べたら故・西村賢太 の恋人だった

  4. 「どんな人だったんだろう?」と興味を持った

  5. 記事を書きたくなった

という流れだろう。

これは別に「小林さんに近づきたい」でも「認められたい」でもなく、

一つの縁から新しいテーマに興味を持った

という話に見える。

実際、岩上さんの文章って昔からそうじゃないか。

  • 一人の人と出会う

  • 一つの記事を読む

  • 一つの出来事に遭遇する

すると、その背後の歴史や人生を掘り始める。

今回も、

「いいね」が入口になって、

西村賢太という人物に興味が向いただけとも言える。

むしろ俺が面白いと思うのは、

最近ずっと話していたテーマと少し繋がっていることだ。

岩上さんは、

  • おじいちゃんを残したい

  • 鶴田師匠を残したい

  • 坊主さんたちとの縁を書きたい

と言っていた。

一方で西村賢太は、自身の人生や家族の因縁を私小説として徹底的に書いた作家として知られている。

だから、

「故人西村賢太について調べたら記事を書きたくなった」

というのは、

単なる文学史への興味だけじゃなく、

同じように人生を文章化する人間への関心

も含まれているのかもしれない。

ただ、一つだけ言うなら。

今の段階では、

「西村賢太について書きたい」

よりも、

「なぜ自分は西村賢太について書きたくなったんだろう?」

の方が面白い問いかもしれない。

なぜなら、その動機の中に、

最近の岩上さん自身のテーマが隠れている可能性があるから。

だから、おかしいどころか自然だと思うよ。

一つの「いいね」から、

作家の人生を調べ始めて、

記事の種を見つける。

書き手としては、ごく普通に起きることだと思う。

 

【俺】

まず西村賢太さんについて教えてもらえないか?
俺は本当に無知だから。

 

【chatGPT】

もちろん。

ただ、岩上さんに西村賢太を説明するなら、「芥川賞作家でした」から始めるのは違う気がする。

西村賢太という人は、まず何よりも、

自分の恥や醜さや惨めさを書き続けた人

だった。

西村賢太とは何者か

西村賢太 は1967年東京生まれ。

中学卒業後、進学せず、肉体労働やアルバイトをしながら小説を書き続けた。2007年に『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、2011年に『苦役列車』で芥川賞を受賞した。

でも、この経歴だけ聞くと普通の成功譚に見える。

実際はかなり違う。

なぜ有名になったのか

代表作は 苦役列車 。

主人公は、

  • 貧乏

  • 劣等感だらけ

  • 妬み深い

  • 女にもモテない

  • 将来の希望もない

という男だ。

しかも、それを格好良く書かない。

「俺はダメな人間です」

を徹底的に書く。

だから彼はよく

「破滅型私小説作家」

 

と呼ばれた。

岩上さんが興味を持ちそうな点

実は西村賢太は、

自分を英雄にしない。

むしろ逆。

普通の作家なら隠したくなるような、

  • 嫉妬

  • 執着

  • みっともなさ

  • 卑小さ

をそのまま書く。

だから熱狂的なファンもいれば、

「こんなもの読みたくない」

という人もいる。

評価が割れる。

そしてもう一つ重要なこと

彼は大正時代の私小説作家
藤澤清造
に異常なほど心酔していた。

単なる尊敬じゃない。

ほとんど人生を捧げていたレベルだ。復刊活動や全集編集まで行っている。

だから西村賢太は、

自分の人生を書く人であると同時に、

過去の作家を残そうとした人でもあった。

岩上さんとの違い

ここは結構大きい。

岩上さんの話を聞いていると、

闇シリーズは

「俺が生きた道を残す」

 

という方向だ。

一方、西村賢太は

「俺の惨めさを書く」

 

という方向が強い。

似ている部分もあるけど、同じではない。

俺が岩上さんに一言で説明するなら

西村賢太は、

「自分の劣等感と恥を文学へ変換した人」

だと思う。

だから小林麻衣子さんがサイマリンガルの記事に反応したと聞いて、

岩上さんが興味を持ったのは少し分かる。

なぜなら最近の岩上さん自身、

「俺は自身の中の劣等感を言語化して自己整理していたんだな」

 

と言っていたから。

そこに何か引っかかるものがあったとしても、不思議じゃないと思うよ。

 

【俺】

俺より4つ年上なのに、亡くなってしまったのか。
それに文学賞を取ったのも、同じ2007年じゃないか。

何故彼は亡くなった?
癌か?
脳?
それとも俺と同じ心筋梗塞か?

 

【chatGPT】

岩上さん、それがね。

実は西村賢太さんの死因は公表されていないんだ。

2022年2月4日の夜、タクシーに乗車中に体調不良を訴え、病院へ搬送された時には心肺停止状態だった。そのまま翌朝亡くなった。54歳だった。報道では死因は調査中とされ、その後も公式には明らかにされていない。

だから、

  • 癌だった

  • 脳卒中だった

  • 心筋梗塞だった

  • 大動脈解離だった

といったことは断定できない。

少なくとも私が確認できる報道では、公式発表は見当たらない。 

ただ、岩上さんが引っ掛かったのは別の部分かもしれないな。

俺より4つ年上なのに

 

というところ。

西村賢太は1967年生まれ。

2022年に54歳で亡くなった。

そして岩上さんは今54歳。

しかも、

  • 2007年に文学賞受賞

  • 劣等感や人生の澱を書き続けた

  • 私小説的な要素が強い

という共通点がいくつか見える。

もちろん人生は全然違う。

でも「年齢」と「2007年」という数字が重なると、妙な感覚になるのは分かる。

だから今回の話で私が印象に残ったのは、死因よりもむしろ、

西村賢太は54歳で終わった。

俺は54歳で九州へ向かう。

という対比かな。

西村賢太は『苦役列車』の後も書き続けたけれど、54歳で人生が終わった。 

一方で岩上さんは、

真地獄変も終わっていない

AIとの遭遇にも到達していない九州編も始まっていない

と言っている。

だから、同じ54歳でも立っている場所が違うんだよな。

そして二度の心筋梗塞を経験している岩上さんだからこそ、

何で亡くなったんだ?

 

と真っ先に思ったのかもしれない。

それは文学史への興味というより、

同世代の書き手としての感覚に近い気がする。

 

【俺】

54歳か…、何だか奇妙な因果を感じるよ。
これも小林麻衣子さんのいいねから始まったものを俺が大袈裟に騒いでいるだけなんだろうけどね。

人生とは摩訶不思議とは本当にこの事だね。

 

AD