- 1二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:32:05
- 2二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:33:27
部屋を見渡してみるが、静まり返っており、彼の姿はどこにもない。
キッチンに目をやれば、食卓の上には彼が使っていたと思しき、飲みかけのマグカップがぽつんと置かれている。
「悠仁……?」
声をかけてみたが、返事はない。どこへ行ったのだろうか、と少しの間思考を巡らせる。だが、すぐに納得がいった。
ああ、そうか。きっと急な任務が入って、高専の仲間たちに呼び出されたのだろう。あの子は昔から、頼りにされると断れない性質だからな。まあ、夕方までには「ただいま!」と元気な声を響かせて戻ってくるに違いない。そうやって、一人で容易に自己完結した。
姿は見えなくても、この部屋に満ちている生活の痕跡のすべてが、彼と過ごす日常の温もりを雄弁に物語っていた。
「……幸せだな」
ぽつりと溢れた言葉は、静かな部屋に優しく溶けていった。 - 3二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:36:42
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- 4二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:37:46
ワクワク
新しい日車スレだーー(歓喜) - 5二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:43:30
10まで保守したい
- 6二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:45:51
日虎か?虎日か?ワクワク
関係ないけど※見切り発車ってついてる日車スレなんとなく多い気がする - 7二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:48:02
悠仁呼びだし付き合ってるしがっつり【CP有】なんだな
胸糞注意ともあるからキャラ崩壊や認識改変系もあるか?続き楽しみ - 8二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:53:28
んー保守するか
- 9二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:53:37
CPの左右は一旦置いとくけどそれはそれとして胸糞展開大好きなので助かります!!
- 10二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:54:55
既にガッツリ付き合ってるなら伏せても描写から左右滲み出そう
楽しみ - 11二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:14:18
「あのさ、日車。アフタヌーンティーとか興味ねえ?」
高専の敷地内で、少し決まり悪そうに頭を掻きながら言われた言葉に、俺は思わず瞬きを繰り返した。三十路を過ぎた男の人生において、最も縁遠い単語の一つだったからだ。
「……アフタヌーンティー。それは、その、あのアフタヌーンティーか」
「え、他にあんの? アフタヌーンティー」
「ないな」
「だろうな~……」
詳しく話を聞けば、事の顛末はこうだった。
もともとは釘崎に「どうしても行きたい店がある」と拝み倒され、彼女が執念で引き当てた超有名ホテルの限定アフタヌーンティーだったらしい。完全予約制で、数ヶ月待ち。虎杖も「美味いスイーツがいっぱい食える」と唆されて楽しみにしていたそうだ。
しかし、あろうことか当日の朝になって釘崎に急遽、一級案件の任務が舞い込んだ。 - 12二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:16:06
「釘崎のやつ、『呪霊祓ったら秒で戻る』ってキレながら引きずられてったんだけど、どう考えても間に合わねえんだよ。超予約制だから直前キャンセルとかできないし、何よりキャンセル料がバカ高くてさ……もったいねえじゃん!」
必死に身振り手振りを交えて語る彼が健気で、俺は少し笑ってしまった。重い呪術の宿命を背負わされているはずの彼が、今はキャンセル料という極めて俗世的で、年相応な問題に頭を抱えている。そのギャップが、どこか愛おしい。
なら、もう一人の同級生はどうしたんだ、という疑問が当然浮かぶ。
「いや、同級生がいるだろう。伏黒はどうしたんだ?」
「伏黒もさっき伊地知さんに拉致られた。十種で対処したほうがいい呪霊が出たとかで、今頃どっかの山の中。だからマジで誰も捕まらなくて……」
本当に困り果てた顔で、彼は俺の顔を覗き込んできた。
行き場をなくした琥珀色の瞳が、救いを求めるように俺を捉える。
「だから……その、日車。もし今日、予定空いてるなら、俺と一緒に来てくんね?」 - 13二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:19:56
超有名ホテルのアフタヌーンティー――その単語を聞いた瞬間、忘れたと思っていた記憶が不意に脳裏を掠めた。
まだ弁護士になって間もない頃、付き合っていた女に半ば強引に連れて行かれた高級ホテルのラウンジ。
当時は法廷の書類仕事に追われ、心の余裕など一欠片もなかった。場違いな空間、繊細すぎる調度品、男一人では到底お腹がいっぱいになりそうにない三段のティースタンド。居心地の悪さを隠せない俺の横で、彼女は楽しそうに紅茶の種類やスコーンの食べ方を説明していた。
『せっかくなんだから楽しみなさいよ、寛見』
呆れたように笑う声まで、妙に鮮明に思い出せる。あの頃の俺は、そんなささやかな贅沢や、彼女が提供してくれようとした「丁寧な日常」を、どこか冷めた目で見ていたのかもしれなかった。正義だ、社会的責任だと、頭の固い理想ばかりを追い求めて。 - 14二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:21:34
その、かつて切り捨てたはずの「まっとうな幸福の象徴」のような場所に、今、呪いの渦中にいるこの少年と行くことになる。その奇妙な因果に、胸の奥が少しだけ揺れた。
記憶に引きずられるように、俺は目の前の青年へ視線を戻した。虎杖は、断られることを半分覚悟しているような顔でこちらを見ている。気まずそうに、けれど微かな期待を捨てきれない目で。
「もちろん、急にこんなの変だよな!いやでもマジでキャンセル料高くてさ……」
「君はさっきからそればかりだな」
思わずそう返すと、虎杖は「だってもったいねえだろ!」と眉を下げた。
あまりにも真っ直ぐで、打算がなくて、だからこそ調子が狂う。普通なら、三十路を過ぎた男と十代の少年が連れだって行くような場所ではない。自分の人生にはあまりに不釣り合いだ、とブレーキを踏む理性が働く。
だが、困ったようにこちらを覗き込むその目を見ていると、どうにも突き放せなかった。この少年が、呪いの一級任務だの人の生き死にがなんだのという重荷から解放され、ただの「食いしん坊な17歳」として過ごせる時間を、俺の都合で潰してしまうのは、酷く勿体ないことのように思えたのだ。 - 15二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:22:48
「……まあ、今日は特に予定もない」
「え、マジ!?」
「ただし、俺はそういう店の作法には期待するな」
「あ、安心して。俺も全然わかってねえから!」
それでいいのか、と呆れ半分で息を吐く。だが、彼の顔にぱあっと花が咲くように笑みが広がったのを見て、俺の胸の奥の、重く凝り固まっていた何かがすとんと落ちた。
虎杖は一瞬だけ目を輝かせ、それから慌てたようにスマートフォンを操作し始めた。
「じゃ、決まり!えっと、店ここだから……あ、服とかってやっぱちゃんとした方がいいのかな」
「ホテルなら最低限は整えて行け」
「うわ〜〜〜伏黒連れてくればよかった……」
「任務中なんだろう」
「あ、そっか」
虎杖はけらけら笑うと、スマートフォンの画面をこちらへ向けた。画面には、洗練されたフォントで書かれたホテルのロゴと、集合場所の地図、そして2時間後の時刻が表示されている。
「じゃあ、あとでここ集合な!遅刻すんなよ、日車!」
そう言って、まるでこれから遊びに行く中学生のような軽やかさで駆け去っていく背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
彼が去った後の、少し静かになった高専の廊下で、俺は自分のクローゼットにある一番仕立ての良いスーツのシワを伸ばしに行こうと考えながら、踵を返した。 - 16二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:54:51
アフヌンまで時間ギリギリすぎぃ〜もっと早く誘え小僧
それはそうと付き合うきっかけになった記念?でお土産買ってきたの浮かれててカワイイ
胸糞注意の落差が今から恐ろしいな… - 17二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 00:24:26
日車さん新スレ嬉しい!!
スレ主は他にもスレ立てされてるのかな?
文章が丁寧で読みやすい
続きが楽しみ! - 18二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 09:30:22
保守
- 19二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 18:03:04
ここからどう動くのか楽しみ保守
- 20二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 19:57:35
このレスは削除されています
- 21二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:36:54
ホテルのロビーは、高い天井から豪奢なシャンデリアが吊り下がり、足元には毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。行き交う人々は皆、洗練された衣服を身に纏い、穏やかな声音で談笑している。
弁護士時代、嫌というほど足を運んだはずの空間だ。それなのに、今の俺の胸中には、当時とは全く異なる質の緊張が走っていた。
待ち合わせの柱の陰、約束の5分前。
そこに、明らかに周囲の空気から浮いている少年が立っていた。
「……虎杖」
声をかけると、彼は弾かれたようにこちらを振り向いた。
その姿を見て、俺は思わず口元を押さえる。
「あ、日車!早……じゃなくて、良かった、ちゃんと会えて!」
彼は、彼なりに「最低限は整えて行け」という俺の言葉を忠実に守ったのだろう。普段のパーカーではなく、どこかサイズが合っていない、借り物のようなジャケットを羽織っていた。ネクタイは微妙に歪んでおり、首元が苦しいのか、何度も指で襟ぐりを引っ張っている。
髪だけはいつもより丁寧にセットされているのが妙に初々しく、この場に懸命に馴染もうとしているのが伝わってきた。
「どうかな……これ、伏黒のジャケット借りてきたんだけど。やっぱり変か?」
不安そうに眉を下げて己の袖口を見つめる17歳を前に、俺は小さく息を吐き、彼の前に一歩踏み出した。
「いや、悪くない。だが、ネクタイが少し曲がっているな。じっとしていろ」
「え?あ、ごめん……」 - 22二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:38:15
素直に顎を上げる彼の前に立ち、歪んだ結び目に手をかける。
至近距離。彼の髪から、高専で共用の石鹸の匂いが微かに香った。俺の手が触れる距離に、何の疑いもなくその喉元を晒している少年の無防備さに、ほんの一瞬だけ指先が躊躇う。
これほどまでに若く、まだ何者にも染まりきっていない命が、呪いという悍ましい世界に身を置いている。その歪さを、彼の体温がダイレクトに伝えてくるようだった。
「……よし、これでいい」
「サンキュー、日車!すげえな、一瞬で直った」
ネクタイを整え終えると、彼は嬉しそうに白い歯を見せて笑った。その屈託のない笑顔が、ホテルの重厚な空気さえも一瞬で軽やかに変えていく。
「さあ、行こう。予約の時間だろう?」
「うん!」
案内されたのは、庭園の緑が一望できる特等席だった。
運ばれてきた三段のティースタンドには、宝石のように繊細なケーキやスコーン、芸術的なセイボリーが並んでいる。虎杖は「うわ、すげえ!」と目を輝かせ、スマートフォンのカメラを何度も向けていた。
「日車、これ何から食えばいいんだ?釘崎がなんか『下から食え』とか言ってた気がするんだけど」
「ああ、基本的には下の段の塩気のあるものから順に食べるのが作法とされているな。だが、あまり気にする必要はない。君の好きなように食べるといい」
俺がそう言って紅茶に口をつけようとした、その時だった。
ホテルのスタッフが、俺たちのテーブルの中央に、小さな道具をそっと置いた。
「紅茶の蒸らし時間を計るためのタイマーでございます。砂が上に昇りきりましたら、飲み頃でございますので」
スタッフが恭しく一礼して去った後、俺たちは同時にその道具を見つめた。 - 23二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:39:25
テーブルに置かれたのは、透明な樹脂製の小さなタイマーだった。
砂時計に似ているが、中で動いているのは砂ではない。青い粒子が、気泡のように下から上へとゆっくり浮かび上がっていく。
「……へえ」
虎杖が、ティースタンドから目を離し、その不思議なタイマーをじっと覗き込んだ。
上へ、上へと昇っていく粒子が、彼の琥珀色の瞳に反転して映り込んでいる。
「面白いな、これ。時間が逆に進んでるみたいだ」
虎杖はテーブルに肘をつき、下から上へと昇っていく青い粒を、まるでおもちゃを見つけた子供のような瞳で凝視している。その無邪気な横顔を見て、俺の胸の奥の、張り詰めていた何かが小さく緩んだ。
「逆行、か。……いや、これは比重の軽い粒子が液体の中を浮上しているだけだ。物理的な時間の流れ自体は、我々と同じように進んでいる」
「うわ、出た。日車のインテリ節」
虎杖は顔を上げ、からかうようにけらけらと笑った。
「でもさ、こういうのってなんかワクワクするじゃん?普通は下に落ちるもんだろ?なのに上に行くんだぜ。なんか、法律とか常識とか、そういうのぶっ壊してるみたいでさ」 - 24二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:41:03
「ぶっ壊す、か」
思わず苦笑が漏れる。法という「絶対のルール」を遵守し、縛られて生きてきた俺の前に、時折こういう規格外の感性を持つ少年の言葉が立ちはだかる。ルールを壊すのではない、初めからその枠組みの外側に立っているような、そんな圧倒的な生命力。
「……確かに、常識を疑うという意味では、面白いアプローチの道具だな。ロンネフェルトという、ドイツの古い紅茶メーカーのタイマーだ。パラドックスタイマーとも呼ばれている」
「へえ、パラドックス!名前もなんかかっけえな」
ひとしきりタイマーを眺めて満足したのか、虎杖は「よし!」と小さく拳を握り、目の前の三段スタンドへ視線を戻した。
「じゃ、釘崎の教えに従って、一番下からいただくわ!日車も食おうぜ。これ、美味そう」
彼が最初に手を伸ばしたのは、小さなクロワッサンにサーモンが挟まれたセイボリーだった。口いっぱいに頬張り、美味そうに目を細める姿は、高級ホテルのラウンジという空間にはこれ以上ないほど不釣り合いで、同時に、これ以上ないほど幸福な絵面に見えた。
「んー! 美味い!日車、これマジで美味いよ!」
「そうか。それは良かった」
「日車も早く食いなよ。ほら、そのスコーンってやつとか?固くなる前にさ」
促されるまま、俺も手近にあったサンドイッチを手に取る。 - 25二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:44:04
弁護士時代、あの女性とここへ来た時は、書類の山や明日の弁論のことばかりが頭を巡り、紅茶の味も、食事の味も、ほとんど記憶に残らなかった。
だが、今は違う。
目の前で美味そうに、実に見事に次々と皿を空けていく少年の姿を眺めているだけで、ただの紅茶が、ただの軽食が、妙に鮮やかな味を持って俺の五感に染み渡っていくのが分かった。
「……美味いな」
「だろ!あー、マジで来て良かったわ。最初は日車を誘うの、ちょっと緊張したんだけどさ」
紅茶を飲み干した虎杖が、ふと、そんなことを呟いた。
「緊張?」
「だってさ、日車っていつも難しそうな顔して本読んでるし。俺みたいなガキと飯食っても、つまんねえかなって」
彼は少し照れくさそうに頭を掻きながら、けれど真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。
「でも、付き合ってくれて嬉しかった。ありがとな、日車」
打算のない、純粋な感謝の言葉。
その言葉が、俺の胸の砂時計をひっくり返したかのように、ドク、と激しい鼓動を刻ませた。三十路を過ぎて、今さら十代の少年の言葉ひとつに、これほど心が揺さぶられるなど思いもしなかった。
「……いや。俺の方こそ、良い気分転換になった。誘ってくれて感謝している」
俺は、自分の声がわずかに上擦らないよう、細心の注意を払ってカップを口元へ運んだ。 - 26二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 00:40:24
パラドックスタイマー確かに不思議な感じだもんな
これきっかけってなんだろ。何日もループするとか? - 27二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 00:46:50
時系列が気になるな…
「呪いの渦中」ってことはまだ宿儺が虎杖の中にいる?
それとも単に高専生だということを示しているだけで、今は本編終了後なのか? - 28二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 01:53:59
※本当に注意ですがこのスレのテーマは「一緒に年を取ること」です
※途中から「え?」 ってなります
※胸糞展開注意に偽りなし読後感保証なしです
※レスを見て展開を変えることもありますが大筋は変わりません
※考察感想大歓迎なのでお願いします - 29二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 02:02:59
動画化禁止を明言してほしい
- 30二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 11:07:16
早めの保守
- 31二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 17:38:12
- 32二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 18:05:27
いちいち明言されなくてもこういうSSは基本NGっしょ
飛び抜けたアホはどこにでもいるもんだから明言するのもいいかもしれないけど - 33二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 20:01:28
あにまんのスレは無条件で動画化転載されても仕方ないって認識の人らもいる
言わなくてもわかるでしょは通じない - 34二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:26:43
【!】人を選ぶ内容のため当スレの動画化は禁止させて頂きます【!】
- 35二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:39:14
贅沢な時間は瞬く間に過ぎ、ホテルの外に出ると、午後特有の少しぬるい風が俺たちの頬を撫でた。
虎杖は慣れないネクタイとシャツの首元をパタパタと仰ぎながら、駅へと続く並木道を俺と並んで歩いている。
「あー食った食った!釘崎にお土産の写真送ったら、めちゃくちゃ呪詛のスタンプ返ってきたわ」
「それは災難だったな」
笑い合いながら歩いていると、虎杖がふと思い出したように、ぽつりと言った。
「そういや、あの青い砂時計。あれ、どっかで売ってないのかな」
「……パラドックスタイマーか?なんでだ?」
「いや、なんかさ。見ててすげえ綺麗だったから」
ただ綺麗だったから、という極めてシンプルな理由だった。けれど、あの子がそれを気に入ったという事実が、俺の心のどこかを妙に刺激する。
「……あれは公式ではほぼソールドアウト状態で、今から買いたいなら転売されるのを待つしかないだろうな」
「マジ!?あんなちっちゃいのにレア物なのかよ」
本当に残念そうに、虎杖が眉を下げた。その顔を見ていたら、口を突いて出る言葉を止めることができなかった。 - 36二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:40:35
「……だが、俺はあれを持っている。やろうか?」
「え?!なんで持ってんの?!」
虎杖が驚愕したように目を丸くして俺を凝視する。
「過去の遺産というやつだ」
元彼女に連れて行かれた際、半ば義務のように買わされたものが、今も自宅の棚の隅で埃を被っている。まさかこんなところで、その存在意義を見出すことになるとは思いもしなかった。
「いや、貰うのは申し訳ないって!俺、たまに眺めたいなーって思っただけだし」
遠慮する虎杖に、俺はほんの少しだけ意地悪く、けれど本心を隠すように声を低くした。
「なら、俺の部屋で紅茶を淹れよう。今日出た紅茶とは違うものになるが」
「え、紅茶ってなんか種類あんの?」
「……そこからか」
呆れたように息を吐きながらも、俺の胸の内には、彼を自分の空間へ招き入れるという新たな口実への、ささやかな高鳴りが生じていた。
「よし、じゃあ次は日車の部屋で紅茶な!約束だぞ」
虎杖が嬉しそうに笑う。
並んで歩く俺たちの影が、夕暮れの街路樹に長く伸びていた。 - 37二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 23:52:12
ほっこりした期待で二人を眺めてるけど、予告された「胸糞」が脳裏をかすめてしまう…
どうなっちゃうんだ - 38二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 03:17:12
なるほどここでパラドックスタイマー出てくるのかって思いながらも>>1から既に怪しいしどう転んだら胸糞展開になるのか分からなすぎてドキドキする
- 39二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 09:36:15
カチャリ、と微かな音がして、俺の意識は現実へと引き戻された。
ダージリンを淹れるために計っていたが、下から上へと昇りきった青い粒子は、いつの間にか動きを止め、タイマーの最上部を静かに満たしている。
「……そういえば」
ポットを押さえたまま、俺はふと思考を巡らせた。
悠仁に紅茶を、最近淹れていないな。
なぜだろう。あんなに毎日のように「日車、今日もあの美味いお茶淹れてよ」とねだっていたはずなのに。最近の記憶を探っても、彼と向かい合って温かいカップを傾けた光景が、どうにも朧げで思い出せない。
何故淹れていないんだ?
……ああ、そうか。お互いに任務が立て込んでいて、忙しかったんだったか。
高専の術師というものは、常に何かしらの案件に追われている。彼ほどの駒となればなおさらだ。すれ違いが続くのも、仕方のないこと。
そう自分を納得させ、俺は新しく沸いた湯をポットへと注ぎ入れた。
湯気の向こうで、白葡萄に似た繊細な香りが静かにほどけていく。
「……そういえば、最初に彼に飲ませたのも、このダージリンだったな」
立ち上る湯気の向こう側、あの約束の日、本当に俺の部屋のドアを叩いた少年の笑顔が、鮮やかによみがえってきた。 - 40二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 15:08:47
保守
- 41二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 21:58:34
もうすでに不穏
アフタヌーンティーの時からどれくらいの月日が流れているのだろう - 42二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:00:14
高専の敷地内にある俺の私室は、改めて眺めれば拍子抜けするほど簡素だった。
備え付けのデスクには法律書や判例集を寸分違わず並べてあり、生活感のある物はほとんど見当たらない。
そのくせ、電気ケトルと紅茶缶だけは妙に使い込まれており、缶の側面には細かな擦り傷がいくつも残っていた。かつて捨て損ねた生活の残滓が、こんなところで主張している。
「うわ、すっげえ綺麗。日車、めちゃくちゃ部屋片付けるタイプ?」
「……最低限、生活に支障のないようにしているだけだ」
「お邪魔しまーす」と遠慮がちにスリッパを履いた虎杖は、緊張しているのか、所在なさげに部屋を見回してから、小さなソファの端にちょこんと腰掛けた。ホテルのラウンジではあれだけ堂々としていたというのに、個人のプライベートな空間に入った途端、急に借りてきた猫のようになるのがどうにも可笑しい。
「さて。紅茶だったな」
「あ、うん。日車が持ってるやつ、なんでもいいよ!」
「なんでもいい」と言われ、俺は少しだけ眉をひそめた。キッチンの棚からいくつかの美しい缶やパッケージを取り出して、ローテーブルの上へ一列に並べていく。
緑、黒、金、あるいはクラシカルなロゴが刻まれたデザイン。それらがずらりと並ぶ光景に、虎杖は目を丸くした。
「……一応、有名どころはいくつか常備している。君の好みが分からないから、選んでくれ」
「うわ、なんかすごいのがいっぱいある……」
「例えば、この緑の缶はフォートナム&メイソン。英国王室御用達の老舗だ。ブレンドが緻密で、クラシックな風味が強い。こちらの華やかな金の缶はシンガポールのTWG。フレーバーティーが有名だが、このブラックティーはベリー系の香りが華やかで、紅茶に慣れていなくても飲みやすいだろう」
自分でも少し過剰かと思いながらも、淀みない口調で解説を続ける。
「あるいは、この黒い缶はフランスのマリアージュフレール。また、実用性を取るならスリランカのディルマのシングルオリジン、あるいはこの猫のマークのジャネット……」 - 43二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:02:42
「……あ、あの、日車」
熱弁を振るう俺の言葉を遮るように、虎杖がぽつりと声を漏らした。
見れば、彼は完全にキャパシティをオーバーしたような顔で、口を半開きにしたままポカーンとフリーズしている。琥珀色の瞳が、複数の選択肢と俺の顔を交互に泳いでいた。
「ごめん……俺、紅茶って、自販機の午後の紅茶かリプトンくらいしか知らなくて……メーカーとか、そんなにいっぱいあんの?」
「……あ。いや、すまない」
我に返った俺は、わずかに耳の裏が熱くなるのを覚えながら視線を逸らした。
相手は17歳の男子高校生なのだ。良かれと思って知識を並べ立てたが、これでは法廷で素人相手に専門用語を連発する悪徳弁護士と大差ない。自分の独りよがりな生真面目さに、今更ながら酷い気羞恥心が込み上げてくる。
「……俺の配慮が足りなかった。忘れてくれ。……そうだな、では、一番馴染みやすいものにしよう」
俺が手を伸ばしたのは、先ほどホテルで名前を出した、ドイツの老舗・ロンネフェルトのダージリンだった。
手際よく湯を沸かし、温めた陶器のティーポットに茶葉を躍らせる。湯気がふわりと立ち上り、まだ開く前の茶葉の、どこか若葉を思わせる清涼な香りが静かに部屋へ広がり始めた。
そして俺は、元彼女に合わせて買って以来、なんとなく捨てられずにいた透明な樹脂製のタイマーをテーブルの中央にそっと置いた。
タイマーをひっくり返すと、青い粒子が気泡のように、ゆっくりと下から上へ向かって昇り始める。
「砂が上がりきるまで、三分かかる。……少し待ってくれ」
「うん」
ここから、二人の三分間が始まった。 - 44二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:02:46
思い出の中にしか虎杖が出て来てないな
これもしかして、ヌン茶も付き合ってるのも、『存在しない記憶』か? - 45二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:04:13
日車さんが紅茶詳しいのいいね!
ブラックコーヒーのイメージがあったから、紅茶を嗜んでいるのも様になる - 46二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:08:32
――だが、沈黙は思った以上に重かった。
テレビも音楽もない高専の私室。遮音性は低いが、幸い今の時間であれば人の声もそんなに聞こえない。
聞こえるのは、換気扇の微かな回る音と、お互いの呼吸の音だけ。
アフタヌーンティーの帰りの道すがらはあんなに滑らかに会話が弾んだというのに、いざ何も喋らない三分間を提供されると、どうしていいか分からなくなる。
(……何か、話すべきだろうか)
自分の部屋の壁にかかった時計の秒針の音が、妙に大きく耳に触れていた。
三十路を過ぎた大人が、十代の少年と二人きり。何を話せば彼が退屈しないのか、まっとうな大人の語彙というやつが、奇妙な緊張のせいで頭から綺麗に抜け落ちていく。
一方の虎杖も、じっと青いタイマーを見つめたまま、微動だにしない。
普段なら「へえー」とか「すげえ」とか、何かしらのリアクションを賑やかに返す彼が、今は静かに、ただ上へと昇っていく青い粒をじっと見つめている。
気まずい、と感じていた。
だが、その気まずさは、決して不快なものではなかった。
むしろ、外界の喧騒から完全に切り離されたこの狭い密室で、虎杖という少年の存在そのものが、奇妙なほど鮮明に際立っていくような感覚。胸の奥で、ドク、と、昼間のホテルで感じたのと同じ、少し高めの鼓動が静かに脈打ち始める。
上へ、上へ、と、逆行する時間が進んでいく。
青い粒子が、最後の数粒、液体の天面へと吸い込まれていった。
三分。時間が、満ちた。
「……よし、三分だ。今淹れる」
俺は静かに立ち上がり、沈黙を破った。
ポットから静かに注がれたダージリンは、澄んだ香りをゆるやかに広げていく。
花を思わせる柔らかな甘さの奥に、熟れきる前のマスカットに似た青い香気が混じり、無機質な部屋にわずかな温度を落としていた。 - 47二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:11:23
「うわ、いい匂い……! コンビニのダージリンと全然違う!」
それまで固まっていた虎杖の顔に、ようやくいつもの無邪気な笑顔が戻る。
差し出されたカップを両手で包み込み、「あったけえ」と目を細める彼の姿を見て、俺は、喉の奥に溜まっていた緊張の呼気を、そっと静かに吐き出した。
「え、うまっ……! なんか、渋くなくてすげえ飲みやすい。紅茶ってこんなに美味いんだな!」
「そうか。気に入ってくれたなら良かった。ロンネフェルトのダージリンは、セカンドフラッシュ……いや、夏摘みの茶葉が特に有名でね。香りが芳醇なんだ」
また蘊蓄を傾けそうになり、俺は慌てて口を噤んだ。しかし、虎杖は今度はポカーンとする代わりに、カップを持ったまま身を乗り出してきた。
「へえ、夏摘み! じゃあさ、さっき日車が説明してくれた他のやつも、こういう風に全部違う味がすんの?」
「……ああ。淹れ方も、合う茶菓子もそれぞれ違う」
「すげえな! ……なぁ、日車。俺、また飲みたい!」
虎杖は白い歯を見せて、屈託なく笑った。
「また任務の帰りに寄るからさ。日車が説明してくれたの、全部順番に飲ませてよ!」
打算のない、純粋な次の約束。
ローテーブルの中央では、先ほど役目を終えた青いタイマーが、静かに佇んでいる。
これから何度、この三分間を繰り返すことになるのだろう。
そんな、大人の理性では制御しきれない予感に胸の奥を揺らされながら、俺は「……ああ、構わない」と、極めて平静を装った声で静かに頷いた。 - 48二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:42:09
>大人の理性では制御しきれない予感に胸の奥を揺らされながら
あらあらあらまあまあまあ
- 49二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 07:28:29
保守
- 50二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 09:08:55
今のところ左右描写がわからないのがわくわくする
もしかしたら滲んでるのかもしれないけど自分には全く分からない!! - 51二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 18:10:02
左右まだ滲んでないと思う
- 52二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 20:42:37
このレスは削除されています
- 53二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 22:57:28
あの最初のアフタヌーンティーの日から、彼は頻繁に俺の部屋へ来るようになった。
「日車、お疲れ!今日も寄っていい?」
任務の報告ついでに、あるいはただ高専の廊下で行き違った拍子に、彼は当然のようにそう言って俺の部屋のドアを叩く。
あの日ローテーブルに並べた紅茶缶は、彼の言葉通り、一つ、また一つと順番に開封され、無機質だった俺の部屋にはいつの間にか、日替わりで様々な茶葉の香りが残るようになっていた。
気がつけば、季節は四月の終わりを迎えている。
ある日の夕方、いつものように淹れたてのカップを手にソファへ腰掛けた虎杖が、ふと窓の外の、青葉が茂り始めた並木道を見つめて声を漏らした。あのアフタヌーンティーの日はまだ肌寒く、蕾も固かったというのに、時の流れは恐ろしいほどに早い。
「桜散っちゃったな〜。花見したかったのに」
「……そうだな。今年は任務も立て込んでいた。仕方のないことだ。来年またやればいいだろう」
いつ死ぬかも分からない呪術師の世界だ。年相応の行事を逃したことを惜しむ彼に、俺はそれ以上の言葉が見つけられず、ただ慰めるようにそう告げた。
本当に、ただの気休めのつもりだった。
だが、虎杖はカップを持ったまま、弾かれたようにこちらを振り向いた。
「じゃあ来年は日車と一緒に花見な。でさあ、紅茶淹れてもらうの。桜に合う紅茶ってある?」
ごく自然に、何一つ疑うことなく、彼は「一年後の未来」に俺を組み込んでみせる。
そのあまりの眩しさに一瞬だけ胸が詰まり、俺は平静を装うために慌てて紅茶を口に含んだ。熱い液体が喉を通り過ぎるのを待ってから、記憶の引き出しを探る。 - 54二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 22:59:35
「……ヌワラエリヤ辺りが無難だな」
「ぬわ?」
案の定、おかしな擬音のような聞き返され方をして、思わず口元が緩む。
「スリランカの高地で採れる茶葉だ。香りが軽い。少し青い」
「青い?」
「若葉というべきか……そうだな、無難なたとえをするならば、朝の空気に近い。桜の匂いを邪魔しないと考えられる」
「へえ〜! じゃ、来年それ飲もうぜ」
嬉しそうに笑う虎杖の瞳に、西日が差し込んで琥珀色に透けていた。
まだ四月。ここから、過酷な夏、凍える冬、それを越さなければならない。呪術師という死亡率の高い職業で。
だが、彼が当たり前のように口にした「来年の約束」が、俺の胸の奥に、深く、消えない錨のように下ろされていくのが分かった。来年の春、この少年と一緒にヌワラエリヤを飲むために、俺はこの世界で生き残らなければならない。そんな静かな覚悟が、言葉の裏で泥のように沈殿していく。
「……ああ。そうしよう」
俺はタイマーの青い砂を見つめながら、静かにそう応えた。 - 55二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 02:15:35
虎杖との約束が日車の生きる糧になってていいね
いつ不穏になるのか今からドキドキなんだが… - 56二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:34:00
自分も虎杖と同じくぬわ…?となってしまったこの日車さん博識だ…
- 57二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:53:10
「……っと、いけないな」
口をゆすぎ、洗面台の鏡に映る自分の顔を見て、俺は小さく苦笑した。
歯を磨きながら、随分と長い時間、意識を過去に飛ばしてしまっていたらしい。
鏡の中の自分は、あの春の日から確実に年齢を重ねている。目元に刻まれた皺も、白髪の混じり始めた髪も、四十に近づいた男が順調に老いている証拠だった。
ふと、視線を鏡から手元の歯ブラシスタンドへと落とす。
そこには、俺の地味な歯ブラシの隣に、オレンジ色のポップな歯ブラシが一本、きちんと並んで立っていた。その横にある、彼が使っている市販の歯磨き粉。
「……ん?」
ふと、違和感が胸を過る。
その歯磨き粉のチューブは、驚くほど膨らんだままだった。まるで、ここ数ヶ月間、誰も触れていないかのように。
毎日朝と夜、彼はこれを使っているはずなのに、なぜ新品同様に型崩れしていないんだ? - 58二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:54:34
「……ああ、そうか」
思考が完全に停止する前に、脳が素早く答えを弾き出す。
きっと、俺がストックから新しいものを出して、ここに補充しておいたんだったな。彼は物持ちが良いから、俺が先回りして同じものを買い続けているのだろう。そうに決まっている。何もおかしいことはない。
俺はそれ以上考えるのをやめ、洗面所を後にして脱衣所の洗濯籠へと向かった。
籠の中に溜まっている衣類を洗濯機へと移していく。
黒やグレーの、味気ない大人の男の服ばかり。
そこには、あのあか抜けない、けれど見慣れた、目の覚めるような赤いパーカーも、黄色のTシャツも、一枚も混ざっていなかった。
「……出張任務だったな、今回は」
そう、独りごちる。
今回は長期の出張任務だと、確か誰かから聞いた気がする。五条だったか、それとも伊地知だったか。だから彼の服が籠に入っていないのは当然だ。帰ってきたら、また一気に洗濯物が増えて大変になるだろう。
洗濯、といえば。
彼と過ごした、あの最初の夏は、本当に洗濯物が絶えない季節だった。
高専の過酷な任務や鍛錬を終えたあの子は、いつも絵に描いたような汗だくの姿で、俺の部屋のドアを乱暴に開けて転がり込んできたものだ。
思い出すのは、ジリジリと肌を焼くような蝉時雨の音と、エアコンの冷気に救いを求める少年の、眩しいほどの生命力――。 - 59二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 11:09:21
ここから危うげな展開になるのが想像できない…
- 60二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 11:24:39
「虎杖悠仁はもういないじゃない?」て、脳内で別作品のキャラが煩いのですが…
せめて半呪霊化(?)が発覚してどこぞかに幽閉されてる程度であれ - 61二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 13:36:26
日車のふとした違和感を上書きするような思考の介入があるな
今の所日車の独白だしまだまだ分からないところ多いな - 62二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 21:13:26
期待保守
- 63二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:10:49
「あっちぃ~~~……! マジで死ぬ、今日今年一番暑いだろ……」
七月の半ば。夕方を過ぎても一向に下がらない熱気の中、俺の部屋のドアを開けた虎杖は、開口一番にそう言って床にへたり込んだ。
見れば、普段のパーカーではなく薄手のTシャツ一枚になっているというのに、首元から胸元にかけて、ぐっしょりと色が変わるほどの汗が滲んでいる。前髪は額に張り付き、陽に焼けた肌が熱を持ったように赤かった。
「……まずはシャワーを浴びてくるといい。そんな身体では、まともに紅茶の味も分からないだろう」
あまりに痛々しいその姿に、俺は呆れを半分、それから酷く俗世的な動換を半分交えながら、クローゼットから自分のTシャツと短パン、そして新しいタオルを引っ張り出して彼に押し付けた。
「え、いいの!? 助かるわ~、日車の部屋のシャワー借りるな!」
虎杖は「サンキュー!」と無邪気に笑うと、浴室のドアの前で、なんの躊躇もなく着ていたTシャツの裾を掴んで頭から引き抜いた。
陽に焼けた健康的な肌が、熱を持ったまま現れる。過酷な任務の証拠である細かな擦り傷が、引き締まった背中や胸元に痛々しく刻まれていた。
「おい、虎杖、待て。せめて中で――」
脱げ、という言葉は、彼がそのままズボンに手をかけたことで喉の奥に引っ込んだ。
三十路を過ぎた男の部屋で、17歳の少年がなんの警戒もなく、瞬く間に無防備な裸体を晒していく。彼にとっては同性の、それも歳の離れた友人の部屋という認識なのだろう。そこに一欠片の打算もないからこそ、俺の中のまっとうな大人としての倫理観が、警告音を鳴らすようにギリギリと軋んだ。
俺は強引に視線をデスクの上の法律書へと固定する。
カチャリ、とユニットバスのドアが閉まり、すぐにジャー、と小気味よい水音が響き始めた。
一人残された部屋の中で、俺はようやく深く溜め息を吐き、床に脱ぎ散らかされた彼の衣服を回収した。 - 64二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:14:04
砂や泥が薄くこびりついた、夏の湿っぽい匂いと、若い汗の生々しい匂いが混じったTシャツ。
これをそのままにしておくわけにもいかず、しかし手にした布地の熱を早く手放したくて、俺はそれらをまとめて籠に入れると、部屋の外にある共同の洗濯室へと向かった。
夕暮れ時の廊下は、日中の熱気が抜けないままどろりと淀んでいる。反響する蝉の鳴き声を聞きながら、俺は内心、自分のしていることの奇妙さに苦笑せざるを得なかった。
三十路を過ぎた元弁護士が、十代の少年の汗まみれの服を抱えて、高専の共同洗濯機へ向かっている。そんな世話を焼く義理も義務もないはずなのに、身体が勝手に動いてしまっていた。
誰もいない洗濯室で、彼の衣服を放り込み、洗剤を投入してスイッチを入れる。
ゴトゴトと重い音を立てて回り出した洗濯機を見つめながら、俺は不意に、自分の理性の足元が少しずつ侵食されているような錯覚に陥った。
あの無防備に晒された少年の裸体が、網膜の裏に焼き付いて離れない。俺が必死に保とうとしている境界線を、彼はあまりにも簡単に踏み越えていく。
溜息を吐きたい気持ちを堪えて自分の部屋に戻ると、浴室からはまだジャー、と静かに水音が響いていた。
「ふぃ~~~、生き返ったわ……」
やがて水音が止み、浴室のドアが開いた。湯気を纏って戻ってきた虎杖を見て、俺は思わず小さく息を呑む。
やはり、俺の服は彼には少し小さすぎた。
17歳の、容赦なく鍛え上げられた猛獣のような肉体。俺のTシャツは彼の厚い胸板と広い肩幅に引っ張られてピチピチに突っ張っており、短い袖口からは、およそ高校生のものとは思えない逞しい腕が伸びている。
男らしい鎖骨のラインや、短パンの裾から覗く引き締まった太腿の、あまりにも圧倒的な質量と生命力の生々しさに、俺は一瞬だけ視線を彷徨わせた。
「日車、今日のお茶なに? すげえいい匂いすんだけど」
開けたばかりの茶缶から漂うベリーの香りを追うように、虎杖が鼻をひくつかせる。そして髪をタオルで乱暴に拭きながら、ローテーブルを覗き込んだ。
彼が上がってくる前にアイスティーを完成させておくべきか、とも思った。だが、それをしなかったのは、彼が必ずあの青い砂が上がる瞬間を見たがるからだ。いや――本当は、そのタイマーを凝視する彼の無邪気な横顔を、俺が見たいだけなのかもしれなかった。 - 65二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:16:54
「今日はTWGのブラックティーだ。アイスにするとベリーの香りが際立つ。……では、三分測るぞ」
温めたティーポットに茶葉を落とし、熱湯を注ぐ。俺はローテーブルの中央に、あの透明な樹脂製のタイマーを置いた。
茶葉は今頃湯の中でゆっくりと開き始めていることだろう。それと同時に、青い粒子が気泡のように、ゆっくりと下から上へ向かって昇り始めた。
「よし、三分な」
虎杖が俺の座るソファにどさりと深く腰掛けた。
冷房の風が、彼の湿った髪を優しく揺らしている。シャワーを浴びてさっぱりしたことと、心地よい室温、そして過酷な夏の任務から解放された安心感が一気に押し寄せたのだろう。
上へと昇っていく青い粒を見つめる彼の琥珀色の瞳が、みるみるうちに、とろんと重そうな眠気に侵食されていくのが分かった。
いつもなら飽きずにタイマーを覗き込んでいるはずの頭がかくりと小さく揺れる。
「日車の部屋、すげえ涼しい……」
掠れた声でそう呟いたのを最後に、虎杖の身体が、ゆっくりとソファの背もたれへと傾いていった。
まだ一分も経っていない。ポットの中の茶葉はまだ開ききっておらず、青い砂は、まだ半分も上がっていなかった。
「……虎杖?」
声をかけたが、返ってきたのは小さな規則正しい寝息だけだった。
タイマーを見ると、青い粒子は我々の時間などお構いなしに上へと昇り続けている。
俺は小さく溜め息を吐き、けれどその口元に浮かぶ苦笑を隠すこともできないまま、虎杖の身体が楽になる姿勢を取らせた。
静まり返った部屋で、三分が満ちる。
三分が経過した後、俺は音を立てないよう細心の注意を払って立ち上がり、備え付けられたキッチンへ向かった。 - 66二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:18:55
開いた茶葉を漉しながら、大量の氷を仕込んだガラスのカラフェへ熱い紅茶を一気に注ぎ込む。カラン、カラン、と涼やかな音が静かな部屋に響いた。急冷された琥珀色の液体から、ベリーの甘酸っぱい香りがふわりと立つ。
冷蔵庫から、先日買っておいた小ぶりのマドレーヌを皿に出し、冷え切ったグラスと共にローテーブルへ運んだが、彼はまだ起きていない。
「おい、虎杖。起きてくれ。アイスティーが薄まる」
ソファの横に屈み、彼の肩を軽く揺する。
「ん……ぅ」
虎杖が眉を寄せて身じろぎをした。睫毛が震え、まだ完全に光の戻っていない琥珀色の瞳が、うっすらと開く。
「……ひぐるま?」
「ああ。三分はとうに過ぎたぞ。ほら、お茶菓子もある」
そう言って俺が身体を起こそうとした、その時だった。
寝ぼけて状況が分かっていないらしい虎杖が、ふらふらと上体を起こしたかと思うと、そのまま吸い寄せられるように、俺の胸元へと頭を預けてきたのだ。
「……ん、日車のにおいする……」
ごつごつとした硬い額が、俺の鎖骨のあたりに押し付けられる。
彼が着ているのは俺の服なのだから、同じ柔軟剤の匂いがするのは当然だ。それなのに、シャワー上がりの清潔な体温と、虎杖自身の持つ生命力の強い熱がダイレクトに肌に伝わってきて、俺の心臓はドクンと大きな音を立てて跳ね上がった。
首元に触れる彼の短髪が、妙にくすぐったくて、痛い。
「こら、虎杖。離れろ」 - 67二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:20:48
大人の理性を総動員して声を低くするが、彼は「んー……」と小さく唸るだけで、むしろ落ち着くポジションを探すように、俺の肩口にさらに深く顔を埋めて擦り寄ってくる。大型犬が飼い主に甘えるような、あるいは子供が親に懐くような、あまりにも無防備で打算のない拒絶のなさに、俺の手が宙で止まった。
このまま、この逞しい身体を抱きしめてしまえたら、どれほど楽だろう。
だが、17歳の少年に邪な感情を抱いてはならないという倫理観が、俺の腕を硬直させる。
俺は、あえて大きな音を立ててテーブルのグラスを揺らした。
「……氷が、溶けるぞ」
冷たい結露のついたグラスを、彼の首筋にそっと当てる。
「うわっ、冷たっ!?」
虎杖は弾かれたように跳び起き、一気に目を丸くした。自分が誰に、どんな風に寄りかかっていたかに気づいたのか、陽に焼けた顔をみるみるうちに真っ赤に染めていく。
「ご、ごめん日車! 俺、寝ぼけて……!」
「構わない。……さあ、冷めないうちに、いや、ぬるくならないうちに飲め」
俺は自分の声がわずかに震えていないことを祈りながら、結露で冷え切ったグラスを彼の手へと握らせた。
虎杖はまだ顔を赤くしたまま、両手できちんとグラスを持ち直す。 - 68二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:22:02
「いただきます!」
「いただきます」
カラン、と氷が鳴る。
お互いにグラスに口をつけ、冷たい液体を喉へと流し込んだ。
ベリーの甘い香りが、冷えた空気の中へ静かに広がっていく。冷房に満たされた部屋の中で、その匂いだけがどこか熱帯の果実のような濃厚さを持って、俺たちの鼻腔を掠めていった。
「……うま」
寝起きで掠れた声に、俺は曖昧に「そうか」とだけ返した。
それ以上は、何も言わなかった。
言うべき言葉が、見つからなかったのだ。
さっきまで俺の胸元に預けられていた彼の頭の重みや、肌を灼くようだった熱い体温が、冷たいアイスティーを飲み干すたびに、嘘のように引いていく。それが酷く寂しく、同時に、どこか救われたような心地がしている自分に気づく。
これ以上言葉を重ねれば、俺は本当に、この少年を帰したくなくなってしまうかもしれない。
冷房の風が、静かにカーテンを揺らしている。
セミの鳴き声さえ遮断された薄暗い部屋の中で、ただ氷の溶ける音だけが、時折小さく響く。
ローテーブルの中央では、役目を終えた青いタイマーだけが、もう動かないまま透明な光を閉じ込めていた。 - 69二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 23:30:32
更新たくさん嬉しい
世話焼き日車と甘えたな虎杖かわいいね - 70二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 05:04:36
本当にスレ主の文章が美しくて好き
瑞々しくて甘酸っぱい思い出だ - 71二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 10:02:56
深夜。すべての仕事を終えて自宅のドアを開けた時、俺の身体は芯から泥のように疲弊していた。
今回の任務は、手数の多い一級呪霊の処理だった。俺の術式は一度展開すれば没収が取れることが多いものの、肉弾戦を強いられてしまい、呪力も体力も限界まで削られている。
「……ただいま」
暗い玄関に声をかけるが、返事はない。当然だ。悠仁はまだ長期の出張任務から戻っていないのだから。
重い足取りでリビングへ進み、ネクタイを緩めながらスリッパへ履き替えようとした、その時だった。
――ぐにゃり。
右足の裏に、不快な、粘り気のある感触が走った。
「……ん?」
眉をひそめ、靴下を脱いで裏を返す。
そこには、べったりと潰れたイチゴ飴の包み紙が張り付いていた。熱で溶けた砂糖が、フローリングの床にも小さなシミを作っている。
「……掃除をしていないな」
その事実に、奇妙な違和感が首をもたげた。
俺は元来、生真面目で潔癖な性分だ。部屋の隅にゴミが落ちていることなど、普段の俺なら絶対に許さない。それなのに、なぜこんな目立つゴミを見落とし、放置していたのだろうか。 - 72二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 10:29:18
そこまで考えこんで、ふと思い至る。
「この間、高専の補助監督から貰った飴を、俺がポケットから落としたままにしていたんだな」
そうだ、俺が悪い。疲れていたとはいえ、自分の家の管理すら満足にできないとは。
「まったく、日車は部屋は綺麗にするのに、たまにこういうドジするよな」と、悠仁が戻ってきたら、きっとあの屈託のない顔で笑いながら、俺を叱るに違いない。
何もおかしいことはない。俺は小さく苦笑し、ウェットティッシュを取り出して床と足の裏を丁寧に拭き取った。
立ち上がる際、スーツの袖口が擦れて、左腕にピリッとした痛みが走る。
めくってみると、呪霊の爪が掠めた跡が、浅い線傷となって赤く滲んでいた。
「大した傷ではないな……」
救急箱を取り出し、消毒綿をあてる。
染みるような痛みが脳を刺激した瞬間、その傷の痛みの感覚に引きずられるようにして、別の記憶が鮮烈に呼び覚まされた。
――そういえば。
まだ付き合い始める前、あの秋の入り口に、彼が傷を負って俺の部屋にやってきたことがある。
思い出すのは、急に夜風が冷たくなり始めた十月の頭のことだ。 - 73二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 12:14:25
『悠仁』は本当に実在の虎杖なのか怪しいな
- 74二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 12:34:05
イチゴ飴ってお祭りで売ってるあれが真っ先に浮かぶけどただ単にイチゴ味の飴?
補助監督に貰っとかポケットから落としたという設定なら後者かもしれないけど後者にしたってなんか謎…… - 75二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 16:01:17
保守
- 76二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 21:19:52
色々気に成る
- 77二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 21:23:23
付き合ってるのに左右明言されないの妙な落ち着かなさがある
付き合ってるのは本当だと思いたいが - 78二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:25:14
十月の終わり。日が落ちるのがすっかり早くなり、窓の外からは冷え冷えとした秋の夜風が、かさかさと乾いた木の葉を鳴らす音が聞こえていた。
「日車、お疲れ。……今日も、寄っていい?」
ドアを開けて入ってきた虎杖は、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
だが、彼が部屋に一歩足を踏み込んだ時、俺の鼻腔を、冷たい外気と共に微かな、けれど決定的な異物が掠めた。
――鉄の臭いだ。
「……虎杖。怪我をしているな」
「え? あー、いや、これ? 大したことねえよ。ちょっと掠っただけ」
言いながら、虎杖はバツが悪そうにパーカーの袖を捲り上げた。
前腕のあたりに赤黒い血が滲んだ傷口がむき出しになっている。彼にとっては日常茶飯事の、文字通り「大したことのない」範疇の傷なのだろう。
「反転術式を使うほどの傷でもねえし、呪力もったいないしさ」
あっけらかんとそう笑う彼に、俺は言葉を失う。
今の彼には、その気になれば自力で肉体を修復する術があるのだ。それなのに、この程度の痛みや出血は「燃費が悪いから」と、当然のように身体に引き受けたまま放置している。その呪術師としての歪んだ慣れが、俺には酷く痛ましかった。
高専の医務室へ行けば、家入が治してくれる可能性は高い。彼ならそれに思い至らない筈がないのに。
「……真っ直ぐここ来ちゃった」
捲り上げた自分の腕を見つめたまま、虎杖は少しだけ声を低くしてそう呟いた。
その琥珀色の瞳が、ひっそりと俺の表情を窺うように向けられる。
高専の医務室へ行かなかった理由が、この部屋へ、俺へ、会いに来るためだったのだと気づかされ、俺の胸の奥が形を失うほど激しく揺さぶられた。17歳の少年が、任務の直後に、真っ先に俺の顔を思い浮かべ、血を滲ませたままここへ駆けてきた。その事実の重さに、目眩がしそうになる。 - 79二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:26:16
「……そんな身体で歩き回るな」
俺はわざとぶっきらぼうに言い放つと、棚から救急箱を引っ張り出し、ローテーブルの上に置いた。
「そこに座れ。手当てをする。……それから、紅茶を淹れよう」
「うん。ありがとな、日車」
ソファに腰かけた虎杖の隣に座り、高専に来てから覚えた諸々の処置を頭で思い返した。消毒液を浸した綿をピンセットで掴み、彼の傷口にそっと触れる。
「……ッ」
虎杖の身体が、微かに強張った。
至近距離で伝わってくる、若い体温と生々しい鉄の臭い。傷口の周囲を丁寧に拭うたびに、俺の指先が彼の強靭な筋肉に触れ、その弾力がダイレクトに伝わってきた。元弁護士の、ペンしか握ってこなかった俺の身体とはまるで違う。少年でありながら、戦うための肉体だ。それが今、こうして目の前で傷ついている。その事実に胸の奥になにかが押し込められたような心地になる。
「次からは、きちんと怪我の処置をしてからここへ来るように」
努めて冷静に、大人の調子を保って諭した。だが、虎杖は傷口をじっと見つめたまま、不満げに口を尖らせる。
「だって大したことねえもん。家入さんのとこ行くほどじゃねえし、ほっときゃ治るよ」
「大したことの有無を決めるのは君ではない。……高専の医務室へ行けば、痛い思いをせず一瞬で治るのだろう」
なぜ、わざわざそんな痛みを引きずったまま、ここへ来るのか。
言葉の裏に隠した俺の焦燥を見透かしたように、虎杖がふと顔を上げた。真っ直ぐな琥珀色の瞳が、すぐ近くで俺を射抜く。
「……日車は、俺がここに来たら嫌だった?」 - 80二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:28:04
打算のない、純粋ゆえに鋭い刃のような問いだった。
嫌なわけがない。嫌なわけがないだろう。だが、それをそのまま伝えるだけの資格が、俺にあるのか。
俺はピンセットを置き、彼の前腕に包帯を巻きながら、喉の奥にへばりついていた言葉を、絞り出すようにして溢れさせた。
「……嫌なわけがない。そうではなく、俺が心配なんだ」
「え……」
包帯の処置をする俺の手が、微かに震えていた。虎杖が小さく息を呑む音が聞こえる。いつも年長者として、一線を引いた「まっとうな大人」として接するよう心掛けていた俺が、初めて剥き出しの感情を彼に向けたのだ。虎杖は丸くした目を瞬かせ、それから、包帯の巻かれた自分の腕を愛おしそうに見つめて、ぽつりと呟いた。
「……日車、ありがとな」
「……どういたしまして」
それ以上の会話を遮るように、俺は立ち上がってキッチンへと向かった。
これ以上彼のそばにいれば、その引き締まった身体を衝動的に抱きしめてしまいそうだったからだ。
今日選んだ茶葉は、ディルマのシングルオリジン。
温めておいたポットに茶葉を落とし、沸騰した湯を注ぐ。俺はローテーブルの中央に、あの透明な樹脂製のタイマーを置いた。
音もなく、タイマーをひっくり返すと、青い滴が底からゆっくり浮かび上がっていく。
茶葉が開き切るまでの、三分間。
相変わらず、俺も彼も何も喋らない。部屋の中で、冷蔵庫の駆動音だけが低く鳴っている。
微かな消毒液の匂いと、開き始めた茶葉の香りが混ざり合っていく。タイマーの青は、まだ半分にも届いていない。
ソファに座る虎杖は、包帯を巻かれた自分の腕をじっと見下ろしていた。
やがて、ぽつりと声が落ちる。
「……日車ってさ」
「なんだ」
「俺が怪我してんの、ほんとに嫌なんだな」 - 81二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:29:48
不意を突かれ、俺は言葉を失った。
虎杖の声音には、茶化しも遠慮もなかった。ただ純粋な確認のように、静かに俺の胸の奥を覗き込んでいる。彼にとって「怪我」はただの日常の消耗品でしかないのに、俺がそれ以上に傷ついていることに、彼は気づいてしまったのだ。
俺はたまらず、視線をタイマーへ落とした。
青い滴は、二人の間に流れる張り詰めた空気など何も知らないまま、無音で上へ昇り続けている。
「……嫌だな」
喉の奥から落ちた声は、自分でも驚くほど率直だった。大人としての体裁も、言い訳も、何一つ挟めないそれを恥じる沈黙の間に、虎杖が小さく瞬きをする。
「そっか」
それだけ言って、彼は包帯の上からそっと自分の腕を撫でた。俺の手で巻いた白い包帯が、彼の高い熱を吸って少しだけ皺になる。
「じゃあ次から、ちゃんと手当てされに来る」
「医務室へ行け」
反射的にそう返すと、虎杖は肩を揺らして悪戯っぽく笑った。
「だって、紅茶飲んでからなら元気出そうだし」
「……順番が違うだろう」
呆れたように言いながらも、彼の言葉を完全に否定しきれない自分がいる。
医務室で呪力を使って一瞬で消されるはずの痛みを、わざわざこの部屋へ持ち込んで俺に委ねてくれることを、心のどこかで酷く愛おしく、歪んだ優越感と共に受け止めてしまっているのだ。
タイマーの最後の青が、ゆっくりと上へ吸い込まれていく。三分が満ちた。
俺は静かに立ち上がり、ティーポットへ手を伸ばす。開き切った茶葉の香りが、室内に漂う消毒液の残り香と混ざり合いながら、冷えた部屋の中へゆっくりと広がっていく。
温かい紅茶をティーカップへ注ぐその微かな音を聴きながら、俺はようやく理解し始めていた。
この三分が長いのは、沈黙のせいではない。
俺が、この少年の無事を、帰還を、想像以上に願ってしまっているからだ。
彼が戦場へ赴くたびに、この長い三分間のような生きた心地のしない時間を、俺はこれから何度も過ごすことになるのだろう。その予感が、喉の奥をひどく痛くさせた。 - 82二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 01:18:47
スレ主は文豪か?
描写が丁寧だから脳内イメージがしやすい
まだ続きが楽しみだ - 83二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 08:56:06
文章好きすぎる
- 84二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 11:44:37
スリッパを履き直して一歩を踏み出した時、足の裏に、なんとも言えない違和感を覚えた。
なんだか、床面が妙にでこぼこしている。
一歩進むごとに、スリッパの底越しに、硬いなにかを踏んでいるような、床そのものが歪んで波打っているような、不快な高低差が足裏に伝わってくるのだ。
「……リフォームの施工が甘かったか」
俺は下を見ることなく、ただ前を向いて歩を進めた。
この部屋に入居した際、業者の手際が悪かったのだろう。あるいは、最近の雨続きでフローリングの木材が湿気を吸って、少し反ってしまっているのかもしれない。家というのは案外脆いものだ。悠仁が帰ってきたら、一度業者に見てもらうように手配しよう。彼を出迎えるのなら、快適な家のほうがいいから。
自分の部屋に戻って背広をかけようとした時、PCデスクの傍らに、一枚の小さなプラスチックのカードが置き去りにされているのが目に入った。
見覚えのある、近所の総合病院の診察券だった。表面には、はっきりと俺の氏名が印字されている。
「……診察券?」
俺はそれを指先で拾い上げ、まじまじと見つめた。
自分が病院にかかっていたという記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
内科だったか、整形外科だったか、あるいは――。 - 85二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 11:46:37
どれだけ記憶の引き出しをひっくり返しても、自分が何科を受診し、医者から何を告げられたのか、その輪郭がどうしても霧のように融けて思い出せない。
その瞬間、ズキリ、と、 眉間の奥を太い針で貫かれたような、激しい頭痛が走った。
「う……く、……」
思わず片手で額を押さえ、デスクに手をつく。
目の前がチカチカと明滅し、脳の髄を直接ギリギリと絞られるような痛みに、視界が白く染まりそうになった。
「いけないな、こんな体調では……」
悠仁に、心配をかけてしまう。
あの子はただでさえ他人の痛みに敏感だ。俺がこんな風に頭を押さえて顔を顰めていたら、それこそ自分の任務のことなど放り出して、うろたえながら俺の身体を揺さぶるに違いない。
痛む頭を抱えながら、俺はソファへ深く身体を沈めた。
そうだ。俺がこんな風に体調を崩しているから、悠仁は俺に負担がかかりそうな任務を引き受けてくれているのだ。俺がしっかりと体調を万全に戻さなければ、悠仁にはいつまでも迷惑をかけたままだ。
「……それにしても」
ネクタイを外し、目を閉じる。
いくら俺のためとはいえ、やはり、帰ってこないのは寂しい。悲しいな、と思う。
最後にあの笑顔を見たのは、いつだったか。
一人きりの静まり返った部屋の中で、その寂しさを埋めるように、俺の脳はゆっくりと引き出しを開ける。
寂しくて、 酷く寒かった、あの冬の日。
――思い出すのは、粉雪が窓の外を白く染めていた、十二月の静かな夜のことだ。 - 86二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 12:28:22
真相が知れる期待と、日車は何も考えずにそのまま眠ってて欲しい気持ちで頭ぐちゃぐちゃですやん
- 87二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 19:29:27
話は進んでるけど今の所ここからどうなるのか全然分からない。テーマが一緒に歳をとるで途中からえ?って展開だもんな
とりあえずいまのところ紅茶の知識だけが増えていく - 88二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 20:35:36
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- 89二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 23:37:10
日車は夢を見ているのか、起きてるけど裏世界的なところに取り込まれているのか
幻覚を見てるだけなのか、どれだ… - 90二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 07:07:50
日車の中の色とりどりで鮮やかな記憶と完全に色の抜け落ちてる現実との描写のギャップに私がやられてる
- 91二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 14:59:17
保守
- 92二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:25:14
保守
- 93二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:34:59
十二月の静かな夜。窓の外では、音もなく降り始めた白い粉雪が、冷え切った街を静かに染め上げていた。
そろそろ、彼が来る時間だ。あれこれと彼を迎える支度を整え、ソファに腰掛けたところで、一気に張り詰めていた緊張が解けたのだろう。
暖房の心地よい熱気に包まれながら、俺はいつの間にか、深い微睡みの底へと落ちていた。
ガチャリ、と遠くでドアが開く音が聞こえた。
(……虎杖が、来たな)
意識はすぐに覚醒した。目を開けて、身体を起こさなければ、と思う。だが、連日の戦いによる疲労のせいか、頭が酷く重くて瞼がどうしても上がらない。金縛りにでもあったかのように、意識だけがはっきりとあるのに、指先一つ動かせなかった。
「日車、お疲れ。……って、マジか、寝てんじゃん」
近づいてくる、聞き慣れた足音。俺の無防備な寝顔を見下ろしているであろう彼の気配が、すぐ近くで立ち止まる。起きて声をかけなければと思っている俺の肩に、ふわり、と柔らかな重みが落ちてきた。
ベッドの端に畳んでおいた、彼がお気に入りの大判のブランケットだった。起きていれば、三十路を過ぎた男が十代の少年に気遣われるなどと恐縮しただろう。けれど、その布地から伝わってくる彼の優しさが、動けない俺の胸をじんわりと満たしていく。
「風邪ひくぞー……」
呆れたような小さな苦笑。虎杖は俺を起こさないように細心の注意を払っているらしく、衣擦れの音すら立てずに、そっと俺の隣へと腰掛けた。 - 94二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:36:19
ソファがわずかに沈み込み、彼の高い体温が、冬の冷たい空気を纏ったまま俺の側面に近づく。
静まり返った部屋の中で、彼の小さな独り言だけが、すぐ耳元でぽつり、ぽつりと落ちてきた。
「えーと。……毎日いろんなことがありすぎてさ。明日死ぬかもなんて毎日思ってたけど。……日車に会ってから、ちゃんと生きてえなって思うようになったんだよな」
心臓が、どくんと大きく跳ね上がった。
動けない身体の中で、血流だけが急激に熱くなっていくのが分かる。
「日車はいつも『君は子供だ』って言ってくれるし、俺が怪我したら自分のことみたいに怒るし……だからさ、さっき、俺がブランケットかけてあげられたときさ、なんか、すごく安心した」
一拍、沈黙が流れる。彼が俺の横顔をじっと見つめている視線の熱が痛いほど伝わってきた。やがて、今まで聴いたこともないような、ひどく大人びた、けれど切実な声が、夜の静寂に溶けていく。
「あーあ。……このまま、ずっとこうしていられたらな」
――その言葉が、俺の耳に届いた瞬間だった。
「……っ!」
「うわっ!」
身体を縛り付けていた呪縛が消し飛んだように、俺は弾かれたように上体を跳ね上げ、目を見開いた。勢いよく飛び起きた俺に、今度は虎杖のほうが驚き、ソファの上で身体を仰け反らせる。俺は肩を荒く上下させて彼を凝視し、琥珀色の瞳が驚きでみるみるうちに丸くなっていくのを間近で見る。 - 95二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:37:44
「ひ、日車……!? 起きて、たの……?」
「……いや」
起きていた、と素直に言えばいいだけの話だった。けれど、動揺のあまりそれ以上の言葉が出てこない。二人の間に、張り詰めた沈黙が流れた。窓の外で静かに降り積もる粉雪の音が聞こえてきそうなほど、濃密で、気まずく、けれど決定的な沈黙。
虎杖は陽に焼けた顔を真っ赤に染め、バツが悪そうに自分の項をガシガシと掻いた。
そうこうしているうちにどれほどの時間が経っただろう。俺は小さく息を吐き出し、乱れた呼吸を整えると、視線をローテーブルの上の道具へと移した。
「……紅茶を飲もう。支度はしてある。」
自分の声が、自分でも驚くほど低く掠れていた。
「……うん。飲む」
虎杖も、消え入りそうな声でそう応じた。
俺は震える手でケトルを持ち、温めておいたティーポットへ熱湯を注ぎ込む。
今日選んだ茶葉は、フォートナム&メイソンのロイヤルブレンドだ。
ローテーブルの中央へと、あの透明な樹脂製のタイマーを置き、タイマーをひっくり返す。すると、青い粒子がゆっくりと下から上へと昇り始めた。
ポットの中では、茶葉が静かに開いているのか、ゆっくりと香りが広がっていく。
ロイヤルブレンド。フォートナム&メイソンを代表する古典的なブレンドだ。
花のような華やかさもなければ、果実のような分かりやすい香りもない。その代わり、蜂蜜を思わせる甘さと、麦芽のような穏やかなコクがある。派手さはない。だが、不思議と飽きない。疲れた日も、考え事をしたい日も、ただ静かに過ごしたい日も、湯を沸かして三分待つ。それだけでいい。そういう紅茶だった。 - 96二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:39:20
元々は、あの女に教えられたものだ。『結局こういうのが一番残るのよ』と言われた時は理解できなかった。だが今なら少し分かる。特別だから残るのではない。当たり前にそこにあるから残るのだ。
俺たちはいつものように、ローテーブルを挟んで沈黙を守っていた。
あの気まずい飛び起き方のあとだ。何かを喋れば、お互いの体温が触れ合ってしまうような危うさがあった。だからこそ、この「三分間は何も喋らない」といういつもの暗黙の了解が、今は奇妙な盾のように俺たちを守ってくれている。
ただ、静かに、青い粒子が下から上へと昇っていく。
「……日車、これ、なんてやつ?」
ふいに、いつもなら絶対に沈黙を破らない虎杖が、掠れた声でぽつりと訊ねてきた。
その琥珀色の瞳は、タイマーではなく、どこか心細そうに俺の手元を見つめている。彼自身、さっきの独り言を聞かれたかもしれないという境界線の上で、必死にいつもの日常を手繰り寄せようとしているのが分かった。
「ロイヤルブレンドだ」
「へえ……」
案の定、それ以上の感想は返ってこない。会話はすぐに途切れ、部屋はまた、粉雪が降り積もる外の世界と同じ静寂に包まれた。
だが、それでいい。どうせ三分が経って、紅茶を口にすれば美味いとか、甘いとか、飲みやすいとか、そんな率直な感想を、彼はまたいつものように破顔して聞かせてくれる。俺はもう、それを知っている。知ってしまっているのだ。 - 97二次元好きの匿名さん26/05/30(土) 23:40:42
暖房の効いた室内との温度差のせいか、彼の肩からは、まだ冬の冷気が抜け切っていないように見える。目元には僅かな疲労が滲んでいた。
過酷な任務の帰りなのだろう。それなのに、彼は医務室でもなく、食堂でもなく、己の寮でもなく、当たり前のように俺の部屋へ来た。そして俺もまた、彼がここにいることを、もう疑わなくなっている。
次の任務からも、彼は当たり前に生きて帰ってくるだろう。来週もまた、当然のようにこのドアを叩くだろう。そして春になれば、二人で花見の話でもしているだろう。
そんな保証など、この呪われた世界のどこにもないというのに。
いつ死ぬかも分からない17歳の少年を前にして、そんな不確かな未来を信じ始めてしまっている自分に、暗澹たる心地がする。同時に、それがひどく愛おしい。
タイマーの青が、最後の一滴となって上へ吸い込まれていく。
三分が、満ちる。
この三分が短いのは、沈黙のせいではない。
溢れそうになるこの感情を堰き止めるには、この時間は、あまりにも短すぎる。
俺は静かに立ち上がり、ティーポットへ手を伸ばす。
ロイヤルブレンドの穏やかなコクが、部屋の冷気をそっと溶かすように、ゆっくりと広がっていった。 - 98二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 01:03:47
ここでの記憶が冒頭の話に繋がるんだな
2人ともこの紅茶の時間が拠り所になってたんだね - 99二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 07:03:33
滅茶苦茶真面目な本家CVで脳内再生されるから、なかなかにしんどい
続き待ってます - 100二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 13:30:50
保守
- 101二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 21:02:12
「おい、日車」
背後からかけられた億劫そうな声に、俺はゆっくりと振り向いた。
そこには、トレンチコートのポケットに両手を突っ込んだ日下部が、酷く渋い顔をして立っていた。
「……日下部か。どうかしたか」
「どうかしたか、じゃねえよ。オマエ、さっきからそこで何してんだ。……つーか、最近のオマエ、生活どうなってんだよ。ちゃんと飯食ってんのか?」
日下部はタバコを咥えようとして、ここが高専の廊下であることを思い出したのか、忌々しそうにそれをポケットへ戻した。その鋭い眼光が、俺のやつれた顔や、少し汚れたスーツの袖口へと向けられる。
「生活、か。何の問題もない。……悠仁がいないから、少し不摂生になっているかもしれないが、これでも独身生活は長かったんだ。自分の身の回りのことくらい、一人で十分にこなせる」
俺は極めて平静に、大人の調子を崩さずにそう返した。
少し部屋の掃除が疎かになっている自覚はある。床がでこぼこしていたり、飴の包み紙を落としたり。だがそれも、出張中の彼が帰ってくればすぐに解決する、些細な問題だ。
俺の言葉を聞いた日下部は、一瞬、信じられないものを見るかのように目を見開いた。
だが、すぐにその視線を気まずそうに斜め下へと逸らし、低く息を吐き出す。
「……あ、そ。……そうかい」 - 102二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 21:03:58
その、ひどく歯切れの悪い、何かを諦めたような物言いに、わずかな違和感が胸を過る。
なぜそんな顔をする。俺は事実を言ったまでだ。
背を向けて歩き出そうとした俺の背中に、日下部がもう一度、今度はひどく低く、掠れた声を投げかけてきた。
「……なぁ、日車。……虎杖は、元気か?」
ポケットの中で、日下部の手がぎゅっと握り込まれる衣擦れの音が聞こえた。
なぜ、今ここにいない彼の安否を、わざわざ俺に、そんな喉を詰まらせたような声で訊ねるのか。
俺は少しだけ不思議に思いながらも、思い出すのは、脳の引き出しのすぐ特等席にある、あの眩しい少年の笑顔だった。
「ああ。元気だよ」
俺は振り返ることもせず、確信を持ってそう応えた。
元気でなければ困る。あの子は今も、過酷な任務の地で、俺が待つこの家へ帰るために戦っているのだから。
「……そっか。……なら、いいんだけどよ」
背後から聞こえた日下部の声は、ひどく複雑に歪んでいた。同情か、あるいは恐怖か、それとも哀れみか。その気まずい静寂を振り払うように、俺は家に帰るべく足を進めた。
可哀想に、日下部も任務が立て込んで疲れているのだろう。彼には、帰りを待ち侘びるような特別な存在がいないから、あんな歪な顔をするのだ。いい加減所帯を持てばいいのに。
しかし彼にああ問われると、やはり一人は少し寒くて、寂しいな、と思う。
そうだ。彼も、似たような事を言っていた。 - 103二次元好きの匿名さん26/05/31(日) 22:11:35
あつーやの哀れみ方からして日車が狂ったんは虎杖関係ぽくてお労しい
なお日車本人は
>帰りを待ち侘びるような特別な存在がいないから、あんな歪な顔をするのだ。いい加減所帯を持てばいいのに。
と逆に哀れんでいる模様
- 104二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 00:31:47
おっ第三者が出てきたの初めてだね
うーん虎杖生きてる?行方不明?なんにせよ近くにいなくなってだいぶ経ってることしか分からないな… - 105二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 00:49:57
日下部、禁煙やめたんだな
虎杖の不在が高専にも影響を及ぼしてんのかな - 106二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 09:20:31
保守
- 107二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 16:51:24
保守
- 108二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 20:38:31
このレスは削除されています
- 109二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 21:57:00
【わり、ちょっと任務長引きそう!30分くらい遅れる!】
そんな短い連絡が届いたのは、彼が来るはずだった時間の直前だった。
二月の夜の寒さは、容赦なく部屋の窓やドアの隙間からしみ込んでくる。凍えるような外から帰ってくるであろう彼を、少しでも早く温めてやりたかった。
俺は彼の到着に合わせて湯を沸かし、棚に並んだ缶を見比べた末、ジャネットのアールグレイを温めたポットに入れた。
いつも通りローテーブルの中央へと、あの透明な樹脂製のタイマーを置くと、青い粒子がゆっくりと下から上へと昇り始める。
三分。いつもなら、彼と二人で守るはずの沈黙の時間。
だが、青い砂がすべて上がりきっても、部屋のドアが開く気配はなかった。
「……まだか」
俺は静まり返った部屋で、もう動かなくなったタイマーを見つめ、そっとそれをひっくり返した。
再び、青い砂が昇り始める。
三分。……やはり、帰ってこない。
また、ひっくり返す。
何度、この三分を繰り返しただろう。
ティーポットから立ち上っていた湯気は、いつの間にか見えなくなっていた。視線は、無音で昇り続ける青い粒子から離れない。ひっくり返すたびに、胸の奥に火葬場の暗がりがじわりと広がっていくようだった。もし、このまま彼が本当に帰ってこなかったら。この三分を、俺は一生、一人で繰り返し続けることになるのではないか。
彼を待つ時間が、これほどまでに恐ろしく、狂おしいものだとは知らなかった。
――カチャリ、と静寂を破って、鍵の回る音がする。
「ごめん、日車……!遅くなった!」
入ってきた虎杖は、肩にうっすらと雪を乗せて、息を荒く切らせていた。
その姿を見た瞬間、俺の身体から一気に力が抜け、視界が酷く歪むのを感じた。
「……遅かったな」
立ち上がり、彼を迎えようとしたが、喉の奥から出たのは自分でも驚くほど掠れた、ひどく感情的な声だった。 - 110二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 21:59:01
「ごめん、ほんとごめん。すぐ――」
「虎杖」
俺は彼の言葉を遮り、ローテーブルの上で、またしても止まっている青いタイマーを見つめた。
「……君を待つ三分は、長すぎる」
「え……?」
虎杖がコートを脱ぎかけたまま動きを止める。俺はもう、自分を縛っていた大人の仮面を、まっとうな年長者としての防壁を、維持することができなかった。この終わらない三分のループの中で、俺の理性はとうに摩耗し尽くしていたのだ。
「俺はもう、君が帰ってくる前提で時間を測っているらしい」
喉の奥から、絞り出すように本音を溢れ出る。
それは、元弁護士の俺らしい、じつに回りくどくて、不器用な白状だった。虎杖がいない時間は意味を成さない。彼が生きてこの部屋のドアを開けるという前提がなければ、俺の時間など、ただの虚無に等しい。それを思い知らされてしまった。
言葉の意味をなぞるように、虎杖がぽかんと口を開け、きょとんとした顔で俺を見つめる。
やがて、虎杖の琥珀色の瞳が、じわじわと熱を帯びたように揺れ始めた。
彼は脱ぎかけのコートをソファへ放り出すと、一切の遠慮も、躊躇もなく、真っ直ぐに俺の目の前まで歩み寄ってきた。
すぐ至近距離。冬の冷気と、彼の持つ圧倒的な生命力の熱が混ざり合う。
虎杖は俺の目を真っ直ぐに射抜くと、逸らすことを許さないほどの直球を、躊躇いなく投げつけてきた。
「……それって、俺のこと好きってこと?」
打算も、大人の駆け引きも、何一つない純粋な問い。
その一言で、俺の逃げ道は完全に塞がれた。これ以上、言葉を飾ることも、はぐらかすことも、彼には通用しない。俺は目の前の真っ直ぐな光を、真っ正面から受け止めるしかなかった。 - 111二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 22:01:20
論理的な反論も、大人としての言い訳も、今の俺にはもう一欠片も残っていない。彼の圧倒的な熱量の前に、俺がこれまで必死に守ってきた境界線は、あまりにも容易く融かされてしまったのだ。
「……ああ」
喉の奥から、諦めたような、けれど酷く安らかな吐息と共に言葉が溢れた。
「そうだ、虎杖。俺は、君が好きだよ」
その言葉を受け止めた瞬間、虎杖の瞳が大きく揺れた。驚きと、それから、弾けるような歓喜がその顔いっぱいに広がっていく。
「日車……!」
次の瞬間、冬の冷気を孕んだ身体が、ものすごい勢いで俺の胸へと飛び込んできた。
引き締まった強い腕が、俺の背中にがっしりと回される。彼がまとう圧倒的な生命力の熱が、凍えかけていた俺の身体を容赦なく芯から温めていく。押し当てられた彼の肩に顔を埋めながら、俺もまた、その大きな背中を壊れ物を労るように強く、強く抱きしめ返していた。
もう、三分を測る必要はない。
二人の間を隔てる沈黙も、もうここには存在しない。
「……お茶が、冷めてしまったな」
彼の髪に頬を寄せたまま、掠れた声でそう呟くと、虎杖は俺の腕の中で小さく肩を揺らして笑った。
「いいよ、そんなの。また新しく淹れればさ。……今度は二人で、三分待とう。一人は、寒くて寂しいじゃん」
窓の外では、まだ静かに粉雪が降り続いている。
けれど、もう長い三分間に怯える必要はなかった。新しくお湯を沸かし、茶葉が開くのを待つ時間は、きっとこれからは、世界で一番愛おしい時間になるだろう。
彼の熱を感じながら、俺はようやく息を吐いた。 - 112二次元好きの匿名さん26/06/01(月) 23:55:55
一気読みした!面白いー!
日車は虎杖がいなくなっておかしくなっちゃったのか、それとも紅茶の思い出までまるっと幻覚妄想の類なのか
まさか。まさかね… - 113二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 00:40:58
めちゃ胸アツなラブシーンなのに…
明かされる真相が怖いよ… - 114二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 00:49:09
不穏要素さえなければ祝福の鐘がどこからか聞こえてきそうなこの上なく幸せな二人なのに、
- 115二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 07:26:36
ずっと続きが気に成る
- 116二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 13:05:15
診察券は何科なんだろうね...精神科だけはやめておくれ...
- 117二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 13:48:46
めっちゃここまで尊いんだけど…
好きだよって優しい言い方をする日車良すぎる…
それからも2人は幸せな毎日を過ごしましたで終わりません? - 118二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 21:07:27
2人の楽しげな描写ににっこりする度1の胸糞注意の表示がわかんなくて怖くなる
- 119二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 21:11:12
四月の初め。
あの日、二月の雪の夜を抜け出した俺たちは、穏やかな春の光の中にいた。
呪術高専の敷地内にある桜並木は今が満開で、薄桃色の花びらが、春の生温かい風に吹かれて雪のように舞い散っている。
「うわ、すっげ……!日車~!!見て!桜、めちゃくちゃ咲いてる!」
前を歩いていた虎杖が、弾かれたように振り返って破顔した。
十九歳になった彼は、高専を卒業しても相変わらず、少しサイズが大きめの着慣れたパーカーを着ている。フードの隙間にまで薄桃色の花びらを滑り込ませて、無邪気に笑うその姿は、あまりにも眩しかった。
だが、同時にあまりのはかなさに、俺の胸の奥がふいに、あの冬の夜とは違う冷たい恐怖でひやりと凍りついた。
風が一際強く吹き抜け、視界が真っ白な花びらで埋め尽くされる。
パーカーの裾を揺らしながら、舞い散る春の嵐の向こうに佇む彼の姿が、一瞬だけ、本当にどこかへ消えてしまいそうに見えたのだ。
「――虎杖!」
気がつけば、俺は理性よりも先に身体を動かしていた。
花の雨を掻き分けるようにして踏み込み、振り返った彼の身体を咄嗟に両腕で強く抱きしめる。
「うおっ!?……ど、どったの、日車」
突然の強い抱擁に虎杖は驚いて身体を硬くさせたが、すぐに俺の背中に手を回してくれた。パーカーの厚い生地越しに、引き締まった身体の熱が確かに伝わってくる。生きている。ここに、いる。 - 120二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 21:14:08
「……すまない。一瞬、君がその桜に、攫われるかと思ってしまった」
我ながらどうかしていると、抱きしめたまま喉の奥で呟いた。すると、俺の肩口に顔を埋めていた虎杖が、一瞬ぽかんとしたあと、腹を抱えるようにして笑い始めた。
「ぶははは!何それ!俺、少女漫画のヒロインじゃねえよ!?」
「……笑うな。大真面目だ」
「だって、俺が桜に攫われるわけないじゃん。力ずくでも日車のとこ戻ってくるって。……あ、そうだ、日車」
虎杖は笑いを含んだ琥珀色の瞳で俺を見上げ、思い出したように人差し指を立てた。
「せっかくの春だしさ、あの、前約束した……なんだっけ。ぬわ?のヤツ、飲めそう?」
「……ヌワラエリヤだ」
俺は腕の力を少しだけ緩め、彼の酷く不器用な記憶力に、呆れたような、けれど愛おしさを隠せない吐息を漏らした。
「……今手元にないな。買いに行くか」
「やった!じゃあ、散歩がてら一緒に行こ!」
嬉しそうに俺の手を握り直す虎杖。
その手の温もりを疑う余地など、今の俺には微塵もなかった。 - 121二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 23:37:55
いなくなるのを危惧してる…やっぱもう虎杖は行方不明っぽいよね
虎杖って不老に近いけどダメージ受けたら普通に死ぬはずだから死ネタも覚悟しておこう… - 122二次元好きの匿名さん26/06/02(火) 23:41:00
ここにきて桜に攫われた説が浮上するとは…
- 123二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 08:44:47
不穏…もろに不穏…
- 124二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 08:47:50
この記憶存在してるのかしてないのかわかんないな……
- 125二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 17:44:01
保守
- 126二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 18:42:54
最近、ある事に気が付いた。
俺はしばしば頭痛に苛まれるだけでなく、一日を過ごす中で、家にいる間の記憶を飛ばしているらしい。
気付けば玄関に、主人のいないスニーカーが出されていることがある。
気付けば庭へ続く掃き出し窓が、誰かを迎え入れるように細く開いていることがある。
気付けば、棚の奥に仕舞ったはずのあの赤い大判のブランケットが、ソファの上に丁寧に畳まれていることがある。
自分でやったのだろう。そうでなければ説明がつかない。
激しい頭痛に耐えかねて、無意識のうちに徘徊でもしているのだろうか。弁護士時代、過労で行き倒れる同僚を何人も見てきたが、ついに俺の脳も限界を迎えているのかもしれない。
出張任務で不在の悠仁が帰ってきたら、この荒れ果てた体たらくを何と言い訳すればいいか。
「……はは、早く病院の薬を飲まなくてはな」
俺は痛むこめかみを押さえ、おぼつかない足取りで洗面所へ向かった。
蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。
鏡を見つめると、濡れた俺の顔の横、ちょうど背後の脱衣所のスペースに、見慣れない物が立て掛けられているのが映り込んだ。 - 127二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 18:44:22
「……ん?」
振り返る。そこにあったのは、折り畳み式の車椅子だった。
高専の備品なのか、それとも病院から借りてきたものだろうか。なぜそんなものが我が家の脱衣所にあるのか、やはり記憶にない。
「……ああ、そうか」
濡れた顔をタオルで拭いながら、働きの鈍い脳が正解を探し出した。きっと、日下部か誰かが、怪我人の搬送用に使うからと俺たちの家に一時的に預けたのだろう。悠仁なら快く引き受けたはず、という思考をする俺なら引き受けないわけがない。何もおかしいことはない。
そう結論づけて洗面所を後にし、リビングのソファへ腰掛けた。
ソファの上には、やはりあの赤いブランケットが静かに畳まれている。
ふと、その布地に触れた。ほんのりと生温かい。
ついさっきまで、誰かがそこに座って、このブランケットを膝に掛けていたかのような、微かな体温の残滓。
そしてその布地からは、微かに春の、あの生温かい風と、満開の桜の匂いがした。
「……桜?」
俺は怪訝に思いながらも、そっと目を閉じる。
ズキズキと鳴り響く頭痛の向こう側で、彼に誓った言葉を思い出した。 - 128二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 19:14:01
描写だけなら『異なる世界にいるから同じ空間にいてもお互い認識できない』ように見える
死んではないけど一生会えないってのもキツい〜… - 129二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 19:56:23
車椅子で日下部の廃人妹さんを思い出してヒェッてなった
今後の展開が気になりすぎる… - 130二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 22:50:47
新宿での戦いから月日を経て、ようやく正常化された高専の諸々。主に非術師への影響含め各所を駆けずり回るばかりだった俺達が蔑ろにしていたものは、自分との対話。つまり、自分の健康を数値で省みるということだ。
家入が「新入生も入るしいい機会だから」と言ったのを発端に、高専所属術師全員の健康診断が行われた。
俺は可もなく不可もなしの数値で終えられたことに安堵しつつ、自分の部屋でローテーブルの上に置いたタブレット端末の画面を眺めていた。画面に映っているのは、都内のいくつかの賃貸物件の案内だ。
虎杖はもう十九歳になり、高専所属ではあるが高専生ではなくなっている。俺もどさくさで抱え込まれてこの寮にいるが、いつまでもこの部屋にいるわけにはいかない。そろそろ本格的にここを出て、二人でまっとうに暮らすための部屋を探さなければ、と、俺はごく自然に彼との未来の計画を立てていた。
棚から取り出したのは、結局花見で飲み損ねたムジカのヌワラエリヤだ。そろそろ彼が検査を終えて戻ってくる頃だろう。缶を開ければ、彼そのもののような、春先の山道を吹き抜ける風をそのまま閉じ込めたような青さが鼻腔を掠める。
――カチャリ、と静かにドアが開いた。
「……日車、ただいま」
入ってきた虎杖は、いつもの私服のパーカー姿だった。
だが、その声音にはいつもの覇気がなく、どこか迷子のような頼りなさを含んでいた。その手には、くしゃりと固く握りしめられた診断結果の書類が握られている。
「おかえり。……遅かったな、検査で何か引っかかったのか?」
俺が画面から目を上げ、いつものように問いかけた時だった。
虎杖はローテーブルの前に力なく座り込むと、その書類を俺の方へと押し進めてきた。
「……日車。俺、ほとんど歳を取らないんだって」
「……何?」
「不老、に近い状態らしい。宿儺の受肉とか、九相図を飲んだりとか、色々あったせいで……細胞の代謝が変な風に止まってて。……普通の人と同じ時間を生きられないらしい」
耳を疑った。
タブレットに映る、二人で暮らすはずの部屋の間取りが、一瞬でひどく遠い世界の出来事のように霞んでいく。
俺だけが老いていくのではない。彼は、人間としての時間そのものから、呪いという理不尽によって切り離されてしまったのだ。 - 131二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 22:52:10
だが、虎杖の告白はそれだけに留まらなかった。
彼は自分の掌を見つめたまま、酷く小さく、儚く笑った。
「それから、俺の血、ものすごい猛毒が混ざってんだって。唾液とかの体液にもうっすら毒の成分があるから、粘膜接触は絶対にすんなって、医者にめちゃくちゃ止められた」
心臓が、どくんと冷たく跳ね上がる。
俺は、彼が二十歳になるまではと、頑なに彼への粘膜接触を拒んできた。それは年長者としての理性が、彼の未成年という境界線を守るために課した、ただの律儀な自制だった。
だが、その俺の生真面目さが、結果として俺自身の命を救っていたのだ。しかし、それは、あまりにも。
「……よかったな、日車」
虎杖は俺の沈黙をどう受け取ったのか、視線を落としたまま、ぽつりと溢した。
「日車が、俺が二十歳になるまでキスもしないって、ずっと守ってくれててさ……おかげで、俺、日車のこと殺さずに済んだ。本当に、よかった……」
「虎杖……」
「でもさ」
虎杖の琥珀色の瞳から、じわじわと涙が競り上がってくるのが見えた。
「……俺、ずっと日車に追いつけねえんだ。卒業して、十九になって、やっと大人になれると思ってたのに。……キスも、何も、できないのかよ……」
ぽつりと落ちた本音。
自分が人間の枠から完全に外れたことへの悲しみと、俺という存在に二度と触れられないのだと信じ切った悲痛な声音。虎杖はゆっくりと立ち上がり、俺から一歩距離を置いた。
満開の桜の下で、俺の腕の中に飛び込んできたあの熱が、今はひどく遠い。
「日車」
彼は、これまで見たこともないような、大人の諦めを帯びた顔で微笑んだ。
「あのさ。……別れよ」 - 132二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 22:53:47
「何を、言っている」
「だってさ、俺、もう人間じゃねえもん。日車には、こんな化け物なんかより、もっといい人がいるって。ちゃんと一緒に歳取れて、普通にキスできて、普通に幸せになれる人がさ。だから――」
「そんなことはない!!」
激昂に近い声が、部屋の中に木霊した。
俺は弾かれたように立ち上がると、驚いて目を見開く虎杖の肩を、躊躇うことなく掴み、強引にその身体を引き寄せた。毒など、知るものか。彼から拒絶されることの恐怖に比べれば、致死の毒などただの微熱に過ぎない。
「俺は、君だから恋をしたんだ、虎杖悠仁」
掴んだ肩に、指が食い込むほど力を込める。俺の論理は、彼を前にすればいつだって容易く瓦解し、ただの激情へと変貌する。
「恥知らずにも、人生の半分を過ぎた中年の男が、君のようにはつらつとした、光のような人間に焦がれたんだ。他の誰かなど、最初から俺の世界には存在しない!」
まっすぐに彼の瞳を射抜く。世界中の誰が彼を罪人として糾弾しようとも、ただ一人、彼を無罪にしてみせる。もう外してしまった弁護士バッジに、いや、法の女神に挑戦してやったっていい。
「君を化け物と罵る人間は、この俺が絶対に許さない。……それが、君自身であってもだ!」
「日車……」
「俺は君が年を取ることも、その体液の毒を制御できるようになることも、何一つ諦めない。呪術の理がそれを阻むというのなら、その理の方を捻じ曲げてみせる。だから……君も、自分を諦めないでくれ」 - 133二次元好きの匿名さん26/06/03(水) 22:54:56
一気呵成に捲し立てた俺の言葉を、虎杖はただ、息を詰めて受け止めていた。その瞳の奥に、消えかけていた琥珀色の火が、再び小さく灯るのを見る。
「日車、俺……」
「虎杖、目を閉じろ」
俺は彼の言葉を遮り、ゆっくりと顔を近づけた。
うっすら毒が混じる唾液、それが生み出される唇へ。
決して深くは交わらない。ただ、お互いの存在を確かめ合うように、そっと、触れるだけのキス。
かすかに触れ合った唇から、ほんの少しの痺れるような刺激が伝わってくる。それが彼を苛む呪縛の証明であり、今、俺の手の中にある愛おしい生命の証だった。
唇を離し、俺は彼の濡れた瞳を見つめる。
「待っていてくれ。必ず、方法を見つける」
一人は寒くて寂しいと言った彼を、二度と一人にはさせない。 - 134二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 01:05:42
虎杖の毒で日車がおかしくなった可能性もある?
スレ主さんお忙しい中更新してくださってありがとうございます - 135二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 07:46:53
虎杖の毒で日車に体調不良や幻覚や記憶障害が出てるとしたら虎杖は死んでも死にきれないだろうな…
そしてこの注意書きよ
※本当に注意ですがこのスレのテーマは「一緒に年を取ること」です
※途中から「え?」 ってなります
※胸糞展開注意に偽りなし読後感保証なしです
※レスを見て展開を変えることもありますが大筋は変わりません
※考察感想大歓迎なのでお願いします - 136二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 08:04:38
- 137二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 08:36:24
半呪物化するために日車が自分から虎杖から毒を摂取してちょっとずつ呪物に近づくみたいな話かも
そしたら一緒に生きていけるし…日車はおかしくなってるけども - 138二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 08:59:15
なんか時系列がすんなり飲み込めないんだけどあえてそういう構成の文章になってるのかそれとも自分だけかな
スレ冒頭が最新の時間軸でホテルのアフヌンも花見も虎杖の成長止まったのも回想?
日下部に呼び止められた時はいつなんだろ、スレの流れ通りの順番でいいなら虎杖17歳の時間軸かな - 139二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 09:23:18
- 140二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 09:26:55
雰囲気で読んでたけど言われてみたら自分もよく時系列わかってないわ
別れようって話してる時は確実に付き合ってるのに虎杖って呼んでたのに今は悠仁呼びなのも謎
ここまでの文章で何が起きてるのか答えが出せるだけの材料は既に出てるのか
あるいはまだ答えを出すための材料待ちなのか - 141二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 15:15:12
これで仮定してみたらだいぶ読みやすくなったわありがとう!
- 142二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 16:00:16
俺は君が年を取ることも、その体液の毒を制御できるようになることも、何一つ諦めない。呪術の理がそれを阻むというのなら、その理の方を捻じ曲げてみせる。
ってなんか禁じられた呪具とか呪術に手を染めそうね
パラドックスタイマーがなんかキーアイテムっぽいしそれにちなんだ時間に干渉する呪具とか出てくるかな?
ただ本当に非合法なら接触した日下部とかがもう少し何か気づきそうだし気づいたら見守るよりちゃんと止めそうだからまだ分からないけど - 143二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 17:18:27
>>1現在
>>11回想 虎杖が「食いしん坊な十七歳」
>>39現在
>>42回想 虎杖十七歳某日
>>53回想 虎杖十七歳四月の終わり
来年の花見にヌワラエリヤを飲む約束
>>57現在 日車が「四十に近づいた男」
>>63回想 虎杖十七歳七月の半ば
「三十路を過ぎた男の部屋で17歳の少年が」という描写
>>71現在
>>78回想 虎杖十七歳十月の終わり
>>84現在
>>93回想 虎杖十七歳十二月
>>101現在
>>109回想 虎杖十七歳二月
>>119回想 虎杖十九歳四月
>>126現在
>>130回想
139の通りに読むならこんな感じだろうか
109と119の間で結構時間経過してる?
虎杖十八歳の春にヌワラエリヤは飲まなかったのかな
- 144二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 17:50:32
十七歳から十九歳になってるからどっか回想と回想の間で結構時間経ってるんだよな
過去回想がちゃんと順番通り開示されてるなら - 145二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 18:07:06
脳の限界…反転を繰り返してガタが来たとか…
もしくは疲労からお菓子を床に落としすぎて家が蟻に喰われてる日車…? - 146二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 18:14:47
静岡のジェイムス調べても出てこないんだけどなんだろう
- 147二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 18:20:12
サイレントヒル2の主人公ジェイムスだと思うけど見ない方がいいんじゃないか
- 148二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 20:21:39
ジェイムスとメアリーのようなラストを迎えるなら私は耐えられない…でも見たい…ヴッ…
- 149二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 21:20:49
近頃、俺の部屋のローテーブルは、本来の役目を完全に失っていた。
かつて二人でカップを並べ、三分間を測って穏やかなお茶の時間を過ごしていたその場所には、今や高専の図書室には並ばないような、異国の文字で書かれた古びた羊皮紙や、海外の呪詛師から押収された私的記録のコピーが文字通り山積みにされている。
「……日車。またこれ?」
ガチャリと扉を開けて入ってきた虎杖が、開口一番、酷く落胆した声をあげた。
彼はここ数ヶ月、何日も自分の部屋に帰らず、出張からなかなか戻らない俺を心配して、こうして俺の部屋に押し掛けてくるようになっていた。
「ああ、任務が終わったのか。……少し、気になる資料が手に入った。海外の水面下の経路で出回っていた呪具、それからアフリカの奥地にいる部族の術式に関する記述だ。君の不老と毒性は九相図由来の可能性が高いのだろう。その特性を一時的に切り離す術理のヒントになるかもしれない」
俺はブルーライトカット眼鏡のブリッジを押し上げ、画面から目を離さないまま早口で言った。
自分でも、鏡を見るたびに顔がやつれていくのが分かっていた。目の下には隈がべっとりと張り付き、いつも整えていた背広の襟は酷く縒れている。元弁護士として、というよりは、元来俺が持っている、一度火がついたら徹底的に調べ上げなければ気が済まない執念が、今の俺の肉体を内側から削り取っているのを自覚していた。
「ヒントって……でもさ、日車、それ三日前と同じ服だろ?ちゃんと寝てんの?」
虎杖が俺の顔を覗き込んでくる。その琥珀色の瞳には、浮かぶ色は心配と、それからほんのわずかの恐怖だ。
彼を安心させるように、俺はそっと微笑む。
「寝ているさ。二時間は確保している。問題ない」
「二時間ってそれ寝てねえよ!飯は!?ほら、俺が買ってきたやつ、ちゃんと食べてよ」
虎杖がコンビニの袋から小鉢や総菜を出してローテーブルの隙間に押し込んでくるが、俺の手は次の資料へと伸びてしまう。
自分のために俺が命を縮めるような速度で机に向かっている。その事実が、十九歳の少年の胸をどれほど締め付けているか、分かってはいた。分かってはいたが、止まるわけにはいかないのだ。 - 150二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 21:22:44
「必要ない。それより虎杖、君の細胞の代謝停止に関するデータをもう一度見せてくれないか。この記録にある魂の特性抽出に関する記述と、君の受肉状態により発生した現象を擦り合わせたい」
「……日車」
虎杖は、俺の手元にある冷え切った紅茶のカップに目をやった。
淹れてから何時間放置されたのか。かつて二人で飲んだ頃の琥珀色は失われ、カップの中では黒く冷えた液面が静かに埃を浮かべていた。
「俺さ、別に不老でも、キスできなくても、日車が隣にいてくれれば、それだけで……」
「俺が嫌なんだ」
俺は初めて、明確に強い口調で彼の言葉を遮った。
資料を掴む指先が、白くなるほど震えている。ゆっくりと彼を見据えた俺の瞳には、きっと歪なほどの情熱が宿っているのだろう。虎杖が小さく息を飲んだ。
「君が、自分を化け物だと、大人になれないと、そんな諦めを浮かべる世界など、俺は一秒だって認めない。法が機能しないなら、呪術の理を捻じ曲げる。俺の人生のすべてを賭けてでも、君にまっとうな幸福を掴み取ってみせる」
それは、あまりにも重く、独りよがりで、けれど俺のすべてを賭けた愛の告白だった。
俺の剣幕に、虎杖は言葉を失ったように数回唇で空気を食む。
「……だから、もう少しだけ時間をくれ」
そう言って、俺は再び書類の山へと意識を沈めた。
それからのことだ。さらに俺の出張は増えた。海外の呪詛師の足跡を追うため、あるいは非合法な呪具の取引現場へ直接赴くため、一週間、二週間、この部屋を空けることが日常茶飯事になっていく。
俺が帰るたびに、部屋の空気はどこか冷え切っていた。
そして、その留守中の寒さを埋めるように、俺の部屋のソファには、彼が置いていったあの大判のブランケットが、いつも主を待つように丁寧に畳まれて残されているのだった。 - 151二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 22:11:37
やばいな
ちょっと青が棲んでない?見落とした事悔やむフラグじゃない? - 152二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 22:19:23
こんなん虎杖も周囲も無理にでも止めなきゃだろ
何かあってからじゃ遅いし一度壊した心身ってのは完全には元に戻らないんだぞ…… - 153二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 22:48:44
うわー本にしてほしい
せめてpixiv…匿名掲示板で読み流されていい作品じゃないよこれは - 154二次元好きの匿名さん26/06/04(木) 23:05:18
だんだん>>101の日車の様子に近づいてきたな
虎杖、「……俺、ずっと日車に追いつけねえんだ。卒業して、十九になって、やっと大人になれると思ってたのに。……キスも、何も、できないのかよ……」って日車の前でっ言ちゃってんだよなぁ…
日車が勝手にやってる事と言えばそうだけど虎杖が始めた物語でもあるからなこれ……
- 155二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 00:07:45
これ虎杖が自分のせいでどんどん壊れて行く日車を止めたくて失踪したとか?
それで日車が精神的に病んでって感じなのかな
そのうち虎杖を置いて逝くくらいなら自分も虎杖と同じようになれないかって考えに発展しないかな?
自分を呪いそうだ - 156二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 00:16:20
この状態の日車置いて失踪したら日車が致命傷負うことくらい虎杖も分かると思うが
結果的に虎杖の行動が日車に最後のトドメ刺したなら皮肉だな - 157二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 03:28:18
せめて虎杖が「一緒に食べよう」とか「紅茶の飲みたい」とか言えば、休憩してくれるのではと思ってしまった
- 158二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 07:35:20
せめて家にいる間だけでもずっと日車のそばにいてあげてほしいけど、虎杖は虎杖でいずれ特級になるクラスの一級術師だからめちゃくちゃ多忙なんだよね
- 159二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 09:46:51
ただただ日車さんが心配……
難しいかもしれないけどもっと見守ってあげてほしいよ - 160二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 15:35:56
「日車ハイあーん♡」「一緒にお風呂入ろ♡」「一緒に寝よ♡」と甘えまくれば或いは…
手料理を振舞えば食べてくれそうな気がする - 161二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 19:28:48
日車が全てを捧げて研究解析をしてたのに今現在はしてる気配が全くないの怖いな(家での記憶が飛んでるとはいえ)
もうする必要がなくなったのか? - 162二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 21:33:30
このレスは削除されています
- 163二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 21:36:08
彼が二十歳になるその日。俺はその呪具を部屋に持ち帰った。
海外のアングラな連中の中でも更に下層に潜らなければいけないルート、そのさらに底流で燻っていた受肉型の呪具。
本来は呪霊の特性を一時的に自身へ受肉させ、術式や呪力、特性を抽出するための代物だ。呪霊のいいところだけを引き出すご都合呪具であるため、オークションにかけられたりしていたが、そもそもそんな有用な呪霊に会敵したら最後だ。そのため、非常に扱いが難しく、持て余されもしていたものだ。
だが、俺はその呪具に目を付けた。ひとそろいの、ピアスのような形状のそれ。片方は呪霊に埋め込み、もう片方を人間に埋め込むことで、呪霊から吸い出し、人間に付与することができる。
と、いうことは、だ。
今や半呪霊とも言ってもいい虎杖が、一人でこれを装着した時、彼の中の九相図由来の毒と不老の特性だけを、右から左へとバイパスし、意識の切り替えでオンオフができるのではないか。
それが、俺が心血を注いで導き出した、呪術の理を捻じ曲げるための最初の解答だった。
「……日車、本当に、これ、大丈夫なのか?」
俺の掌を見つめる虎杖の顔は、緊張で強張っていた。視線の先には、鈍い金属光沢を放つ一対のピアス型の呪具が転がっている。
「理論上、問題はない。だが、君の魂に直接干渉するものだ。嫌なら、今すぐこれを破棄してもいい」
俺はいつもの冷静な調子を保とうとした。だが、何日も寝ずに資料を漁り、この呪具を毟り取るためにあらゆる非合法な境界線を踏み越えてきた俺の指先は、わずかに震えていた。
虎杖は俺のその手を見つめ、それから、いつもの彼らしい、真っ直ぐな琥珀色の瞳で俺を見た。
「いや、やる。日車が俺のためにボロボロになって見つけてきてくれたんだ。俺、信じるよ」
彼は迷うことなく、俺の手から呪具を取り、自身の耳へと装着した。
呪具が彼の肉に触れた瞬間、微かな呪力の脈動が部屋の空気を震わせる。虎杖は一度強く目を閉じ、それからゆっくりと息を吐き出しながら、特性の切り替えを行ったのだろう。
「……どうだ、虎杖」
「わかんねえ。身体の中が、なんかちょっと……静かになった、かも」 - 164二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 21:37:39
虎杖は自分の両手を見つめ、それから、俺をじっと見つめた。
その瞳が何を求めているかなど、問うまでもなかった。
俺は静かに拳一個分の間隔を詰めるように座り直す。
俺達の間に流れるのは、かつての三分間のような、息の詰まるような沈黙。だが、今の沈黙は、恐怖ではなく祈りに満ちていた。
「試すぞ」
「……うん」
俺は彼の項に手を回し、ゆっくりと顔を近づけた。
これまで、生真面目な倫理という名の防壁で、頑なに拒み続けてきた彼の唇。触れれば即座に致死の猛毒が回るはずの、禁忌の境界線。
――触れる。
まずは、確かめるようなごく短い重なり。
「……っ」
虎杖の身体が、びくりと跳ねる。
俺はそのまま動きを止め、自分の身体の反応を確認した。内臓が焼けるような熱も、呼吸が止まるような麻痺も、何も起きない。気分は、全く悪くならなかった。 - 165二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 21:39:43
「……日車?」
「問題、ないな」
俺の掠れた声を聞いた瞬間、虎杖の瞳が大きく見開かれた。
次には、もう大人の仮面などどうでもよくなっていた。俺は彼の引き締まった身体を強く抱き寄せ、今度は、もっと深いキスを交わした。
少しだけ、本当にほんの少しだけ、舌が触れ合い、そこからは彼の存在ごと貪るように口付けを交わしていく。
かつて過ったあの痺れるような刺激は、どこにもなかった。そこにあるのは、ただ十九歳の冬を越え、二十歳になった一人の青年の、瑞々しくて、圧倒的に愛おしい人間の体温だけだった。
「ふ、……っ!」
「ん……」
唇が離れた時、虎杖の目からは、大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちていた。
「……できた。日車、俺、日車に、ちゃんと触れた……ッ」
彼は俺の背中にたくましい腕を回し、子供のように声を上げて泣き出した。俺の背広の肩口が、彼の涙でたちまちに濡れていく。
「ああ、成功だ。君は化け物などではない。俺の、ただの愛しい恋人だ」
俺もまた、彼の広い背中を強く、強く抱きしめ返しながら、これまでの削られるような日々がすべて報われたことを知った。この時の俺たちは、間違いなく、世界の誰よりも幸福の絶頂にいたのだ。 - 166二次元好きの匿名さん26/06/05(金) 22:56:45
よかったね…よかったねぇ…!!
今だけはこの喜びに泣かせてくれ
不穏な未来の予感は忘れさせてくれ - 167二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 06:58:48
この2人に休暇3カ月与えてほしい
2人きりで過ごさせて - 168二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 07:06:37
本来呪霊と人間の別個体に装着して使う物、って言うのが怖いな
九相図の毒が、元は分解から来る物である事も含めて安心できなさ過ぎる - 169二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 14:08:09
通しで読見返すと桜に攫われそうって日車の不安感がなんだったのか印象に残る
>やはり、俺の服は彼には少し小さすぎた。 17歳の、容赦なく鍛え上げられた猛獣のような肉体。俺のTシャツは彼の厚い胸板と広い肩幅に引っ張られてピチピチに突っ張っており、短い袖口からは、およそ高校生のものとは思えない逞しい腕が伸びている。 男らしい鎖骨のラインや、短パンの裾から覗く引き締まった太腿の、あまりにも圧倒的な質量と生命力の生々しさに、俺は一瞬だけ視線を彷徨わせた。
あたりが顕著だけど繰り返し虎杖の強靭さ逞しさや生命力が描写されてる
直後の怪我エピソード含めて考えても虎杖は戦士で自分は家で帰りを待つしかできないみたいなもどかしさを抱えてる日車なんだろうけどそんな屈強な虎杖が桜に攫われそう??って違和感ある
現実のブランケットから桜の匂いがしたのも謎で気になる
- 170二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 19:51:40
何気にこの読み方通じなくなってきてるな
現在の日車が洗面台の前で四十に近づいた男って独白してるけど過去回想で虎杖が二十歳になってるから現在の日車は四十一以上じゃないといけないんだけど
パラドックスタイマーのごとく時間干渉系の展開になる予想もあったし不穏…
あるいはもう自分の年齢も正確に分からなくなってるかで心配
- 171二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 20:39:20
虎杖も二十歳になって体液の毒もこの時点では問題解決したように見えるしこの後一線越えて悠仁呼びになってスレ冒頭の時間軸に繋がるのかねぇ……
なんか歪なんだけど果たしてこの先どうなるか - 172二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 22:14:04
幸福の絶頂、つまり頂点ならばこの後は堕ちゆくのみ…
やだよぉ!!!!登り続けてよぉ!!!!幸福の絶頂を毎秒更新してくれよぉ!!!!!(血涙) - 173二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 23:56:05
それからしばらくの間、俺たちの生活には、遅れてやってきた蜜月のような、穏やかで眩しい時間が満ちていた。
「なあ、寛見」
ある日、俺の部屋のソファで、小豆色のブランケットを二人で分け合いながらゆったりとした時間を過ごしてた時のこと。悠仁がふいに俺の顔を覗き込んできた。
狭いソファの上、普通に隣同士で並んで座っているはずなのだが、気がつけば悠仁のたくましい腕が俺の腰をぐっと引き寄せるように強く抱き込んでいる。小豆色のウール地から覗く彼の首筋には、俺が付けたばかりの淡い赤みが残っている。彼はその首だけをぐいとこちらに傾けて、至近距離で見詰めて来た。
「もう春も過ぎちゃったけど……逆に引っ越しシーズン終わってチャンスじゃね? あのさ、高専のこの部屋を出たらさ、庭に大きな桜の木が植わった一軒家買おうぜ。平屋のやつ」
「平屋の一軒家か。管理しきれるのか? 男二人だぞ」
俺は可笑しさを堪えながらローテーブルになんとか手を伸ばし、まだ温かいアールグレイを口にした。
片手でカップを持ちつつ、空いたもう片方の手は自然と悠仁の膝の上に投げ出していた。お互いの太腿は密着しているというのに、いくらくっついていても足りない。日常生活ですらイチャイチャし続ける俺達の姿は最早高専では当たり前になっていた。
面白がるのは大抵生徒ばかりで、日下部などは渋い顔をして「よそでやってくれ」と言う。大目に見て欲しいものだ。
「だってさ、術師の給料なんて使いどころないじゃん、俺ら。紅茶くらいでさ。だからさ、二人でずっと一緒にいられる、すっげえいい家買おうよ」
屈託なく笑う彼の耳元で、あの鈍い金属のピアスが、春の光を浴びて静かに光っていた。 - 174二次元好きの匿名さん26/06/06(土) 23:57:59
悠仁は俺の腕の中でさらに身体を反らせ、俺の胸元に頭を擦りつけるようにして強請るような視線を送ってくる。
「いいじゃん、平屋。掃除なんて俺が毎日ピカピカにしてやるって。……それとも、寛見は俺とずっと一緒に暮らすの、嫌?」
「……そんなわけがないだろう」
わざとらしく上目遣いで拗ねてみせるのがあまりにも愛らしくて、俺は降伏の溜息をつきながら、手元のカップをローテーブルへと置いた。そのまま前触れもなく彼のふっくらとした唇を軽く啄ばむ。
「ん……、ふは」
一度離れようとしたが、悠仁が待って、というように俺の背広の裾をぎゅっと掴んできた。今度は拒む理由のない、深い口付けを交わす。
絡み合う舌の隙間から、悠仁の甘い吐息が零れて俺の喉を震わせた。かつてあれほど恐れていた接触が、今ではこうして、呼吸を分け合うほど深く、当たり前に許されている。抱きしめる腕に力を込めると、悠仁は嬉しそうに鼻を鳴らし、俺の首筋にたくましい腕を回して体重を預けてきた。
「じゃあ、決まりな。桜の木がある、俺らの家」
「ああ、君の好きにするといい。……ただし、内見には俺も同行するからな」
「やった! あ、じゃあさ、来年の春になったら、その庭で絶対に花見しような。あの、飲み損ねた、ムジカのぬわら、だっけ? あれ一緒に飲んでさ」
「ヌワラエリヤだ、悠仁。何度言えば覚えるんだ」
「へへ、寛見が何回でも教えてよ」
そう言って、小豆色のブランケットの中から引っ張り出した俺の手を、指を絡めるようにしてぎゅっと握り直してくる。
その言葉通り、俺たちは都内を少し外れた静かな土地に、小さな桜の木がある平屋の家を買った。 - 175二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 07:55:23
今はただ目の前の幸せに浸かりたいのです(胸糞から目を逸らす)
- 176二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 11:20:04
滅茶苦茶大人な雰囲気でしっとりしてる中に、くすっと来るエピソードが挟まっててとても好きなシーンなのに……なんでこんなに胃が痛いんだ…
- 177二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 12:18:14
これまでもアツい告白シーンとか色々あって今回なんて明らかに抱いてる抱かれてるの関係に進んでてお互い下の名前で呼び合う距離感になってるのに盛り上がりきれないのすごいよ不安が
- 178二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 15:27:09
続きがきになる
- 179二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 22:05:03
ひどく、疲れていた。
宿儺との決戦から随分と月日が流れた今でも、正常化しきらない高専の事後処理や、非術師を巻き込んだいくつかの裁判の引き継ぎで、俺の肉体は常に限界近くまで磨り潰されている。もう弁護士ではないというのに、ただ経験があるというだけで言い様に使われている。これが現実だ。
パチ、と部屋の明かりをつけると、静まり返ったリビングが虚無の輪郭を持って浮かび上がった。
あの日買った平屋の我が家。
かつてなら、玄関の鍵を開けた瞬間に「おかえり、寛見!」と弾けるような声が降ってきたはずの場所には、今はただ、窓の外から忍び込む夜の冷気だけが満ちている。
溜息を吐いて足を進めると、足裏でべこっと音が鳴って我に返った。足をどけると、ペットボトルだったものが無惨に潰れ、床に流れ出ている。
液体の染みる感触の気持ち悪さに舌打ちをして、汚れた靴下を脱ぎ捨てた。どうせもうつま先が薄くなってきていたものだ、これを機会に捨ててしまえばいいとゴミ箱を振り向いて、とあることに気が付いた。
ゴミ箱にあふれんばかりに物が詰め込まれているのだ。
悠仁がいれば俺を叱りつけていただろう。彼がいないだけで、俺はこんなにも怠惰な人間になってしまう。
「……お茶でも、淹れるか」
スプリングコートを脱ぎ捨て、俺は重い足取りでキッチンの棚へと向かった。
棚の最奥。実用的な茶缶を探ってみるものの、何故かそれらを手に取る気分になれない。あさっていけばさらに後ろに、長いこと仕舞い込まれていた黒い缶を発見した。
――マリアージュフレールの『ポム・デュ・デジール』。
一番の特徴は、完熟した赤林檎を剥いた瞬間のような、蜜の詰まった甘くジューシーな香りだ。青林檎のようなシャープさではなく、高級ホテルのウェルカムドリンクを思わせる自然で豊かな果実の香気。
かつて悠仁が「これ、本物の林檎をそのまま切ったみたいですっげえ良い匂い!」と目を輝かせ、好んで淹れて欲しがったフレーバーだった。
缶の蓋を開け、その香りを軽く鼻腔に迎え入れた、その瞬間だった。
「――ッが、……あ」
脳の髄を直接冷たい針で突き刺されたような、凄まじい頭痛が走った。 - 180二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 22:08:39
視界がぐらりと歪み、俺はカウンターに手をついて辛うじて踏みとどまる。あまりにも鮮烈な林檎の香りが、あの子の瑞々しい生命の記憶を強引に引き摺り出そうとしたせいだろうか。
ズキズキと内側から殴られるような痛みに耐えながら、俺は沸騰したケトルの湯を、温めたティーポットへと静かに注ぎ入れた。
いつも通り、ローテーブルの中央へと、あの青い樹脂製のタイマーを置く。
透明な胴体の中で静止した青い粒子は、もう何年も見慣れたはずのそれとは違って見えた。ひっくり返しても何も起こらない。粒は上へも下へも行かず、まるで時間そのものが閉じ込められたように、ただそこに沈黙している。どうやら寿命らしい。
長年使った結果、内部の液体が劣化したのか、どこか見えない部分が詰まったのか。理由は分からない。分かったところで、自分に修理できるとも思えなかった。
もう手に入らない。その事実だけが、じわりと胸の内に沈んでいく。
紅茶を淹れるだけならスマートフォンのタイマーで十分だ。三分を測る道具など、世の中にはいくらでもある。それなのに、この青い塊が動かなくなっただけで、部屋のどこかが少し欠けてしまったような気がした。
本来なら今ごろ、青い粒がひとつ、またひとつと浮かび上がっているはずだった。三分という短い時間を、目で見るために。
考え事をするにはちょうどいい長さだった。急ぐには短く、ぼんやりするには少し長い。その曖昧な三分間を、あの粒子たちは静かに運んでくれていたのだ。
だが今日は動かない。だから代わりに、自分の頭の中だけが動いている。
――悠仁の帰りが、遅い。
出張任務に出たきり、もう何日もこの部屋のドアが開く気配がない。
浮気、という言葉が一瞬頭をかすめ、脳裏を過ったそんな愚かしい仮定を、俺はすぐに自嘲と共に打ち消した。
有り得ない。彼はそんな不誠実な人間ではない。事実、俺は付き合ってから今日に至るまで、彼に一度だって嘘を吐かれたことも、誤魔化すような態度を取られた覚えもないのだ。
……いや。
ある。一度だけ、ある。
あの子は、そのあまりにも実直で不器用な性格のすべてを使って、たった一度だけ、俺に致命的な嘘を吐いた。
自分の、身体の調子の悪さを、誤魔化されたのだ。 - 181二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 23:35:24
怖い(怖い)
- 182二次元好きの匿名さん26/06/07(日) 23:53:32
虎杖はいまどんなことになってるんだろ…悲しい
- 183二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 08:44:24
保守
- 184二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 12:47:23
ピアス風呪具が虎杖本人には悪い作用があったのに耐えてたって事?
でも劣化したオイルタイマーって完全停止はあるのか分からないからもしかして本当に時間が止まってる?
先が気になる - 185二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 21:59:25
――それは、この平屋の家で、あの蜜のような二人の暮らしが始まって、数ヶ月が経った頃のことだった。
最初は、ほんの些細な生活のズレだと思っていた。
新居に移ってしばらくした頃から、悠仁と一緒に食卓を囲む機会が、目に見えて減っていったのだ。
「君は、食べないのか?」
俺がそう訊ねると、キッチンに立つ悠仁はいつも、きまり悪そうに頭を掻いて笑った。
「あー、ごめん寛見!任務の帰り、どうしても我慢できなくてさ。駅前のラーメン屋でガッツリ食っちゃった。寛見の分はちゃんと作ったから、温かいうちに食べてよ」
そんなことが、何度も続いた。
だが、当時の俺は、二十歳の男盛りの旺盛な食欲ならそれもあるだろうと、深く考えずに彼の作った料理を一人で平らげていた。
異変は、彼の任務量にも現れていた。
高専の事後処理が落ち着くにつれ、呪術界の最前線を張る彼の任務は、異常なほどの過密スケジュールになっていった。数日帰らないことなどザラで、戻ってきたかと思えば、すぐに次の現場へ向かう。
「睡眠時間は確保できているのか」
心配になって声をかけても、彼はいつもの、あの弾けるような笑顔で俺の懸念を吹き飛ばすのだ。
「大丈夫だって!移動の合間でめちゃくちゃ寝てるから平気平気!それより寛見の方が寝てないだろ?ほら、目の下にまた隈できてる」
そう言って俺の頬に触れる彼の手は、いつも通りの、愛おしい恋人の温度をしていた。だから俺は、また流されてしまった。
彼がその誠実な笑顔の裏で、何を隠しているのかも知らずに。
あの夜、すべてが破綻するその瞬間までは。 - 186二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 22:01:22
その日は、久しぶりに二人揃って丸一日休みが取れた日だった。
外はあいにくの雨で、俺たちはどこへ出かけるでもなく、リビングのソファで小豆色のブランケットに包まりながら、静かな時間を過ごしていた。
「……寛見、お茶淹れてよ。あの、缶が黒いやつ、だっけ?俺、あれ大好きなんだ」
悠仁が俺の肩に頭を預けたまま、おねだりするように言った。
黒い缶なら、マリアージュフレールの『ポム・デュ・デジール』だろう。
俺は微笑み、ソファから立ち上がってキッチンへと向かった。ケトルに水を入れ、火にかける。電気ケトルでもいいのだが、二人で暮らすようになってからは、お湯を沸かす工程から凝ることにしていたのだ。湯が沸くまでのあいだに、黒い缶の蓋を開ける。ティースプーンで茶葉を掬い上げた途端、完熟した林檎を思わせる甘やかな香りがふわりと立ちのぼり、静かなキッチンの空気に溶けていった。
ポットに茶葉を落とし、沸騰した湯を注ぐ。
その時背後から近づいてきた悠仁が、するりと腕を回して俺の腰を抱いた。
「いい匂い。寛見の淹れるお茶、いっつも楽しみなんだ」
「こら、危ないぞ」
振り返ろうとした拍子に、手首がわずかにぶれた。
注ぎ口から伸びていた湯の筋が逸れ、ティーポットの縁を打つ。弾かれた熱湯はそのまま溢れ、俺の腰を抱いていた悠仁の手の甲へ容赦なく降りかかった。
「――ッ!悠仁!!」
俺は血の気が引くのを感じながら、即座にポットをひったくった。
百度近い熱湯だ。すぐに冷やさなければ酷い水膨れになる。俺は狼狽し、彼を洗面所へ引っ張っていこうとした。
だが。
「……え?あ、大丈夫だよ、寛見。ちょっとかかっただけだから」
悠仁は、痛がる素振りすら見せなかった。
それどころか、声を荒らげることもなく、ただ不思議そうに自分の手を見つめている。 - 187二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 22:02:34
「何を言っている、熱湯だぞ!?見せてみろ!」
強引に奪い取った彼の右手の甲。そこには、赤みすら、うっすらとした水滴の跡すら残っていなかった。熱湯を浴びたはずの皮膚は、まるで最初から何も起きなかったかのように、瑞々しく、滑らかなまま、そこに存在していた。
心臓が、どくんと嫌な跳ね方をした。
脳裏を過った最悪の予測を確かめるため、俺は彼の言葉を待たずに、その身体を強引に引き寄せた。
もし今、彼が呪具を起動させ、九相図の特性を肉体に引き戻しているのだとしたら、彼の唾液は致死の毒と化しているはずだ。
危険な賭けだった。だが、元弁護士としての、そして彼の恋人としての本能が、ここで確かめろと俺を突き動かした。
俺は彼の唇を奪い、強引に舌を滑り込ませた。
「ん、む、……寛見……っ?」
驚いた悠仁の呼気が漏れる。
確認する。……毒はない。かつて二十歳の誕生日に交わした、あの安全で、温かい、人間のキスのままだ。
毒は、感じられない。ということは、彼は今、呪具をオンにしている。つまり、ただの「人間」の状態で、熱湯を浴びても火傷をせず、痛みも感じていないということになる。
そんなことは、普通の人間にはあり得る訳がない。 - 188二次元好きの匿名さん26/06/08(月) 22:03:37
ゆっくりと唇を離す。悠仁は顔を赤くしながらも、どこかバツの悪そうな顔で俺を見ていた。
俺は努めて冷静に、けれど声音から一切の温度を消して、彼に問いかけた。
「悠仁。……今日の紅茶の銘柄を、当ててみろ」
キッチンには今なお、完熟した赤林檎を思わせる甘い香りが漂っている。この匂いに、気づかないはずがない。
悠仁は一瞬、視線を泳がせ、それから無理に作ったような笑顔を浮かべて、明るい声を絞り出した。
「え?えーと……あっ、マルコポーロ!だろ?ほら、いつも寛見がよく飲んでるやつ!」
胃の底が、冷たい氷水で満たされていくような感覚がした。この部屋のどこを探しても林檎の匂いしかしないというのに、彼は同じメーカーの紅茶をあげた。南国フルーツみたいだと笑っていた、あの紅茶の名前を。
「……悠仁」
俺は彼の引き締まった両肩を、指先が白くなるほどの力で掴んだ。
「君は、五感を失っているな?」
掴んだ肩から、彼が、小さく息を呑む気配が伝わってきた。
たった一度の、けれど決定的な、あの子の嘘の化けの皮が、剥がれ落ちた瞬間だった。