元来、吾国には書(フミ)なく、文字なく、唯(ただ)言灵の外に教へなく、五列十行の形仮名は、即(すなはち)神代の御書(みふみ)にして、天地及万物の発り終りを知に、一として足さる事なし。然(しか)るに、人皇十六代応神天皇八丁酉(398年?)、百済(クタラ)より来朝して多くの漢書(カラフミ)を奉つる。それより、漢国の学ひ代々行はれて、神代の古言既(すでに)亡ひんとす。故、人皇四十代天武天皇、此事を深く憂ひ給ひ、稗田の阿礼に勅有て(阿礼二十八時也)、神代の古言を大御口から仰置(おほせおか)せらるゝ。人皇四十三代元明天皇の御宇に至りて、和銅四年辛亥(711年?)、太(フト)の朝臣安麿(おおのやすまろ)に勅命ありて、阿礼学ひたる御伝へを書(フミ)にしるさせ(時に阿礼六十六歳)、是を古事記と号(なづ)くる。皇国の道を此書に残し置玉へとも、下れる御代となりて、文字に驚かされて、言灵の学ひは自(おのづから)をろそかに成ぬ。寛弘(1004年~1012年)長和(1012年~1017年)の頃まては、世々行はるゝ。それより後に至りては、唯(ただ)言灵の名のみ有て、其法則を知者(しるもの)もなく、浪華津(なにわづ)の契仲(けいちゅう)巳来、国学者と称する者、打続きて五、六輩あれとも、唯(ただ)俗学に流れて、広く書を見、徒(いたづら)に識を労して、尚(なほ)言灵の法則を知す。
p.374
故に、此事を以(もて)、彼の言に見合せ、唯(ただ)押計りて解事(とくこと)とはなりぬ。依(より)て、万葉古今及ひ諸(もろもろ)の古き撰集に、猥(みだり)に註を加ふれとも、依所(よりどころ)ある事は解(トキ)、拠(ヨリトコロ)なき事は説こと不レ能(あたはず)。故に、是は古言に無(なき)の、或は中古書写の訛りと、己か則を知す、智の及はさる所を忘れて、猥(みだり)に古人の詞をさつする事とはなりぬ。彼(かの)長水か言(いへ)る、と思へるか如し。是、人の咎にあらす。全く言灵の法則の廃れたる故也。豈(あに)、悲しまさるへけんや。しかるに、時至る哉、此に安房国杉菴志道、其家に古くより伝はれる、布斗麻邇(フトマニ)の御灵と云神宝有て、古事記神代巻に是を照し、布斗麻邇の灵は天地の水火(イキ)の御伝にして、形仮名は神の御名より顕はるゝ事を悟り、つらつら古今の言(コト)を集め、天地万(アメツチよろづ)の物に対するに、彼に会(あひ)、此に合(あは)すと云ことなし。
三十年余り年を経て、いよいよ布斗麻邇の御灵は、神宝なることを得たり。
時に、下総国古河の産、荷田の訓之と云(いふ)者、文化十二年(1815年)十月の末、不図(ふと)志道の家を尋ねて、稲荷の古伝てふもの、是神宝なりとて、志道に授けたり。遂に、訓之越後に下りて、其住所を不レ知なりぬ。
時に、下総国古河の産、荷田の訓之と云(いふ)者、文化十二年(1815年)十月の末、不図(ふと)志道の家を尋ねて、稲荷の古伝てふもの、是神宝なりとて、志道に授けたり。遂に、訓之越後に下りて、其住所を不レ知なりぬ。
後、天保二年(1831年)、志道 都に登り、水火(イキ)の御伝を弘むるに、忝(かたじけな)くも天聴に達し、叡感にあつかり、同く天保七年(1836年)二月二日、御階(ミハシ)の紅梅の枝を下し給はり、幷(ならびに)勅印に神代の学ひと云て、天覧之地聴之の刻みそへて、勅許に預かられたり。
p.375
今、水穂巻第一に是を押て、世人知所也。前代未聞の事にして、雲上地下迄、あはれかけまくも神代の古に帰れりと。風に草木の如く、豈(あに)奇ならすや。さて、神代の学ひの法と称する布斗麻邇の御灵、幷(ならびに)稲荷の古伝と称するもの、如何なる物そと申すに、先(まづ)初めに布斗麻邇の御灵の躰、相、用を弁し、次に稲荷の古伝を弁すへし。
1.布斗麻邇の御灵(躰、用、相)
初めに、其(その)布斗麻邇の御灵の躰を弁し、後に御名を弁すへし。先(まづ)、此布斗麻邇の御灵は、天地自然の神躰にして、自邇(ジニ)なる神の教へなる事を説。さて、其躰と云は、目に見えさるの水火を神(火水)と云、目に見ゆるの火水を、是をヒミヅとも、ヒトとも号(なづ)くる也。其(その)目に見えさるの躰を、目に見せしむるの教えは、此御灵の形也。一円形にして、八に割(さき)わかれて、一けた毎に五十言の五字一行を書て合するときは、一円の灵となり、開くときは大八嶋の形となる。是を、相と号(なづく)る。然るに、今此御灵の神宝をは、何れの処にか鎮坐し玉ふや。答て云く。丹波国桑田郡上佐伯村、御灵大明神是(これ)也。年々七月十四日、神事にして、禁裡御所より御献燈これあり。
p.376
又、下佐伯村に稗田八幡宮有(あり)。是は、彼(かの)古事記を書故を以(もて)、阿礼か灵を此(ここ)に祭り玉ふ。其外、大阪生玉明神、是等(これら)はいまた志道の拝せさる処也。次に、名を解(とか)は、先(まづ)布斗麻邇の名の出る所は、古事記神代巻に一、二ヶ所あり。初めに、イサナキ、イサナミの二柱の神、みとのまくはいし玉ふ所に、天つ神に申し玉ひて、布斗麻邇の御灵に占(ウラ)へての玉ふと云事有。又、押穂耳(ヲシホニ)の尊、此国に下り玉ふ時、諸(もろもろ)の神の臣達添て降らるゝ時、天津小屋根の尊は神業の元(モト)を能(よく)しれりとて、布斗麻邇の占(ウラヘ)ことを以(もて)、つかへて降り玉ふとあり。今一ヶ所、中巻三十九右、伊久米伊理毘古(イクメイリヒコ)、伊佐知(イサチ)の命、沙本毘売(サホヒメ)の命、娶合(ミアヒ)有て、王本牟知和氣(ミコホムチワケ)の命を産。是(この)御子、八拳鬚(ヤツカヒケ)心前(むなさき)に至るまで、真事(まこと)とはす。かれ、ここに高行(たかゆく)鵠(カサヽキ)の言をきゝ、初めてあきとひし玉ふへき。其鳥もちて奉りき。其鳥を見玉へは、ものいはんとおもほして、おもほすか如くいひ玉ふことなかりき。こゝに、すめらかみと憂ひ玉ひて、み子(ね)ませるとき、夢にさとしたまはり、あかみやをおふきみのみあらかのこと作り玉はゝ、みこ必(かならず)まこととはん。こゝに、すめらかみと憂ひ玉ひて、み子(ね)ませるとき、夢にさとしたまはり、あかみやをおふきみのみあらかのこと作り玉はゝ、みこ必(かならず)まこととはん。かくさとし玉ふとき、ふとまにの御灵にうらへて、うつけかみのみこゝろそともとむるに、そのたゝりは、いつものおほかみのみこゝろなりき、等とあり。しかれは、天津児屋根の命とは、布斗麻邇の占(ウラ)へことを宰とる役をもて、藤原氏の祖にして、水火の伝への御先祖なり。
p.377
然れは、布斗麻邇の御灵は、万物のおこりをはりの神業を知の御灵なること明也。水火は即、天地の躰のいき也。万物の主のいきなり。天地のいき順還する時は、国土安穏也。呼吸の息順還するときは、其人病なし。其息の動くに随ふて、自然に音を発す。是即、五列十行の五十言也。五十言と差別(ケチメ)するは、いき開合する故也。今、此布斗麻邇の御灵は、いき開合の根元を知(しる)の神宝ゆへに、此御灵を以(もて)推量るときは、儒仏はさら也、天地の間に教ふへき道に響かさる事なし。文字(フミ)なき時の教へなれは、更に文字に依(よら)ねとも、天より是を見る如く、地より是を聞如く、彼に闇(くら)く、是に明なりと云(いふ)差別(ケチメ)なし。是、人の教にあらす。人の業にあらす。神業にして、神の学ひなる故也。彼(カレ)に明なれとも、是に闇しと云は、文字(フミ)に依(よら)されは知す、依所(よりどころ)なけれは明ならすと。是と彼とを見合せて、押量るものは、人の業、人の学ひたる故也。今、仰いて以(もて)みれは、布斗麻邇の占(ウラ)へことは、久堅の天にしては、イサナキ、イサナミの御代に始まり、あらかねの地にしては、天津児屋根の尊、是を宰とる。然るに、人の代なりては、布斗麻邇の御名を知人(しるひと)も稀(まれ)也しか、此度杉菴志道、御灵の理(ことはり)を悟りて、万物の理を尽す故に、神代の学ひと云(いふ)を学へり。
p.378
右を勅許ありしも、宜(むべ)なるかな。時に、御灵の名義は、布斗麻邇のフは吹くこと。トは與むこと。マはまとかのこと。ニは水火の二つのこと。右の心は、火ふきて、水にくみて、まとかにいきこると云御名也。水火陰陽與合(クミアヒ)しを、教ふるの御名也。又、フトの反ホ、マニの反ミ、ホは正火の火の灵にして、ミは水中の水の灵也。即、火水の形を顕はすの御灵なる事を顕すの御名也。又、布斗麻邇の御名を、数(カス)の御伝へに会するとき、ヒフミヨイムナの七言、是(これ)自(おのづから)数(カス)の御灵と、其理(ことはり)自然と契当する也。先(まづ)ヒフミヨ。是は御灵ては、布斗(フト)の事也。イムナとは、御灵てはマニの事。それは如何と云に、ヒフミヨとは、ヒは火也。フは吹こと也。ミは水也。ヨは與事。是、火を吹て水に與(クム)と云こと。員(カス)の御灵ては、ヒフミヨと云教へ也。イムナと云は、イはイキのこと。ムはムツムこと。ナは幷(なら)ふことにして、即(すなはち)火吹て、水に與(クミ)、いきむつみならぶと云ことなれは、即布斗麻邇(フトマニ)の御灵の四言の御名を、七言に開きたる也。同く、いきの離合(クミハナレ)を教ふる御名也。御灵と数の御伝へとは、唯(ただ)開合の異なるのみ。先(まづ)、一粒の籾(モミ)、自(オノツカラ)春になると籾の胎内に火ふき、ふくれて夏になり、苗代に蒔て水に浸すか、是(これ)火水與(クム)所也。
p.379
是、與(クム)の始め也。又、員(かす)の御伝ては、ヒフミヨの四言に当る月に配しては、正月より四月なり。それより、正しく随かひて、地に與(クム)か水火(イキ)のむつむ所也。員の御伝ては、五六(イム)に当る。月に当れは、五月、六月に当る。それより、弥(いよいよ)いきむつみて花開(サキ)幷(ナラ)ふか、員の御伝へては七(ナ)に当たる。月に配すれば七月に当る。七月は、一切の万物始めて実を結ひ始むる時也。二つのいき、始めて一つのヽ(ホチ)の中に入なり。故に、七月七日に星合する。是(これ)、空に星と云者(いふもの)別に有て、相逢と云事には非す。ホシと云ことを解は、ホは正火の灵。シは昇水の水の灵也。六月まては、陽の火盛りにして、七月に至り、始めて陰の水氣に與(クミ)凝(こ)りて、土一つになるをホシ(星)と云。又、七夕(タナハタ)と云タは灵也。ナは幷ふ也。ハは火水(イキ)の二つのこと。タは列なること。二つの火水(イキ)の灵、幷ひつらなると云詞(ことば)にして、水火(イキ)の二つに與(クミ)て、竟にヽ(ホチ)になる所をナと云。幷ふと云こと、水は女、火は男、一夜の契(ちぎ)り也。終りた所に寄(よせ)て、設けた祭也。実は形なきを、形ある物に寄て設けて祭る也。自然のヽ(ホチ)より天地開け、天地和合して、万物を生する理を顕はして、即(すなはち)天地を祭る也。人は小天地なり。小を以(もて)大を知(しら)しむる祭りにして、必しも私に祭るとは惑ふへからす。又(また)生れての後(のち)七夜を祝ひ、又(また)七歳を祝ひ、正月の七日七草、七月の七日は秋の七夕也。其(その)春の七草の言を解は、ナは與(クム)こと、サは少なき也。
p.380
万物のイキ(火水)、與(クミ)そめの兆しを祝(イワフ)の名也。七夕は、既(すでに)とく。知へし。如レ此(かのごとく)名をなして、万物のみのりの数は、七つの数に極まる也。故に、七草はイキの與(クミ)そめ也。七つの数を以(もて)與(クミ)そめ、與(クミ)終りを顕はすゆへ、今此(この)布斗麻邇の御灵の名は、ヒフミヨイムナヤの七つの員(かず)に充(アテ)て、陰陽(イキ)與(くみ)て万物を生する事を教ふることの神宝故に、神代の巻には、彼二柱の神ミトノマクハイし玉ふ時に、イキ與(クム)の法(ノリ)をたかひて、女神よりアナニヤシエヲトコヲとの玉ふゆへに、ミコふさわず。ミコとは、水の凝也。これ、ヲミナ(女)の水、ヲトコの火に先たちしゆへ也。故に、天つ神申して、布斗麻邇にうらへて其法則(ノリ)改めて、先(まづ)男の火、水に入か故に、目出度(めでたく)国を産玉へり。国の詞は、クニの反キ也。キは影の火の灵にして、火を産玉へりと云こと也。是フトマニとは、火ふくれふきて、水に與(クム)と云教へなる故也。水より火に與(クム)にあらす。火より水に與(クミ)て、万物起さしむるの御名也。一切諸(もろもろ)、この法則に違(タガ)ふ時は物ならす。君臣父子夫婦兄弟、皆(みな)火水のいきの理也。君臣即(すなはち)火水の理、乃至(ないし)子孫又(また)父子にして、火水の理也。君臣火水の理に違(たが)ふときは、国不レ治。父子夫婦兄弟、同しく理に違(たが)ふ時は、家不レ治。皆、布斗麻邇の御灵に占(うら)へさるの故也。今、此五列十行の音も、水火離合動静によりて出る所の音の故に、此布斗麻邇の御灵に占へるときは、言々の根本を尽し、万物の音、何れのイキなること知れず云ことなし。
p.381
問曰。神代の巻の布斗麻邇の御灵と、今(いま)志道か家に崇めて伝へる御灵と同しきや、異なりや。答曰。意味深趣あり。曰、一にあらす、異にあらす。神代の巻の布斗麻邇の御灵と称するは、今志道か家に崇むる御灵の如き形をなしたる物にあらす。直に、天地陰陽の火水のイキの理をさして、御灵と号(なず)け玉ふ。即、上に云(いふ)御灵の開合、即(すなはち)離合動静にして、万物を生するの理にして、形ありて目に見る物にあらす。然れは、是を見聞ものは、千早振神の業にして、今人の代となりては、天地(イキ)万物を生するの理はあれとも、たゞ天地(カミ)のみ是を聞玉ふ。人は唯(ただ)、神の御伝へを聞て信するのみ。凡(おおよそ)人々を見ることあたはさるの神秘を、形をかりて見せ玉ふか、志道の家に伝はる御灵也。幷(ならひ)に、中に列子(つらね)たる五十言の形仮名は、もと五十言の音も、音にのみ有て形なし。依(より)て、形なき音を目に見せるか形仮名なり。故に、神代の巻の布斗麻邇の御灵に占(うら)へてとあるは、形ある物には非す。直に其灵、理をさす。其理に占へたる也。御灵の理をは、形あるやうに布斗麻邇の御灵に占へてとあるのは、是か神代巻の神秘也。更に、神代巻の一切に、二柱の神まくはいの法則を知玉はさりし時、せきれい鳥来りて、其尾を動かして教へしとある。此せきれいと云も、実の鳥と思ふは非也。如何と云に、二柱の神みとのまくはい玉ひて、諸有(アラユル)国々山々鳥獣草木まで産玉ふ。
p.382
それをは、いまたまくはいしたまはぬ先に、せきれいの鳥あるへきや知へし。せきれいとは何物そや。是、漢名也。和名は、トツキヲシヘ鳥と云。此名を解は、トは與(クム)こと。ツは連なること。キは水火(イキ)のこと。是、水火のいき、くみつらなることを教ふると云名也。そこを、トツキ教へ鳥と云たもの也。水火(イキ)と男女與(ヲメクミ)つらなるか、トツキ也。水火與(イキクミ)連なるは、是(これ)即(すなはち)布斗麻邇也。別のものに非す。既(すでに)説(とく)如(ごと)く、火水與(クミ)連(ツラ)なる所は、其理(ことはり)人の目に見えさる故に、後に人の目に見せん為に、尾頭を動かす鳥の形を借て顕はすか、神代の巻の神秘也。此神秘を、中古の国学者実を知すして、せきれいと誠の鳥と思ひ、大八島とあれは、西国に在(ある)八島と思惑ふ者は、己(ヲノレ)人の眼を以(もて)神代の神秘を見ることにして、神秘なる神代の巻を猥(みだり)に窺(うかが)ふ故也。陰陽火水和合の理(ことはり)は、心なき草木、慮(おもんぱかり)なき鳥獣迄も、教へすして自然と知。何况(いわんや)、二柱の神、吾産なせる鳥に教へられて、天地水火和合して、国を産の理を知玉はんや。それに、神代の巻に天つ神に申して、布斗麻邇に占へてとある、又せきれいに教へられてと有は、是神秘也。然れは、志道か家に古くより伝はる布斗麻邇の御灵は、何れの神、何れの人の作り玉へる事は知ねとも、人の目の見えさるの天地火水自然の理を、目に見するの法則也。水穂の法(ノリ)を暁(さと)り、万物をたゝす御宝也。
p.383
又是、神の代を治め玉ふの道也。然れは、理は一也。形を見るは別也。依て、一にもあらす、異にも非すと申す也。
2.稲荷の古伝について
二に、稲荷の古伝ちふものは、自然の神書(カミフミ)なることを説。それに、二つ始めに、古伝の来意を説。二に、古伝の一言の法則を説也。始めに、由来とは、太の朝臣安麿の古事記製作は、和銅四年(辛亥)の九月より始めて、同く五年(壬子)正月、上皇へ奉まつる。又、山城国稲荷の宮は、和銅四年(辛亥)二月の造営なり。是に依て、伏て考ふるに、古事記の製作はあれとも、若(もし)や言灵の道すたれて、末の代に渡らんかと恐慮りて、五十連の一言の法則と、水火(イキ)の形を記したるを、稲荷の神躰として納め玉ふかと見ゆ。是、志道の考也。然れとも、幾百年の間知人(しるひと)もなく、享保の頃、荷田の東麻呂、稲荷の古伝を社務より伝へらる。然れとも、時至らすして、其学ひを続人(つづくるひと)もなく、徒に荷田の訓之迄(まで)伝来して、訓之是を杉庵志道に伝へて、志道に至りて始めて、布斗麻邇の御灵に引合せて、稲荷の古伝は御灵より分れたる水火のイキの形にして、天地の氣を知の御伝なる事を悟り得たり。是に依て、今吾末代に有て、是を聞事を得たり。曰、何故に五十連の法則と、水火の形を稲荷の神躰とせしや。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反二と、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かた)ちは、此五十連の音也。故に、此五十音に、一言の法則と、水火の形(かた)ちを印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。
p.384
ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反ニと、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かたち)は、此五十連の音也。故に、此五十言に、一言の法則と、水火の形(かたち)を印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。
さて、稲荷の神に狐の仕ることは云何(いか)ん。先、此狐に二種あり。一に、キツ又(また)キツ子と云あり。形の別なるに非す。其業の異なる也。今の世になりては、共にキツ子と云(いひ)習へり。そのキツと号(なづ)くる者は、野狐也。
故に、万葉に、夜か明けはきつにはめなてくたかけのまたきになきてせなをやりつゝ。是等は、キツと云て野狐のこと也。漢名には、一名紫野。或る記に、古婬婦あり、其名 紫夜と云。生なから化して狐となる。自ら紫夜と称すと。分類聚に、野狐一名紫夜、尾をうちて火を出す。みな是らは、野狐のこと也。吾国にては、古は野狐を只キツと云て、キツ子とはいはす。其例、上に引(ひく)万葉集等の如し。
p.385
しかれは、後の世に及ひては、是等の法則乱て、野狐のことをもキツ子と云になれり。扶木集(扶木和歌抄)に、花を見る道のほとりの古る狐かりの色にや人まよふらん。是等は、野狐のことを狐とある。其外、本草網目、白氏文集なとに、キツのことをキツ子とかなが付てあり。然れとも、全躰はキツとキツ子と、元(もと)別なる者にして(顕云僻説笑ふへし和銅四年の勧請の稲荷なり夫に仕ふる獣の名を開闢より付てあるへきや又伝言灵の神獣を仕ふことはなにことそや可レ笑)、今、稲荷神のいつかはしめるキツ子にして、キツにあらす。名は替(かは)れとも、其形(かたち)見分難し。其業異(こと)なるによりて、名を別にするなり。先、キツ子と云名を解(とか)は、キは水火のイキのこと。ツは列ること。子は根にして、水火(イキ)の根につゝきつらなると云名なり。故に、命長くして、水火のイキを宰る神に仕ひ奉るなり。また、キツと云キは、つらなると云ことにて、人のイキにつらなりて、人をまよはす。又、タハムの三言を反すとツにして、たはむれて人を迷はすの名になる。是は、野狐の名なり。これ、形同しけれとも、業異なるかゆへ、名を別にする也。俗に考ふれは、人面獣心の如し。古言の法則なり。狐の鳴声を聞に、諸の獣にすくれて、イキにかしこきこと明著(あきらか)なり。如何と云に、彼(かの)狐の鳴声、クワンとなき、又コンとなく。是、カキクケコの音にして、アウムの二音に響かせ、カ行は暉火の灵にして、差別を宰る。アウムの二音、其躰空虚にして、無尽にしからしむるの音なり。故に、古伝にもある空中の水灵にして、無にして有なりと有て、故にア字本不生不可得有也と云も、又(また)此アウムの二音によりて無にあらす、有にあらす、不可得の音なり。
p.386
其、真言の金胎両部の曼多羅は、アウムの二音の外なし。アは胎蔵界、ウムは金剛界。アは躰にして、ウムは用なり。今、神代の学ひよりは、アは空水の灵にして躰、其まゝウムと水灵か火に入交て用となる。是を火中の水と云。故に、キツ子陰氣に惑ひて、声をなすときはクワンと云(いひ)、陽氣に惑して声を起すときはコンと鳴。これを俗人、狐のコンコンと鳴ときは福(さいは)ひ来るなとと云も、陽氣発するゆへなり。如レ此、自然と陰陽水火の理にかしこきこと、もろもろの獣にすくれたるか故に、イキの神の稲荷のつかはしめとなるも、亦(また)是(これ)自然の道理なり。顕云あまり長き解にて退屈せり。
二に、稲荷の古伝の法則を解かは、此言灵一言の法則は、稲荷の神躰にして、いきの元を尽し、音を活用(はたらか)しむるを、さとらしむるを、教ゆるの御伝なり。
記事更新日:2026/02/20