鹿乃つの ポケパークコスプレ騒動で感じた違和感〜ルール明文化 vs 因習村の矛盾〜
最近Xを見ていると、鹿乃つのさんがポケパークカントー(よみうりランド内)へコスプレで訪れた件をまとめたnote記事が大きな話題となっている。話題というより、批判が集中している印象だ。私自身はコスプレに詳しいわけでも興味が深いわけでもないが、記事自体は興味深く読むことができた。
鹿乃さんがこの件で強調していたのは、以前の万博コスプレ騒動と同様、コスプレにおけるルールの明文化である。そもそもの鹿乃さんとコスプレ界隈(いわゆる「因習村」)の対立は、まさにこの点に起因していると思う。
鹿乃さんは、コスプレの規模が拡大した今、グレーゾーンをいつまでも放置せず、ルールを明文化すべきだと主張する。一方、因習村側は、明文化という行為自体が、公式のお目こぼしで成り立つ二次創作文化を破壊するものだと考える。二次創作は公式が把握しつつ見て見ぬふりをしているからこそ成り立っており、明確な問い合わせが増えれば公式は否定的回答をせざるを得なくなる——女クッパ騒動がその典型例だ。当初の対立は、まさにこの「明文化の是非」が争点だった。
しかし今回のポケパークカントーの一件を見て、私は強い違和感を覚えた。
鹿乃さん側は、これまで通りの思想に基づき、園のルールを読み、判断が微妙な点は公式に問い合わせ、現地の状況とともに詳細にレポートしている。一貫した姿勢だ。
違和感の源は因習村側の反応にある。当初、彼らは「ルールを明文化すればコスプレの自由が失われる」と主張し、ルール確認行為自体を否定してきたはずである。ところが今回、彼らはルール条文を盾に取り、鹿乃さんの行動を「違反」と批判している。つまり、鹿乃さんの土俵である「ルール明文化」の場で戦う形に自ら移行してしまったのだ。
これが招く結果は明らかだ。ルール確認と公開が増えれば、運営側は問い合わせ対応やトラブル回避のために規制を厳格化せざるを得なくなり、コスプレ活動全体が強く制限されることになる。因習村は当初、この厳格化こそを懸念していたはずである。それなのに今、自分たちで首を絞めているような光景は、滑稽にすら感じられる。
いつの間にか、鹿乃さんを叩くことが目的化してしまったのだろう。コスプレ界隈を守るための手段だったはずの批判が、個人攻撃そのものにすり替わっている。感情的に人を叩きたいという強い欲求は、時に大義を見失わせる。
今、鹿乃さんを攻撃している人たちに問いたい。仮に彼女を排除できたとして、残されるコスプレの未来はどのようなものか。ルールで雁字搦めになり、自由に表現できない世界ではないのか。
今の攻撃は、結局自分たちに返ってくる。感情的にならず、当初の目的——コスプレが楽しく、自由にできる世界——を思い出してほしい。鹿乃さんも因習村の人たちも、立場は違えど同じ方向を向いていたはずだ。
だからこそ、私は以前鹿乃さんについて書いた記事でも述べたように、コスプレ界隈全体で話し合いの場を持つべきだと考える。感情的な叩き合いは何も生まない。それどころか、目的を見失わせるだけだ。
みんなが楽しく自由にコスプレができる世界を目指して、界隈全体がまとまるべき時ではないだろうか。



ご紹介とご意見、ありがとうございました。 私自身、正直明文化を望んでいるわけではありません。おっしゃる通り、厳格化のデメリットは大きい。幅を持たせた状態で「うまくやれ」が良いと思っています。 ただその幅を叩き棒にする人がコスプレ界隈、同人界隈には多いので、その層に合わせた運用が…