裸婦像を美術館や博物館に限定することについて、どう考えますか?
反対
43.7%賛成
34.6%どちらかと言えば賛成
11.1%どちらかと言えば反対
7.9%
※ 統計に基づく世論調査ではありません。
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自分のコメント(マイページ)コメント179件
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私のひいお婆さんは名前の知られている人ですが、長野県の某美術館にも娼婦像が飾られていますし、幼少の頃、家にもレプリカがありました。ひいお婆さんとは、私が産まれてなかったので、面識はないのですが、別に 美しいとか、嫌らしいとか、そういった気持ちは全くありませんでしたね。寧ろ、大人になってから「こんな偉大な人だったんだな」って何となく嬉しい気持ちに変わってきました。ただ…幼少の頃は「これを作った人は実際に裸を見て作ったのかな?」なんて疑問を持ってしまいましたが、娼婦像は別にモデルがいて、イメージで作るんだ、って大人になり、本を読み「なるほどね」と納得しました。別に子供とかが見ても、きちんとした像なら違和感もなければ、何の問題もありませんよ。ただ…私自身は「絵画」とか「銅像」の価値が全くわからないので、ピンと来ないのが事実ですね。でも有名な芸術家に作られる側は光栄な事だと思いますが……ね。
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芸術とはいえ、子供の頃から思春期過ぎまでは、見る度に気恥ずかしいというか…何とも言えない嫌悪感はありました。身近な広場にあったものが、まだ大人になりきる前の少女くらいの像だったので、特にそう感じたのかも。 作品の完成度はともかく、「成長段階のみずみずしく輝く少女」という題材・観点ということに、良い感情を持たない人は少なくはないんじゃないかな? まぁ今はどうでもいいですけど笑 撤去するにしてもしないにしても、あまり税金無駄に使わないで貰えるとありがたいです笑笑
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昔の感覚で言えば、芸術品だからいやらしくない、そういう目で見るほうがおかしいといった話だったと思います。 あまり話題になりませんが、昭和は今より裸を見る機会というのは、少なくなかったと記憶しています。地域差や住環境にもよると思いますが、小学校低中学年くらいまでだと裸で駆け回っている感じです。爺さん婆さんは露出が多いし、野ション・野グソも多かった、そもそも田舎ではトイレに扉が無かった、その辺で授乳している人も、ある種の気まずさがあるので、目をそらすのが通常でしたが、特別な意識はしていなかったつもりです。ただそれが人によって違うということを知ったのもずいぶん後のことです。 そういった教育環境下でそだったので、裸に過度の忌避感を持つことには抵抗があります。無くなっても困りませんが、単なる気持ちの問題です。
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家の真ん前に、こちらを向いた裸婦像があります。未成年っぽいものです。地元出身の有名な彫刻家のもので、街のあちこちに飾られています。台座は低く、公園なので、子供達が面白がってお尻をペチペチ叩いています。特に未成年の像っぽいので、どうやって造られたのかと思うと気分が悪いし、毎日こっちを向いて裸で立っているので服を着せてあげたい気持ちです。ホームステイに来たアメリカ人が「なぜあそこに裸の像が飾ってあるの?」と聞いていました。男性の像だったとしても、ダビデ像の様にプライベートな箇所が隠されていなければ不快に感じるでしょうし、公共の場に裸は、もうやめてほしいと思うところです。
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私は昭和生まれのおばさんですが、それでも子どものころからこの手の像は好きじゃなかったです。芸術的素養もないので、なんで裸が平和を表現するのかもわからない。服着てても平和は表現できるのでは?と思ってしまいます。まぁ古い絵画も女の裸が多いので、凡人にはわからない何かがあるのかもしれないですが、そういうのは芸術がわかる人が見れるようにしてあればよいのでは。
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まず、平和と裸婦像の理由が全くない。芸術というなら、ダビデ像のように、男性の裸像が公共の場にもっとあってもいいはずなのに、それはない。当時(も今も)、公共施設に何を置くか決定する場所に男性の職員が多いことで、少女の裸像や裸婦像を置くことが好ましいと思っただけではないかと思う。きっと男性の裸像を提案されたら、戸惑う人が多かったのでは? 与野駅西口の広場にある、少女の裸の像があって、ジェンダー論的、性的に問題があるのでは?と思っていた。さいたま市中央区も早く撤去してほしい
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なぜ街中の像が若い女性の裸ばかりに偏ったのかといえば、歴史的に男性中心社会で権力者やパトロンが裸婦像や裸婦画を求めてきた名残で、美術界をとりまく慣習が公共空間に形骸的に残された結果だろう。 しかし今は、女性や子供も声を上げられるようになって、公共の場に女性の裸ばかり並ぶことへの違和感や気まずさが訴えられるようになった。裸婦像の多さは「女性の価値=裸の美」と刷り込む危険があり、男性は眺める側、女性は眺められる側という支配・被支配的視点を強化しかねない。子供にとってはその影響はさらに大きいのでは。 「なら裸の男性像を増やせばよい」との意見もあるけど、数を均衡させることは根本的な解決にはならない、裸像そのものが公共空間にふさわしいのか。公共空間は誰もが安心して過ごせる場で有るのが理想。特定の性の裸ばかりを掲げる現状は見直す時期に来ているのではないかな。
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これを語るなら、小便小僧も撤去の対象になるのかな。要は対象物を「芸術」とみるか「性的描写」とみるかそれぞれの主観によるのだと思う。その主観を生むのが教育や時代や世論と個人の価値観(人生経験)なのだろう。何事にも表と裏、光と影があり時代によって物の見方や価値観は変わるもの。戦時下の物資不足による撤去でないことが平和な世の中であることを感じさせる
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現存する手を加える(手入れする)必要がない状態の裸婦像を、わざわざお金(税金)使って別の銅像にする必要って何だろう? そもそもそこまでリアルに作られてないし、気にしないで通り過ぎる人が大多数のはずでしょうに。 今後裸婦像である必要はないというのは同感だけれど、無駄にお金も使ってほしくない。 今すぐ撤去を!って言ってる人が撤去費用と、別の像を置いてほしいならその用意をすればいいと思う。
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ずっと裸婦像が恥ずかしかったので、この話題が世の議論の対象になって、やっとかという思いです。 全裸を晒す像が公共の場にあれば嫌でも目につきます。それが不快でならない我慢しなければならない者がいる事を知って欲しい。 生命力、平和を表現する芸術ならば美術館に展示すればよい。設置された経緯が男性目線であるとしか思えない。男性の裸像が公共の場にあったならよりわかりやすいだろう。
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