父系相続は日本の守るべき伝統なのか
ここまで読んでこられて、このエッセイが皇室典範改正の論点の背景を探る目的で書かれていることは見当がついているだろう。皇室はずっと父系相続だったことを出発点としてほとんどの議論がなされているが、それは本当に日本の守るべき伝統なのかと、まずしっかり考えておくべきではないだろうか。天皇が日本国の象徴であるなら、この国で広く受け入れられ実践されているルールを体現する存在であってほしい。
純粋な父系制とは一線を画し、女系も非親族も受け容れる柔軟な家族制度を維持してきたことこそが日本の特性なのは、ここまで見てきたとおりである。「甥」や「弟」、そして「男系の養子」にこだわるのは「異姓不養」のルールであり、中国式の純粋な父系制を実現するという宣言である。
それにしても、中国系の移民の村などと並んで、大名家など最上層の家が、日本では例外的に強い父系規範を実践してきたのはなぜなのだろうか。皇室は最上層の最上層ということだろう。
ひとことで言えば、父系制は古代日本の「鹿鳴館」だったのだと思う。先進文明国に学び、自分たちもあなたたちと同じ文明国ですよと示すために模倣したという意味で。古代日本にはヒミコという女王がいたが、そもそも氏族の長に女性が就くことは例外ではなく、古墳に埋葬された女性も多かったことが明らかになっている。氏族は父系の親族集団ではなく、父母双方のつながりをたどる、いわゆる「双系的」な集団だった。8世紀の奈良時代の天皇の男女比は五分五分だった。しかし中国から律令制度を導入したのをきっかけに、9世紀には支配層の氏族は「父系化」したと言われている(義江明子『女帝の古代王権史』)。
日本の立ち位置を定める重要な決断
先進文明に倣おうとしたとき、上の階層から染まっていくのは世の常である。とはいえ、平安時代の貴族は結婚後の妻方居住を続けており、藤原氏や鎌倉時代の北条氏など女系の力も強く、変化はゆるやかだった。ましてや庶民まで徹底することはついに無かった。言ってみれば、伝統は庶民の慣行の中に生き続けた。
中国文明により「父系化」の圧力を受けたのは日本だけではない。朝鮮半島では高麗時代(10~14世紀)まで妻方居住を続けていたが、朝鮮時代(15~19世紀)に急速に儒教化を進め、父系の純粋性を保つために寡婦の再婚を戒め、ときには自死を促すまでになった。同時代の日本では離婚も再婚もしやすいままだったのに。
さらに視野を広げれば、中国、インド、西アジアを中心とする父系的な大文明が、それ以前にユーラシア大陸全体に広がっていた双系的な社会を侵略もしくは影響を与え、双系的社会を大陸周辺部に押し込めていったのが家族の世界史だったと見ることもできる。エマニュエル・トッドが『家族システムの起源』で示した見取り図であり、わたしも基本的に賛同している(落合「アジアの重層的多様性」)。大陸から離れた日本は、西端のヨーロッパと共に、父系的変容を受けつつも双系的な伝統を保ち続けたことにこそ独自性がある。両地域での女王や女性天皇の出現はその証なのである。
今、皇室の「父系化」を完成させることにより中国文明圏の一部として自己定義するのか、独自のアイデンティティをもった社会として21世紀を生き抜いていくのか、重要な決断を迫られているのではなかろうか。性急に結論を出すのではなく、じっくりと時間をかけて、激動の世界の中での日本の立ち位置をどのように選びとっていくのか、衆議を尽くすべきだろう。
参考文献
落合恵美子「書評:坪内玲子『継承の人口社会学―誰が「家」を継いだか』」『比較家族史研究』第16号、2001年。
落合恵美子「アジアの重層的多様性―セクシュアリティとジェンダーから見る」落合恵美子・森本一彦・平井晶子編『アジアの家族と親密圏』第3巻、有斐閣、2022年。
黒須里美・落合恵美子「人口学的制約と養子」速水融編『近代移行期の家族と歴史』ミネルヴァ書房、2002年。
坪内玲子『継承の人口社会学―誰が「家」を継いだか』ミネルヴァ書房、2001年。
トッド,エマニュエル『家族システムの起源』藤原書店、2016年(原著2011年)。
義江明子『女帝の古代王権史』ちくま新書、2021年。
*現代ビジネスに発表した夫婦の姓に関する筆者の記事もあわせて参照していただきたい。