辺野古沖転覆事故〜当事者の日記〜
誰か。
私の日記
人は、誰かを非難することでしか生きることができない。
自分が蔑み、軽蔑、非難の対象になったことがある人ほど誰かを非難したがる。
リアルであろうとネットであろうと、それは変わらない。
これを書いているのが5月であることを考えると、2ヶ月になる。
2026年3月16日、辺野古沖転覆事故が発生した。
当事故で同志社国際高等学校の女子生徒が一人死亡した。
(事故について全く知らない人は辺野古沖転覆事故で調べてほしい)
これは事故直前から事故後までの私の日記(ほとんどが書き残していたものである)、そして当事者の私が見て考えたことになる。
同志社国際高等学校三年生の生徒たちへ
当時を思い出し、閲覧することが辛い人はここでやめてほしい。
癒えないであろう傷を広げるような文は書かないように尽力するつもりだ。
私は、世間に伝えなければならない使命感からここに書き残すことにした。
先日、彼女を偲ぶ会が取り行われた。
学校陣はともかく、あなたたちにとって彼女の死から立ち直るきっかけ、区切りとなる会になっただろうか。
船に乗船していた私の友人たちへ
生きていて、本当によかった。
顔を見るまで不安で不安で仕方がなかった。抱きしめた時、安心で涙が止まらなかったのを覚えている。
海を見るたびにトラウマが蘇り、沖縄と聞くたびに事故を思い出す友人たちにはかける言葉が見つからない。
いつも一緒に通学路を歩いてくれて、いつも私を笑顔にさせてくれて、本当にありがとう。
亡くなった女子生徒へ
事故後、始業式を迎えて私たちは高校三年生になりました。
あなたのいない学校生活はどこか異様な空気が漂っていた。
みんなが平然を装いながら無くしたピースを探している、そんな空気。
あなたは欠けてはならない、かけがえのない存在だったんです。
私にとっても、みんなにとっても。
今までありがとう。
事故で心の傷を負った者の支えになるような文を書くことを心がけている。
けれど決して、一人の女子生徒の死を美談にする気はないし、この話を踏み台にするつもりもない。
以降が私の体験談になる。
***
3月14日 研修旅行1日目
午前9時、大阪空港駅一階の広場に集まった私たちは気分の高揚を抑えることができずにいた。
表情や声にそれは滲み出ていて、普段は大人しい人たちも口が止まることを知らない。
友人と駄弁る人もいれば、出発前の記念写真を撮っている人もいる。
担任陣は喧騒に包まれた広場で出欠確認と機内用のお弁当配りを行っていた。
「やばい、漏れてる」
弁当を傾けた私は白のビニールに中身を少々こぼしてしまった。
それを目撃した友人は笑い、私も自身の不注意に笑うしかなかった。
那覇空港へと向かう飛行機に搭乗したのは午前11時ごろだった。
宙に浮かぶ感覚と共に本土の地を離れ、沖縄へと向かう。
約2時間程度の空の旅、飛行機内は意外と静かだった。
もっと喋り声が聞こえるかと思ったが流石に時と場所は弁えているらしい。
「研修旅行のレポート書くの面倒くさいね」
「たしかに。面倒かも」
私は隣の席の友人と研修旅行が終わったら何をするのかという話をしていた。
沖縄の地に飛行機が足をつけた瞬間、十人程度が機内で拍手をしていた。
おそらく当校の生徒の仕業だろう。申し訳ない。
沖縄到着後は安里協会までバスで移動である。
安里教会というのは沖縄のカトリック教会で、研修旅行の開会式を行うつもりらしい。しおりにも書かれている。
私たちは各クラスごと、バスに乗りこむ。
バスには私たちと担任だけでなく、ガイドさんも同乗していた。
「右手に見えますのが沖縄都市モノレール線、通称ゆいレール……ゆいは琉球方言のゆいまーるから来ております」
窓側に座っていた私は外を眺めてみる。
たしかにモノレールは素晴らしい。けれど日本と中国を足して3で割ったような沖縄の景色がそれ以上の衝撃だった。
高層ビルはなく、劣化した建築物が多いように感じる。が、所々に位置している真新しい建物が本土とは一風変わった景観を生み出していた。
ここで陸上戦が行われ、多くの人が亡くなったのかと思うと形容し難い思いに襲われた。
「では私が、ゆいゆいゆい、ゆいゆいゆい、ユイマールと言った後、みなさんが続けてゆいゆいと言ってください」
ガイドさんの上手な案内によってクラス全員の気分が高まった頃、バスが安里教会に到着した。
安里教会の外装は沖縄のイメージとマッチしていて、歴史があるのだろうという印象を受ける。
隣にはカトリックの幼稚園があった。
修道女の像の横を通り、私たちは中へと案内される。
中の礼拝場は外から見るよりも随分と広かった。
全クラス(A、B、C、D、E、Fの六クラス、一クラス40人程度である)が礼拝場に集まり、再度、出欠が確認される。
「眠い」
「ね、飛行機の移動って疲れる」
大阪の伊丹空港に現地集合だったこともあって、早起きだった生徒は多い。京都に住む生徒たちの大半は朝の4時、5時には起きていた。
礼拝が始まり、讃美歌斉唱が終わった後の説教を目を瞑って過ごした生徒は少なくない。
私もそのうちの一人である。
「沖縄は戦場にされ、捨て石にされました。でも政府に対する沖縄の加害はまだ終わっていない。ベトナム戦争の際は沖縄基地からアメリカの爆撃機が飛び立ったのね。最近のニュース見た? 今だってそう。戦争が起きたら真っ先に攻撃されて捨てられるのは米軍基地がある沖縄」
というようなことを長々と話していたような気がする。
眠っていたので詳しくは覚えていない。
ただ、説教で話をしていた人物が誰だったのかは今でも覚えている。
「ではこれで終わります。私ね、船の免許持ってて、3日目の辺野古コースの人はまたその時に会いましょう」
牧師であり、今回の事故で死亡した船の船長だった。
午後3時。
次の移動先は嘉数高台と上大謝名さくら公園。
ここから早速、沖縄研修が始まった。
派遣された沖縄平和ネットワークの平和ガイド講師(バスガイドとは別の人だった)が私たちに説明をしながら各場所を回っていく。
バスの中でレシーバーを渡された私たちは片耳にガイド講師の声を聞きながら、疲れを纏わせた足を歩かせていた。
「……あそこの海に戦艦がズラーっと並んでね。アメリカ軍が攻めてきたわけ」
高台での沖縄戦の説明は私たちが沖縄戦について一年間で習ってきたものとほぼ一致していた。
ガイド講師が悲惨なことがあったという事実を重々しく語る中、遊びにきた子供が現代の平和を実感させてくれた。
文字通りの平和学習であった。
高台から降りたところでガイド講師の説明は過去から一転、現代へとつながる。
「オスプレイ飛行が……」
話していた内容は詳しく覚えていない。ただ、米軍のヘリコプター着地の際の危険性について語っていたことは覚えている。
沖縄が政府にかけあったところで米軍基地と周辺住民の安全保障の状況が何も変わらなかったことも。
「……はい、ここから先が普天間基地です。みんなここに座って」
上大謝名さくら公園では私たちは芝生に座らされ、鉄製のフェンス越しに普天間基地の一部を覗いた。
ガイド講師は切り抜いた新聞記事を提示し、
「この記事、わかりますか? 金属片が小学校に落ちたんです」
と、米軍基地が街中にあることを起因とする被害や事故の説明をしていた。
説明中、ボソッと隣から聞こえてきたのは「思想強いなぁ」の一言。
これを思想が強いの一言で片付けるべきなのか、対処を何もしようとしない政府の沖縄への加害と捉えるべきなのか。
私には判断しかねなかった。判断するにはあまりにも情報が少ないのである。
ただ、ガイド講師から政府への『悲痛の叫びと非難』は言葉の節々から伝わってきた。
午後5時。
全てのプログラムを終えた私たちはホテルに到着した。
夕食を食べ、1日の振り返りに1時間が設けられ、22:30の点呼を終えれば1日目は終わりだ。
夜更かしをした人もいれば、すぐに寝た人もいるだろう。
私は友人と蒙古タンメンを食べて笑い合う夜を過ごした。
***
3月15日 研修旅行2日目
(ただの日記なので飛ばしてもらって構わない。ただ、事故が発生してすぐ、『研修旅行で辺野古? ひめゆりとか他にいく場所があっただろ!』などという批判コメントをした早とちりなネット民と、そのコメントに共感のいいねをした方々は閲覧することをおすすめする)
午前8時ー8時30分。
朝食を食べ終えた私たちはバスに乗った。クラスごとにバスの乗車時間は違っていた。
プログラムの順番がクラスごとに異なっていたからである。
8時30分までには全クラスがバスへの乗車を終えていた。
2日目のプログラムは糸数アブラチラガマ、平和公園、ひめゆり平和祈念資料館(ひめゆりの塔)である。
私が何気にいちばんの楽しみだったのがこの2日目である。
ひめゆりの塔にはずっと行ってみたかったのだ。
糸数アブラチラガマ
ここは怖さを感じた。
ガマの中から途中で退出した生徒も何名かいた。
懐中電灯、軍手を装備し、ヘルメットをかぶってガマの中へ入った。
ガイド講師が懐中電灯を消して、戦時中を追体験することになった時は恐怖を感じた。
完全なる暗闇なのである。何も見えない。
当時を思うと言葉を失う。
平和公園
ここでは平和祈念資料館と平和の礎を見学した。
昨日のガイド講師が平和の礎に書かれた名前をいくつか紹介し、その人に関するストーリーを語ってくれた。
集団自殺、自らの手で母親と弟を殺した男性の話、戦争によって両親を失った女性のその後の話など。
重かった。同時に、『事実ならば』、どれもが貴重な話だと思った。
ひめゆり平和祈念資料館
ここでは資料館が実施している講義のようなものを受けた後、資料館を回った。
最後のエリアでは、友人が隣にいながらも少々、涙を流してしまった。
もしも一人で行っていればハンカチが必要になっていただろう。
あえて詳細は省く。行ってよかった。
最後に、ひめゆりの塔に手を合わせた。
個人的にそうしたくなった。
プログラムの最後には全クラスが魂魄の塔の前に並ばせられた。
私たちは小一時間ほど立ちっぱなしのまま、沖縄平和ネットワーク代表の話を聞いていた。2日目までの振り返りと総まとめだった。というのも平和学習と沖縄研修はひとまず終わりなのである。
次の日からは、楽しいプログラムが組まれている。
それと失礼なことを言うが、代表の話は長く、声も聞こえにくい上に話も飛び飛びだったので誰も聞いていなかったように思う。
もう少しわかりやすいスピーチをして欲しかった。
17時30分ー18時ごろ
ホテルに到着した。
昨日のホテルとは異なり、また違う美しさを持つ綺麗なホテルだった。
海沿いに位置していて、ベランダに出ると壮大な海とビーチを見渡すことができた。夕日が空と海を赤く染め上げていて、一言で言うとエモい。遠くのベランダで誰かが手を振っていたので手を振り返しておいた。
バイキング形式の豪華な夕食を食べ終えた後、点呼までの間に先生は生徒を集めて話をした。
どうやら何人かの男子生徒が窓を開けながら、もしくはベランダに出て、騒がしくしていたらしく、周りの客の迷惑になっていたらしい。先生たちはかなり怒っていた。犯人が見つかったのか見つかっていないのか、よくわからないままその日は終わった。
あるあるだとは思うのだが、せっかくの沖縄旅行を研修旅行客に台無しにされたと考えると、非常に申し訳ない気持ちである。
一方で、騒がしくする気持ちもわかる。
次の日は本来ならば、一生の思い出に残るような楽しいプログラムが組まれていたから。
***
3月16日 研修旅行3日目 事故当日(内容が重くなる。閲覧の際は気をつけてほしい)
3日目はコース別学習だった。
今まではクラス別の行動だったが、コース別に分かれることになる。
Aコース 読谷ぶらぶらコース(民泊)
Bコース 金城実先生アトリエコース(民泊)
Cコース 沖縄の自然と佐喜眞美術館コース
Dコース 沖縄の文化とサンゴの植え付けコース
E コース 戦没者の遺骨収集と沖縄の歴史と信仰を感じるコース
Fコース 辺野古をボートに乗り海から見るコース
Gコース 美ら海水族館と沖縄戦を語る美術館コース
内容も名前の通りである。
A、Bコースは民泊になる。Cコースはカヌー体験。Dコースは沖縄の料理体験である。サーターアンダギーを作ったらしい。
Eコースは一風変わっている。具志堅という方の遺骨収集活動についていくというものだ。『遺骨収集の法律制定に日本政府は積極的ではない』『遺骨が埋まっている山全体を平和のための遺産にしたい』など、活動というよりはためになるようなお話が聞けた、と参加した生徒は言っていた。そして主にEコースを担当していた先生はT先生だった。この先生を覚えていてほしい。
FやGコースを選んだ生徒は美ら海水族館を楽しみにしていた生徒が多い印象だった。
そして午前10時過ぎ。
各々が活動を楽しんでいた頃、事故が起こった。
私が事故のことを知ったのは事故発生から二、三時間が経過した後だった。
プログラムに区切りがついた私たちはようやくスマホの使用が解禁された(基本的に授業と同じく、先生がいいと言うまではスマホの使用が禁止されていたのである)
そこで同じコースの一人の生徒が事故の存在に気づいた。
「なあ、みんな……辺野古沖で抗議船が二隻転覆、船には同志社大学の生徒が同乗していた。まさか、これ、うちらじゃないよな?」
私はすぐにLINEニュースを開ける。私が見たLINEニュースの記事には最初、『同志社大学の生徒』だと書かれていた。
その後、調べてみるがまだ詳しい情報が書かれた記事はなく、意識不明の重体が二名おり、うち一名が女子生徒だということはわかった。
同志社大学の生徒であり、まさか同志社国際の生徒ではないだろう。
ただ、11時ごろ、プログラムの最中に担当の先生が慌ただしく誰かと電話していたことを思い出す。先生も大変だなあ、と心の中で思っていたが、もしかしたら本当に大変なことが起きていたのかもしれない。
不安や心配が心の中で大きくなっていく。
それらの感情が確信に変わったのは友人のスナップチャットを閲覧した時だった。
10時ごろに友人の一人から海を勢いよく駆け巡る船の様子が送られてきていたのである。
やがて記事は訂正され、同乗していたのが同志社国際の生徒だということがわかると、不安や心配はなぜか消え去り、現実味を失ってしまった。
(スナップチャットには保存機能があるが、トラウマになってもおかしくない事故直前であろう様子を保存することなど私にはできなかった)
「大丈夫、かな」
私たちにはそう呟く以外に何もできない。意識不明の女子生徒が誰なのかもわからない。
しおりを開いてコースを選択した人の名簿を見てみる。名簿には多くの友人の名前が書かれている。
やがて先生がプログラムを途中で中断し、生徒をバスの中に戻した。
「もう知ってる人もいると思うけど、辺野古沖で船が転覆する事故が起こりました。これからホテルに戻ります。戻った後の説明はまた後でします」
ホテルとは1日目から2日目にかけて泊まったホテルである。
先生は落ち着いていた。私たちは先生の落ち着き具合にひとまず安心し、座席に座ってただひたすらに無事を祈る。
心配の連絡をしてくれた親に返信する。記事をチェックする。外を眺める。記事をチェックする。
そして……女子生徒の死亡が確認されたことがバスの中でわかった。
学校からの連絡ではなく、ネット記事だった。
「女子生徒の死亡を確認……だって」
と、一人の生徒が言い、情報はバスの中に広まっていく。
「所詮はネット記事……嘘の情報かもしれないんだから、騒ぐのやめよう」
バスの中が騒ぎ出したところで聡明な生徒がそう言った。
ネット記事にはたしかに嘘の情報もある。
『嘘のネット記事』によって『バスの中が一瞬で混乱に陥った』のであれば恐ろしいとしか言いようがない。
けれど人の生死に関する記事はそう簡単に覆るものではない。
しばらくして学校のインフォボードに連絡が来た。女子生徒のクラス、出席番号、名前が書かれ、死亡が確認されたことが伝えられた。
不思議なことに、混乱していたバスの中は一瞬で静まり返ってしまった。
誰も何も喋らず、沈黙に包まれたバスは私たちをホテルまで運んでいく。
「めっちゃ猫背じゃん。体固まるよ」
私は考え事をしながら流れゆく景色を眺めていた。すると隣に座っていた生徒が私に話しかける。
この生徒は亡くなった女子生徒の知り合いではなかったのか、表情にはいつも通りの笑みが含まれていた。
考え事を一旦やめて、私は姿勢を正す。
ふと、生徒が有線のイヤホンをしていることに気付いたので、
「何聞いてるの?」
と、聞いてみた。
「……あの人が昔、好きだった曲」
「……そっか」
それ以上、お互いに口を開かなかった。
午後3時ごろ、ホテルに戻った私たちは夕食まで待機させられることになった。
そこでようやく、私たちは事故の当事者であることを実感させられた。
『学生に何をさせているんだ』
『常識を疑う』
『なぜ平和学習で辺野古基地反対を生徒にさせているんだ?』
『波浪注意法が出ていたのに何をしているんだ』
『ひめゆりとか他に行く場所があっただろ!』
『左翼的教育を行う学校は潰れろ』
『狂ったイデオロギーに巻き込まれて可哀想に』
『船のネーミングセンスがない』
『国際高校はだいたい反日教育校』
『事故を日本政府のせいにするなよ?』
尚も事故に関する情報がない私たちはネット記事、Youtubeやそのコメント、Xのポストを見ていく。
するとスクロールするたびに、おびただしい数の同志社国際高校、同志社法人、日本基督教団、辺野古基地反対を訴える団体への非難が流れていく。
情報も錯綜していて、大手メディアや発信力のあるYouTuberは平気で間違った情報を流している。それに踊らされた大衆は間違った情報を流し、非難をする。この事故を利用し、事故とは関係のない非難をする人もいた。
こんな形でメディアと大衆の恐ろしさを目の当たりにしたくなかった。
「めっちゃ叩かれてるんだけど」
「これは……ひどいね」
夕食までの待ち時間は随分と長かった。3、4時間ほど部屋の中にいたと思う。
私のいた部屋の雰囲気は重くなかったからか、耐えられないような時間ではなかった。
メディアやSNSを見ることに疲れた私たちはゲームをしたり、持ってきていたけん玉をしたりして、暇を潰していた。
部屋移動は禁止だったが先生に内緒で他の部屋に訪問してみれば、同じような雰囲気であった。
けれどこの時間、全員に現実味がなかっただけなのだと今では思う。
夕食会場に行くと空気は一変した。
泣いている生徒、目を赤くしながらお互いに抱き合っている生徒。鼻水を啜る音と食器と食器がぶつかる音だけが空間を覆っていた。当然、何か言葉を出せるような空気ではない。
船に乗っていた生徒たちを除く、民泊コースを含んだ全員が男女別クラスごとに席に着いたところでアナウンスが入る。
マイクに語りかけていたのはT先生だった。
「……みなさん、もう、ご存知かと思いますが、午前10時ごろ、辺野古沖で船が転覆し……」
T先生の言葉が止まる。見れば、言葉が出せないほど泣いていたのだとわかった。
涙を抑えようとするT先生の震えた声がマイク越しに伝わる。
T先生は、ゆっくりと、震えた声で、亡くなった女子生徒の名前を読み上げた。
「みんなで……黙祷を……捧げましょう」
指を組み、目を瞑る。
亡くなった女子生徒が生前、浮かべていた笑顔が脳裏に浮かぶ。
目が熱くなり、顔中が濡れた。
「カウンセラーの方に……変わります……」
黙祷を終えると先生は下がり、マイクの前に立つ人がカウンセラーに変わる。
「辛い人は離席しても構いません」
数人の生徒がその場を離れる。
カウンセラーの先生は淡々と語り始めた。
「大切な人が亡くなった時、心の傷は体へと影響を及ぼします。まずは自身の心の傷を受け入れ、自身の今の状態を知ることから始めましょう。泣きたい人は泣いても構いません」
カウンセラーは落ち着いた口調で医学用語を用いながら語る。
最後には『私と話したい人はいつでも声をかけてください』と言って、締め括った。
そうして夕食が始まった。胃まで食事を運べない生徒が大半だった。
「なんか、食べる気になれない」
「うん、わかる」
私が友人とそんな会話をしていた時だった。
船に乗船していた生徒が戻ってきた。
「みんな、ただいま、です」
テーブルに船に乗船していたクラスメイトがやってくる。その瞬間、席についていたみんなが涙を目に含ませていた。
ハグをした瞬間、私もまた顔を濡らすことになった。死んでいたかもしれないという恐怖と生きていて良かったという安心感が心の中で共存していた。
「大変、だったね」
「……うん。みんなの顔を見た瞬間、やっと、生きてるんだな……って」
私は戻ってきた他の友人たちのもとにも行く。
一人は意外にもケロッとした顔をしていて、いつも通りの安心感を覚えた。
むしろその生徒を取り巻く周りの方が泣いていた。普段の様子からは泣くところが想像もつかないような人でも泣いていた。
戻ってきた友人たちの口から病院で治療を受けている生徒の無事も伝えられた。
ようやく得た心の安心は、私たちを一人の生徒が亡くなったという残酷な現実に引き戻した。
***
3月17日 研修旅行4日目
午前11時まで、私たちはホテルで待機させられた。
本来ならば国際通りを散策して帰る予定だったが、中止。
ホテルから空港までバスで移動した。
移動の最中、記者会見が開かれていた。
「えー、先生の運転する船が……」
校長の言葉遣いには疑問しか残らなかった。
やがて空港に着くと、飛行機に乗って本土へと戻った。
空港でそのまま解散となり、高校2年生として送る学校生活は幕を閉じた。
「高校2年生お疲れ様です。乾杯」
研修の後、私は数人の友人とご飯に行った。船に乗船していた友人も中にはいた。
友人は靴が海に流されてしまったのでサンダルを履いていて、歩くとき痛いけどスマホが無事だからいいや、と。
「大変だったね」
「うん、冗談抜きに死ぬかと思った」
「どういう感じ? 大きい波が来て、ひっくり返ったの?」
「端に座って、気づいたら投げ出されてたんだと……思う。あんまり覚えてない。体が覚えるのを拒否してる」
友人はそう言いつつも、笑っていた。
「家に帰って、親に会ったら絶対泣くだろうなー」
友人の笑顔の裏にある心の傷は計り知れない。
当然、研修旅行のレポートは無くなった。
***
ここまでが私の沖縄研修旅行の体験日記となる。
会話文などに関しては一部、現実の内容とは異なっている。
大まかには事実なので目を瞑ってほしい。
ここから先は事故後の話になる。
***
3月19日
相談窓口が開かれた。
3月22、23日
亡くなった女子生徒の通夜、葬儀があった。
詳細は伏せる。
3月26日
生徒の心のケアを行なう機会が設けられる(その後も数日、設けられた)
担当はT先生だった。
3月28日
研修旅行レポートが生徒の希望で復活し、亡くなった女子生徒へのメッセージの欄が追加される。
第三者委員会が設置される。
ご遺族の方のnote更新が始まる。
(辺野古ボート転覆事故遺族メモ、で調べてほしい)
3月29日
亡くなった女子生徒へのメッセージの欄が無くなる。
(配慮が足りなかったと詫びている)
4月8日
クラス編成が発表される。
とあるクラスのとある番号の名前欄が空欄にされている。
(正しい対応なのかは知らない。胸が痛くなった)
***
4月10日
高校3年生始業式の日。
悪夢のような沖縄研修旅行を未だ心に引きずったまま、私たちは高校3年生に進級した。
朝、私は期待と不安が入り混じった足でチャペルに向かっていた。
普通の学校なら毎朝、学校に登校するだろうが、キリスト教を取り入れた学校なのでチャペル登校なのである。
チャペルについた私は学校のインフォボードで配信されていた座席順を見つつ、指定の座席に座った。
壇上から見て奥に行けば行くほど、席が高いところに位置するようになる。映画館と同じだ。
そして手前から一年、二年、三年、となっているので三年生にもなるとチャペル全体を見下ろすことができる。
「久しぶりー!」
席に座ってスマホでもいじっていると、声をかけられる。
振り向けば、研修旅行以来に会う友人がいた。
「久しぶり。同じクラスだよね?」
「うん、ようやく君と同じクラスです。いえい!」
友人はピースマークを作り、嬉しそうに笑う。仲のいい友人だが同じクラスになったことはなかった。私も自然と口角が上がっていた。
そうして話をしていると、次々と友人が来て輪ができる。話す。話を種に笑顔を咲かせる。
今年は楽しいクラスになりそうである。
「今立っている方は着席してください」
やがてアナウンスが入る。礼拝が始まる時間になっていた。
友人は自分の席に座り、私は一人になった。途端に、急な寂しさに襲われて今まで動かしていた外に動かしていた口が心の中で喋るようになる。
あの研修旅行のことを思わないわけがない。
もう、3年生。
普段なら最後の一年に期待を膨らませているのかもしれない。
けれど心が落ち着いて現実を受け入れれば受け入れるほど、胸が張り裂けそうなくらいに痛くなる。
「それでは黙祷をします……讃美歌を歌います、ページは……聖書を朗読します、旧約聖書の……」
いつもの礼拝は流れ作業のように感じられた。
「今日は、校長先生のお話です」
説教は毎日、先生が変わる。壇上には四つの椅子が置かれていて、左端の2つには礼拝を担当する先生もしくは生徒が座り、教卓のような机を挟んで、右端の2つにはその日に説教を担当する先生と校長先生が座る。
今日のように始業式や終業式の日は右端の椅子には校長先生しか座らない。
校長は椅子から立ち上がり、マイクの前に立った。
薄々、全員が察していたと思う。
「えー、いつもなら礼拝の話を考え、話をするところですが、今回ばかりは話さなければならないことがあります」
言葉の間が空く。不気味な静寂がチャペルを覆う。
「今回の研修旅行事故についての、お話です。このようなことになってしまい、大変、申し訳なく思っています」
「第三者委員会が設置され、これから事故の原因究明に向けて調査が行われる予定です。学校にも文部科学省からの調査が入り、みなさんに迷惑をかけることがあるかもしれません」
「学校としてはこれからみなさんへの信用回復に努め、再発防止を努める所存です」
申し訳なく思っている、か。
言葉遣いに疑問を感じながら校長の話を聞いていた時だった。
「間接的な原因は私たちにあったとはいえ、事故自体は仕方のない事故だったと思っています」
……は?
人を殺しておいて気にすることは学校や先生、自身に対する信用なのか?
校長は言葉を続ける。
「世間では左翼的教育だと言われていますが、私たちとしては本校の生徒が自身で考え、行動することをサポートするという方針で今までもこれからも徹底していくつもりです。ここに来られる先生や牧師の方々の反戦に関するお話は実際の戦争や戦後体験に基づくものです。実際の経験から来る考えというのは個人のどんな思想よりも価値のあるものです。それをわかっていてください」
たしかにそうかもしれない。
経験から来る個人の考えや価値観は否定することのできない、時と場合によっては価値のあるものである。
『戦争は絶対に起こしてはならない! もう絶対に、起こしてはならない!』
とある先生が礼拝でよく語る経験と言葉を思い出した。
しかし今、それを話す必要性がどこにあるのか。
信用を必死に回復しようとしているようで、学校を余計に信じられなくなる。
そうして新たな学校生活が始まった。
***
5月19日
任意提出だった研修旅行レポートに関して、学校は最終的に実施を取りやめる。
亡くなった女子生徒へのメッセージは『偲ぶ会』で遺族の方に渡すことになる。
5月21日
亡くなった女子生徒へのメッセージを書くフォームが作られる。
5月22日
文部科学省から政治的活動を禁じる教育基本法第14条第2項に反するという判断が下される。
5月28日
1学期中間テストが終わり、亡くなられた女子生徒の方を偲ぶ会が行なわれた。
こちらも詳細は伏せる。
ただ、私は一つ言いたい。
コメントに「偲ぶ会? 学校の体裁を保つためでしょうね。今更だ」というようなものが多々あった。
頼むから、もう、事情も知らないのに憶測でものを語らないで欲しい。
これは一種の区切りなのである。心に傷を負った者たちが、区切りをつける場所だったのだ。
いつも通りの学校生活に戻りつつある。
どうか、私たちを見守っていてほしい。
5月29日
「この度は、誠に申し訳ありませんでした」
文部科学省の見解に対して、校長がようやく頭を下げて謝った。
何名かの生徒は涙を流していた。
一歩ずつ一歩ずつ、あなたたちが前に進んでいけるように、私は強く……。
***
以上が私の日記、体験談になる。
人は非難することでしか生きられない。
かくいう私も、政府と、辺野古基地反対に関する団体と、日本基督教団と、共産党と、学校と、校長と、これを閲覧しているネット民と、全方位への非難をしている。
そうでもしないと私はこの事故を受け止められそうにない。
人は非難することで自分の価値を確立する。
ただ、その非難により傷ついた人々がさらなる非難を生むことをあなたたちは知らない。
あなたたちにはその事実をただ知ってほしい。
もう、私には何が善で何が悪なのかもうわからない。
社会を二元論で語れないことなど理解している。
けれど何が正しい、私たちは何を信じればいいのだ。
後押ししてくれていたと思っていたものは誘導されていたものだった。
まさしく私はニヒリズム状態なのである。
自分の信じる価値が一日にして壊されてしまった。
沖縄の一部の人々は本土(政府)を嫌い、本土は沖縄を無視していると言う。
本土(政府)は過去に沖縄を捨て石にし、けれど今は国民のためを思って最善を尽くしていると言う。
学校は一部の人々と思想、お金、政治家との人脈などなんらかで繋がり、関係があった。中立だと思っていた思想にも偏りがあった。
大衆はこれを非難する。一部の大衆は左翼が、平和活動を行うことが、人生の終わりだと言う。
でも私たちはずっと反戦を望むことがいいことだと教えられてきて、キリスト教や牧師は善なる存在だと思っていて……。
もう何が一体……何なんだ。
何を信じればいい。
大衆か? 誤情報に踊らされ、憶測ばかりでものを一丁前に語る大衆を信じればいいのか?
学校か? 中立性も何も保たれていない学校か?
左翼か? 過激な反戦や彼らからしてみれば正戦論的な平和主義、米軍基地の反対を掲げて、遺族に直接謝罪の一つもない左翼団体か?
政府か? 私は……政府の言葉すらもう信じられないのだぞ。
私は何を信じればいい?
私は、もう何も信じられない。
もう頼むから……私に、私たちに一人の女子生徒の死を、一つの尊い命の死を、正常に悲しませてくれ。
***
誤情報を流すメディアへ
『学生たちは抗議活動に参加していた』
『救命胴衣を着けていなかった』
『亡くなった女子生徒の名前は◯◯◯◯………』
何なんだこの情報は。
あなたたちは発信力があることを知らないのか?
その情報ひとつで世間を容易に掻き乱すことができることを知らないのか?
発信力があることに、影響力があることにプライドを感じ、日々高らかに自慢しているのではないのか?
***
憶測でものを語る大衆へ
『ひめゆりとか他に行く場所があっただろ』
『左翼になったら人生終わり』
『同志社国際は潰れろ』
ネットの中だから、言葉を過激にしていいのか?
ネットの中だから、憶測であたかもそれが事実かのように物事を語っていいのか?
あなたたちは非難できる機会を見つければ血肉を餌にするピラニアのように群がってくる。
あなたたちは日頃の鬱憤や不満を今回の事故を踏み台にして、ぶつけた。
一人の尊い命の死を利己的に利用するあなたたちに対して、私は腹の虫が収まらない。
だから私はあなたたちが信じられない。
その言葉が、その八つ当たりが、凶器になる。
どれだけあなたたちの言葉が、誰かのためにあるはずのあなたたちのその言葉が、武器となり、凶器となり、別の誰かの心を、絵の具で書き殴るみたいにぐちゃぐちゃにかき乱したか知ってるか?
文字でしか表現できない私がどれだけ心の中で叫んでいるか、あなたたちのその得意な憶測でわからないのか?
***
校長へ
前から噂はあった。
共産党と絡んでいるだとか、お金の問題だとか、生徒間でそんな噂が出回っている時点でおかしい。
そして今回の事故が起こった。
どう思う? 何を感じる? 何も感じないのか?
形だけの謝罪か? それで終わらせようとしているのか?
信用回復をしたい? 自分の立場のためか?
防ぎようがない、仕方のない事故だった?
ふざけるな、私はそう言いたい。
何か言いたいことがあるなら言いにこい。
あなたはそう言った。
だから私がこの場で全てを語ったんだ。
なぜあなたの学校の生徒である私がこんなことを言わなければならないのだ。
校長は、教員は、私たちに物事を教える立場ではないのか?
***
最後に。
I先生へ
あなたの行動は否定するが、あなたの全てを否定しない人もいる。
あなたは自身の全てを否定しているだろうが。
私個人の思いとしてはどうか、宗教へと行き過ぎずにこの件に向き合ってほしい。
T先生へ
あなたがどういう人なのか、良い人なのか悪い人なのか。
私には判断することはできない。
でも、事故の処理や生徒のケアをどの先生たちよりも頑張っていることは知っている。
生徒思いの良い先生だと生徒の間では知られている。
同志社国際のみんなへ。
私たちには一人の尊い女子生徒が失われたという事実を受け止めることに時間がいる。
人生も運命も社会も、時に残酷で、あの頃に戻れたらなんて思っても戻れない。
でも、生きていくしかない。
彼女を覚えている私たちは死ぬまで精一杯生きていくしかない。
ここまで読んでくれてありがとう。
誰かの心に届いてくれたら、嬉しいです。
辺野古沖転覆事故〜当事者の日記〜 誰か。 @tubakirou
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