それは、仮初めの平穏にまどろんでいた頃。尊敬する父が居て、可愛い従妹が居て、小さな男の子の世界が満ち足りていた頃のこと。
大人たちは一族に長く大きく影を落とす事件のために奔走していたが、子供たちは泡沫のような時間を共にすることになる。屋敷内でしか遊べなかった二人の子供は、寒空の下、庭を駆け、井戸の周りで遊んだりもした。
しかし泡が弾けた後は、少年は少女を憎み嫌い、少女は少年の苦しみをどうすることも出来ないまま歩むこととなった。長く苦しい時を越え、ついに真相を知らされた子供たちは、再び不器用ながらもお互いを支えあい始めた。
筒井つの
ネジは里を代表する勇猛な忍に。ヒナタは己の忍道を掲げ貫くことのできるくの一となった。優秀な血継限界を有する忍である二人には、縁談が降るように押し寄せていた。しかし、ネジは初恋の少女をこそと思い定めており、ヒナタも同様だったため各々が断り続けていた。
さて、年の暮れも近づくある日。宗主の稽古を未だに律儀に受けに来るネジへ、ヒナタがこれも変わらずお茶を出していた。
「お見せしたいものがあるんです」
そう言って連れてこられたのは、庭の片隅にある古井戸。ネジが懐かしげに眼を細めながら、思い出話を始める。
「ヒナタ様?ここで遊んだこと、覚えていらっしゃいますか?」
何時になく丁寧な話しぶりのネジに戸惑いながら、ヒナタは首を傾げる。
「ヒナタ様はまだ3歳になられたばかりだったから、覚えているわけがないか・・・」
「あ、初めて兄さんと会ってすぐの頃?」
「そう。今日みたいに寒い中、室内で大人しくしていることにも飽きて、庭で遊んだこともあったんです。子供にとって、この辺りの木立は森のように大きく見えて、ちょっとした探検気分だったのですよ」
くすりと笑うネジの話に、ヒナタも笑みを零した。大人になった今では何と言うことのない植え込みでも、幼子にとっては心ときめく大冒険の舞台だったのだろう。自分の家の庭でありながら、さほど奥まで分け入ったことはなかったヒナタにとっても、ネジに手を引かれて探検するのは物珍しく楽しいものだっただろう、と想像がつく。
「この井戸を見つけたときも、ヒナタ様も俺もそれは大はしゃぎで。周りを走ってみたり、土いじりをしたり・・・それと、どこだったかな・・・」
屈みこんで井戸の枠を調べ始めたネジが、声を上げる。
「ここだ。ヒナタ様、これ、何か分かりますか?」
ネジの長い指先が示す先には、かすかに引っ掻いたような傷が2本あった。
「クナイの・・・跡?」
「そう。冒険気分でしたから、部屋から玩具のクナイを持ち出していたんです。それを使って、二人の身長の高さの印をつけた。ヒナタ様がお小さかったのは当然として、俺もこんなに小さかったのか」
「井戸枠を超えてないものね・・・私にとっては、ネジ兄さんはとても大きなイメージだったのだけれど・・・で、でも、ネジ兄さんも4歳だったでしょう?」
「まあ、あの歳じゃ、この井戸枠の高さは無理かもな」
ひとしきり思い出話をしていたネジが、立ち上がった。隣に屈みこんでいたヒナタを助け起こしてくれるネジは、いまやかなりの長身だ。井戸枠の傷の高さと比べてみたヒナタは、思わず小さく笑ってしまった。同じことを考えていたらしいネジも一緒になって笑っていたが、ふと真面目な顔をする。
「ヒナタ様・・・筒井筒の話、ご存知ですか?」
古典の話に面喰いながら、ヒナタは頷く。
「う、うん・・・幼馴染の2人が、結ばれるお話でしょう?」
言いながら、ヒナタは顔を赤らめて俯いてしまう。その頬に、すっかり冷えてしまった手を、ネジがそえた。頬から耳へと滑らせた手が、藍色の髪を優しく耳にかける。真っ赤に染まって現れた耳に、小さな囁きを落とす。
「あの井戸枠にも足りなかった背丈も、とうの昔に越えてしまいましたよ」
そのまま返事を待っているネジの髪にそっと触れたヒナタは、細い声を震わせながら囁き返した。
「ず、ずっと・・・短くしていた私の髪も、もう・・・ネジ兄さんより・・・長く、なってしまったわ・・・」
ずっと抱き続けた想いを、ついに叶えた二人が、皆から祝福される日は近い。
Fin.
(あとがき)
伊勢物語23段前段より、筒井筒の話でした。大和物語にも収録されていますね。
伊勢物語のこの話が大好きなので、これをモチーフにネジヒナで作ってみました。
久しぶりに甘甘だったきがする。書いた本人が照れくさいわ、もうちょいあっさりしようと思ったのに。
それではお粗末さまでした。