「杉並区大改革」で女性議員比率が半数以上に…地方統一選挙で「杉並区」に何が起こっていたのか

ただし、問題は、肝心の候補者がまだ見つかっていなかったこと。

「新しい区長はぜひ女性にという方針で、何人かの女性に打診しましたが、3月末のタイムリミットが迫る中、候補者が見つからず……たまたま我々の仲間の1人が私の友達にも声をかけてみようかと挙げてくれたのが、当時ベルギーに住んでいた岸本聡子さんでした。 

岸本さんは、欧州のミュニシパリズム(地域の主権を大切にする新しい政治運動)を見て来た人で、自治体から政治を変え、国の政治を変えて、民主主義を自治体から取り戻していこうという市民運動をよく知っていて、私たちが求める候補者に最適の方でした」

組織的な原水爆禁止署名運動の発祥の地でもある杉並区は、教科書問題などをはじめ、数々の社会問題に対する市民運動が行われてきた。写真は、’05 年7月16日に行われた新しい歴史教科書の使用に抗議するデモ(PHOTO:アフロ)
組織的な原水爆禁止署名運動の発祥の地でもある杉並区は、教科書問題などをはじめ、数々の社会問題に対する市民運動が行われてきた。写真は、’05 年7月16日に行われた新しい歴史教科書の使用に抗議するデモ(PHOTO:アフロ)

一人街宣、対話集会…187票差での当選

ただし、一番の問題は知名度がまったくないこと。そこで、ボランティアによる「一人街宣」も始まった。

「対立候補は顔も名前も売れていて、区の広報誌も使って宣伝するわけですから、候補者が一人であちこち回っても知れていますよね。 

そこで、ある女性が、『この日に区長が〇〇駅に立つなら、私は地元の駅で岸本聡子さんのポスターを持ちます』と言い、そのうち、ポスターを自分の体に張り付けて駅に立つスタンディングがだんだん進化していき、ビラやポスターのバリエーションも増えていった。 

ある集会で『杉並区内の全19駅でやりませんか』という提案が出ると、集会に来ていた人の中ですぐ全駅分の担当が埋まったんです。さらに、毎日やるのは大変だから、地元の人にも声掛けてといった具合に広がっていきました。 

参加者が増えたのは、吉田晴美選挙の経験や結果で、自分たちが声をあげたら政治は変えられるんだという思いがあったからだと思います。しかも、今度の区長選は、あまりにもひどい区長だからなんとか変えなきゃいけない。自然発生的に一人街宣が広がったんです」 

ただし、岸本氏自身の街宣も最初の頃は聞いてくれる人が少なかったそうだ。

そのうち、「マイクはこう持った方が良いよ」とアドバイスされたり、自民党の女性区議から「黒や紺色の服装はダメ。明るい爽やかな色に変えなさい」と言われて明るい色のスーツに変えたり、様々な意見を取り入れるうち、候補者が一方的に喋るスタイルから、一般の方に意見や質問を言ってもらう「対話集会」に変わっていったのだという。ときには岸本氏が地面に座って、住民たちの意見にじっくり耳を傾ける場面も。

「岸本さんの対話集会がSNSなどで拡散されるようになり、注目度が高まりました。立憲では枝野幸男さんや蓮舫さん、共産党は小池晃さん、れいわも山本太郎さんが応援に駆けつけるなど、区長選とは思えない盛り上がりになりました。 

岸本さんの公約も、我々市民グループが作った原案を岸本さんに見せて調整し、さらに対話集会でいろんな人の意見を聴いて取り入れ、ブラッシュアップしていった形です。3回ぐらい変えて最終形になりました」 

結果、187票差で岸本氏が当選。1票の大きさを感じると共に「女性の力」を感じる選挙となった。