【反論】内田樹氏の非道な詭弁。辺野古での生徒死亡事故を「価値中立的な見学」とすり替える欺瞞について
はじめに : 詭弁を弄する「哲学者」の欺瞞への怒り
本日、同志社国際高校の生徒2名が辺野古沖での研修旅行中に亡くなった痛ましい転覆事故に関し、文部科学省が下した調査結果に対し、内田樹氏がAERA DIGITAL(Yahoo!ニュース配信)にて異論を唱えました。
内田氏は、文科省による「教育基本法14条(政治的活動の禁止)違反」という指摘を、「生徒たちの基本的人権に対する権力からの公然たる『弾圧』」と断じ、基地の工事現場を見ることは「価値中立的な行動」であると主張しています。
しかし、私はこの記事を一読し、深い悲しみとともに、抑えきれないほどの強い憤りを覚えました。先日のX(旧Twitter)でのポスト、および前回のnote記事でも再三にわたり指摘してきましたが、この事故の本質は「特定のイデオロギーに基づく危険な活動への同調」と「異常なまでの安全軽視」にあります。
内田樹氏の主張は、亡くなった未来ある若者の死を自らの政治的主張を補強するための「ダシ」にする、極めて悪質で論理破綻した詭弁と言わざるを得ません。本稿では、なぜ氏の主張が完全に間違っているのか、静かな、しかし断固たる怒りをもって論破させていただきます。
「道の駅」と「抗議船」を意図的に混同する知性の放棄
内田氏は記事の中で、辺野古の基地建設を見ることを「ただの観察」と呼び、嘉手納基地横の「道の駅」から戦闘機を見る軍事オタクを引き合いに出して、「何かを見ることを『政治的活動』とみなすことは論理的に不可能」と断言しています。
これこそが、氏の用いる最大の欺瞞です。私のXポストでも指摘した通り、両者は全く比較の対象になりません。
「道の駅」は、誰もが立ち寄れる安全が確保された公共の商業施設です。そこから遠巻きに眺める行為は、確かに自己責任の範疇に収まる「観察」でしょう。しかし、今回の凄惨な事故が起きたのは辺野古沖という海上であり、生徒たちが乗っていたのは極めて政治的な性質を帯びた「抗議船(あるいはそれに準ずる市民団体の関係船舶)」です。
特定の政治的意図を持つ団体が運航する船に生徒を乗せ、抗議活動の最前線という物理的にも社会的にも危険な領域に踏み入る行為を、「道の駅からの見学」と同列に語ることなどできるはずがありません。
「安全な展望台から見る」ことと「反対派の船に乗り込んで現場に接近する」ことを意図的に同一視する内田氏の論法は、学者としての客観性や知性を自ら放棄しているとしか思えません。
「内心の自由」を盾にした安全配慮義務違反の隠蔽
内田氏は、「工事現場を見て、何を感じるかは高校生一人一人で違っている」「同じ現実を見て、違うことを思う自由を憲法は保障している」と、憲法19条を引き合いに出して美辞麗句を並べ立てます。
上記の前回note記事でも深く掘り下げた点ですが、文部科学省や多くの国民が問題視しているのは、「生徒が心の中で何を思ったか(内心の自由)」ではありません。学校という公教育の主体が、特定の政治運動の現場に生徒を物理的に連れ出し、その結果として生命の危機に晒したという「行為の客観的偏向性」と「引率管理の異常性」を問うているのです。
内田氏の理屈が通るのであれば、「暴力的なデモ隊のど真ん中に生徒を引率しても、そこで何を感じるかは生徒の自由だから政治的活動ではない」という暴論すら成立してしまいます。
生徒たちは、自分たちの思想や良心の自由を行使して未来を築くはずでした。しかし、学校側が特定のイデオロギーに基づく「平和学習」を強行した結果、その未来ごと冷たい海に奪われてしまったのです。
内田氏は「たしかに事故については学校に管理責任がある」とわずか一言で済ませ、あとは延々と「権力による弾圧」という自らの得意な政府批判に終始しています。尊い命が失われたというのに、それを悼むよりも前に「自己のイデオロギーの正当化」の材料として消費するその姿勢には、倫理的なおぞましさすら感じざるを得ません。
おわりに : 詭弁で教育の政治的中立性を破壊する者たちの責任を問う
文部科学省が法律制定以来初めて教育基本法14条違反を指摘したのは、「権力の弾圧」などではありません。これまでグレーゾーンとして見逃されてきた「平和教育という美名に隠された、政治運動への無自覚な動員」が、ついに生徒の死という最悪の形で限界を露呈したからに他なりません。
内田樹氏は哲学者として社会に多くの発信をされてきましたが、今回の記事は、イデオロギーに囚われるあまり、目の前にある「子供の死」という絶対的な悲劇から目を背けています。「見学そのものは価値中立的」という言葉遊びで、学校側が特定の政治的アジェンダに生徒を巻き込み、結果として死に至らしめた事実を漂白することは絶対に許されません。
私たちは、この悲劇を教訓としなければなりません。
教育現場が政治活動の道具にされることの恐ろしさ。そして、それを「内心の自由」などという言葉で擁護し、さらなる被害を再生産しようとする一部の知識人の無責任さを、決して看過してはならないのです。
亡くなられた生徒たちのご冥福を心よりお祈りするとともに、二度とこのような痛ましい事故が「偏った教育」の名の下に引き起こされないよう、内田樹氏のような無慈悲な詭弁に対しては、今後も毅然と反論を続けていく所存です。


怒る必要はありません。保護者目線で受け入れられるものではなく、さらに言うと行政訴訟に耐えられる論理が構築されていません。したがってサークル内向けに過ぎません。
内田樹氏の寄稿を読むと、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」法令について、 ①基地見学は、価値中立的である ②見たものを生徒がどう受け止めるかは生徒次第であり外から知り得ないので、政治的活動となし得ない ③だから基地見学を政治…
この老人も、キリスト教系教育団体と繋がってるのですね。 神戸女学院中学部・高等学部での教育内容が心配です。 内田樹(wiki記載) ・専門はフランス現代思想。立憲民主党パートナーだが、国政選挙では日本共産党を支持している。 ・学校法人神戸女学院理事長 神戸女学院(wiki記載) ・…
修学旅行で「自衛隊基地見学」をしたら、この哲学者は猛反発するのではなかろうか? 学校団体の受付はやってませんが、 https://www.mod.go.jp/asdf/naha/kouhou/tour/index.html 自衛隊は日本の平和を守っているのです。