『Time of Ring』(第十稿)Part.8
第八幕:神の大陸
グレイたちから託された涙滴型の転移艇は、
時空の壁を音もなく滑り抜けた。
向かった先は、
超人類『アヌンナキ』が全盛期を誇った時代。
大西洋上に浮かぶ巨大な超大陸、
アトランティスだ。
ハッチを開けた先に広がっていたのは、
白亜の大理石と反重力水路で構成された、
息を呑むほど美しい幾何学的な都市だった。
だが、大地が手に持った端末には、
この大陸の地殻の奥深くで
破滅的な亀裂が走っていることを
警告するアラートが表示されていた。
大地は、都市の中心にある指令タワーへ乗り込み、
指導層であるエンリルたちに叫んだ。
「もうすぐ地殻の崩壊が起きる!
この大陸は、あと数日で海に沈むぞ!」
だが、美しい白亜の議事堂に座るエンリルは、
冷ややかな目で大地を見下ろしただけだった。
「我々の中央AIの予測では、
地殻崩壊の確率は0.0001パーセントだ。
お前のような
正体不明の野蛮人の言う事など、
聞くに値せぬ。
我々は、すべてを
完璧な計算のもとに管理している。」
「その計算の果てに何が待っているか、
教えてやる。」
大地は、グレイの代表体から託された
記録装置を突きつけた。
「お前たちの遠い子孫は、
効率と合理性だけを追い求めた結果、
感情を失い、自ら滅びの道を歩んでいる。
彼ら自身が、お前たちに
過ちを正すように願っているんだ!」
エンリルは鼻で笑った。
「非論理的な妄言だ。
我々の進化が
システムによって行き詰まるなど
あり得ない。」
エンリルが指を鳴らすと、
無機質な警備ドローンが数十機、
大地と水原を取り囲んだ。
大地と水原は、
ブラスターでドローンを牽制しながら
議事堂の窓を突き破って逃走した。
そして、
追手を撒くために入り込んだ古びた記録保管庫で、
一人の若い侍女、セリアと鉢合わせた。
彼女は怯えるどころか、
真剣な眼差しで大地を見た。
彼女は、
中央AIが「非効率な誤差」として切り捨てていた
微細な地鳴りを、
自らの足の裏で感じ取っていたのだ。
「お願い、彼らを説得して。
このままじゃ皆、海に飲まれるわ。」
セリアの案内で
再び議事堂の地下ルートへ潜入し、
エンリルの元へ辿り着いたその瞬間。
ゴゴゴゴゴォォォォッ!!
天地をひっくり返すような轟音と共に、
アトランティスの巨大な大理石の柱がへし折れた。
この大陸の真下に位置する地殻の崩壊が、
AIの予測を無視して唐突に始まったのだ。
だが、アヌンナキの市民たちの反応は異様だった。
一切の悲鳴を上げず、
「生存確率の高い者」から順に、
無言で脱出船へと歩みを進めている。
瓦礫の下敷きになった者がいても、
「救出は全体の効率を下げる」という冷徹な判断のもと、
誰も助けようとはしなかった。
「お前らの信じるシステムは、
いつも肝心なところで間違えるな!」
大地は崩れ落ちる瓦礫をブラスターで粉砕し、
立ち尽くすエンリルたち指導層の胸倉を掴んで、
自らの転移艇へと強引に引きずり込んだ。
アトランティスが完全に海へ沈む直前、
転移艇は虚数空間へと飛び込む。
だが、地殻崩壊の凄まじいエネルギーが座標計算に干渉し、
艇は激しいスパークを上げながら、実数空間へと叩き出された。
窓の外に見えたのは、
鬱蒼とした緑と二本の大河。
紀元前一万年の未開の地——
古代メソポタミアだった。
「エネルギーが完全に枯渇している。
再充填には、
この時代の太陽光で
三年はかかるわ。」
水原がコンソールを叩きながら告げた。
立ち往生したエンリルたちは、
すぐさま生存のための
「効率的なコロニー(ジッグラト)」
の建造に取り掛かった。
そこに、
槍や石斧を持ったメソポタミアの原始人類たちが
大挙して押し寄せてきた。
「野蛮な猿どもめ。」
エンリルは冷酷に言い放ち、
転移艇の主砲であるプラズマキャノンを起動した。
轟音と共に、目の前の岩山が一瞬で蒸発した。
圧倒的な破壊の光を前に、
原始人類たちは平伏し、
これが「神」の誕生となった。
それからのアヌンナキたちは、
労働力として原始人類をこき使い始めた。
だが、感情を排し、
効率だけを求める彼らにとって、
人間を管理することは苦痛の連続だった。
「なぜ彼らは、夜になると
活動を停止する(眠る)のだ!」
「なぜ指定した質量の石を落として怪我をする!
非効率極まりない!」
人間をただの「道具」としてしか見ていないため、
彼らの疲労や恐怖が計算式に組み込めないのだ。
そんな生活が二年目に突入したある夜、
激しい雷雨の中でコロニーの防壁が爆破された。
食人風習を持つ凶暴な大部族が、
「神の力」を奪おうと
数千の軍勢で奇襲をかけてきたのだ。
「防壁の修復は不可能だ。
労働力(人間)は捨てて、
我々はタワーへ籠城する。」
エンリルはあっさりと
原始人類たちを見捨てようとした。
だが、大地はそれを許さず、
プラズマライフルと
実体剣を掴んで
土砂降りの泥濘へと飛び出していった。
水原も舌打ちをしながら、
大地の背中を守るように
泥の中へ続く。
雷鳴が轟く中、
大地と水原は、
怯える原始人類たちを背にかばいながら
血みどろの死闘を繰り広げた。
圧倒的な数の暴力を前に、
大地の肩は切り裂かれ、
水原も泥にまみれて
何度も地面を転がる。
彼らが身を挺して戦う姿は、
ただ恐怖で支配していたアヌンナキとは違う、
真の「守護者」としての姿を
原始人類たちの目に深く焼き付けた。
夜明けと共に敵部族が撤退し、
コロニーに静寂が戻った。
小さな岩穴へと身を隠した二人は、
湧き水で傷を洗う。
泥と血にまみれた水原は、
冷たい雨水を含んだシャツを絞りながら、
大地の傷口にそっと包帯を巻いた。
「……あなたが命を張って戦ってる姿を見て、
わかった気がするのよ。」
水原が小さく呟いた。
「人間は、効率や計算だけじゃ生きられない。
誰かの熱に当てられて、
初めて動く心があるんだって。」
彼女はそっと、
大地の無精髭の生えた頬に
手を添えた。
その手は、
冷徹な観測司令のものではなく、
確かな熱を帯びていた。
やがて、メソポタミアでの三年目の終わり。
氷河期の融解による、
全地球規模の大洪水が迫り来る。
空を覆う豪雨と濁流を前に、
エンリルは冷たく宣告を下した。
「我らはコロニーごと火星へ向かう。
進化の遅れたこの野蛮な猿どもを
乗せる余地はない。」
だが、地響きと共に大津波の第一波が迫り、
巨大な土砂と無数の大木の残骸が押し寄せてきた。
発進のための巨大なスラスター群が、
泥と幾重にも絡み合った大木によって
完全に塞がれてしまったのだ。
エンリルがプラズマの閃光で
大木を焼き払おうとするが、
水分を含んだ泥の壁はびくともしない。
「神の力(テクノロジー)」が、
泥の海の前でただ立ち尽くしている。
大地は、迷うことなく泥の中へ飛び込んだ。
スラスターに取り付き、
素手で泥を掻き出し始める。
「神は万能ではない!
あの船を動かすには、
お前たちの手が必要だ!」
セリアの叫びに、
原始人類たちは動きを止めた。
あの夜、自分たちを守るために
泥と血にまみれて戦ってくれた大地の背中が、
そこにあった。
「ウオォォォッ!!」
一人の男が大地の隣に立ち、
大木を押し始めた。
それに続くように、
何百という人間たちが
次々と泥の中へ飛び込んでいく。
恐怖による支配ではない。
彼らは自らの意志で、
恩人と共に生きるために
泥を掻き出していた。
「……第3バイパスへ回れ!
絶縁ケーブルを巻き付けろ!」
極限の状況下で、
泥にまみれる人間たちの
不合理な熱気に当てられ、
エンリルもまた、
自ら泥水に足を踏み入れて
怒鳴りつけた。
原始人類とアヌンナキが入り乱れ、
圧倒的な数と力で物理的に
重いパーツをこじ開けていく。
濁流が完全に飲み込もうとしたその瞬間——
泥を払い落とされたブースターから、
強烈なプラズマの炎が噴き出した。
黄金の箱舟は、
すべてを飲み込む大津波を間一髪で回避し、
大空へと舞い上がった。
大地と水原は、
泥だらけになって笑い合う
アヌンナキと人間たちの姿を、
転移艇の中から見届けていた。
「これで彼らの歴史は、
ようやく新しい軌道に乗ったわね。」
水原が、大地の腕に
そっと自分の腕を絡ませながら微笑んだ。



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