「SATC」は女性解放の典型例?それとも暗黒時代?〜トランプ×高市会談に"ゾワゾワ"した理由【後編】〜
何年か前にNetflixでドラマ化された『アンオーソドックス』の原作者、デボラ・フェルドマンさんにインタビューしたときのこと。同書はユダヤ教超正統派(戒律を厳格に守る伝統的なユダヤ教徒のグループ)について書いたもので、彼女はそこからの脱出者でした。「化粧は禁止でカツラは必須(髪は男を誘惑するものだから)、ファッションを楽しむことも恋愛もエンタメも全部禁止で、夫婦のセックスも決められた曜日に必ず儀式として」というそのコミュニティにいた彼女は、外の世界に出た後に始まった「#MeToo運動」を目の当たりにします。その経験を経て下した『セックス・アンド・ザ・シティ』についての以下の再評価は、めちゃめちゃ印象的なものでした。 「#MeToo運動を見て感じたのは、おそらく女性たちはその運動によって初めて『自分たちは差別されていたんだ』と認識したのだということです。彼女たちはずっと『自分たちは差別なんてされていない』と主張してきた。その最たる実例が『セックス・アンド・ザ・シティ』です。あの作品は90年代のカルチャーにおいて『女性に与えられた究極的な欲望を描いたもの』とされてきました。誰もがあの番組を見て、あの登場人物のようになりたい、あれこそが女性解放の典型例だと思っていたんです。でも今あの番組を見直すと、暗黒時代のように思えます。これがとんでもなく惨めな女性のイメージだと理解できるし、女性に対する抑圧がどんなふうに機能するか理解できる。嘘をつかれ操作されていた私たちは、(#MeToo運動を通じて)突然、それを拒絶する道を選んだんです」 もちろんSATCのドラマの魅力は様々にあると思うんですが、つまるところ彼女がいいたいのは「SATCの描く女性解放(にみえるもの)」は「女性が男性になること」でしかないのに、「女性解放とはそういうもの」と信じ込まされ、多くの女性たちがそれを目指してしまった、ということ。私個人としてはこれにものすごく同意します。男社会で「男並み」に働き評価され出世し、男のエリートが美女を漁るように、イケメンをとっかえひっかえのワンナイトスタンドを繰り返す……なんて生活、全然したいと思わない。っていうか、そもそも女性が「男並みか、否か」で評価されることこそが男基準(つまり男性中心社会)なのに、女性がその基準に合わせて「私だって男並みに!」と頑張ってしまうことは、男性中心社会の不公正を追認することにほかならないわけで。