沖縄の空き家から「2億円」。壁の中に眠っていた遺産のナゾと、肝試しで“宝”を当てた少年たちの「衝撃の末路」
持ち主は商業地の大地主。貸金業も営んでいた
この空き家には、報道で出ただけでも2億円以上の現金や債券が眠っていたことになる。では、この空き家の持ち主は一体、誰なのか。元夕刊紙記者で沖縄事情に詳しいジャーナリストの安藤海南男氏はこう明かす。 「件の空き家は那覇市内の閑静な住宅街に建っていました。事件が明るみに出る前に私も訪れたのですが、門扉が固く閉じられ、幾重にも重なってツタが自生する塀に囲まれた敷地に2階建てとみられる邸宅があり、独特の威容を放っていました。登記簿によると、土地は約1342平方メートルの広さで、玄関の方面からは県庁も望める好立地。那覇市のメインストリートである国際通りにも近く、地価が高騰している中にあってかなりの資産価値があることは想像に難くありません」 取材班が3月に同地を訪れたところ、件の空き家は取り壊され、だだっ広い空き地が広がるのみとなっていた。空き家の隣には、極東最大規模の米軍嘉手納基地の土地を多く所有し、“県内最大の基地地主”と言われる人物の邸宅があった。エリア内はビルが建ち並ぶ中、基地地主と空き家が並ぶ一帯だけは視界が広々と開けており、高級住宅街のようであった。 「持ち主に関する情報ですが、登記簿によると土地は元の所有者から親族とみられる男性に2004年に相続登記されています。そして、さらにその4年後に相続者の男性と同姓の人物を含む9人に相続されていました。所有者が複数にまたがる中で住人がいなくなり、風雨にさらされるままになってしまったのでしょう。20年ほど、空き家の状態が続いていたそうです。沖縄メディアが、何人かの相続人に取材を試みたそうなのですが、あまり多くを語りたがらない様子だったそうです」(安藤氏) 現地で取材をすると、古くから地域の事情に明るい近隣住民が空き家の由縁について明かしてくれた。 「あそこは、明治期に内地から文具の卸業として沖縄に渡ってきた一族の土地だよ。初代は事業を拡大させて成功し、二代目になってからは戦後の闇市が立ち並んだ一帯の土地管理を生業にしていたと聞いている。一族は平和通り(国際通り近くのアーケード街)一帯の大地主として有名でしたね。一方で、不動産事業に絡んで貸金業のようなこともしていたようで、一時期は銀行の設立申請までしていた。なぜ、それほど大量の現金を自宅に置いていたのかって? それはわからないが、周辺では知る人ぞ知る資産家であったことは間違いないよ」 この二代目の妻が2004年に死去し、子と見られる親族Aが相続。Aも2008年にこの世を去り、9人の親族に相続されたようだ。 「一族は、事業に関連する資金など、現金を自宅に置いておく必要があったのでしょう。当人たちが逝去していくなかで、こうした遺産の存在が相続人に伝わらぬまま、放置されていたのではないでしょうか」(前出の記者)