紅蓮と黄金のシナリオ構築の違い
今回はシナリオの感想では無く話の作り方、構図に関する話になります
紅蓮と黄金はどちらも「NPCを主体とした群像劇」が主流の話になっています、対して新生・蒼天・漆黒・暁月は「主人公(PC)を主体とした主役劇(俗に言うなろう系)」です
紅蓮はリセ、ヒエン、ヨツユ等NPCが場面場面で主たる立場に立つシナリオ構成となっています、それぞれのエリアやチャプター毎に主たるNPCが変化していくのが群像劇の特徴です
ただ紅蓮はこの群像劇に加えてもう一つのストーリーラインが構築されていました
光の戦士VSゼノスの構図です
ゼノスは他のNPCにはほぼ興味を持たず、その意識は全て光の戦士の方を向いていました
群像劇の傍に主役劇も置く事で光の戦士が疎外感を感じる事は少なかったという事です
対して黄金は一貫して群像劇が主体となっていました、ウクラマトを主体とした群像劇オンリーであったと思います
これ自体はFF11のメインシナリオでも同様の構成をしておりヒロインが主体となって11の冒険者は傍観者と一部で揶揄される事もありました
私が新生のシナリオを当時やった時に、FF11とは違う冒険者の持ち上げられ方に困惑したのを覚えています
傍観者の立ち位置で見る事に慣れていたので、主体になるのに違和感を覚えたのです
それを思うと黄金は恐らくアライアンスでのコラボをきっかけに、FF14を始めるFF11ユーザーが好むシナリオ構成にしようとしたのではないかと考えました
しかしFF14を特に漆黒から始めた層は「PCの主役劇を好む」人達でした
NPCの視線が自身のキャラクターに向く構図を好む人には、黄金の群像劇主体のシナリオ構成は好まない物であったのです
なので「ウクラマトに主人公を取って代わられた」と取る人が出てしまったと思います
ではどうすれば良かったのか、答えは一つで光の戦士が主役のストーリーラインを作るべきだったという事になります
一応7.0後半からスフェーンがヒカセンに対して視線を若干向けますが、ウクラマトの方も同時に向いているのであれでは不足だったと思います
そして最後の討滅戦の最中の乱入と最後の対話もどちらかというとウクラマトが主体になってしまっていました
紅蓮の時はゼノスとの対話時に他のNPCは遅れてきた為に、視線が他を向いている事も無かったです
ここが二つのシナリオの評価の違いの一つとなりました
7.0の範囲でやるならば、ゾラージャVSウクラマト&コーナの群像劇にスフェーンVS光の戦士の主役劇構図であればまだ受け入れられたのではないかと思います
家族の確執と断絶に破壊装置と維持装置で異なるストーリーラインを構築していればあるいはという感じでしたので非常に勿体なかったと思います
7.1でも構成は変わらずコーナやグルージャが主体でありましたが、光の戦士がリンクパールで各NPCに連絡を取る場面や話しかけた際の台詞等が一部主体性のあるものに変化していました
7.2からはカリュクスの存在で光の戦士を主体とした構成に戻そうとしていましたが、ウクラマトを急に横に避けた印象を持たれてしまったと思います
7.3では群像劇と主役劇を並立させようとしていましたが、シナリオの締めでもありやはりウクラマトとスフェーンを主体に書かざるを得ない為に元に戻ってしまったという印象を読み手が受けてしまったと思います
7.4ではクルルとトレノの街の人々が主体でありながら、光の戦士へのスポットが転生組のアシエンとカリュクスにより再び当たり始めた印象です
しかしここまでに脱落してしまった人々にその情報は届きません、好みの「PCの主役劇」になったとも現時点では言えません
7.5や次の拡張の内容発表でその期待感を上げられるかどうかが今後の鍵になると思います
※余談ですがVD商客物語で「主人公ではない?」という感じの台詞があるようで、NPCを主体とした構成の仕方もあるというのを暗喩したかったのかもしれませんが今やるのは火に油だと思います
黄金のシナリオ振り返りやシナリオライターへのインタビュー等で本来やるものだと思います、そこを避けた結果ですのでそんなつもりがなくとも印象は悪く取られてしまっても致し方ないかなと思います


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