とりわけ後期のデリダは、あまりにも無益で、読む者をただメランコリックにするだけのところがある。精神の健康のためにも、デリダの著作とは少し距離を取ることを薦めたい。もちろん、『散種』までのデリダの知性が、異常なほど輝いていたことは否定しない。あの時期のデリダには、哲学や文学の地層そのものを揺さぶるような、危険なほどの明晰さがあった。
しかし後期になると、その明晰さは責任、赦し、不可能性といった主題の周囲を終わりなく旋回するものへと変わっていく。そこには思想的な重みがあるとしても、読む者を解放する力より、沈ませる力のほうが強いように思える。
引用
むね
@mune_mune_1101
デリダって今さら読んだところで何の足しになるのかよくわからないな。