日本の「思春期教育」の現状
日本の思春期教育は極めてシンプルです。まずエリート候補には、「受験教育」だけを与えます。そして、「受験勉強をしないと上の学校に入れない」というプレッシャーをかけて、逸脱を防ぎます。
その受験勉強は、本物の思考力を問うものではなく、反復訓練で正確性を向上させる、記憶力を問うという「中進国型」のものが主です。中進国型とは、工場で製品を大量生産する、その際にはスピードと正確さを極める、それ「だけ」がいちばん大切だという価値観です。
これは、1970年代までの日本には適していても、デジタルからAIに向かう「知性の大競争時代」とはミスマッチを起こしています。それで中学・高校の6年間を空費させて、上の世代、つまり過去の世代にとって「使いやすい人材」を、今でも大量生産しようとしているのです。
一方で、非エリートの場合は、この「受験のプレッシャーで机にかじりつかせる」ということができないので、代わりに校則と部活で縛ります。刑務所と同じようなことをやらせて、食うに困って反抗しなくなる年齢まで逸脱せず、6年が経過するのをじっと待つようにさせるわけです。
それだけです。具体的には「思春期教育」などというのは、ないに等しいのです。こうしたアプローチというのは、本当にもったいないと思います。
大切なのは、「進路教育」です。学問も、ほかの課外活動も、すべてが将来の進路を見据えたものになり、そのための情報収集とスキル獲得のために、全部が有機的に結びついているようにするのです。
そう申し上げると、それでは「職業教育」であり、一般教養が外されるなどと文句を言う人が出てきそうですが、違います。
本当の職業人・社会人になるには、歴史も文学も、そしてもちろん、サイエンスの基礎も絶対に知らなくてはなりません。そういう部分を落とせと言っているのではありません。そうではなくて、思春期の6年間を通じて、しっかり「進路に関する考え方とモチベーションを固めるような機会」を与えなくてはダメなのです。
たとえば法曹志望なら、法廷だけでなく、刑務所も法務局も競売も見ておくべきです。医師や看護師志望なら、病院だけでなく、救命の現場、死亡告知の現場なども見学して、進路への思いを固めさせるのです。
「18歳選挙権」に右往左往
思春期教育ということでは、家族をつくって、子育てをし、社会が滅びないように次世代に継承していく教育も、日本の場合はほぼゼロです。
買春教師がクビにならない一方で、男女交際が犯罪視され、妊娠した女子高生は放校処分になる。
社会を見回せば「単身赴任」などという世界でも稀(まれ)な悪習が残っていたり、「ああなりたい」というロールモデルが非常に少なかったりするなかで、結婚や子育てへの動機づけ教育がされないというのは、大問題だと思います。
思春期に必要なのは、男女交際を経験させて、その内容をレベルアップさせる教育です。思春期の6年間にきちんと「意味のある試行錯誤」をさせておけば、結婚や子育てをしっかり当事者として考え、そこから本物の幸福を引き出すスキルも身につくはずです。
社会的な観点から考えると、「主権者教育」についても問題があります。18歳に選挙権を与えるということは、言い換えれば、「思春期を通じて、主権者になる教育をする」ということです。
主権者というのは、ルールに100%疑問なく従属するのではなく、ルールの問題点を発見して、ルールがよい形で機能するような制度設計をする人のことを言います。
そのようなスキルを身につけるには、「ルールを逸脱する」という訓練も、スキルを獲得し、思考力を身につけるための通過儀礼としては必要です。そのようなことを一切させないで、18歳選挙権になって「主権者教育をしなくてはならないから困った困った」と学校現場が右往左往していたことこそが困ったことです。
家庭のレベルでは、まず子どもの思春期から逃げないことです。
前思春期に過剰なケアをすれば、思春期入りした途端にギクシャクするのは目に見えているのですから、もっと柔軟かつどっしり構えて、子どもの思春期を受け止めるべきです。
世界の思春期教育「3つのトレンド」
思春期教育の大切さをお話しするのは簡単です。ですが、実際に思春期の若者に向き合っていくのは、もちろんそう簡単ではありません。思春期とは、人生のなかで最も成長する時期であると同時に、最も激しく試行錯誤がされる時期でもあるからです。
そんな思春期に向かい合うにあたって、世界では大きく分けて3つのトレンドがあります。それは、次のようなアプローチです。
② 年齢相応の枠に閉じ込めず、早熟へ向かわせる
③ 介入しなくても、ひたすら見つめ、見守り続ける
2000年前後のアメリカでは、「ヘリコプター・ペアレント」という言葉が流行しました。子どもが困難やトラブルに直面した場合には、急いで駆けつけて子どもを守るという考え方ですが、今はこのようなアプローチは否定されつつあります。
反対に、近年の教育では、あえて困難を経験させることで、子どもの成長を促す考え方が注目されています。これは単なる忍耐の訓練ではなく、心理学や教育学の知見に基づき、子どもが自ら問題を解決する力や回復力(レジリエンス)を育むことを目的としています。
子どもが挑戦と失敗を繰り返すなかで、「できなかったことができるようになる」という実感を得ることが、長期的な学習意欲を高めます。また、この方法論は、教科の学習だけでなく、人間関係や組織における行動など、将来を生き抜く力を育てることにも応用できると言われています。
「早熟さ」を成長に結びつける
2点目の「早熟な子どもをどうするか」というのは、極めて現代的な問題です。
現代の子どもは、ネットの発達によって、10歳前後から猛烈な情報の洪水に襲われながら育ちます。もちろん個人差はあるわけですが、全体として子どもはどんどん早熟な傾向になっていきます。
親や教師としては、未熟な心身を持つうちは、できるだけ情報洪水を遮断して子どもを守ろうとしており、たとえば15~16歳未満のSNS禁止などを打ち出している国があるのはこのためです。
ですが、思春期に入った子どもたちについては、年齢相応の枠にはめるのではなく、「早熟へと向かう爆発的な力を成長に結びつける」というアプローチが、世界では一般的になっています。
日本の場合は、今でも「年齢相応」という考え方、伝統的な「枠」が、色濃く残っています。一方で、思春期の早期化は日本でも進んでおり、最も難しい学年は「小学校5年生」だと言われてもいます。
その結果、良くも悪くも賢い子どもは「従順な小学生」を演じたりしますが、結果的に早熟な部分は、親や教師には可視化されません。まして、早熟であるがゆえの爆発的な成長力に見合った教育を大人が用意するのは難しくなっています。
子どもが早熟であることを、「逸脱」ではなく、「成長への推進力がついた証拠」と捉えて、伸ばす教育というのは、21世紀にはますます重要になっていくと思われます。
思春期の子の「正しい見守り方」
3つ目の「見守る」というのは、とにかく思春期教育の基本です。
日本の場合は校則や部活の束縛、あるいはハードスケジュールな塾通いに子どもを放り込んでしまうと、親の出番は限られてしまいます。そこに、子どもが反抗的な姿勢を見せてくると、余計に親子の距離は離れていきます。
そこを我慢して、親はとにかく子どもの動向を見守っていく、部活の遠征、音楽の発表会など晴れの舞台には、必ず足を運んで子どもを見守る、というのは、非常に大切になります。
アメリカの親たちが、思春期になっても子どもの誕生会を開くのは、子どもを甘やかすためではなく、交友関係をそっと確認するためでもあるのです。