第四節 心を通う

 昼食を済ませた一行は、腹七分目というちょうどいい塩梅であった。

 雪隠せっちん(トイレのこと)で用を足し、旅支度をさっと済ませた三人と一羽は塩湖を離れた道を歩いていた。

「ボワッ、ボウッ」

 歩鳥の海松みるは急に出てきた野犬に威嚇の声をはっする。彼女一羽であれば無視して見逃すだろうが、ここには仲間が三人いる。

 吠えられた野犬は悔しそうにすごすご去っていった。

「どっちが主人かわからへんな」

「そうね。愁慈郎のほうが小間使いよね」

「うるさいな。海松はどこぞの猫やふくろうと違って優しいってだけだ」


 左右は原生林に覆われており、歩いているのは踏み固められただけの獣道である。

 和魅の土地では、獣に荷車を引かせるという概念が存在しない。

 獣それ自体に持たせることはある。荷駄を駄馬やなんかに、とかはまさにそうだ。

 海松みる――それは、海松色に由来するこの子の名前だが――平地ではあまり見ない、歩鳥というこの生物もそうだ。

 猛禽類特有の太い鳥脚の太ももや、胴体に荷物をくくりつけている。


 ただ、ひとが鳥や獣に乗ることはあまりない。

 身分がどうこう、ではない。馬に客を乗せる仕事があるのだ。

 乗掛のりかけといって、馬に客と荷物を乗せる商売は実在のものである。

 そう、銭さえ払えれば、庶民でも馬に乗る。

 今はもう、戦乱の世ではないのである。


 ただ、ひとが乗るとどうしても鳥獣に負担がかかる。長旅でそれはまずい。

 それに、人を乗せるくらいならば、その分、荷駄や飼い葉を乗せるのが普通であった。


 愁慈郎は海松の隣で、愛鳥の首を撫でつつ歩いていた。

 轡は取らない。そんなことをする必要はない。鳥類はひとが思うよりずっと賢く、そして、海松は旅仲間を信頼している。

 むりに引き連れ回すのは、かえって、気高い彼女への侮辱であろう。


 ――? いや。

 よくみれば。

 愁慈郎と銀夜の上背が少し伸びている。

 ――脳天にぽこんと膨らんだたんこぶ一つ分。


「まだいってえんだよな」

「なにも殴らんでええやん」

「うるさい黙れ」


 さきほど愁慈郎らが加勢もせずに賭けをしていたことが気に食わない朽梨である。仕置きとしてボコンボコンと一発ずつ拳固を落としていた。

 むろん、ことの次第はもう解決済みであるし、遺恨などない。

 ちなみに、賭けの勝ち銭で店の客に奢っており、それで喧嘩沙汰は大目に見てもらっていた。


 一行は塩辛い風が吹き付ける塩湖沿いを離れて北東へ進んでいる。


 この先に野地合戦場のじかっせんじょうという、かつての戦場の跡があるらしい。例の賊の親玉は、その城址をねぐらにしているという。


 野地合戦場――古戦場の一つ。

 津久田藩の藩祖となった大瀧氏と、楢川氏の激闘が繰り広げられた土地である。


「大瀧氏は山にあった津久田海鳴神社を本陣にして、陣城を効率的に設置していったらしいな」

 愁慈郎が、途中の店で売っていた半冊子を手にいう。表紙には「雷獣大瀧噺」とある。

 大瀧氏は雷獣という妖怪で、狼の血質の強い血族らしい。

 金毛雷狼こんもうらいろうじゅう

 東和魅における、二大雷獣党――天海国あまみのくにの大瀧党と、尾梁国おわりのくに党の一角である。


「大瀧様言うたら、お前、雷神なんていわれとるような大物やろ。津久田藩には天海様以外にも神がおるぞ〜、なんて言われとったが、大瀧様のことかい」

「雷神って?」朽梨が銀夜に問うた。


 初代大瀧氏――大瀧雷蔵おおたきらいぞうは戦乱の世で豪傑無双とまで言われた姫武将である。

 雷蔵という通り名は、より雄々しい印象を与えるためではないかとも、あるいは兵法の師匠からもらったものではないかとも言われている。

 以来、雷蔵は世襲の名前となって伝わった。

 現在の津久田藩主は、雷蔵から数えて三代目雷蔵、迅雷子じんらいのこの大瀧蓮太郎雷蔵おおたきれんたろうらいぞうという。八尾の雷獣だそうだ。


「妖怪は神が下野した姿とも言われとる。それは知っとるやろ」

「ええ。凋落、ないし零落した神の成れはて……あるいは」

「かつて神であった獣が、再びその座へ戻ろうとした結果、一つずつ姿とかな」

 愁慈郎が、半冊子を畳んで腰の帯に挟む。

「せや。尾が増えるとか、冠羽が増える、角が変質するでもええけど、とにかくそうやって妖怪は変化し、神への座へと登っていく。そういう意味では、大瀧様はもう半分が神とも言えるような状態やな」


半神ハンガミ


 朽梨が小さく言った。

「なにって?」

「いえ……兄上が、むかしそういう妖怪と戦ったらしくて」

「ふうん」


 妖怪は、七尾以上で大妖怪と言われる。八尾で半神妖怪はんじんようかい

 九尾ともなれば神通妖怪じんづうようかいだ。まさに神に通じる妖怪である。

 そして玄慈様――天慈玄慈命あまじげんじのみこと様級ともなると、完全な「神」である。


「っても。妖力の多寡だけで神様にはなれないんだろ」

 愁慈郎の問いに、朽梨が答えた。

「そうね。心技体、いずれが欠けても成り立たないと兄上はおっしゃっていた。特に難しいのは心を磨き、研磨したそれを維持し続けること」


 心の充実をずして、人妖ひとに成長なし。


 玄慈様はそうおっしゃられた。それは有名な台詞である。

 己にも他人にも厳しい玄慈様だが、かつて極度の人間嫌いであった彼が、如何にして人妖融和を選んだか。

 その理由が、すなわち心の充実にあるのだ。


「言わんとすることはわかる。忍びは特にな」

「なんで?」

「愁慈郎、忍びっていう字、どう書くか知っとるやろ」


 愁慈郎は「忍」という字を浮かべて、

「心に刃を当ててるな」

「ああ。心を殺さんと、忍びにはなれん。俺は心を殺せんかった」

「それが普通よ。あなたはそれでいい。修羅になる必要なんかない」


 朽梨は、静かに銀夜を肯定した。

 愁慈郎も、「俺達は銀夜の心に救われてんだ。何度も」と答えた。


 銀夜が喉をかいた。

「面映ゆいねん、やめろや」

 ぞんざいな口ぶりの割に、三本の尻尾は嬉しそうに揺れていた。

 彼の喉から、小声で「にゃっは」と嬉しそうな猫の鳴き声が鳴ったのを、愁慈郎と朽梨は聞こえないふりをした。

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