第三節 朽梨舞闘

 べん、べべん、べんべん。

 という、三味線の音曲が優雅に響く飯屋にて。


「ハマダイコンと干しはまぐりの出汁煮〜」

「姉さん、こっちやこっち」

「あいよ。それから若鶏とネギ味噌の湯漬けは?」

「こっちだ、すまん」

「あいよ」


 愁慈郎らは頼んだ飯を囲んで、早めの昼食を取っていた。

 朽梨は野菜が採れづらい環境――塩湖がもたらす塩害が理由だ――であることにやや不満げだったが、ハマダイコンの葉茎と凍り豆腐の炒め物や、芋団子には満足が行ったらしい。

 とくに、ヘビ肉のつみれ汁は大変お気に召したようで、朽梨は思わず「ホホッ」とフクロウのような笑い声を漏らしていた。


「美味しいわね。山では育たないのかしら」

「ハマダイコンっていうくらいだから、浜がないことには育たないんじゃないかな」

「カイサダイコン、ってのが正しい名らしいで。ここで育つ品種らしい」


 愁慈郎は調理中――板前席なので、厨房がよく見えるのだ――くだんのカイサダイコンを見たのだが、やや赤みを帯びていて、大根というよりは丸く太った人参のようにも思えた。


 なお、赤潮から塩を生成するのは品質的な問題から困難が生じるため、ここらでは味噌が味付けの基本である。

 むろん、天海国あまみのくに自体は海国であるが、内陸部まで塩を輸送するとなるとちょっと難しい。

 むしろ、天嵐国てんらんのくにに近い地域では、そちらか山で取れる岩塩を商ってくるほうが安上がりですらある。


 味噌自体は愁慈郎らに大変馴染みのあるものである。が、魚出汁や昆布出汁は未知であった。無論、干し魚や干し貝などは食べたことがあるが、新鮮な海産物の出汁は、銀夜を除き、全くの初挑戦である。

 ハマダイコンやら蛤やらは普段食べないものだが、庖丁人(板前とも)の腕前がいいのか、大変美味であった。


「北上していくと、津久田藩つくだはんというところに出る」

 と朽梨。そこで湯呑みから白湯をすすって、口を湿らせた。歩き疲れた体にはちょうどいいが、それでも、ちょっとしょっぱい。水気が欲しくなる。

「そこに津久田天海神社があるんだけれど、まずはそこを目的地にしたいの」

「例の一揆には加担しないってことでいいんだよな」

 愁慈郎は念を押すように聞いた。

「ええ。戦闘には、だけれど。巻き込まれないようにはするつもり」


 さて。

 場所は貝砂湖を湖岸沿いに北上していった先の、とある小宿場である。

 小さな旅籠が数件と飯屋がちょろちょろと軒を連ねる、むしろ、地元民がたむろしていることが多いというくらいの土地である。

 歩鳥の海松を厩舎の一角に預けた一行は、そこで、ちょっとした軍議(?)をかねた昼休憩をしていたのだ。


「岩見砦で嫌と言うほど学んだわ。戦なんてのは私のやることじゃないってね」

 儀礼用の拵えが施された打刀――山颪守八岐落としを腰に差している(今は小上がりに上がっているので、帯からはずして右手側においているが)彼女は、その重みが命の重みであると自覚している。

 鉄砲で肩を撃たれたから怖気づいたというわけではないのだろう。

 実際、あのあと旅の最中に絡んできた悪漢や、穢獣ケダモノと数回戦っている。都度、朽梨は果敢に挑みかかっている。


「……泰平の世となって百五十年余り。この幕国体制ばっこくたいせいに不満を禁じ得ない勢力っていうのは多いものよ。兄上――玄志郎兄様から聞いたことがある」

 幕国体制とは、神恵戸幕府が各地の国持大名に「領国」を与えて運営権を認めつつも、事実上は幕府を頂点とした中央集権制とした政治体制である。

 さらに各国はその下に藩を持ち、藩主にその運営を任せる国藩こくはん体制を敷く。

 主が家臣に土地を与え、家臣が陪臣に土地を与える――封建制にも近いが、幕府が絶対的な支配力を持つという点で、決定的に違う。万が一反乱が起これば、それこそ、天慈玄慈命あまじげんじのみこと様が直々に「粛清」する。


 なんとなれば本来神域を出られないのが神という存在である。

 そのうえ血の気や骸の気を嫌う神の中で、天慈玄慈命あまじげんじのみこと様は唯一「玄慈球という惑星全土を神域」として認識している例外的な存在であり、赤不浄にも黒不浄むくろにも耐性がある。

 つまり、「現地へ赴き、鉄拳制裁できる」唯一の神なのだ。

 この絶対的な優位性が、神恵戸幕府の存在を揺るぎないものとし、幕国国藩体制を揺るぎないものとしている。


 むろん、恐怖政治ではない。

 玄慈様はあくまで「戦乱へ逆寄せさせないこと」を目的とし、それ以外で力を振るうことはしない。己より上位の神――四神子しだいかむのみこが一柱、常闇とこやみ様にそれを誓っている。


 しかしそれでも。

 神を殺す――弑逆する手段は、無ではない。

 玄慈様は旅の中でそれを学んでおられるゆえ、国藩の動静には目を光らせている。

 それに用いているのが、幕府隠密方である「御庭番衆」であった。


「ほんまなら俺もその隠密におるはずやけど。ま、それについては家出小僧ってことで流してくれや」

 というのは、銀夜の言。

 彼の母方の一族は霧島組という最凶の隠密組織であり、忍びとか、乱破、細作、草、突破などともいう集団であった。

 実世界風に言えば、昭和以降からは忍者という文字が当てられるようになった存在である。

 当時は、戦術の呼び名が基本で、忍者という単語は用いられていない。


「これは俺が旅してきた中で聞いた話やけどな。どーも、きな臭い曲者はおるらしい」

「冗談だろ? まあ火のないところに煙は立たぬとはいうが。玄志郎様が警戒なさってるってことは、この一揆は……」

「神具、神宝。すなわち、神に抗する神器を巡る争いでもあるわけ。兄上がいまお隠れになられるのはまずいわ。兄上にはまだ世継ぎがいない」


 愁慈郎は事の重大さに今更ながら気づいて、おののいた。

 玄慈様の跡目がいない。となれば、今玄慈様がお隠れになられた場合――最悪、神恵戸幕府の崩壊を招く。

 あくまでも神恵戸幕府は、とある大狸の一族が運営している組織だが、その背後に玄慈様がいて初めて成り立つのだ。


 いわば、「和魅大陸という大陸国家の主祭神」こそが、玄慈様なのである。

 甚だしきは、また戦乱が起きる――。


 一行はこの天海神社一揆に関しては、静観するというのが方針である。だが折を見て海鳴教派――現行の保守派と接触する必要があるだろうと思っていた。

 因循固陋いんじゅんころう、古臭いやり方に縛られる保守派だが、それだけに――否、それだけ、玄慈様に敵対しない保険にもなる。

 古いということは、神の恐ろしさを理解している証左なのだ。よしんば弑逆できるだけの神器があっても、封印し続けることに同意するだろう。


「おい、邪魔するぜ」

「相変わらずシケた店だ」


 そこへ、会話を断ち割るような蛮声が暖簾の向こうからした。

 人相の悪い男らが数人やってきて、彼らは土足で小上がりに上がり込むと、他の客の酒をひったくって、ぐいと呷る。

 ある男は干し蛤の煮付けの椀を奪って口をつけ、飲むように頬張る。

 若い町娘に抱きついたり、奉公人の坊主を突き飛ばしたり、まあ絵に書いたような、悪党の手本を演じていた。


「なんやねんあいつら」

 銀夜は眉をひそめた。愁慈郎もだ。

 ここで正義感を振りかざせるほど、愁慈郎はできた男ではない。なるべくならかかわらずにいたい。

 しかしそれは、――旅に出る前の己なら、だ。

 視線で朽梨と銀夜を見ると、彼女らも、機会を窺うというふうな目で小さく頷いた。


「おいみろ、どえれえ上玉だぞ」

「おいおい、マジか?」

 ――実世界における江戸時代には、すでに「まじ」、「やばい」、「もてる」、という言葉が存在していたのは有名な話である。


「姉ちゃん、酌してくれよ」

「その豊かな胸乳のでもいいぜ」

「天狗の乳酒か、がはははっ!」


 朽梨は肩に腕を回されても顔色一つ変えない。が、眉根は怒りと屈辱で震えており、

「なあ、すこしさわっていいか? なに、減るもんじゃ――」


 ゴスッ。

 朽梨の裏拳が、男の骨ばった頬を穿ち、後ろへのけぞらせた。

 体のどこに力を入れたのかわからぬような滑らかさで、ぬるりと立ち上がる。

「阿呆が。喧嘩を売る場所と相手を選ばぬか」

「ああ? んだとこのクソ天狗が!」

「手足の一、二本へし折って犯してやれ!」


 朽梨は首を二度ほど回す。肩をぐるっと回し、

「弾き手」

 浅葱色の目が、三味線の撥を止めてしまっていた弾き手の女を見やる。

「撥を止めるな」

 弾き手の女が頷いて、撥を握り直した。


「来い、ガチャ蝿ども」

「チョーシくれてんじゃねえ、クソアマァっ!」


 すかさず悪漢の一人が突っ込んできた。

 朽梨は座布団をつま先で蹴り上げて、掴みかかってくる男の鼻先に放る。

 慌てたそいつの顔貌を、座布団越しに掌底で二度打ち。

「ぎゃぁ」と短く悲鳴を上げる男。

 その怯んだ体を、左手側から迫る男へ向けて突き飛ばしてまとめて転がすと、朽梨は素早く土間に降りる。


 三味線の演奏は止まらず、客たちは余興とばかりに騒ぎ、囃し立て、あろうことか賭けまで始める始末である。なんとしたたかなことか。


 立てかけてあった竹の物干し竿を掴んで、彼女は半ばを膝に打ち付けて折った。即席で二刀流にする。

 右手から迫る――相手にも何らかの仁義があるのか刃物は抜いていない。素手である――男の顔面を竹で打ち、首筋を打擲して打ち倒す。

 正面から突撃してくる相手を、右の竹を投げつけて怯ませ、左から手を伸ばしてきた男の手首を、

 ゴンッ。パキッ。

 と、竹で打って脱臼させる。


「くそがぁ!」

 正面の怯んでいた男が、抱きつくようにして突っ込んでくるが、朽梨は相手の肩を右手で掴むや、そこを起点に跳躍。

 華麗な宙返りを見せる。

 そして背後から肩を強めに押せば、男は勢いのまま壁に激突し、ひっくり返る。


 客が歓声を上げた。

女郎めろう!」

 頭目と思しき、大柄な狗賓天狗が挑みかかる。平手ではない、握り拳だ。

 朽梨は嘆息した。


「女相手に拳固か。女房は泣いておられよう」

「るせえ!」


 繰り出される拳打を、朽梨は首を振って躱し、相手の手に己の平手を添えて勢いを流し、いなす。

 相手の右拳がひときわ大きく振り抜かれたのを見計らい――。

 朽梨はその時機を逃さず、相手の腕の下から掌底を繰り出し、みぞおちに食い込ませた。

「げあっ」


 頭目は込み上げる胃の腑の液体を、こらえきれず、吐いた。

「く、くそ、なんだおめえは……」

「飯時を邪魔されて、虫の居所が悪い糞天狗だが」

 敵前では武士言葉である朽梨。威厳と威圧感を、あえて放っているのだろう。


「まだ続けるか。加減はせぬぞ」

「ま、参りました……」


 朽梨は体を巡る圧力を逃がすように、ゆっくりと翼を広げた。かすかに、妖気のようなものが放射されたのがわかった。

「店に寄り付くなとまではいわん。せめて客として寄るように。……それから、お前らの首魁は如何に」


 男は顔を上げた。

 この数人の頭目こそこの男だが、実際、本当の親玉は別にいる。それを、朽梨は察したのだろう。

 本当にこいつらが筋金入りの悪党なら、引き下がって、「参りました」と言ったりするとはおもえないのだ。

 それに。

(刃を抜なかった。ということは、まだ人殺しに慣れていないってことよね。おおかた、山賊か何かの新入り、下っ端でしょ。木っ端山賊をしめても意味がない)


 男は、絞り出すような声で言った。

「北東に、古戦場がある……そこが、根城だ」

「素性は」

「十年くらい前に改易された浪人って聞いた」


 朽梨は必要な情報を聞き出したと判断し、顎で、軒先を示した。

「去れ。真っ当な仕事につけ」

「はいっ、二度と悪さはしません……っ! お前らっ、いくぞ」


 のされた仲間を助け起こし、男らは去っていった。

 見捨てないだけマシである。それくらいの仲間意識があれば、まだ、更生の余地はある。


 翻って。


「よし、俺らの勝ちだ」

「おら朽梨が勝ったやろ。俺らの儲けやぞ。わはは、倍になったで愁慈郎」

「か〜〜っ、あの姉ちゃんつええな〜」

「くそ〜っ、家に帰れねえっ」


 あのバカ二人は、朽梨で賭けをしていたらしい。


「遊んでないで助けろよ阿呆がっ!」

 朽梨の怒りの咆哮が炸裂する。


 そこで、べべんっ、と。

 空気を読んだように、弾き手が音曲を締めくくった。

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