第二節 流浪の妖狐

 明日明後日には上弦の月であろうか。

 眠たげに膨らんでいる金色の月はしかし、夜天を赤く焦がしている炎にあぶられ、黒煙にくすんでいる。

 怨嗟か、それとも仇を討って弔ってくれるそいつへの感謝か、炎は激しく燃えていた。


 そう。

 炎が燃えている。


 組み上げられた薪が燃えているのだ。薪が燃やすのは、むろん、木々だけではない。

 廃村のくたびれた家々の木材を解体し、薪として拝借していたのだが、理由もなく燃やしているわけではなかった。

 業と燃える火は、同時に、野武士に斬り殺された者も一緒に焼いている。そして、野武士それ自体も。

 野盗だろう。村は、この集団に襲われていた。


 ひとの体毛が焼ける凄まじい悪臭が立ち込めている――。

 一人の若者が、正座のまま微動だにせず、無言で滝のように汗を流している。炎を前に、右手側に杖を寝かせ、瞑目して合掌していた。

 腰から生える月白の尾は、四本。


 男である。男の妖狐。

 木綿でも麻でもない着物は、見れば獣の毛皮を鞣した生地でできている。襟には白貂の毛皮が用いられていた。


 顔立ちは凛々しく精悍。まぶたは重く閉ざされている。

 狐の耳と尾は、しかし先端が桜のような撫子色に染まっているのが特徴的だった。

 見れば毛も、やや、紅がかっている。それは決して、炎の紅蓮がそのように見せているわけではない。


 男の名を、刃走子はばしりのこの稲尾燈二郎槐守いなおとうじろうえんじゅという。

 そのとき狐の耳が、ぴくりと跳ねる。

 まぶたが開いた。藍色の瞳が、まっすぐ炎を見据えた。

「いたっ、こいつだ!」

 蛮声が、供養を邪魔した。


「おまえが、わしの子分を切ってくれた男か」


 燈二郎は静かに合わせていた手をはなした。

 答えないが、是、である。

 村を襲った愚劣どもを片っ端から斬り伏せたのは己である。

 静かに右手を杖へ伸ばした。


「答えろっ!」

 賊が無骨な刀を振り下ろした。風を切る音。次の瞬間には、妖狐の頭がかち割られる――。

 がぢんっ。

 鉄と鉄が噛み合う音。

 燈二郎は素早く抜刀。おいてあったのは杖ではなかった。仕込み刀である。

 しかし――右手に鞘、左手に柄。わずか三寸ほどの抜刀。けれども賊の刃は、その隙間からぎろりと睨みつける刃筋に食い止められていた。


 燈二郎が剛力で相手の刀剣を跳ね飛ばすと、独楽のようにその場で旋転。

 尾の重みを利用し、遠心力を持って宙へはねて、尾を薙いだ。


「バカが、当たるか! 間尺を考えろ!」

 賊の親玉が吠えるが、次の瞬間、両脇を固めていた二人が血を撒いてぶっ倒れる。

「な――」

 見れば、二人の脳天と喉、左胸、そしてみぞおちには毛針が深々と刺さっている。

 毛を撚り合わせた即席の銑鋧せんけんである。


「〈毛針銑鋧ノ術けばりせんけんのじゅつ〉だ」

 燈二郎は着地。利き手に持ち替え、右逆手に仕込み刀。左手で鞘を払って、潤いと清冽さを兼ね備えた地鉄じがねを炎に晒す。


「くそ、お前らっ、なにしてる!」

 手下はまだいるらしい。わらわらと、五、七――十人ほどの、人間の賊が現れる。中には、化け猫やら、千疋狼もいるが。


 右手から突きこんでくる持槍。燈二郎は首を左に振って穂先をかわし、相手の柄を左手で押さえた。そして引っ張るふりをして、相手が慌てて引き合おうとしたところで逆に押し込んでやる。

「うわっ」

 と慌てる相手の股間を思い切り蹴り上げて、逆手の仕込み刀を右の腿へ突き刺した。

 悲鳴と同時に、肉が固まる前に引き抜く。


 左手からは鋭い方向と同時に、まさかりの横薙ぎがきた。

 燈二郎は膝を折って滑り込むようにして集団に潜り込み、その場で左手をついてそれを軸先に回転。再び尾を全方位に薙ぎ払い、

 ――〈毛針銑鋧ノ術けばりせんけんのじゅつ〉。

 を見舞った。


 的確、かつ、逃れられない速度の毛針。敵方からしてみれば、銃声のない狙撃である。

 毛針は毛皮くらいならば容易く貫いた。

 煉革の革具足だろうと、痩せた貧乏具足だろうと、構わず関節を狙って刺し貫いている。


 だが。

(毛針はもう打てん。血が足らん)

 言うまでもないが、妖術とは無制限に打てるわけではない。


 残りはこの時点で四人。

 巳、未――左右の斜め前方から二人が切り込んでくる。

 いずれも錆びた痩せ刀だが、あなどれない。燈二郎はあくまでも着物に手甲と脚絆の素肌武者状態なのだ。


 やや数拍ほど早い右手の斬撃。それを逆手切り上げで弾いて、敵の剣先を、もう一方へ逸らす。

 左手側の斬撃が逸らされてきた右の刀剣とかち合い、火花が散った。

 その間隙を縫って燈二郎は仕込み刀を二度、振った。銀の閃きが、炎と月光を反射したのもつかの間。

 ごろり、と二つの頭が落ち、血が間欠泉のように吹き上がった。


 残りは二人。

「おいっ、逃げるな! くそぅ、何だお前は!」

 みっともなく逃げた一人。燈二郎の左手が素早く振るわれれば、そいつは針だるまになって転がる。事前に作った毛針だ。それを手挟み、三本放ったのである。

 こうなると自棄っぱちだ。奇声を張り上げて斬りかかってくる首魁。

 燈二郎は左手の掌で相手の柄頭をかちあげると、剣を握る右手首をがっちりと握り込んだ。

「ぐあっ」

 苦鳴を漏らしつつも、男は左手で懐から小刀を抜く。


「俺のほうが早いぞ」

 燈二郎の刀は、すでに男の脾腹に浅く食い込んでいた。

 観念したように、首魁は小刀を手放した。

「くそ……答えろ、お前はっ、なんだ!」

「ただの武者修行だ。諸国を巡り、見聞を広めているだけだ」


 正直に答え、燈二郎は、男の腹を裂き、ついで喉と胸をえぐり、とどめを刺した。

 さっきは一人二人見逃したせいで、こうして「援軍」を呼ばれた。同じ過ちを犯すつもりはない。


 しかし――。

 圧倒、と言っていい強さである。

 燈二郎は拭い紙で血糊を拭い取ると、転がしてしまった鞘を拾って、かちりと納刀した。


 格好をつけて武者修行とは言ったが――。

 実際は、浪人に過ぎないのだ。

 むろん、お家騒動とかではないし、嘘も言っていない。

 諸国を巡り、かつ実家に迷惑をかけないために、「藩命」という名目で諸国を巡っているのである。

 それもこれも、いずれ家督を継ぐ兄へ仕えるため、そして幼い弟妹を守り、教え導く規範となるためだった。


 そんな燈二郎だが――。

 なんの因果か、愁慈郎たちと遭遇し、共に行動をすることになるとは、このとき夢にも思っていなかった。

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