第七節 三様の仁義
霧島組。
戦乱の世、戦灰時代に東和魅地域にて暗躍したとされる忍び集団。
本来はその存在が語られることなく、消え入るように歴史から姿を消すことを唯一の誇りとする忍びだが……。
この霧島組は、百年以上支配した初代惣領が寝返りを見せ、激しい内紛に発展。これが原因で、その存在を公にする事となってしまう。
ちなみに「お家騒動」を収めたのが、銀夜の母である霧島銀乃と、玄志郎――玄慈様の腹心である霧島
大きな損害を受けた霧島組だったが、先述の三忍を中心として戦灰時代の末期を生き抜き、今日まで命脈を繋いだ。
しかし戦灰期終焉を以て、霧島組は事実上の解散となった。
太平の世に、忍びなど――まして素性を知られた「陰忍」に居場所はない。
無論だが、本当に雲散霧消はしていない。
忍びの技は一子相伝で受け継がれている。
霧島宗家である万里恵は我が子に、そして傍流である銀乃、禰涅もまた。
すなわち――銀乃の息子である稲葉銀夜も、れっきとした忍びであった。
本来は、長子に技を伝えるのが通例である。
だが稲葉朔夜(=刀匠・一鉄齋)と銀乃の長女は相伝の術を継ぎ、代わりに忍びに必要である猫又の血は薄かった。
長男は忍びではなく武士として家督を継ぎ――。
結果、次男であり猫又の血が濃く出た銀夜に白羽の矢が立ったというわけである。
「なんで俺やねん」
銀夜は、常にそう思っていた。
両親の期待に答えねばという思いと、好きになせてくれという思いが胸の内側で幾度となく衝突していた。
その都度、火花が散り、
「いらんもん押し付けんな」
技ばかりを押し付ける母・銀乃に、きつく当たったことも一度や二度ではない。
今思えば、母も辛い立場だったのだろう。
だとしても。伝えるべきだったのは、技だけだったのだろうか?
なぜ母は、忍びというものに固執したのだろうか。
己が、猫又に生まれたのが過ちだったのか。
「俺は刀鍛冶やりたいだけやねん! 邪魔すんなや!」
その、御魂の叫びを抑えることはできなかった。
「この家に居ると腐んねん! やってらへんわ馬鹿馬鹿しい!」
そう叫んだのを覚えている。食卓で、茶碗を叩きつけた銀夜は、その日のうちに出奔した。
四年前の冬の夜であった。
三月二十三日。未の上刻(午後十三時)。
多田十兵衛を大将とした合計八十九名の多田隊は、獣篠愁慈郎、梟福殿朽梨と稲葉銀夜の三人を加え、岩見砦へと進軍を開始した。
この時代の戦は乱戦必死である。
なので、目印となる「黄緑色の布」を、味方の肩口に結びつけていた。
符丁は「龍」という問いに「
敵方も接近を察したに違いない。しかし
であれば馬出の利を活かした籠城戦に賭けるのが人情というものか。
太鼓の音はするものの、仕掛けてくる様子はない。
「城内を鼓舞しているのだ」朽梨は
「反撃前提で備えよ」多田は低く言い、悪路に強い歩鳥の上で采配を振るう。
愁慈郎たちの愛鳥・
水堀があることは、多田隊は知っている。当然だ。この新谷岳は彼らの庭なのだから。
足軽らが分担して背負っていた丸太と荒縄で簡易な架け橋を作ると、その上を渡る。
眼前には馬出が見える。
出入り口は、向かって左右にある。
「弓兵、火矢を構え」
弓兵五名、火矢をつがえた。
おおぶりな鏃に溝やらがあり、そこに硫黄を染み込ませてある。また、布で覆い飛翔中に火が消えぬようにしてある。
火縄で着火、そしてその火矢をつがえた。満月のように弦を引き絞る。
火矢の狙いは砦そのものを燃やすのではなく、木柵や櫓を焼くだけである。
火をつければ敵は消火に人手を割く。守りが手薄になり、寄手に有利になるのだ。
愁慈郎も弓をつがえていた。当然火矢である。
「愁慈郎、櫓の……四半町(二十七メートル)奥、巳の方角を狙えるか」
「ああ。
「いや、兵糧蔵や。大混乱になる」
銀夜が囁いた。
風はやや追い風。微風。空気の湿り気は――少し、重みがあるか。
愁慈郎は狙いを修正、上へ微々、傾ける。
「放てぇっ!」多田が采配を振るった。
ビャゥ、バウッと矢が放たれる。
六つの矢が、それぞれ、放物線を描いた。
二本が櫓に命中、二本がはずれ、一本が逆茂木に突き刺さる。
そして愁慈郎の矢は、狙い過たず、兵糧の蔵に刺さった。愁慈郎の屋は十を射て、九は当てられるほどの腕前である。
茅葺きの屋根が燃える。
火に強い土蔵ではないのか――いや、そもそも平和な時代だ。そのようなところに金も暇もかけられなかったに違いない。
砦は大混乱となった。怒号が飛び交う。
「よぉし、飛び出してくるぞ、佐々木鉄砲隊、右へ構え! 大野鉄砲隊、左へ構え!」
それぞれ佐々木隊が七丁、大野隊が八丁の鉄砲を構える。十匁(十八・三五ミリ口径)の
敵は、右から溢れ出してきた。
「えい、えい」
「おぉおおおっ!」
鬨を作り、迫る賊軍。
「佐々木隊、撃て!」
多田が命令。
ダン、ドン、ドドン! と佐々木隊が斉射した。
その間に、大野隊も狙いを右へすべらせている。
「大野隊、撃て!」
ドッ、ドン、ドウッ! と銃声が連続。
敵兵がバタバタ倒れるが、十五発の弾丸のうち、命中弾は四発ほど。
しかし、この時代の鉄砲はいわゆるノンライフル。滑腔銃だ。空気抵抗を受ける丸い玉を、火薬で放り投げているだけである。
半町(五十五メートル)先を狙って当てられれば上等、あとはもう、人海戦術と集団運用であった。
ゆえに、多田は「鉄砲隊、十五歩後退、弾込め!」と即座に命令。
そして、
「いいか、やれるな! えい、えい!」
「おぉおおおおおおおお!」
鬨の声だ。
この「えいえい、おう」は、「敵を倒す鋭意はあるか?」という問いに、「応とも!」とこたえる行為を指す。
つまり、「敵を殺せ、いいな!」「まかせろ!」という主従の応答であった。
足軽小頭が下知を飛ばす。
「槍衾を作れ! 急げ!」
槍足軽隊、槍衾を形成。城兵側も同じく、槍衾を作っている。兵力差は倍。こちらが有利だが――?
(消火に人手を割いているはず。なぜこれほどの兵を出せる)朽梨は訝った。
甚だしき三間もの長柄槍は、ここにはない。
山林という地形だ。扱いやすい、一間半(二・七メートル)の持槍が基本となる。
(敵の具足は、ここにそなえてあったものだな)朽梨はそう看破した。それから、(いや、脱走足軽か。一揆の煽りだろうな)
身につけているのは御貸具足だ。ご丁寧に、陣笠もしている。
「愁慈郎、具足相手ならどこを狙う」
「殴る。笠越しにがんがんぶっ叩く」
なるほど、槍を扱う上では最もうまいやり方だ。
事実として、戦国乱世における槍の用途は、突くよりも殴るほうが多かったとされている。
一貫(三・七五キロ)の棍棒である、鉄笠越しとはいえ、殴られれば首や背骨を痛める。
「金玉狙うのがええねん」と銀夜は言った。「草摺の間から股ぐら刺すのが一番やろ。的の小さい頭だ脇だの狙うよか、そこが一番や」
「チンポ刺すのかよ」愁慈郎は若干内股だった。彼は獣狩装束に、鉄の陣笠である。
「勝ちゃあええ」
銀夜はどこを刺すかには頓着していない。
というか愁慈郎も数日前に、賊の陰嚢を捻り上げているのだ。
「朽梨、降りたほうがええで。乱戦中は歩鳥が狙われる」
的が大きい、というわけである。
「ああ。回頭にも時をかけるし、槍衾の餌食だ」
颯と降りると、朽梨は歩鳥をいたわり、八尺杖を手にした。
愁慈郎も銀夜がもっていた槍を受け取り、弓を歩鳥にくくる。
「おい、あかん」銀夜がなにかに気づいた。「多田殿、敵の数が多い! 足音も声も、倍に膨れとる!」
「なに、援兵か! 糞、されど退くことなどまかり敵わん、えい、えい!」
「おおおおおおおおおおっ!」
――なんでやねん、退けや。
銀夜には侍というものが滑稽に見える。死ぬとわかっていて挑むバカがあるものか。
――阿呆臭い。
「我らもゆくぞ」
朽梨が言った。
愁慈郎が頷いているのを見て、銀夜はいよいよ、馬鹿げていると天を仰ぐ。
「ほんまに言うてんのか。俺らの戦やないぞ。物見だけで十分やんけ」
「阿呆が。己の生国を守るのが神使の務めだ」
朽梨が眦を釣り上げた。銀夜は「俺はなおさら関係あらへん」と肩を竦める。
「俺はお前らの手柄のために死ぬ気はないねん。糞食らえや。殺し合いなんぞ勝手にやりゃあええ」
朽梨は頬をわななかせた。
「もうよい。去れ。腰抜け」
言うなり、彼女は足軽らに加わり、戦列の中、その杖をふるい始めた。
あの意気軒高ぶりはどこからくるのか。
「阿呆臭い。俺は武士やない。糞みたいな忠義だので腹がふくれるわきゃない」
「けど、言ってることは正しいぞ」愁慈郎は、銀夜を説得するつもりか、そこにまだいた。
ひょっとしたら、彼自身、戦う覚悟が決まっていないのかもしれない。
「正しいこと言えば、人殺しが正当かされるんか? 誉れだの忠義だの、大義だので、人を殺すことが許されてたまるか」
唾を吐く銀夜の言い分も正しい。どんな理由があれ、殺しが正当化されてはならない。
そんな馬鹿げた理屈がまかり通ってしまったら、また、戦乱の世へ逆戻りだ。
「やってられへん。俺は抜けるで」
「抜けるって……」
「旅からや。そも、天海神社の一揆も糞食らえや。城からは抜けられたし、あとはもう、好きにさせてもらう」
愁慈郎は、身勝手な銀夜の振る舞いに腹を立てているのだろうか。
それとも、銀夜に失望しているのだろうか。
「お前はどないすんねん」
「わからん……けど、逃げるわけには行かない」
「身内にるいが及ぶからか」
「それもある。でも、朽梨は仲間だ」
「身勝手に俺等を捨て駒にするかもわからんような女やぞ」
銀夜は、問答はいいからさっさと結論を言え、と思っていた。
「加勢する」
「勝手にしたらええわボケが。付き合ってられん、くそ気狂い」
愁慈郎は、槍を手に駆け出した。
銀夜は、けれど、どうすべきか決めあぐねるばかりだ。
逃げちまえ、と囁く己がいる。
家からそうしたように。国抜けしたように。
なんてことない、逃げるのは忍びの技、
恥じることではない。いや、忍びに恥などない。
(なんでやねん。忍びなんぞ、こんなもん、嫌いや。俺にだって、誇りはある、恥もあんねん)
銀夜は腰に差している数打ちの小太刀を抜いた。
「ツレを見捨てへんのが俺の義やろ」
銀夜の目から、迷いが消えた。
あとは、まだ、迷ったまま槍を振るう友の隣に立ち、一緒に悩みながら戦うだけだ。
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