第四節 兄妹

「岩見砦が賊の手に落ちただと」

 裃に袴。腰には脇差しを差した偉丈夫が、左のこめかみを裂くように生えている黒い角を掻いた。

 父親譲りの、渋柿をかじったような気難しそうな顔をした男だ。

 こわい口髭を蓄えている。

 この男、いまでこそ二十一万石の大名だが、もとは一介の一侍からの始まりである。

 それだけでも、足軽身分から始めねばならないものよりはずっと恵まれているが――。


 のちに母衣衆の中でもとくに選りすぐりの「榛母衣衆」へ抜擢される、八面六臂の活躍を見せた。

 初陣で兜首を挙げ、続く戦では一番乗りに一番槍、組討を繰り返し、武名と求心を集め続けた。

 男の名は志郎兵衛という。梟福殿志郎兵衛。

 もの難しい顔だが、その実穏やかな気性で知られる。

 左手を見ると、中指、薬指、小指が根本から吹っ飛んでいる。戦で受けた銃創だ。大きな鉛玉が命中し、えぐり飛ばされたのだ。


「ふむ……所以はなにかあるのか」

「はっ。先ほど補給から戻られたのは一頭の歩鳥のみ。そこに……川辺左右衛門殿の首がくくりつけられておりました」


 鉄扇をたたみ、しかし激することなく、城主は平伏する重臣おとなに告げる。

「敵勢は」

「不明です。物見を送りましょうか」

「下手に刺激するのも拙い。草(忍びの別名)を送るべきか……」

 思慮深い男である。が、忠臣は、志郎兵衛の思考力を知っている。

 深く高速で考え、判断は、いかずちのごとく早い――。


 そこへ、「お待ち下さい! いくら神使様でも――」という慌てた声と、「火急の報せなり。一刻の猶予なし、無駄な問答は事態の悪化を招く!」と凛然とした女の声が響く。


 重臣が色めいた。「な、無礼な」さっと立ち、右手においていた刀を掴むや左で鞘を握る。動きは素早い。日頃の鍛錬を欠かさぬ動きだ。

 城主はその一連を黙ってみている。


「そこもと止まれ!」

 襖の向こうで怒号。次の瞬間、鈍い打撃音が二度。

 間があって、襖を開けて入ってきたのは――フクロウの女天狗である。


「いくら神使とて、殿の御前であるぞ! 無礼者が!」

「その殿様の妹の顔も知らんのか」

「戯言を申すな。殿、お下がりを。わしがこの手で仕置しおきして――」


 そこまで重臣が言ったところで、城主はかかと笑った。

「よい、よい。もうよい。すまぬ。わしが至らなんだ」

「殿?」

「不遜な声音で察して追ったが、たしかにわしの妹だ。相違ない。下がるが良い」

「ははっ」


 忠臣である。二の句を告げず、大人しく伏し。下がる。

 朽梨を見る目が、「不審者」から、「じゃじゃ馬娘」に変わった。

 それを意に介さない朽梨は、素早く居住まいを正す。


「急ぎとはいえ、申し訳ありませぬ」

「よい。……息災でなにより。兄上から聞いた。旅の身と聞いているが。どうした」

「厄介事が出来しておられるようで。それについて、耳に入れておきたいことが」


 座して脇息に持たれる城主――梟福殿志郎兵衛。

「部外者に話すわけにはいかんが。何を、わしの耳に入れたいのだ」

「岩見砦を占拠した賊について、仲間から報告が」


 む、と志郎兵衛が口を曲げた。

 それから角を掻いて、観念したように眉を開いた。

「仲間か。良い仲間のようだな?」

「生意気を申す連中れんじゅうであるが……まあ、悪党ではない。それより。向こうの手勢が割れたゆえ。それを報せたく」


 朽梨が、その手をすっと伸ばす。すると、ひらりと舞い込んできた羽根が手の甲に止まり、一葉の紙となった。

 妖術である。〈羽根手紙ノ術はねてがみのじゅつ〉という。

 志郎兵衛がその紙を受けとり、目を通した。

 父譲りの優しげな目が、そのとき、武将の目つきになるのを朽梨は見逃さなかった。

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