第三節 風向きは何処

 あくる十九日。

 一行は、仁嵯岳にんじだけを抜け、東の新谷岳にいだにだけに入っていた。

 およそ二方里(八キロ四方ほど)の山で、標高は百四十丈(四百二十メートル)。

 谷間たにあいの街道を進むことにした。嵐海あらうみ街道とも言われている。この先に大きな関があり、国境くにざかいを抜けられるのだ。

 無理に峻険な山中を突っ切る必要もない。素直に街道の一つとして整備されている道を選べばよいのだ。


「お前たちはなぜ意気投合したのだ」

 ふと、朽梨くちなしがそう問うた。

(あの武士口調は素なのか、作っているのか)

 と思いながら愁慈郎はここ最近のあれこれを考え直す。

 己でもその理由がよくわからない。成り行きだった。それが全てな気がする。


「牢から逃げるために手を組んだんだ。けど、それから色々あって、今に至るって感じだ」

「そうやな。俺もこういう連れ合いになるとは思わんかった。とはいえ、俺も行く宛なんぞない。ま、首刎ねられるよりゃ、今の待遇のがええ」


 同じく、愁慈郎もそう思っている。いや――。

「愁慈郎はどうなん、お前、在所に戻れるんやろ?」

「私もそれが疑問だ。お前は、出世欲がなさそうだ。なにゆえ、わざわざ危険な旅を選ぶ?」


(混ぜっ返すな)愁慈郎はため息を漏らしそうになり、呼吸を整えるフリで誤魔化した。

 それから、素直に理由を口にした。

「銀夜と一日山を歩いたとき。あのときの感覚が、いつもの山歩きと違うふうに思えた」

 不謹慎かもしれないが、あの逃亡が、逃避行が。

「楽しかった。見知らぬ何処かへ旅に出る。それが、なんていうか、あんなにも心躍るものだと知らなかった」

 愁慈郎は肩に担いだ槍の重みを感じつつ、今もなお、胸で舞っている、旅の憧憬に焦れるような感情を持っていた。


 豪勢な飯を前にしたときのような。

 この上ない獲物と出くわしたときのような。

 なんともいえぬ、不思議な感覚だった。


「惚れた女を口説くみたいな口調だな」朽梨が、台詞の割に、真面目な声音で言った。嘲りの色はなく、むしろ、素直に関心を向けているようである。

 銀夜は「わからんでもない」といった。「俺も、お宝が前だとそうなる」と。


「俺は盗人じゃねえよ」愁慈郎が笑いながら突っ込みを入れると、銀夜がけらけら笑った。朽梨も控えめに微笑む。


 谷間の道には、東西三町(三百二十七メートル)ほどの宿場がある。小さなそれは、新谷宿にいだにしゅくという。

 さすがにまだ宿を取るには早すぎる。

 しかし、陽を見るに、昼前後か。


「宿場に入れるのも今のうちだろう。ここで昼餉ひるとしよう」

 朽梨がいう。愁慈郎には反対の理由はないし、銀夜も「ええで」と応じた。


 途中、愁慈郎は一羽のイワトビウサギという大うさぎを仕留めていた。

「肉を卸してくるよ」

 そう言って、愁慈郎はある飯屋の勝手口の戸を叩く。

「へい……そのなりは獣狩かい。どうした」

「肉を売りに。大うさぎだ一斤(六百グラム)ばかり」

「ほう。売ってくれんか。百六十文(四千円)でどうだろう」

「ありがたい。あらためてくれ」

 愁慈郎は竹皮に来るんだうさぎ肉を差し出した。

 金の差配をしたことから、奉公人ではなく、主人なり、長男なりだろう。男は、肉をあらためて「ほう、臭みも血の気も抜いてるな」といった。目利きができるあたり、庖丁人ほうちょうにん(料理人のこと)かもしれない。


「銭を持ってくる、待っていてくれ」

 愁慈郎は頷いて、しばらく待った。

 庖丁人が銭差しを持ってきた。

「百六十文きっかりだ。天嵐様に誓ってもいい」

「疑っちゃいないさ。旦那は嘘つきには見えん」

 世辞ではない。愁慈郎も獣狩である。肉や皮を売るのは初めてではない。だから、客がどのような正確なのかは、顔を、骨相を見ればなんとなくわかる。


 気を良くしたのか、庖丁人が手招く。寄れ、ということか。

「なんだ」

「東へ商いに行くのなら、しばらくはよしな」

「なぜ」

「盗賊だよ。身ぐるみ剥がされちまうらしい。下手打てば……」庖丁人が手刀を作り、自分の首にぺしりと当てた。

 殺される、ということか。


「わかった、気をつけよう」


 愁慈郎は、少々厄介なことになったと思った。

 少し離れた茶屋で仲間と合流する。

 銀夜は猫に化けて、「にゃっは」と鳴きながら通行人に撫でてもらったり、しれっと噂話に耳を傾けて情報を集めている。

 猫又に忍びが多い理由があれだ。猫は人に警戒されにくく、屋敷にいても「どこぞから迷い込んだ? まあ、悪さはせんでくれ」くらいの扱いである。彼らは拠点や町中に馴染み、忍び込むのに難儀しないのだ。

 猫に難なく化けられる猫又にとって、忍びは転職だろう。

 むろん、「化けて」いるということは、術の行使である。妖力を持続的に消費しているわけだから、疲労する。


 朽梨は「如才のない猫だ」といって、茶をすすっている。

 愁慈郎は腰掛けに座った。愛鳥の海松みるは「ホホッ、ホウ」と鳴きつつ、売らなかった分のうさぎ肉を頬張っている。

 歩鳥自体は天嵐国てんらんのくにではさして珍しくはない。平地で言う馬のようなもの。

 とはいえ、飼葉の手間暇や、人足の雇賃を考えると、馬も歩鳥も、「大変金のかかる相棒」であった。騎乗の身分が限られるのも頷ける。


 歩鳥の海松みるを尻目に、銀夜が路地に逃げ込んだ。そうして変化を解き、美男の姿で戻って来る。

 愁慈郎自身は醜男ではない。決して美男でもない。しかし精悍な山の男である。美醜は山仕事に関係ないが、それでも見様のいい同性には、嫉妬してしまう。

 じっさい、町人の娘は銀夜を見ると、顔を赤らめていた。

「主人、団子と茶をくれ」と銀夜。視線で、愁慈郎にも注文を促す。

「同じものを俺にも」

「へい、ただいま」


 店の主人は、四十近い外見の千疋狼の男だ。

「すこし、良くない話を聞いた」と切り出す愁慈郎。

 団子と茶を待ち、話を続けた。

「この先に賊がいるらしい」

「なに?」朽梨は、「下劣な……」とぼやいた。

「下劣かどうかはどうでもええけど。どないする。避けるか?」

 実際的な提案をする銀夜。

 愁慈郎もそれが現実的に思えるが。


「見過ごせることではない」

 朽梨は、やはり前のめりにそういう。

 こうなることはわかりきっていた。多分、銀夜も同じことを、瞬時に想定していたに違いない。

「三人で勝てる規模やないやろ。賊ってのは、数人規模なわけない。どう考えても、二十、その倍はおる。ほんで、そういう一備ひとぞなえほどもおれば、塒なんかはりっぱな〝籠城拠点〟やぞ」


 二十からなる「軍勢」が詰める「根城」を攻撃し、落とす。

 それは事実上、城攻めである。

 城攻めというとどうしても数千数万の軍勢が、巨大な堅城を取り囲む様子を思い浮かべるが――それだけが攻城戦ではない。

 地方の局地戦では、数十規模の籠城兵と、その数倍の攻城兵からなる戦いもある。


新谷城にいだにじょうまで飛ぶ」朽梨が言った。「城主とは顔なじみだ」

「ひょっとして……」愁慈郎は、団子を食べる手を止めた。「兄上殿か?」

「ああ。兄上――志郎兵衛が城主を務めている」

 志郎兵衛――樹杖子きづえのこの梟福殿志郎兵衛和平きょうふくでんしろうべえかずひら

 知行二十一万石、新谷城主。フクロウ天狗ではなく、父方の鬼の血が強く出た男。

 歳は二百三歳。人間で言えばもう老齢だが、しかし妖怪ともなれば別。まだまだ若武者である。


「母衣衆やなかったんか?」

「いつの話をしている? まあ、山一つ一つが情報の独自性を重んじるから、伝わりづらいのも無理はないか」

「母衣衆ってだけでも相当だけど」愁慈郎は喉を鳴らした。

「兄は戦灰時代末期に初陣を飾り、まだ元服前である時分に、兜首を一つ挙げる武功を立てられたのだ」

 朽梨は、羨ましそうに言った。


 それから、愁慈郎は頬のあたりを手で揉んで、少しだけ考えた後、

「じゃあ、俺と銀夜で探りを入れる」

「は、お前、何を」銀夜が慌てていた。

「頼む」朽梨は翼から羽根を一本抜き、愁慈郎に渡す。

「求愛か?」

れたことを。式神だ。敵の数と武器、兵力が割れたら飛ばせ」


 愁慈郎は頷いた。

 銀夜は「お人好しすぎるやろ」と言って、だんごをむしゃりと喰らう。

「まあ、ええけど。けど、どないすんねん。俺は忍び込めるけど、愁慈郎はそんな経験ないやろ」

「俺は忍ばず堂々と行く」


 朽梨、銀夜が首を傾げた。

「虜になるとでも」

「やめとけ、何されるかわからんで」

「違う。まあ、俺に任せてくれ」

 愁慈郎は茶を呷り、片笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る