第二章 岩見砦の戦い

第一節 いざ、東の海へ

玄命げんみょう八年 三月十八日


 現代人は過ぎ去った過去をあと、これからの未来のことをさきというのが普通だ。

 しかし、今〝後〟とか、〝先〟程というような、ちぐはぐな言葉が存在していることを、普段考えたことはないだろうか?


 実は戦国・江戸時代、それ以前では、人間は時間というものの捉え方が少々違っていた。

 過ぎ去った過去を先、これからの未来を後といった。

 現代人の感覚だと、時間とともに前を向いて進む――そういったものだが、昔の人は時間とともにだったのだろう。

 だから、未来方向は後ろ向きで、過去方向は前に広がっている。


 当時の人間は平均寿命が四十年から五十年。信長が「人間五十年じんかんごじゅうねん」と言ったように、現代人よりも、半分も寿命が短い。

 そして彼らにとっての死とは、現代以上に予測不可能だった。

 だから、後ろ向きに未来へ進んでいくという感覚になったのではないか。


 では妖怪はどうだろうか?

 妖力に裏打ちされた強靭な肉体と、その妖力に由来する酵素でテロメアが修復され、不老長寿である彼らは。

 無論、戦国・江戸期の人の子と変わらぬ。「後のことなど及びもつかぬ」という考えだ。

 というより。

「来年のことを言うと鬼が笑う」――その言葉が、すべてを言い表している。


 近視眼的なわけではないのだろう。「そういう暮らし」が、彼らの「普通」なのだ。

 未来を予測するすべなど、現代よりほとんどない。そして、一概にどちらが不幸なのかは、正直わかりはしない。

 人間は、死期を指折り数えながら眠ることなどできないだろう。未来のことを考えるとは、極論、そういうことだ。


 もし、現代人が和魅大陸に転生したとしたら、きっと妖怪は「今日の飯もままならんのに、十年も先のこと考えるたァけがあるか」とケツを蹴られるだろう。

 そういう世界、時代なのだ。


 なので、旅支度に与えられた二貫文(一文二十五円=五万円)は、支度金としてありがたく使い込んだ。まさに宵越しの銭は持たぬということ――だが、さすがに路銀分は残してあった。

 さすがに、そこまで目先しか考えぬ訳では無い。


「お前たちはどのようにして山を下ったのだ。街道を夜廻りした侍は面目丸つぶれだったそうだぞ」

 ならなんでお前は俺等を見つけられたんだ、と問うのは反則なのだろう。問いに問いで返すやつにろくなのはいないと、愁慈郎の親父はよく言っていた。

 愁慈郎は海松――歩鳥の轡を取りつつ、縦列の先頭で、街道を進む。


「街道なんかすぐに使えんと踏んだ。銀夜が〝俺が侍なら、具足武者を歩かせやすい街道を使い、宿場から命令を飛ばす〟と言ってな」

「さすがは稲葉一鉄齋いなばいってつさい殿の御子息だ」

 朽梨くちなしがからかうと、銀夜は嫌そうな顔をした。

「親父は関係あらへん」


 父親は、稲葉朔夜、という名ではなかったか? と思ったが、愁慈郎はすぐに、(通称かな)と思い直した。

 それに一鉄齋――どこかで聞いたことがある。

「あ、刀鍛冶の」

 刀鍛冶、一鉄齋。花山郷はなやまごう火湖国ひうみのくにの武士の出でありながら、後年、作刀に傾倒した男。さらにいえば、妖術師である――半妖の。

 知行六千石、寄合である。大名に次ぐ家格であり、それが事実なら銀夜はとんでもない御曹司であるが。


「ふん。俺は家を出奔してる。親父にツテをつなぐのは無理やぞ」

 後方警戒という難しい役目をこなす銀夜はそう釘を差した。

 愁慈郎は、無論そんなつもりなどない。

「俺はしがない獣狩だよ。刀なんて上品なもん扱えん」

「槍、持っとるやん」

「獣狩はむしろ刀より槍なんだよ。すばしっこい獣相手に刀なんか使いもんにならん」


 刀と槍とでは、使い勝手も間合いも違いすぎる。

 獣の頑丈な毛皮については「斬る」より「突く」、「殴る」ほうがよほど効く。


「身の上は社人なのだぞ。道中差しくらい買えといったのに」

 朽梨が呆れていた。

「ふん。矢と替えの弦のほうが必要だった」


 いちおう、愁慈郎は形式上「社人」である。社人とは、神社に奉公する者で、玄志郎(玄慈)が言うように、武士で言えば足軽身分である。

 侍ではないが、ただの庶民でもない。


 この時代――神恵戸の足軽は、立派な職業軍人だ。腰に刀を差すことを許されている。だが、下駄履きは許されず、また、袴もいけない。

 服装に身分差はあるが、日頃鍛錬し、いざとなれば足軽大将(物頭)麾下の小頭こがしらにつき、戦う。


 神使にとっての社人も、おおよそそういう感じだ。

 けれど、現状の関係性は「形式上」であって、実際は三人とも対等であった。

 お供であり仲間ではあるが、家来ではない。愁慈郎も銀夜も、それは徹底するつもりだった。

 いちおう――旅長たびおさとして、行動の指針を決定するのは朽梨くちなしだが。


 朽梨くちなしは新米――正しくは三年目の神使で、決して新米ではないが――と言われている。その理由が、実戦経験の浅さと、武勲武功のなさだった。

 万年新米などと揶揄されることもあるという。大っぴらにではなく、陰で。

 さらに妖怪としての経験に乏しい。本来体験することごとくを逃している。

 家柄のせいで、ともに研鑽してくれる相手もおらず、から回っているのだ。なまじ、大抵のことをそつなくこなすせいで、周囲からは「生意気」と思われてしまっている。

 控えめに言っても、「理解者がいない、努力も報われない地獄の環境で生きてきた」わけである。


(陰口に人を殺す力なんざねえ)

 愁慈郎はそう思っている。

 それに。

(どうせぶん殴れば、陰口叩くのをやめて、命乞いし始めるんだ)

 と。

 そのせいでいくつかの失敗を経験した愁慈郎が言うのだ。間違いない。


 街道は麓までつづいているか、断崖まで伸びている。

 断崖からは索道搬器ごんどらが走っており、隣の山へと移動できる仕組みであった。

「まずは東の天海国あまみのくにを目指す」

 朽梨くちなしは、昨夜の作戦会議を反芻するように言った。

 銀夜は「もういっぺん聞くけど、なんで天海なん」と問うた。


 行動の目的や、移動先は何度も繰り返し、刷り込んだほうがよいと、旅慣れた銀夜は言う。

 多少の寄り道は御愛嬌だが、都度、もともとの行動理念をはっきりさせておかないと、旅の目的を見失うらしい。


海眺郷かいちょうごう天海国あまみのくには、古く、この天嵐国てんらんのくにの盟友だ。越境もそうだが、互いに〝気心がしれた間柄〟なのだ。それにな」

 朽梨は、それが一番の目的であるかのように告げた。

「武勲を挙げるのに最良といえる」

「なんで? 内乱でも起きるってのか」

 愁慈郎はどういうことなのか気になった。


「大規模な一揆のがあるそうだ」

戦灰せんかい時代のならいざしらず、兵農分離が進んだ今どきの一揆やろ」銀夜は鼻を鳴らす。「一揆側に勝ち目あるんか。まともな武装もあらへんやろ。や、そもそも何が理由でそんなことしよんねん」

「教派の対立だそうだ」


 教派――。銀夜が顎を撫でる。

燦仏天さんぶってんの宗派みたいなもんか」

「そうだ」

 ちなみに燦仏天とは、実世界で言う仏教に相当するものだと考えてもらってよいだろう。


 この大陸における神社宗教――すなわち神魂道かみたまとうは、大本にあるのは神闇道しんあんとうという流祖である。

 すなわち、最高神の一角であらせられる宵月纏常闇毘売よいづきまといとこやみびめ様を頂点とし、そこから分家する形で、各地の神々が神魂道の教派を支配している。

 天嵐教派神魂道を天嵐神社、というふうに。


「どちらが海鳴水母毘売うなりみなもひめ様の教えにふさわしいかで争っておるのだ」

「戦灰時代の一向一揆みたいだな」


 一心不乱、一向に念仏を唱える燦仏天宗派が、その昔各地で一揆(事実上の戦)を起こしたことがある。

 その戦火は飛び火を繰り返した。天嵐国てんらんのくにも思わぬ巻き添えを食らったと言われている。


「古くからの海鳴教派と、振興の海月教派で争っているという」

「げん――玄志郎様は、いいのかよ。俺達みたいな門外漢が関わって、問題にならないのか」

「海鳴教派に加わる分には問題あるまい。兄上も、援兵を送るという」

「天下泰平はどこへ言ったんや」


 銀夜の言う通りだ。

 しかし、ぎちぎちに「皆幸福であれ、義務付けられた幸福を享受せよ」と押さえつけても、かえって爆発が起きるだけである。

 残酷だが、各地の神々があえて傍観に徹するのは、「必要な瓦斯がす抜き」と判断しているからに違いないのだった。

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