第一章 若者たちの出会い

第一節 投獄

「新入りだ」

 張番はりばんは、壮年の化け狸だった。人に化けるのは苦手らしく、半獣半人といった具合の様相である。

 狸の男に牢にぶち込まれた愁慈郎は、弁明の余地なく、すぐに錠前を落とされてしまった。

 張番はこちらの事情を察しているようで、しかし、己の立場を危うくするわけにもいかないようで、黙っている。

「なあ待ってくれ、俺は……」

「黙れ。貴様の私への侮辱は忘れんぞ」


 愁慈郎をここまで引っ張ってきたフクロウ女天狗の女、朽梨くちなしが鋭く睨めつけてくる。

 猛禽類特有の足が、裁付袴から覗いていた。なんどかあの足でふくらはぎを蹴られたことを思い出す。


「虜の男に対する虐待とは天嵐様の御威光も地に落ちたものだな」

 愁慈郎は、どうせ死罪ならば好き放題言ってやろうと決めた。それに、この糞女にはほとほと腹が立っている。愁慈郎に、女子供や、体の弱いものを痛めつける悪趣味はない。

 だが健康で、しかも男女の垣根などなしと思っている相手にならば、わりかし本気で打つことができると、そう思った。


 どのみち、水責めなり鋸引きなりの見せしめであろう。一罰百戒。己を体の良いだしにするつもりなのだ。

「禁を犯せば貴様もこうだ。嫌なら法に従え」――そういうわけだ。

 地獄の責め苦は待った無し。助かる道もあるまい。

 であれば、なぜこちらが、下手に出続けねばならないのか。


「それとも神様は外界の暮らしに興味がねえのか。戦乱を平定したってのも嘘くせえや」

「玄慈――様を愚弄するか、貴様。取り消せ」

「断る」

「取り消さんか、貴様ッ!」

「主人の腐敗は手下にも伝染るだろう。手前を見ていると、どうも、俺の持論もあながち間違っちゃいねえと思ってな」


 朽梨くちなしの顔がみるみる、丹のように赤く染まる。

 そして牢の格子越しに愁慈郎の襟を掴むと、そのままぐいと引っ張り、彼の顔貌を牢の格子に打ち付けた。

 ガンッ、ゴンッ。

 と二連打したところで、化け狸の張番はりばんが「おやめくだされ!」と釘を差した。


「明日、また来るぞ。殺しはせん。だが、今の発言、かならず撤回させる」

 朽梨は肩を怒らせて去っていった。

 鼻は折れていないが、血が吹き出してくる。愁慈郎は片方の鼻の穴を抑えて、ぶっ、と血の塊を吹き出すと、もう片方も同じ事をした。

「腐れ天狗が」

 悪態をつく愁慈郎に、張番狸が同情気味に顔を寄せる。


「あのお方は気が立つ立場にあられるのさ」

「だからって、身動きのできないやつを謗るわ、蹴るわ、そんなことが許されるか。糞っ」

「まァ、そやァそうだがな。あのお方の苗字は聞いたか」

「ろくなもんでもあるめェ。糞田、糞森。そんなところか」


 張番狸は声を潜めつつ、「梟福殿きょうふくでん、さ」といった。

「梟福殿――って、玄慈様をお育てになられた、なつめ様の? あいつは、なつめ様の子か? や、たしかに似ているといえば似ている」

 むろん、いち獣狩ごときが、大天狗なつめのご尊顔を拝謁する機会などまずない。図会や黄表紙で読んだくらいだ。

「そうだ。あの方は次女、つまり玄慈様の血の繋がらぬ妹君。加えて、姉君は神使隊筆頭。弟君は、この仁嵯城にんじじょうではねえが、城務めで榛母衣衆はしほろしゅうだと。華麗なる一族ってやつさ」


 神使隊筆頭もそうだが、母衣衆というのもすごい。

 古今東西、母衣衆とは殿様の側近中の側近。儀礼的な立ち振舞と武術の技能を求められる、まさに文武両道でなくては任されない立場である。

 太平の世となって百五十年。しかし、いまだ各地では小規模な内乱や、治世の悪化に伴う一揆が起きている。

 ここ、天嵐国てんらんのくにとて座視はできない。各地の城主(=御殿様)は、天嵐様の通称で親しまれる天慈玄慈命あまじげんじのみこと様への絶対服従を条件に、禄高四十石につきひとりからなる兵を雇い入れ、武装している。


 職業軍人の概念自体は戦乱の世に、少数ながら存在していた。

 天嵐国てんらんのくにも軍政改革の折にそれを取り入れ、各地の次男、三男坊に「百姓が嫌なら、天嵐様のため、家子郎党のために腰に刀を差すといい」と提案した。

 俗に言う兵農分離だ。

 百姓にはそれぞれの職能に合う道具をもたせ、武具は足軽雑兵や、武者が持つと、そう決めたのだ。

 ほかならぬ玄慈が、戦乱の世において、平素から落ち武者狩りのため武装した農民の恐ろしさを身を持って知ったからだと言われている。


 平素から武装しているということは、一揆の際も、その武器を持参するということ。

 こうなってくると、地方で起きる局地戦の様相を呈する。もはやりっぱな「いくさ」だ。


 しかしこの和魅大陸では、日本とはことなる要件が三つある。

 一つ、島国ではなく、大陸であること。

 二つ、神仏妖異、霊異や怪異が実在のものとして根付いていること。

 三つ、神秘妖術という摩訶不思議が実在のものであること。


 神仏妖異――すなわち、政教分離という概念が生まれづらい。

 そして、それが必要な場面が数多くある。霊異、怪異、すなわち穢れが具現化し人獣に被害をもたらす、おそるべき厄災が存在している、ということである。


 ゆえに、神使という言葉の重みが、そこに立つことでのしかかる重圧は、恐ろしくずしりと襲いかかってくる。

 あの女――朽梨はどう考えても神使だったし、一族を思えば、「ただの神使」であることに切歯扼腕しているはずだ。

 己も手柄を立てて、梟福殿家にふさわしい実力を持ちたいと思っているのだろう。


(だからって、なんで他人の俺が折れなきゃならねえ。意味わからんぞ)

 愁慈郎は鼻の穴から、怒り混じりの息を吹いた。

 張番狸は「おまえ、ひょっとしたら本当に死罪だぞ」と、脅すというよりは、呆れるような声音で言った。


「ふざけやがって」

 愁慈郎は、吐き捨てた。

 わけの分からぬ糞のような女に殺されてたまるか。

 そう思った。

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