【9060問題】弁護士の父親に抑圧されてきた長男「生活保護に頼らず、自分の力で歩みたい」
「自分の足で1歩も踏み出せていない。生きてきた価値がないんです」
首都圏で1人暮らしするAさん(58歳)は、そう静かにこれまでの半生を振り返った。
90代になる父親は、かつて弁護士だった。厳格な父と過干渉の母。その狭間で、「やりたいことがあっても、自由にやらせてもらえない」。まさに「自分を奪われ続けた人生」だったという。
しかし、そんな父親も足が不自由になり、実家がある関西の施設に入所。母親は昨年、亡くなった。
80代の親が収入のない50代の子どもの面倒を見る「8050問題」は、さらに10年の時を経て、いまや「9060」のフェーズに突入している。親の介護、生きたかった人生、そして「親亡き後」の将来への不安…。実家を離れ、ひとり首都圏のアパートで悩みを抱えるAさんの苦悩からも、「9060問題」の見えないリアルが浮かび上がってくる。
「資格だけは援助する」という名の支配
Aさんの人生は、やりたいことがあっても自由にさせてもらえず、常に弁護士だった父親の影に覆われていた。20歳の頃、意を決して「大学に行かずにやりたいことをしたい」と打ち明けたところ、父は驚きつつも、いろいろなところに相談に行き、結局は法学部のある新設大学に入学するよう言われた。
「最初は大学には行かないと決めていたんです。でも、両親は共に僕の言うことはまったく聞こうとせず、自立するお金がない上、母親の過干渉等でのあと一歩を進み出す決断力がなく、最後は、親に従ってしまいました。新設大学で試験のレベルも低く、行けば自分がダメになる、とわかっていながら諦めてしまった自分自身の決断に失望したんです。これからも自分の人生でやりたいことはできないなって」
大学進学後は人生を諦め、何事にも自暴自棄でなげやりになってしまい、4年間、何もせずに趣味に耽り自堕落に過ごして、生きる気力も急速に失われていった。
大学在籍時に行政書士の事務所を開いていた親戚からは「資格を取ったら、雇ってあげるよ」と言われ、卒業後は行政書士の勉強を続けた。
一方で「文章を書くことが好き」だったAさんは、東京のライター専門学校への入学を希望する。しかし、父親は「資格試験の勉強であれば援助するが、それ以外は一切、お金を出さない」というスタンスを崩さなかった。
行政書士、社労士……、「父は資格なら何でもよかった」という。「自立心がないから」とAさんは自分自身を責めているが、父の提示する資格取得という「正解」に縛られ続けてきて、気づけば30代に突入していた。
「働いていない」からと家事を押し付けられ
30代半ば、さらなる試練がAさんを襲う。母親が病気で腕を悪くしてしまい、母親の代わりに家事の手伝いをする人が必要になったのだ。 父親もきょうだいも働いていたため、消去法で「働いていない」長男のAさんにすべての家事手伝いの負担が押し付けられる。
「自分ひとりが毎日、買い物に行って、重たい荷物を持たされる、家の家事も押し付けられた。ずっと30代も、資格試験の勉強をしながら、実家から独立せずに親に金銭的に依存しているため、親が援助する資格試験をするしか選択肢がなかったんです」
こうしてAさんは家の中に縛り付けられ、社会との接点を失ったまま、40代になった。
転機は、母親から勧められた会計大学院へ進んだ際のことだ。ゼミには、20代の若者たちが多く、「自分はこんな風に生きてきてしまったのか」と、初めて自分の人生の空虚さを振り返るようになる。ショックでひとり落ち込んだ。やがて、体調を崩して動けなくなり、大学院を休学した。
「やりたい放題やったやん!」
休学後すぐに両親に誘われた旅行先の旅館で、父親から開口一番そう吐き捨てられた。Aさんとして事実はまったく逆で「行きたくない大学に行かされ、今までずっとやりたいことを親に潰され、親の言いなりで失敗を繰り返してきた」という強い無念の思いが心の中に強くある。、
「家族と離れなければ」
そう考えて、まず実家近くでひとり暮らしを始めた。
「その頃は、周囲の誰にも相談できず、親の非を追及するたびに暴言を浴びせつけられ、て、そのたびに胸が締め付けられる感じになって」
東京での挫折とNPOとの出会い
Aさんが「東京に行かせてほしい」と父親に直訴し、上京したのは44歳の時。しかし、仕事探しで直面したのは「40代」という年齢の壁だった。
「東京しごとセンターや就労支援機関などにも行ったんですが、いろいろ質問しても返事が来ない。今まで本当に現実がわかってなかったんです」
現実の厳しさに触れて動けなくなったAさんは、上京してから5年ほど、家族の問題にも苦しみながら、誰にも相談できずにひとりで抱え込み苦しむ日々が続いた。
50前になり、毎日苦しむ日々に限界を感じて門を叩いたのが、「自立支援」を行うNPO法人だった。「親との縁を切りたい」という思いで、法人の施設に通所。2年ほど、機関紙の制作などを無償で手伝った。
NPO法人を卒業後は安定した仕事は見つからず、工場等で肉体労働のアルバイトを転々とする毎日。
「精神的に立ち直れずに苦しみながら働いて、すぐに精神的疲労で動けなくなるという繰り返しでした」
そんな時に今度は世の中がコロナ禍に入り働けなくなり、NPO法人の人から「障害雇用で働いたほうがいいのでは?」とアドバイスされ、障害者手帳を取得。就労移行支援事業所に2年少し通い、やっと「いい職場に雇用されたと思った矢先、Aさん自身がコロナを患ってしまう。その後、NPO法人に再び入所し、再び機関誌制作を手伝って、A型事業所の勤務、障害者枠就労を経験したが、今も精神的苦しみから立ち直れず、なかなか本人が望んでいる「安定した就労」には至っていない。
「過去を断ち切りたい」58歳の再出発
「9060問題」の親亡き後をどう生き抜くか?は、残された子が直面する切実な課題だ。しかし、法制度の狭間にある「ひきこもり」状態は、「福祉」に対する抵抗感や、膨大な時間の「空白の履歴」が雇用の障壁になる事例も多い。「就労」か「生活保護」かの2択しか提示できない現行制度上の選択肢が、生きることへのあきらめや絶望感をより深めているのが現実で、これから社会は「狭間に取りこぼされた人たちの生きるすべ」を構築していく必要がある。
現在、父親は施設に入所し、Aさんの手元には、現在はまだ一定の資金がある。「いつまでお金が持つか?」という不安はあるが、生活保護や障害年金には頼らず、まずは「自分の力で」歩む道を探している。
彼が今、目指しているのは「ライター」としての活動だ。
「ずっと親に抑え込まれて、やらせてもらえなかった。だから、これから自分の足で歩き出したい」。
20代時に1度は目指したライター活動を再び目指し、今までの苦しい「精神的ひきこもり」経験を言葉にすることで、誰かの役に立ちたいと考えている。
58歳。世間一般ではそろそろ定年を意識する年齢ではあるものの、Aさんにとっては、ようやく新たな「自分の人生」の時間のスタートラインに立とうとしているのかもしれない。