東浩紀、常見陽平の日当はどこから?
東浩紀と常見陽平の日当は、どこから出ているのか。私の財布からだ。
5月31日、ゲンロンカフェで行われたイベントの配信チケットを買い、「“リベラル”はなぜ嫌われているのか」という4時間半の対談を、最後まで観た。
あの夜の二人に日当が出ていたとしたら、出どころはそのチケット代で、私やほかの視聴者が払ってゲンロンに入った金だ。カネを辿れと言うなら、辿り着く先は私のクレジットカードの明細。それ以上は、何も出てこない。
4時間半のイベントの終盤、翌日に大学の授業を控えた常見さんが降りる直前の質疑で、ある発言が出た。沖縄の基地反対運動に日当が出ているという話を現地で聞いた、本当かどうか検証すべきだ——そういう趣旨だった。案の定、批判が飛び交って軽く炎上している。
— 常見陽平 (@yoheitsunemi) June 2, 2026
私は常見さんを叩く気はないし、そうした趣のnoteではない。
常見さんの謝罪は丁寧で、早かった。問題の発言そのものは、4時間半の本当に最後の最後、降り際の一言だった。
過去の発言を読んでも、このデマを信じていたとも、広めたかったとも思えない。言葉が足りなかった。それだけだろう。常見さん個人の品定めは、ここで終わりにする。
その上で、このイベントは「“リベラル村”批判」だった。
そのため、イベント中は何度も「リベラルの同調圧力」「何かあるとすぐに謝罪させられる」という趣旨の発言があった。この件もきちんと書いておかないと、「常見がリベラル村に非難され、謝罪させられた」というナラティブに上書きされかねない。だから、しっかり書く。
(実際、「常見さんがリベラルに"燃やされた"」というリアクションもあった)
常見さんが踏んだその話は、常見さんのものではない。2004年からある。同じ顔ぶれのあいだを、同じ形のまま、二十年以上流れてきた与太話である。
そして、その中心にある「日当」の正体を、私は今回の配信よりずっと前に、直接確かめている。
2020年の大晦日、私は保守系活動家のボギーてどこんさんと食事をし、沖縄ではびこるデマについて話をした。
沖縄でデマの話をするなら、避けて通れない人だ。「ニュース女子」であの茶封筒を出したのが、この人だった。
普天間の周辺で見つかったという、二万円と名前の書かれた封筒。番組はそこに、反対派は日当をもらっているのか、というナレーションをかぶせた。
だから、まっすぐ聞いた。座り込んでいる人たちは、結局のところ日当をもらっているんですか、と。
返ってきた答えは、こうだ。
そういう現場を、一度も見たことがない。もらっているとしても、せいぜい栄養ドリンクと弁当。いちばん面白かったのは、ニラ。ニラを配っているのは見たことがある、と。
大晦日なのでボギーてどこんさんと90分一本勝負してきました。 pic.twitter.com/nj3Dtm84ZX
— モバイルプリンス (@mobileprince_PR) December 31, 2020
BPOが調べに来たときも、同じことを聞かれたらしい。手登根さんは現場で何かもらっているのを見ましたか、と。そのとき答えたのも、ニラをもらっているのは見ました、だった。
茶封筒を出した本人が、カネのやり取りは一度も見ていないと言う。
そのうえで、本当にもらっているのか自分も懐疑的だ、とまで言う。
二十年、沖縄を擦り続けてきた「日当二万円」。
その話をいちばん目立つ形で世に出した人に直接聞いて、出てきた現物が、ニラだった。
この封筒、出した当初は「給料袋だ」という調子だった。二万と書いてある、前から日当二万円と囁かれていた、と。それがいまは、カネのやり取りは見ていない、と言う。提示したときはそう思っていた、広がったあとは受け手が判断すること、変な方向にいったのは残念だ——そういう話に変わっている。
未確認のものを、事実の顔をさせて公の場に置く。あとは受け手が勝手に走る。
置いた人がどう思っていたかは、走り出した話にはもう関係がない。これが、デマのエンジンだ。
この「日当二万円」が、どこで生まれたか。これも、辿れる。
2004年の『沖縄ダークサイド』という本のあたりだ。
座り込んでいるプロ市民は一日二万円もらっている、弁当代はまた別。そういう話が、匿名の「基地関係者」の証言ひとつを根拠に、活字になった。
裏取りらしい裏取りは、ない。
以来、似た顔ぶれが書き継ぎ、夕刊フジやチャンネル桜を経て、形を変えずに流れてきた(経緯を丹念に追ったまとめもある)。
二十年。証拠は、一度も出ていない。
確認できないからデマと言い切れないのではないか、と返されることがある。逆だ。確認できないどころか、確認は済んでいる。「ニュース女子」をめぐって、三回。
2017年、BPOの放送倫理検証委員会が「重大な放送倫理違反」と判断した。
委員が沖縄まで入って聞き取りをして、日当の裏づけは取れなかった。
2021年、東京地裁は番組に真実性を認めず、制作会社に550万円の支払いと謝罪文の掲載を命じた。裏づけ取材をしていない、と判決に書いてある。2023年、最高裁が上告を退けて、これが確定した。
常見さんの謝罪を見て、「これでニュース女子の答え合わせができた」と書く人がいる。答え合わせなら、とっくに終わっている。三回。答えは三回とも、裏づけなし、だった。
以前、自民党を支持する沖縄の同級生からこんな話を聞かされたことがある。
「翁長雄志(当時県知事)の娘は、中国共産党の幹部の家族と結婚したらしい」と。
デマだ。私はその場でこう返した。
もしそれが本当なら、自民党が表で追及しないわけがない。中国共産党と縁続きの知事の身内なんて、これ以上ない批判材料だ。それを誰も突きつけてこない。
事実であるのに確定させるだけの材料がないのであれば、あなたの好きな自民党に調べる力がないことになる。それはそれで自民党の能力不足にならないか?と。同級生は「確かに」と引き下がった。
このやり方は、たいていのデマに効く。そのデマが本当だと、一番証明したいのは誰か。
そいつが、証明できる力を持っているか。持っていて、長年動いていないなら、答えはもう出ている。
日当のほうは、この理屈で詰めるまでもなく、さっき見たとおり裁判所が片をつけている。
それでも、あえて同じ問いを置いてみる。座り込んでいるのがカネで雇われた人間だと示せれば、辺野古で十年以上工事を止められてきた国は、反対運動の正当性を一発で崩せる。国には公安も警察も税務もある。カネは必ず痕跡を残す。何千人に二十年払い続ければ、隠しようがない。その国が、二十年かけて、一枚も出していない。
読み方は二つ。
探して、無かった。
でなければ、国は自国の領土で二十年続く送金を一つも追えないほど無能だ。
日当を信じ続けるには、後者を選ぶしかない。自分が頼りにしている国家を、いちばんやりたいことすらできない無能だと、認めることになる。裁定があって、なお出てこない。二重に、無い。
「国も自治体もグルで隠している」という逃げ道は残る。陰謀論と括っていい。二十年バレない完璧な共謀を、自治体まで巻き込んで信じるほうが、元の話よりずっと大きく、ずっと立証が難しい。火を消すために、もっと大きな火を信じることになる。
「沖縄の人が言っていた」も、証拠にはならない。先に流れている話を、うっすら信じて口にする地元の人間は、いる。私の同級生がそうだった。地元にいるからといって、全部を正しく見ているわけではない。これは私自身、忘れないようにしている。
ここまで挙げてきたのは、紙切れ一枚残っていない話ばかりだ。ただ、この手のデマの中に、一つだけ、本物の紙が出てくるものがある。
のりこえねっとが2016年に配った、「高江市民特派員」募集のチラシ。往復の飛行機代相当として、5万円を出す、と書いてある。
これは、本土から人を高江へ送るための旅費だ。条件は、現地を見て、SNSで発信し、報告を書くこと。受け取るのは、見て伝えるために本土から来る人。毎日ゲートの前に座っている地元の人ではない。
現地に行った特派員は、その5万円は飛行機代とバス代で消えた、と言っている。立て替えた旅費が、戻ってきただけだ。
「名目は日当じゃない、でも実質はカネが出ている」と畳みかける人がいる。
よく見ると、その人自身が、労働の対価でも儲け話でもない、と認めている。
そこから残るのは、「お得に沖縄旅行ができるかも」という、まったく別の、ずっと小さい話だ。
お得な旅行ができることと、その人の反対が嘘であることは、繋がらない。
支持者の交通費を団体が持って現地に送るのは、どこの陣営もやっている。
自民党は集会にバスを仕立てる。業界団体は会員を陳情に送る。労組も宗教団体も、人を動かすときは足代を出す。バスで運ばれてきた集会参加者を、カネで動く傭兵だ、本心じゃないだろう、と呼ぶ人はいない。
同じ物差しを全部に当てれば、日本中の集会が、全部やらせになる。
そうならないなら、その物差しは、はじめからカネの話ではなかった。どちらの側を「本心じゃない」と呼んでいいか、の話だ。5万円は口実で、結論は先にある。
この紙には、見覚えがあるはずだ。「ニュース女子」が日当の証拠として画面に出したのが、まさにこのチラシだった。その番組は、裏づけがないと裁判所に判断され、賠償と謝罪を命じられ、確定している。
2026年にこの紙を決定打として掲げる人は、すでに法廷で負けた展示物を、もう一度ふりかざしている。火のないところに煙は立たない、ではない。煙の出どころは特定されていて、その火は、裁判所がとっくに消している。
私が、こうした「日当デマ」に憤り、長文を認めることには明確に理由がある。
辺野古のゲート前に座ってきた、代表的な方々は(いわゆる)リベラルな人たちではなく、沖縄の地上戦をくぐった人、その記憶がまだ生々しい時代を歩いた人たちだ。誰かに雇われたわけじゃない。
手弁当で、来る日も来る日も座った。そうやって、基地で埋まった島から、土地を一つずつ返させてきた。止めてきた。彼ら彼女らの立場は、思想を選んだ結果ではない。生きてきた現実が、そこに連れてきた。
「お金目的」と馬鹿にされ、「お花畑」と中傷される。本気で機動隊と対峙すると「過激派」と言われ、過度な衝突を避けるために温和な手段を選ぶと「本気ではない」と説教される。
現実を知らないのは、どっちなのか。
私は、この人たちを尊敬している。その人たちに向かって、カネで座っている、現実も知らない子どものようだ、と言う。それが、許せない。
「ニュース女子」を訴えて勝った辛淑玉さんは、あの裁判を、人間の尊厳を取り戻すためのものだと言った。攻撃されていたのは、事実関係ではない。立場を持つ人間としての、その人の格だ。
東浩紀と常見陽平の日当は、私の財布から出ていた。
座ってきた人たちの日当は、どこからも出ていない。出ていたのは、ニラだ。
いちばん多くを払ってきた人たちが(土地で、歳月で、侮辱で)カネで動いている、と言われ続けている。
東京で回っている、リベラルは嫌われるか、言論人を守れ、SNSは戦争だ、という話は、その人たちの頭の上を通り過ぎていく。
今日も、誰かが座っている。


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