あり得ない‼︎ 「男系継承」の理由を説明しない。「女性天皇・女系継承容認」のパイオニア・所功教授の論拠(1)──雑誌論攷「皇位の男系継承史と女帝容認論の検証」を深読みする(令和8年5月31日)
(画像は「歴史読本」平成17年5月号に掲載された論攷)
報道によると、皇位継承をめぐる国会での論議が急展開し、衆参両院の正副議長は、①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する、②旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎えるの2案を、いずれも「基本的に妥当」とする「とりまとめ案」を6月上旬にも作成し、各党派に示そうとしているという。
〈https://digital.asahi.com/articles/ASV5X2GXFV5XUTFK00GM.html?_requesturl=articles%2FASV5X2GXFV5XUTFK00GM.html〉
つまり、女性天皇・女系継承容認論は、少なくとも国会論議の表舞台から後退することになった。当然ながら、女系派は黙っていない。
1 国会論議に怒り心頭の所功・名誉教授
容認論のパイオニアで、過去四半世紀にわたり、改革論をリードしてきた所功・京都産業大学名誉教授(日本法制史)などは、「問題をすり替え、結論を急いでいる」「養子案は法理上の問題を含む」と、いつにないお怒りの見解を読売新聞に表明している。「前例がない」はずの「女性宮家」創設論をいち早く提唱した所氏が、養子案を「前例がない」と批判しているのは、尋常とは思えない。
〈https://www.yomiuri.co.jp/koushitsu/20260521-GYT1T00412/〉
わが身を省みずに、所氏は何をそんなに激高されておいでなのか、氏の女性天皇・女系継承容認論=「女性宮家」創設論について、その論拠と来歴はいかなるものなのか、あらためてご主張を読み返し、深読みし、検証することにしたい。
結論からいえば、皇室研究家の所氏は、なぜ皇位継承が男系主義なのか、基本中の基本を何も説明していない。歴史家なのに、部分的に過去をなぞるだけで、歴史の真相を探っていないかに見える。古代律令が「女系継承を認めていた」かのような解釈も説得力がない。イギリスの王位継承制度に関する知見も浅い。それでいて、歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論をばらまき、ミスリードしてきた。まったくあり得ないことだと思う。
空恐ろしい結論に至るテキストとして、今回、取り上げるのは、雑誌論攷「皇位の男系継承史と女帝容認論の検証」(「歴史読本」平成17年5月号)である。
前年の暮れに、小泉純一郎総理の私的諮問機関として皇室典範有識者会議が設置され、所氏は翌年6月8日、会議に招かれ、意見を述べた。そのときに配布された資料「皇位継承の在り方に関する管見」に添付されていたのが、この論攷であった。所氏の女帝容認論の中身を知るうえでは基本的文献といえるものと思われる。題材として真っ先に取り上げる理由である。
2 衆参両院法制局の要請に応えて
論攷が載る「歴史読本」平成17年5月号は、「今さら聞けない天皇家の歴史」が特集され、関連記事が約20本、時代ごとに網羅されている。編集部の意気込みが伝わってくるが、なかでも所氏の論攷は、正確には「平成の皇室と日本歴史 皇位の男系継承史と女系容認論の検証」と題される。「特別寄稿」と位置づけられ、ページ数も12ページと他を圧倒している。
論攷の構成は以下のように、5部構成になっている。
忘れないうちに書くが、以下の内容からは、「皇位の男系継承史と女帝容認論の検証」というタイトルが、まったく結びつかない。「平成の皇室と日本歴史」にもなっていない。編集者だった経験からいえば、おそらく編集部は「今さら聞けない皇位の男系継承の歴史」について、執筆を依頼したのだろう。ところが、注文には素直に応えてもらえなかったのだろう。苦肉の打開策がこのタイトルかと思われる。
余計なことだが、5月号の発売日は3月24日だったらしい。であれば、原稿の締切日はいつなのか。所氏の入稿は2月8日のようだから、時間の余裕はかなりあると思われる。私が編集者なら書き直しを求め、男系継承主義の理由を加筆するよう要請するところだが、そうはいかない事情が双方にあったのかも知れない。
はじめに──有識者会議の役割
「皇室典範と女帝問題の新論点」
中国の父系宗族と日本の血縁家系
女性宮家の創立と皇族子孫の範囲
男子優先・女系容認の英国王室
今後の〝皇位継承原則〟の組み合わせ
〈追記〉女性天皇と宮中祭祀
論攷の末尾に、「平成17年2月8日稿」とある。論文の構成も、執筆時期も、雑誌の全体的テーマより、有識者会議の議論を意識していることは明らかである。そして、所氏はある事実をみずから打ち明けている。
つまり、所氏は論攷のなかで、「会議の成り行きに重大な関心をもつ一歴史研究者として、左記の前稿で十分に論じえなかった問題を取り上げる」と断り書きしたうえで、4年前の論文の存在、加えてその来歴を説明し、当時、皇位継承の女帝容認を非公式に検討していた官僚たちとの接触の事実を、こともなげに暴露している。正直な方だと思う。
「私は4年前(平成13年9月)、参議院法制局の部内研究会に招かれて講述した内容を、まもなく衆議院法制局の要請により論文として提出した。その後、翌14年10月発行の『別冊歴史読本 歴代皇后人物系譜総攬』に執筆を求められたので、その論文に手を加えて『皇室典範と女帝問題の新論点』を寄稿した」
3 乗せられ、踊らされた挙げ句
平成13(2001)年9月といえば、宮内庁や内閣官房、内閣法制局での研究会、懇話会で非公式研究が進み、女帝容認=「女性宮家」創設の議論が既成事実化していたころに違いない。年末には愛子内親王が誕生される。
そんな折に、所氏は衆参の法制局の官僚たちからお声がかかったというのである。テーマは間違いなく、皇室典範改正、女帝容認だっただろう。そして所氏は、官僚たちに乗せられ、踊らされ、アウンの呼吸で暗黙の要請に従い、資料をまとめ直し、一般の読者に女帝容認論の情報を流したのではないか? それが『別冊』の「新論点」なのだろうと私は推測する。
そのように推測する根拠は、宮内庁内で検討が始まった平成8年以降、一連の流れにおいて、政治家、官僚、研究者、メディアの4者間の絡み合いがしばしば見受けられるからである。4者の中心には改革派の官僚たちの存在があると私は見る。他に先駆けて利用されたのが所氏だと思われる。
そして、この「別冊歴史読本」もまた、「歴代皇后人物系譜総攬」を特集したはずなのに、所氏は筋違いの「皇室典範と女帝問題の新論点」を載せさせている。編集部から「執筆を求められた」のは別のテーマなのだろう。けれども所氏は、従わなかったのではないか?
雑誌屋泣かせの執筆は、秘密裏に改革を進める官僚たちのニオイを嗅ぎつけ、追従するようになったということだろう。研究者としての良心からではない。学問的成果でもない。いまになって国会の動きに激怒しているのは、乗せられ、踊らされて、そして、はしごを外されたという無念の思いがあるからだろうか?
もしそうだとすると、これはもうスキャンダルというべきかも知れない。道鏡も真っ青である。
4 「別冊」の論攷で説明されていない3点
「歴史読本」の論攷「検証」によると、「別冊歴史読本」に載る「新論点」の「骨子」はこうである。
1、「日本国憲法」第1章「天皇」の意義
2、憲法第2条と「皇室典範」の対応関係
3、皇位の男系男子継承を可能にした側室
4、皇位継承の男系男子主義を補った独身女帝
5、旧皇族男子の皇族復帰と即位の可能性
6、皇位継承資格を皇族女子に認める要件
7、皇族女子に入婿する一般男性の処遇
8、男女皇族が皇位を継承する優先順位
9、皇位継承に伴う伝統的儀式の明文化
10、皇位の安定的永続性を保持する英知
さらに所氏は、ご丁寧に、章ごとの要約を載せている。
1、天皇は、現行憲法でも、一般国民と区別される格別な存在であり、国家・国民統合の「象徴」として重大な公務が課されている
2、しかも、憲法にその皇位は「世襲」と明記され、具体的な継承方法(資格・順序など)が法律の「皇位(ママ)典範」に定められている
3、しかし、その典範に、一方で皇位継承の有資格者を「男系男子に」限定しながら、他方で従来それに寄与してきた側室所生の「庶子継承」を否定している
4、そのうえ、明治以前は男系継承を貫くため、独身(寡婦か未婚)の男系女子が「女帝」に立ち、「中継ぎ役」を果たしてきたが、現典範ではそれもできない
5、そこで、今後とも男系継承を維持するには、臣籍降嫁した「旧宮家の男性子孫」を皇族に復帰せしめるのも一案だが、もはや難しい現状にある
6、そうであれば、むしろ皇族女子が一般男性と結婚されても「女性宮家」を創立し、そこに生まれる御子にも継承資格を認めるようにすべきである
7、ただ、それでも皇族男子がえられない状況を仮定して、皇族女子に継承資格を広げ、一般男性との結婚も認めるとなれば、その「入婿」の処遇などを定めておかなければならない
8、また、皇統に属する皇族が男女とも継承資格をもつ場合、その順序は、従来どおり直系・長計(年長者の系統)優先原則のもとに、「男子>長子(あるいは長子>男子)優先」とするのか、それとも一挙に「男女平等・長子優先」とするのか、慎重な検討を要する。
「別冊」の論攷「新論点」については、あらためて吟味する予定だが、所氏自身の要約によれば、所氏の議論は前提として、①現行憲法にもとづく象徴天皇論である、②皇室典範は下位法だと認める、③旧皇族の皇籍復帰は困難と考えている、④有識者会議の設置以前から「女性宮家」創設をいち早く提案している──などが指摘できる。
つまり、せいぜい近現代の歴史論であって、2000年の皇統史をもとに皇位継承を論じているわけではないということが分かる。当時の官僚たちの発想がそのようなものだったからだろうか?
今回、テキストに取り上げている「歴史読本」の論考「検証」では、所氏は、「別冊」の論攷「新論点」を踏まえたうえで、「新論点」では説明されていない3点、すなわち、①わが国で、何ゆえに長らく「男系継承」が行われてきたのか、②皇族女子の宮家創立に伴い、増える皇族の範囲をどう定めるのか、③女性宮家に生まれる子孫が即位する場合の「女系継承」の在り方をどう考えるのか、を中心に書いている。
いや、正確にいえば、ご本人はそのつもりだということである。
5 「男系継承」の理由を説明せず
注目したいのはもちろん、「男系継承」の理由の説明と、「女系継承」容認の論理である。所氏はどのように説明しているのかだが、既述したように、結局のところ、所氏は説明などしていない。羊頭狗肉そのものである。女系派の官僚たちが好まない歴史論は封印しなければならないからだろうか?
まず所氏は、「皇位継承の男系原則」について、古代中国との比較を試みている。中国王朝の影響を強く受けてきたわが国だが、わが国の皇位継承は中国とは似て非なるものであるという。漢民族社会では、「姓(せい)」は父系にのみ継承され、「同姓不婚・異姓不養」の原則が守られ、「女系排除」の慣習が行われたのである。
これに対して、日本には王朝交替がない。天皇には氏(うじ)・姓(かばね)がない。皇位は父系で継承されることが早くから慣例となっていた。そのため律令は側室を認めていた。一般氏族も、ほとんど父系の血縁集団だった。
皇室の場合、単純な父子(ないし兄弟)継承ばかりではないが、父系継承の維持に努めてきた。例外的に、男系女子を立てる場合は、1代限りとされた。双系継承や母系主義まで認めれば、混乱が生じかねないと認識されたからに違いない、と所氏は書いている。
「何ゆえ長らく『男系継承』が行われてきた」という発問の答えは、以上である。以上でしかない。皇位の父系継承が「早くから慣例」と認めてはいるが、「何ゆえ」はせいぜい「双系継承や母系主義まで認めれば、混乱が生じかねないと認識されたから」だけである。これは憶測に過ぎない。所氏は、男系主義の理由を何も説明していないと断定される所以である。
ならば、なぜ所氏は説明しないのか、あるいは、できないのか? それは、女系派の官僚たちも同様だが、所氏の所論の出発点がはじめから曲がっているからであろう。
所氏はいみじくも、論攷の冒頭で、「現行憲法でも国家・国民統合の象徴と明記される『天皇(皇室)』の在り方(制度)」と表現している。所氏の女帝論は驚くべきことに、2000年に及ぶ皇室の歴史ではなく、天皇=象徴とする日本国憲法がスタート・ラインなのである。「国事行為」天皇論が出発点なのである。皇位継承の男系主義が現行憲法から説明できるはずはないのにである。これではもはや、皇室を研究する歴史家とはいえない。
歴史家なら、皇室研究者なら、順徳天皇の『禁秘抄』(承久3=1221年)に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事をのちにす」と明記されているように、天皇の本質は祭り主であり、天皇第一のお務めが祭祀にあるとする「祭り主」天皇論こそが起点でなければならない。
〈https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00007246〉
所氏にとって、そんなことは自明であり、釈迦に説法のはずだ。天皇が公正かつ無私なる祭り主のお立場にあるからこそ、皇位は男系で継承されるのであろう。そういう解説をこそ、所氏から聞きたいのである。
ところが、所氏は、文明の根幹に関わる、最重要事の皇位継承問題が沸騰しているいまこのときに、天皇=祭り主論から説き起こそうとはしない。男系主義の理由も、意義も語ろうとはしない。そして女帝容認の言説を振り撒いている。所氏は、皇室ではなく、権力者の顔色をうかがっている。そんなことが20年以上も続いてきた。
男系主義の理由が歴史的に説明できないのなら、今後の対策は現実主義的な弥縫策になるか、大胆不敵な革命論になるか、いずれかである。旧宮家の皇籍復帰は「事実上無理」だから、「女性宮家」を創立せよという所氏の論理こそそれである。
6 「女性宮家」創設を触れ回り、「女帝の子」と解釈
ついでに、「女性宮家」なる非歴史的用語についていえば、皇室典範有識者会議での提言以前に、所氏がこの雑誌論攷で提案していた事実は重要と思われる。
文献を探せば、所氏が早い段階で「女性宮家」創設を主張されていたことが分かるし、所氏の存在は突出している。それでいて、所氏は「誰が言いだしたか、知らない」と私の質問に答えていた。非公式段階で官僚たちが言い立てていたのを聞きつけ、拡声器よろしく触れ回ったという構図だろうか?
「『女性宮家』など歴史的にあり得ない」と諭すのが歴史家のとるべき本来の立場だと私は思うのだが、逆に、率先してこびへつらうのは、曲学阿世というべきである。そこまでして権力におもねようとする理由が理解できない。
所氏は、例の「継嗣令」の本註「女帝子亦同」にも言及している。
「『女帝の子』とは持統女帝や元明女帝のごとく、即位前に天武天皇の皇后、草壁皇子の妃として儲けたような子をさすのであろう。この本注によって、女帝が結婚(再婚)して子を儲けられることまで想定していたと解することも不可能とは言い切れない」
なんと煮え切らない説明だろう。なぜ「女帝の子」と読み、解釈しなければならないのか、詳しい解説は皆無である。古来の註釈書の引用すらない。「ひめみこも帝の子なれば」と読む説に対する言及も批判もない。
7 イギリス王室の二大原則に触れず
最後に、所氏はヨーロッパ王室に言及する。
「男女平等・長子優先」のスウェーデンやノルウェー、オランダ、ベルギーなど、「男子優先・女系容認」のイギリス、デンマーク、スペイン、ルクセンブルクなどを例示しているが、それぞれの国に固有の歴史・伝統と不可分な個性があるのであって、その違いを見定めずに、外形だけを比較するのは科学的ではない。
所氏は、「とくに英国王室の例は、わが国の参考になる点が少なくない」とイギリス王室の例を挙げるのだが、これまた読むに堪えない。
たとえば、所氏は、イギリス王室の男系は何度も途切れているが、それでも初代以来の血縁をつなぎえてきた。それは女王の即位・結婚も女系の継承も容認しているからだと説明している。
しかしそうではない。何度か書いてきたことだが、小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)が指摘したように、王族同士の婚姻(父母の同等婚)と、女王即位後の王朝交替という二大原則があるからである。
明治の皇室典範制定過程で、明治人たちは、女帝の認否が喫緊の課題だったにもかかわらず、「広く海外各国の成法を斟酌」しながらも、これを否認した。それは王朝の交替を認めるわけにはいかないからである。万世一系を侵すわけにはいかないからである。
所氏には「王朝の支配」という概念がそもそもないように見える。「王朝の交替」については言及しているが、王朝交替は新たな父系継承の始まり、つまり、新たな王朝による支配の開始なのであって、それを可能にしているのは王族同士の婚姻であることについては、理解しようとしていないように見える。王朝交替は「血縁をつなぎえて」とはいえない。血統が変わるのが、王朝の交替である。
所氏が本気で、イギリス王室を参考に、女系継承を容認するのなら、皇族同士の婚姻または、ほかの王族との婚姻が前提としなければ、論理は一貫しないだろう。
さらにいうと、所氏の所論はデータが古い。所氏の論攷は平成13(2001)年の執筆なので致し方ないが、王室の資料によれば、すでに1960年にエリザベス2世と夫君エディンバラ公は、自分たちの直系子孫がマウントバッテン=ウインザーの姓を継承することを決めたのだった。
そしてイギリスは、2013年王位継承法で、従来の男子優先から性別によらない長子継承に改めた。その際、以前、書いたように、イギリス議会は男系主義の歴史的検証らしきものをほとんどまったくしていない。
2022年に王位を継承したチャールズ3世はウインザー家にとどまり、王朝名も同じである。父母の同等婚の原則も、王朝交替の原則も、すでに崩壊している。もはや羅針盤なき漂流船である。所氏は、「とくに英国王室の例は、わが国の参考になる」と本気でお考えなのだろうか?
最後に、念のため付け加えるが、以上の考察は、あくまで「歴史読本」の論攷を読むかぎり、という前提である。


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