その日は、いつもと変わらず屋敷で過ごしていた。
いつも通り早起きしてレムやラムの仕事の手伝いを済ませて、オットーを弄りに行き、ガーフィールのカッコイイポーズとやらを見せられ、最後に相棒と三時のおやつの時間を過ごしていた。
そう、これがスバルの日課であり、いつもと変わらない日常。この後、エミリアたんに会いに行けば今日の日課は終わりだ。
──しかし、そんなスバルの平穏な生活はすぐに崩れ落ちることになる。
「スバル。ちょっといいかしら?」
この時間は勉強に勤しんでいる筈のエミリアからの呼び掛けに、スバルは疑問に思いながらも「大丈夫、どうかした?」と扉の外のエミリアに返事を返す。
ベアトリスも不思議そうな顔をしていたが、エミリアが勉強を抜け出してこっそりお菓子を食べに来ることがたまにあるので、今回もそれだろうとスバルもベアトリスも特に気にしていなかった。
「突然ごめんなさい、実はスバルに会いたいってお客様が来てて…」
「まじ?珍しいな」
部屋に入ってきたエミリアは言いにくそうにそう口にした。そのエミリアの様子に何故か嫌な予感がしたが、それを振り払うように首を振り、スバルの膝の上に座っていたベアトリスを一度下ろす。
「今日って会う約束してる奴いなかったよな?誰だろ」
「えっと、じゃあ入ってきて大丈夫みたい」
エミリアが扉の外にそう声をかけると、部屋の中に入ってきたのはスバルの予想を超える人物だった。
「──はあ?!なんでアベルがここに居るんだよ!?」
スバルは驚きのあまりその場で立ち上がり部屋に入ってきたアベルを指差しながらそう叫ぶ。 しかも、部屋に入ってきたアベルは変装も何もしておらず、強いて言えばいつもより服が汚れているのが気になるぐらいか。
スバルの不敬な態度に、すぐに嫌味が飛んでくると思ったが、何故かアベルは何も話さず、ただスバルを見ていた。
様子の可笑しいアベルにスバルが口を開こうとした瞬間、それに被せるようにエミリアが口を開いた。
「えっと…アベルさんはスバルの知り合いなの?」
「……え?」
続いたエミリアの言葉に、スバルは呆然とその場に立ち尽くし、エミリアの言葉の意味を考える。
アベルがスバルの知り合い?何故今更そんなことを…そもそも、何故二人ともアベルがルグニカに居るというのにこんなにも冷静に───
「まさか…ッ!」
「貴様の考えで間違いあるまいよ。最も、貴様が覚えているかどうかは賭けだったがな」
「お前…暴食に…」
「暴食って、まさかこの人は…」
スバルとアベルの言葉にエミリアがいち早く反応する。先程までとは違い、焦るスバルとは対照的に、アベルは落ち着いていて、その姿はあの時のユリウスを彷彿とさせる。何もかもを諦めて、自傷気味に笑った、あの時のユリウスの姿を。
「スバル。この男はベティ達の知っていた人物なのよ?」
「……そうだ。俺も、ベアトリスもエミリアも、知ってる人間の筈だ」
スバルの言葉にエミリアとベアトリスは視線をアベルに移す。アベルは何も言わない。ただ、事の顛末を見届けている。
「な、何か思い出さないか?ほら、短い間だったとはいえ一緒に過ごし──」
「無駄だ。その手の説得が意味をなさない事は知っていよう」
「でも…」
アベルの言葉に尚もスバルが縋るような視線をエミリアに送る。でも、エミリアは申し訳なさそうに首を横に振る。スバルはエミリアの反応に唇を噛み締める。
なんで、なんでアベルが暴食の被害に……
「…少し、この男と二人きりで話しがしたい」
「えっ?」
「……ん、わかったわ。ベアトリス、行きましょう」
アベルの言葉に、エミリアは少し沈黙したあと、ベアトリスを連れて部屋から出て行った。部屋にはスバルとアベルの二人きりになり、暫く沈黙が流れる。
なんて声をかければいいのか分からない。でも、今いちばん辛いのはアベルの筈だ。エミリア達が出ていってからずっと下を向いてるアベルの表情は読めない。でも、あのアベルが下を向いてること自体が異常事態だ。
スバルは扉の前で立ち尽くすアベルの傍まで歩み寄り、大丈夫かと声を掛けようとした瞬間、アベルに肩を力強く掴まれる。
「痛っ…急に何すん──」
「本当に、本当に俺の事を覚えているのか」
アベルの問いかけに、抗議しようとしたスバルの言葉が止まる。スバルの肩を掴むアベルの手は震えていて、スバルは息を呑む。
スバルはすぐに肩を掴むアベルの手を握り返し、落ち着かせるようにできるだけ優しい声音で口を開く。
「──ああ。お前はヴォラキア帝国の皇帝で、ヴィンセント・ヴォラキアだ。大丈夫だ、俺は絶対忘れないから」
「…そう、か」
スバルがそう口にした途端、アベルの腕がスバルの肩から滑り落ちる。脱力したアベルは何も話さなくなった。
当たり前だ。どんな経緯でそうなったのかは知らないが、ここに来るまでにどれほどの苦痛を味わったのか想像もできない。
スバルはアベルの肩を支え、扉の前からなんとかソファまで移動させる。ソファに移動させたのはいいものの、アベルは糸が切れた人形の様に動かない。
そんなアベルにかける言葉が見つからず、お茶でも入れようかと立ち上がろうとするが…
「あ、アベル?」
「行くな。傍にいろ」
「…うん。わかった」
覇気のないアベルの言葉はスバルの心臓を締め付ける。言われた通りアベルの隣に戻ると、アベルが頭を預けてくる。
スバルがアベルの行為に目を丸くしていると、「少し休む」とだけ口にしたアベルからすぐに寝息が聞こえてくる。
他者の前で隙を見せないアベルがこんなにも無防備に寝ていることに驚くが、アベルのことだからきっとここに来るまでに一睡もしていなかったのだろう。
両目を閉じて動かなくなったアベルの頭を恐る恐る撫でる。いつもならすぐに飛んでくる罵倒も、今日はなかった。
完全に意識を失っているのか、それとも気づいていてわざと見逃しているのか。そのどちらでもいい。スバルは、アベルが起きるまでずっと頭を撫でるのをやめなかった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
アベルが寝てから数時間後、なかなか部屋から出てこないスバル達を心配したエミリアが外からスバルを呼ぶ声が聞こえてくる。
「スバル、大丈夫? ちゃんとお話できた?」
「ごめん。もう少し時間掛かりそうだから他のみんなにも説明してもらってもいいか?」
「それならもうバッチリ!みんなにはもう伝えてあるから、スバルはゆっくりその人と話し合ってね。夕食も二人分部屋の前に置いておくから。また明日、お話聞かせてね」
「うん。何から何までありがとう」
「どういたしまして」
エミリアの足音が遠ざかっていくのを聞いたスバルは時計に視線を移す。時刻は十七時を指していて、アベルが寝てからちょうど二時間ぐらい時間が経っていた。
そろそろ貸している肩も痛くなってきたし、アベルをベッドに移動させるか。
「…運べるかな」
女の子ならまだしも、スバルよりも長身で、しかも男であるアベルをソファからベッドに運ぶのは至難の業だ。
しかし、いつまでもこうしていてもアベルの身体が休まらないだろう。
スバルは一度アベルの身体を起こさないように慎重にソファに寝かし、エミリアの運んでくれた夕食を部屋の中に入れる。それらを机の上に置き、続いてソファに横たわらせたアベルを気合いで持ち上げてベッドまで運んだ。
「はぁ…はぁ…よいしょっ!」
当然スマートに運ぶことなど出来なかったが、アベルを落とさないように精一杯力を振り絞ってベッドまで運ぶことに成功する。
やりきった達成感にスバルが額の汗を拭う。
「…待てよ?ムラク使えばもっと楽だったんじゃ…」
そこまで考え、過ぎた話をするのは辞めようと首を横に振る。
まあ、何はともあれアベルも運び終えたし、夕食を先に食べて風呂に入るか…とアベルに掛け布団を掛けてからその場を離れようとすると──
「うおっ!」
次の瞬間、右手を思いっきり引っ張られ、スバルもベッドの中にダイブする。急なことになんの受け身も取れなかったスバルは顔面からベッドにダイブした。怪我こそしなかったが、その衝撃で目にホコリが入り涙目になる。
「痛てて…急に何すんだ!」
「喧しい。離れるなと言った筈だ」
「いや、でも俺ご飯……」
起きてたのかよ。いやまああんな身体動かされてアベルが起きない訳ないよなとは思ってたけどさ。それだけ言うと無言になるアベルの拘束から抜け出そうとするが、
「うぐぐ…抜、けない!力強っ!」
「………」
「おい!起きてるだろアベル!せめて風呂だけでも入らせ──」
スバルの言葉の最中にアベルがスバルを抱え込む力を強める。抱き枕のような形で拘束されていたスバルは「ぐぇ」とカエルの潰れたような声しか出せず、圧迫感に苦しむこととなる。
「わ、わかった。もう諦めたから!せめて腕の力緩めろ!」
「………」
「お、緩まった」
スバルの言葉に、素直に力を緩めたアベルに安堵する。あのままだとスバルは朝まで苦しむことになっている所だった。
「じゃあついでに拘束も解いてくんね?別にもう逃げねぇし」
「………」
「いだだだだ!それは無理なのね?!わかったわかった!」
アベルにも人肌恋しくなる時があるんだな。と思い、この際男同士で抱き合って寝ている現実には目を瞑ることにした。そのまま、人肌を感じてウトウトしてきたスバルも、睡魔に身を委ねて眠りについた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ん…」
次に目を覚ました時には、隣にアベルの姿がないことに最初に気づいた。重い瞼を擦りながら今何時だろ、と時計に視線を向ける。針は午前五時を指していた。
いつもよりちょっとだけ早起きだが、昨日は寝るのが早かったので割とすんなり起きることができた。
それから身体を起こし、アベルの行方を探して部屋を見渡すと、洗面台の方の電気がついているのが目に入る。
「…ああ、風呂か…」
そういえば昨日汚れたままの服でベッドに運んだんだった。隣を見ると、白いシーツに幾つか汚れがついているのが目に入る。
まあ、どうせ今日の洗濯もスバルが手伝うのでその時に一緒に洗ってもらえばいいか。とベッドから降りて洗面台に向かう。
「あ、おはようアベル」
「替えの服がない」
「服ないのに風呂入ってたのかよ…ちょっと待てっとけ。…あったあった、とりあえず俺のジャージで我慢してくれ」
洗面台に着くと、ちょうど風呂から上がったアベルが身体を拭いている所だった。とりあえずアベルの服も今日洗うとして、代理でスバルのジャージと適当な下着を手渡す。
すると、アベルは怪訝な顔で受け取ったジャージを眺めていた。顔を洗っていたスバルは、そんなアベルに「どうした?」と首を傾げる。
「これは…どうやって着るのだ」
「…まじかお前。普段あの服しか来てないのかよ?」
「たわけ。あれは俺の正装だが、他にも服は持っている。しかし、このような作りの服は初めて見る」
「へー。ま、その服は俺の故郷の服だしな。貸してみろ、着せてやるよ」
「うむ」
アベルからジャージを受け取り着せてやる。なんか着せられる時の動きが慣れてるの、流石アベルというかなんというか。
ジャージを着せ終わり改めてアベルのジャージ姿を見ると、なんだか違和感がすごい。
「袖が短いな」
「うるせー!文句あるなら返せ!」
「喧しいぞ。貴様が渡した衣装であろうが」
アベルは騒ぐスバルに目を細め、そのまま洗面所を出て部屋のソファに腰掛けた。ほんとに態度デケェなあいつ。
スバルはアベルの態度にため息をつき、洗面台に戻り髪のセットを始めようとするが、ソファに座るアベルから「おい」と声をかけられる。
「なんだよ、俺今忙しんだけど」
「さっさと髪を乾かせ」
「……は?誰の?」
「俺のに決まっていよう」
この部屋にはスバルとアベルしかいないので必然的にそうなるけど……。
アベルの言葉にスバルは思いっきり顔を顰める。あいつは王様かよ。いや皇帝だったわこいつ。
「自分でやれよ」
「不敬な。俺を誰と心得る」
「あのな、俺はお前の召使いじゃねぇの。自分のことは自分でやれ」
「………ちっ」
仕打ちしやがったあいつ。それからソファから立ち上がったアベルは無言で洗面台まできて髪を乾かすミーティアを取り出す。それから、暫くそのミーティアを凝視するアベルを眺めていたスバルは「何してんだよ」と動かないアベルに首を傾げる。
「どう使う」
「お前…これは流石に使ったことあるだろ」
「無論あるが。それらは全てチシャか使用人にやらせていた」
「赤ちゃんかよお前」
心の底から出た本音を思わず口に出すとアベルに睨まれる。だって実際そうだろ?
風と炎のマナの力を調律して作られた暖かい風の出るこのミーティアは使い方を間違えれば屋敷が丸焦げになる可能性もある結構危ないものだったりする。
よっぽど変な使い方をしない限りそんなことにはならないが、このままアベルに持たせているとそうなる未来が見えるので、スバルはため息をついてアベルからミーティアを奪う。
「俺が乾かしてやるから、お前はここ座ってろ」
そこら辺の椅子を適当に持ってきて洗面台の前に置く。アベルはスバルの言葉に素直に従い椅子に座った。
まずアベルの髪をタオルでもう一度拭き取ってやる。それからミーティアを起動させ、櫛で梳かしながら乾かしてやる。
「随分慣れているな」
「まあベア子にいつもやってあげてるし」
「精霊の娘に?精霊は見た目を自在に変えられるはずだが」
「ベア子はあれで甘え上手だからな」
そんな雑談を交わしていると短いアベルの髪はベアトリスと違って幾分も早く乾いた。それにしても、まだなんのケアもしてないのにサラサラな髪だ。普段からちゃんとケアしている証拠だろう。
ミーティアを定位置に戻し、棚からヘアオイルを取り出す。少量を手にだし、アベルの髪に馴染ませる。そうするとサラサラだった髪はもっとサラサラになり、スバルは達成感に鼻を鳴らした。
「はいできた」
「褒めて遣わす」
「はいはい、どういたしまして」
アベルの髪を乾かし終わったスバルは部屋に戻って昨日残した夕食を食べようと机に並べられている食器の蓋を開ける。
当然料理は冷めきっているので、一度厨房に行って温め直すことにする。
「これ昨日の夕食なんだけど、勿体ないから朝食として食べようと思ってるんだけどアベルも食うだろ?」
「俺に残り物を食べさせようなどと、不敬極まりないな」
「どうせここに来るまでろくに食ってないだろお前。そういうのいいから。じゃあお前の分も温め直してくるから──」
アベルの返事を待たずに料理をワゴンに乗せて部屋を出ようとした瞬間、弱い力で袖を引かれ、スバルは疑問に振り返る。
すると、そこにはスバルの袖を掴むアベルの姿があり、そのアベルらしくない行動に一瞬目を丸くする。
「な、何?」
「…いや」
「──一緒に行く?」
何故かアベル自身も自分の行動に驚いた様子で、すぐに袖から手を離す。スバルはそんなアベルの行動を茶化すことはなく、代わりに左手をアベルに差し出す。
「皇帝様が護衛もなしに部屋で一人なんて危ないし?」
「…そうだな」
「そうそう。ほら行くぞ」
弱音なんて吐かなくていい。アベルの行動にどんな真意があったのかなんて詮索する気も起きない。スバルが今できるのは精一杯『いつも通り』でいることだけなのだから。
伸ばした左手を掴んではくれなかったが、元々それに期待していたわけではないので気を取り直して二人で厨房を目指す。
朝早いこともあって、道中では誰にもすれ違わなかったが、厨房の扉を開けると朝食の仕込みをしているレムの姿が目に入る。
「スバルくん!おはようございます! そちらの方は…」
「こいつはアベル。話はエミリアから聞いてるか?」
「はい。伺っています。おはようございますアベルさん、スバルくんのレムです」
「…ああ」
「あ、もしかしてお二人とも朝食を食べに来たんですか? すみません、まだ準備が終わってなくて…」
「いーや、実は昨日夕食食べる前に寝ちゃってさ、勿体ないから温め直して食べようかと思って」
「そうでしたか、レムが温めますよ」
「いいよ、俺がやるから気にしないで。レムは自分の仕事に集中してくれ」
「そうですか…」
レムの好意は有難いが、流石に申し訳ないので首を横に振ればレムは分かりやすくしょんぼりしてしまう。そんなレムに申し訳ないと思いつつ、運んできた料理を温め直す。
「──アベルさん。失礼を承知で質問しても宜しいですか?」
「言ってみろ」
スバルがその場を離れると、一人になったアベルにレムが小声で話しかける。まさか話しかけてくるとは思ってもいなかったアベルは内心で驚くが、表には出さずいつもの無表情でレムの発言に許可を出す。
「レムと貴方は初対面ですか?」
「………」
「違うんですね」
何も答えないアベルに目を伏せたレムの反応に、アベルは無意識のうちに顔が強ばる。そして、質問の意図が分からず、眉を顰める。
すると、レムはそんなアベルの視線を特に気にせずに何故かふっと顔を誇ろばせてスバルに視線を移す。
「でも、きっと私も貴方も幸運ですね」
「幸運だと? この状況のどこが幸運だと…」
「──だって、私も貴方も、一番覚えていて欲しかった人に覚えていて貰えましたから」
再度視線をアベルに戻したレムの瞳に射抜かれて、アベルは一瞬瞠目する。すると、前会った時よりも何倍も幸せそうに笑うレムにアベルは同時に眩しさも覚えた。
「アベルさんもレムと同じだと思いましたが、違いましたか?」
「違う。俺は…」
はっきり否定の言葉は口にできるのに、理由の説明に口ごもる。そんなアベルの反応に、レムは昔の自分を見ているようで思わず笑ってしまう。
すると、すぐにアベルから睨まれ、咳払いで誤魔化したレムは最後に口を開く。
「貴方がどこの誰で、スバルくんとどのような関係なのかは存じ上げませんが…もう少し肩の力を抜いてみてもいいと思いますよ」
「余に…俺に、そんなことをしている暇などない。心配は無用だ」
「…それは失礼致しました。それでは、レムは朝食の仕込みに戻りますね」
そう言って離れてくレムの後ろ姿を複雑な顔で見送ったアベルは「終わったぞ〜」というスバルの声に説明できない感情を切り捨て振り返る。
「遅いぞ。俺を待たせるとはいい度胸だ」
「いちいち嫌味言わないと会話できないの? ってかレムとなんか話してた?」
「なんてことは無い。ただの雑談だ」
「アベルとレムが?!」
驚いた顔でアベルの言葉に衝撃を受けるスバルを横目に厨房の扉に向かって歩き出す。慌てたスバルが「まってまって」と小走りに追いかけてくる。
部屋まで戻った時には時刻は午前六時を回っていた。もう一時間も経ったのか、そろそろみんなも起きてくる時間だ。
部屋に戻るとアベルはすぐにソファに腰掛けスバルが朝食を準備するのを待っている。相変わらず自分で動く気はないようだ。
「朝ご飯にしてはちょっと量が多いけど、昨日夜ご飯抜いたし大丈夫だよな」
「おい、先に食べろ」
「は?別に言われなくても食べるけど…」
スバルが食事を口に運んだのを目にしたアベルは暫くスバルを見つめ、数秒後に自分も食事に手を付け始める。
…待てよ?これって、もしかして──
「お前、俺に毒味させた?」
「ああ」
「ああ。じゃねぇよ!毒なんか入ってるわけねぇだろ!レムが作ったんだから!」
「常に細心の注意を払うのは皇帝として当然の責務だ」
「だからって……はあ、次からは先に言えよな」
「言われずともそうするよう心掛けよ」
「なんで俺が?!」
こいつ思ったより元気じゃね?と気を使うのも馬鹿らしくなってくる。
アベルの態度に思うところはあるが、こうしてアベルらしい姿を見て安堵している自分もいるので、今回は許してやる。
すると、行儀よく朝食を食べていたアベルからふと疑問の声が上がる。
「そういえば、あの娘。最後に会った時とは随分と貴様に対しての態度が違っていたようだが」
「ああ、レムな。帝国から帰ってきて色々あって、その過程で記憶が戻ったんだよ」
「……記憶が戻る前があれだったのか」
「あれとか言うな。まあそうだな、最初はもっと帝国にいた時みたいな感じだったけど」
そういえばめちゃくちゃ嫌われてたな、俺。でも今は記憶も戻ってみんなも思い出してくれたしそれでいい。
そこで、スバルは昨日は触れなかったアベルの状況について聞くことにする。
「それで、一体何があったんだ? あ、別に言いたくないなら言わなくてもいいぞ」
「貴様にはそれを知る権利があろう。妙な気を遣うな、不敬であるぞ」
「気を遣ったのに不敬って…」
結構デリケートな話題だし思い出したくないなら別にいいぞって意味だったんだけど。アベルは変なところで律儀だから。
それに、さっきレムと話しているのを遠くで見ていたが、矢張りいつもの覇気を感じられなかった。
スバルがそんなことを考えていると、アベルが暴食に襲われた時のことを話しだす。
「あの日はヨルナ・ミシグレと話し合いの予定が入っていた故、帝都から魔都へ向かっていた」
「お前がわざわざ出向くって、相当大事じゃねーか」
「その件は今回の話に関係ない。省略するぞ」
「ああ、うん」
「帝都を発って暫くして俺の乗った竜車が襲撃された。暗殺は帝国では日常茶飯事だが、あの様に堂々と襲撃を仕掛けてくるのは余程の馬鹿かそれを為すに値する実力者の二択だ」
「今回の場合は後者か」
「そうだ」
片目を伏せて頷くアベルに、スバルにも緊張が走る。アベルの今の状況を考えるに、刺客の正体は……
「襲撃を仕掛けてきたのは暴食と名乗る大罪司教と魔女教徒だ。 当然、皇帝を護衛するに相応しい実力ある兵士を連れていた。九神将であるグルービーもあの場に居た。──だが、結果は見ての通りだ」
「そうか…」
アベルの話から賢者の塔で出会った暴食のことを思い出す。暴食の大罪司教は自分のルールをもとに食事をしていると前言っていた。
「名前を食われたのはアベルだけか?」
「ああ。あの大罪司教の狙いは最初から俺であった。俺の名前を食った後は心底不愉快な顔で教徒達を置いて去っていった」
「『悪食』、やっぱりあの時……」
──殺しておくべきだった。そこまで言いかけてスバルは首を横に振る。暴食の件は、スバルのせいでも王国のせいでもない。
でも、実際にこうして顔見知りに暴食の被害が出るといやでもあの時の選択は間違っていたのではないかと思ってしまう。
後悔するくらいなら、あの時みんなの静止を顧みずに殺してしまえば……
「──貴様にそれは似合わんよ」
「え?」
「過ぎた事を嘆いても現実は変わらん。この話をしたのは貴様に苦痛を強いる為ではないぞ」
「…うん。ごめん」
珍しく気を使った言葉をかけてくるアベルに、スバルは反省する。きっとアベルが気付くぐらいスバルの後悔や葛藤が顔に出ていたのだろう。そうでなくてもアベルは察しがいいのだから、尚更わかり易かったのだろう。
「その後、名前だけを奪われ、俺を守っていたはずの兵士から敵意を向けられた瞬間に権能を行使されたのだと理解した」
「兵士に襲われるって…そういえば、お前が名前を食われてる今、帝国はどうなってるんだ?」
「王国に来るまでに聞いた話によれば、今は玉座は空席となっているという。王無き帝国は今、権力争いの真っ只中だそうだ」
「権力争い…」
アベルの名前が消えると皇帝の抜けた穴を補うためにそうやって情報が改変されるのか。それにしても、帝国流で行くのならば一番強い人が皇帝になるはずだが、それで行くと自ずと候補にでてくる男が一人いる。
「…まさか、セッシーが皇帝になってたりしないよな?」
「知らん。あの後、正体不明の俺が突然現れたことでグルービーや兵士たちに事の詳細を説明する暇もなく攻撃されたからな」
「それで逃げてきたのか」
不機嫌な顔でそう言い放つアベルに、帝国の方針が弱者死すべし慈悲はない。だからなと思いながら自分の国の方針に苦しめられるアベルに同情する。
「なんて言ってられない状況なのは確かだけどな」
「そうだ。これは俺、曳いては帝国の一大事だ。一刻も早く大罪司教を殺す必要がある」
「それが出来たら苦労しないんだけどな」
アベルを助けたい気持ちは確かにある。だけどそんな簡単に暴食を殺せるのなら、もうとっくにやっている。
そもそも大罪司教というのはそれぞれがいつ何処に現れるかも、普段何処で暮らしているのかも分からない謎に包まれた連中なのだ。
そのため、一度逃がしてしまった暴食の処分も出来ないまま、王国側も歯痒い気持ちだ。
「あいつが次、いつ何処に現れるのか俺にも予想できない。そもそも、暴食を倒したからって奪われた記憶や名前が戻るとも限らないんだよな」
「暴食の一人は貴様の仲間が討ったと聞いたが?」
「あの時の事は俺も詳しくは分からないけど、それってラムだから出来たことなんだと思う」
「レムの片割れか」
アベルの言葉にスバルが頷く。シャウラと戦っていたスバルはあの時ラムと暴食の間でどんな戦闘が繰り広げられていたのか知らない。ラムに聞いても不機嫌な顔になるだけで何も答えてくれないのできっとそこに名前を取り戻す答えはないのだろう。
「…ならば、一度帝国に戻り国の内情をこの目で確かめる必要がある」
「帝国に戻るって…でもお前は今…」
「暴食を殺す目立てがない今、俺に出来るのことなど限られている。そうと決まれば俺は帝国に戻る。世話になった」
そう言うと食器を机の上に置いたアベルは立ち上がる。それからこの部屋を立ち去ろうとするアベルに、スバルは思わず待ったをかける。
「待て、それなら俺も一緒に行く」
「不要だ。着いてくるな」
「そんな状態のお前を一人で行かせられるか」
「戯言を。俺を誰と心得るか。俺の問題は俺が一人片付ける」
「ならなんで最初からそうしなかった」
スバルの言葉に、部屋を出ていこうとしていたアベルの動きが止まった。
最初からその気ならスバルを訪ねて来る事がおかしい。アベルはスバルの性分をよく知っているはずだ。
「お前のプライドなのか知らないけど、心の奥底では誰かに助けて欲しいと思ったから俺のところまで来たんじゃないのか?」
「そんなはずは無い。俺は皇帝だ。ここに来たのは、単に貴様が一番覚えている可能性が高かったからだ」
「でもそれって、誰かに覚えていて欲しかったってことじゃないのか?」
「………」
振り返ったアベルは図星を付かれたからかスバルを睨む。スバルはアベルの反応を気にすることも無くまたしても一人で抱え込もうとするアベルをビシッと指さし言った。
「お前はなんでもかんでも考えすぎ!もっと肩の力抜け、誰かに頼ることは悪いことじゃないんだから」
「俺は…」
「アベル。俺はお前を助ける。絶対だ。だから、アベルが苦しかった時、俺を思い出してくてありがとう」
きっと、すごい不安だっただろう。スバルには想像もつかないくらい。
普段から帝国のために色んなこと考えているアベルだ。他人に厳しく、自分にはもっともっと厳しいアベルだ。
だから、自分を助けてあげられないアベルに変わって、スバルがアベルを助けてやる。アベルとは、あの日リンガを分かった仲だからな。
そんなスバルの宣言に暫く目を丸くしていたアベルは、その後ため息をつく。
「貴様がそうすると決めたのならば俺が何を言っても無駄であろう」
「よくお分かりで。だから絶対お前を一人にはしてやらないぞ」
「…好きにしろ。後で後悔しても責任はとらんぞ」
「そんなことしねぇよ」
呆れた顔でため息をつくアベルに、スバルは笑顔でそう言い返した。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──ダメです」
「なんでだよ!」
そして、先程のアベルとの会話をオットーに伝えたところ、ノータイムで却下される。
あの後みんなも集めて改めてアベルの立場と状況を説明したところ、みんな驚いていたが、スバルがアベルに着いていきたいと口にした途端オットーが瞬時に反応した。
「何故ですって? 危険だからですよ。それ以外に理由がありますか?」
「でも! それじゃあその危険な道をアベル一人で行かせろって言うのかよ!」
「そうです」
スバルの必死の反論も想定済みだったのか、オットーは冷静な顔つきで断固とした態度だった。 そんなスバルとオットーの様子にアベルは何も言わずただスバルの隣に座り話し合いの結果を待っている。
「残念だぁ〜けどこの件に限っては私もオットー君と同じ意見か〜ぁな」
「ロズワールまで…!」
「スバルには悪いけど、ベティも同意見かしら」
「そんな……」
オットーに続いてロズワールとベアドリスもスバルの提案に反対意見だった。絶望するスバルの様子に、慌てた声でエミリアが手を挙げる。
「はい!私はスバルに賛成! アベルさんのこと、私たちは覚えてないけどスバルが大切に想ってるって事はいい人だと思うの。だから、困ってるなら助けてあげたいわ」
「俺ッ様もエミリア様と同じ意見だァ。俺様もコイツのこたァ覚えてねェッけどよォ、大将ッが助けてェッつッてんだから手を貸すぐらいいいだろ」
エミリアとガーフィールの賛成意見にオットーは眉をひそめた。この二人が考え方的にスバル側なのはオットーも知っていただろう。そうして意見が拮抗していると、今まで傍観していたラムとレムのうちのレムがそっと手を挙げる。
「レムは…スバルくんの意見に賛成です。暴食の被害の苦痛はレムもよく知っていますから。個人的な意見で申し訳ありません」
「レム……」
「なら私もレムの意見に賛成よ。ラムはレムの姉様だもの」
「…チッ。ナツキさん。今回は何を言われてもどんな見返りを貰えようとアベルさんについて行くことは許可できません」
「くっ…」
賛成意見に多く票が集まるが、オットーはその事実に顔を歪め、その他の面々の顔にも緊張が走る。それでも、頭の良くないスバルはただお願いするしかないのだ。
「頼むオットー、絶対危ないことはしないし危険だと思ったらすぐに帰って──」
「それを…! 貴方ができない人だからこうして止めてるんですよ!!」
スバルの言葉の途中、オットーが力強く両手で机を叩く音が部屋中に響き渡る。その事実にスバルだけでなく、エミリアやガーフィールも驚いて固まっていた。その他のメンバーはオットーの行動に複雑な顔を浮かべたり、目を伏せたり、色んな感情が入り乱れていた。
「ナツキさん。 貴方は弱くて脆い。 ナツキさんのその優しさは確かに美徳です。でも、その優しさでナツキさんを失うような事になるのなら僕は何度でも嫌われ役を買ってでますよ」
みんなの注目を浴びながら言い終えたオットーは、その場で咳払いを一つする。確かにオットーの言っていることはスバルにとって都合が悪いだけで正論だ。 スバルがみんなに傷ついて欲しくないと思うようにオットーもスバルに同じことを思っているのだ。
スバルはこんな性格だからみんなに心配をかけている自覚はある。今回の提案だって100%安全なんて言いきれないし、むしろ危ない道だ。
……でも、
「───」
ふと、スバルは視線をオットーからアベルに移す。その表情はいつもと変わらず無表情に見えるが、片目を閉じたアベルの開いている方の瞳が微かに揺らいでいるのがスバルにはわかる。
ここに居る他の誰にも分からないそのアベルの表情の変化に、スバルは奥歯を食いしばる。
「……わかった」
次いで、スバルの放った一言に、オットーは微かに息を吐き、アベルは静かに目を細める。
「良かった。わかってくれたん──」
「──なら、俺はここでの生活を捨ててアベルに着いていく」
「…は?」
「す、スバル?!突然何を言い出すかしら!?」
続いたスバルの言葉にオットーは片眉を上げたまま固まり、ベアトリスはスバルの発言に思わず席から立ち上がる。その他のメンバーもスバルの言葉に驚いているが、恐らく一番驚いているのはスバルの隣に座っているアベルだろう。
「貴様、正気か?」
「正気も正気だ。オットー達が俺の提案を飲み込んでくれないなら、もうこうするしかないだろ」
「違う。何故、愛する者たちを捨ててまで俺に身を捧げるのかと聞いている」
心底理解できないと視線を向けてくるアベルに、スバルは真剣な顔付きで言い返す。
「確かに俺はアベルよりみんなの方が何倍も好きだよ。それは一緒に居た時間の長さとか、乗り越えた困難の差が違うから当たり前。でも、俺はアベルのことも好きだから。だから今ここでお前を見捨てるぐらいなら死んだ方がマシだ」
「スバル…」
「それに、今ここでお前を見捨てたら、俺は俺を否定することになる。だって、今俺がこうしてみんなと幸せに暮らしてるのは、この性分のお陰だから。──だから、俺は俺の、このみんな助けたいって欲張りな気持ちを切り捨てたくない」
スバルの宣言に、その場にいた全員が黙り込む。言いたいことは全て言ったが、いざ口にするってなると緊張するもんだな。
それからスバルは視線を黙り込むオットーに移し、頬を掻きながら苦笑いをして、
「って説得じゃ、ダメかな?」
と言ってのけた。
スバルの言葉を受け、何十秒か両目を閉じていたオットーが目を開け、深い深い深いため息をついた後、両手を頭の横の高さまで持ち上げた。
「そんなことを言われたら、貴方に救われた僕は何も言えないじゃありませんか」
「うん。ごめん」
「……謝るくらいなら最初から言わないでください」
不貞腐れた様に顔を背けたオットーにズルいことを言った自覚のあるスバルは申し訳なさそうにオットーに手を合わせたあと、他のメンバーを見る。
「まだ反対の人って居たりする?もし居たらまた言い訳を考えないといけないんだけど…」
「いやはや、あんな口説き文句を聞かされては、流石の私も降参だぁーよ」
「ベティも、スバルが居なくなるくらいなら賛成せざるを得ないのよ。全く、あんな言い方、卑怯かしら」
「私も一瞬びっくりしちゃったけど、確かに今こうしてみんなで楽しく過ごせてるのってスバルがすごーく頑張ってくれたお陰だから。改めてありがとう、スバル」
「あんなこと言われッたら、実質、選択肢は一択みてェッなもんだしなァ」
「う…酷いこと言った自覚はあるからみんなして俺を責めないで?! あとエミリアたんは俺の方こそいつもありがとう」
先程までの緊張感が嘘のように消え、オットーは未だ不機嫌だが他のメンバーはスバルに賛成してくれた。中にはせざるを得なかったという顔つきも見えるが、仕方なかったのだ。
スバルは頭が良くないからロズワールやオットーみたいに上手く話を纏められないし、エミリアやガーフィールみたいに強い訳でもないので仲間の助けは必須だ。そんな中、スバルに取れる最後の手段はスバル自身を人質に、みんなの情に訴えかけることだけだった。
「まあ、オットーとかロズワールは情よりも損得で物事を見るタイプだけど…」
「何か?」
「いいえ!なんでも!」
スバルの呟きを聞き逃さなかったオットーが睨んでくる。これは暫く機嫌直らないやつだな…
スバルがそんなオットーから逃げるように視線をアベルに移す。アベルはスバルの視線に気づくと「何だ」と短く質問してくる。
「いや、ほら。俺まだお前からお礼言われてないんだけど」
「俺が何時助けてくれと貴様に頼んだ? 貴様が勝手にやった事に俺が一々礼を言ってやる筋合いはない」
「ふーん。 そっちがその態度で来るならいいんだぜ? 暴食倒してみんなの記憶が戻ったらお前が昨日部屋でうじうじ泣いてたこと……あいた!」
「泣いておらぬわ、たわけ。貴様、次また余計なことを口にしてみろ、首と胴が泣き別れすることになるぞ」
「怖! そんな怒るなよ…元を辿ればお前がお礼言わないから──!」
そうしてアベルとスバルが二人で騒いでいるのを密かに見守っていた他のメンバーは顔を見合わせ、意外そうにアベルを見ていた。
「──あの人間、この部屋に入ってきた時からずっとベティ達を警戒ていたからスバルの話は半信半疑だったのだけど…」
「警戒心が高いのは結構な事ですが、あそこまであからさまに態度を変えられてはいい気はしませんよ」
「それもあの皇帝様は無自覚だろうねぇ〜え。 それにしても、スバル君の人を誑し込む才能は見境ないんだぁーね」
「……いやらしい」
「ふふ、二人はとっても仲良しなのね」
この部屋に来てから敵意丸出しだったアベルに思うところのあったメンバーと気づいていたがあまり気に止めていなかったエミリアとで天と地ほどの反応の差だ。
エミリアの可愛らしい感想にオットーは深いため息を吐き、ロズワールは苦笑いした。
オットーの個人的な意見としては、スバルの話が本当で目の前の人物が本物のヴォラキア帝国皇帝であるのならば、会議中のあの態度も納得だった。
人の上に立つものとしての自覚があるアベルという男に対し、その点はオットーも特に言うことはない。
でも、そんなアベルがスバルにだけその警戒を解いてる事実が、堪らなく気に入らない。
「──ダメですよ、オットー・スーウェン。わかっているはずだ。こんな感情を抱くのは、あの人への冒涜だと」
会議室の喧騒に紛れ、オットーは痛みを主張する胸を握りしめて、必死に気づかないフリをする。こんなこと、絶対に思ってはいけない。わかっているのに、心の底から湧き上がってくる感情を止められない。
「もし、貴方じゃなくて僕が……」
そこまで口にして、オットーは唇を噛み締める。なるべく痛くなるように、誰にも奥底のこの感情を悟られないように。
そんなオットーの葛藤など知る由もないスバルに、オットーは眩しいものを見るように目を細めることしかできなかった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「よし、それじゃあ帝国に出発!」
「…………」
「おい!そこは、おー!って一緒に掛け声をかけるとこだろ?!」
「貴様に合わせていていると知能が下がる。 少しは静かにできんのか」
「失礼なやつ!!」
翌日、メンバーを選抜したエミリア陣営は、早速荷物をまとめて竜車の前に集合していた。
今回スバルと共に帝国に向かうことになったのは、まずスバルの相棒のベアトリスだ。
「スバル、あまりはしゃぐんじゃないのよ。道中何が起こるか分からないのだから、体力は温存しておくべきかしら」
「オーケーベア子。 今回も俺の我儘聞いてくれてありがとな」
「ふん。全く手のかかるパートナーなのよ」
発言の割に顔が嬉しそうなベアトリスの頭を撫でていると、銀鈴の声がスバルの鼓膜を打った。
その声の正体は、今回旅に着いてきてくれる心強い仲間……ではなく、お留守番のエミリアだ。
「スバル。忘れ物はない? あ、このハンカチ持って行って!後このクッキーも、少ないからみんなで仲良く食べてね。それからベアトリスの話はちゃんと聞いてね。無茶はしないこと。危ないと思ったらちゃんと……」
「ストップストップ! ありがとうエミリアたん! 気持ちだけですごいお腹いっぱいだよ!」
まくし立てるようにスバルに詰め寄るエミリアに、スバルが若干後ずさりながら首を縦に振る。「そう?…でもやっぱりすごーく心配」とエミリアが肩を落とす。
話し合いの後、すっかり帝国に着いていく気満々だったエミリアだったが。
『エミリア様はもちろんお留守番ですよ』
『え?!』
と真顔のオットーに言われ、目をまん丸にして驚いていたエミリアの表情は記憶に新しい。オットーだけでなくロズワールやラムの当然ですといった様子にすっかり着いていけるものだと思っていたエミリアが必死に説得していたが……
「やっぱり、私も着いていっちゃダメかしら…? こっそり荷台に忍び込めば──」
「エミリア様。聞こえてますよ」
「ひゃ!」
エミリアが指をもじもじさせながらそんな事をスバルに耳打ちしてくると、後ろから呆れ顔のオットーがエミリアの背後から現れる。
「オットーくん! だって、スバル達が心配で…!」
「心配なのはみんな同じです」
「そうだけど…! うぅ、どうしてもダメ…?」
「ダメです。エミリア様はもっとご自分の立場の重大さを自覚してください」
悪巧みするエミリアをラムへ引き渡したオットーが改めてエミリアに向き直る。エミリアは不満そうに頬を膨らませている。そんな姿もEMTだ。
「安心してください。 ナツキさんの身の安全は僕が命に替えても守りますから」
「ん、オットーくんの事は信頼してるのよ?でも、スバルはすぐに危ない事に巻き込まれちゃうから心配になるの」
「ええ、分かりますよ。 あの人の巻き込まれ体質にはこっちが肝を冷しますよ、ホントに」
「おーい。そこのお二人さん、聞こえてるから」
と、今回お留守番になったエミリアとスバル達に着いてくる事になったオットーの会話にスバルが横槍を入れる。
エミリアは天然だが、オットーはわざと聞こえるように言ってやがるな。
竜車の大きさの関係であまり大人数で移動できないので、今回スバル達に着いてくるのはオットーだけだ。エミリアだけでなくレムとガーフィールも不満げな顔をしていたが、珍しく今回はオットーが断固とした態度で着いていくと譲らなかった。
「準備ができたのなら早く行って早く帰ってきますよ」
「……やっぱりまだ怒ってる?」
「ナツキさんがそう感じるのならそうなのでは?」
怒ったオットーは怖い。普段はスバルがオットーを弄る方だが、怒ったオットーはそれなりの理由があって怒っているので謝ってもなかなか機嫌が治らないしスバルも何も言えない。
それからみんなに見送られながら別れの挨拶を済ませたスバル達は、屋敷を後にして竜車を走らせる。
前半の操縦は気まずいからスバルがベアトリス共に立候補した。これで暫くの間はオットーからの冷たい視線から逃げられるだろう。
「難儀な男よ」
「……僕のことですか?」
──一方、竜車の中に二人きりにされたアベルとオットーは暫く両者話さず沈黙を守っていたが、先にアベルがそれを崩した。
アベルの言葉に眉を顰めたオットーは、不機嫌な声でそう聞き返す。
「他に誰がいる」
「お言葉ですが、貴方にそれを言われる筋合いはありません」
アベルから顔を背けてそれ以上の会話を拒むオットーに、アベルは片目を閉じて足を組む。
「貴様がナツキ・スバルに向けている感情は、友情の域を超えていると思ったが…違うか?」
「貴方にそれを教える義理はありません。 …ハッキリ申し上げますが、僕は貴方のことを良く思っていない。ナツキさんのお願いなので今回は手を貸しますが、今後ナツキさんとは関わらないで頂きたい」
今度は明確な嫌悪を含んだ眼差しでアベルを見つめ、低い声でアベルに忠告したオットーの言葉に、アベルは乾いた笑みを浮かべた。
「はっ。ただの友人とは思えぬ物言いだな。 この結果は余が望んだものでは無い。ナツキ・スバルが望んだ結果だ。……ああ、そうか。貴様はそれが気に食わんのか」
アベルの挑発的な言葉にオットーは込み上げてくる怒りを落ち着かせようと深呼吸する。アベルの態度に、きっと自分はアベルの記憶があった時からアベルの事が嫌いだったであろうことを確信する。
人の神経を逆撫でするのが上手い男だ。職業柄今まで多くの人と関わってきたオットーだが、このタイプの人間は、その中でもオットーが最も苦手とする部類の人間だ。
「何故こうもナツキさんは面倒な人ばかりに好かれるんですかねぇ…」
「貴様の言い分が正しければ、その面倒な人に貴様自身も含まれていることになるな」
「──本当に、性格最悪ですね。貴方」
「それは貴様の感じ方の問題だろう? 事実を言われ腹を立てているのであれば、貴様は自身の愚かさを自覚するべきであろう」
「ご高説をどうも。 肝に銘じておきますよ」
それから二人の間に会話はなく。気づくと中間地点に到着したと外からスバルが二人に呼びかける声が聞こえてきた。
「そろそろ交代……って、なんかあった?」
「「別に」」
「ええ、絶対なんかあったじゃん…」
屋敷を出た時よりもオットーの機嫌が悪い。アベルは素知らぬ顔でいるし、多分アベルがオットーの気に障ることを言ったんだろうな。
元々記憶がある時からオットーはアベルのことをそこまで良く思っていなかった気がするし、この二人を二人きりしたのはスバルの失敗だった。
「一応国境の検問あるからベア子とオットー代わってもらってもいいか?」
「ええ。 ナツキさんは交代しなくて大丈夫ですか?」
「別に大丈夫。 それにこいつ交代する気とかないと思うし」
「ふん」
スバルが顎でアベルを指せば、注目を浴びたアベルが鼻を鳴らす。スバルはアベルのこういう態度にアベルだから仕方ないとなるが、オットーとベアトリスはあからさまに顔を顰める。
「なんて傲慢な男なのよ…」
「まあまあ、いいじゃん。 オットーもまたアベルと二人きりは嫌だろ?」
「それは、そうですけど…」
「おい、貴様ら。不敬であるぞ」
「もう、アベルは黙っとけ! お前の態度の後始末は全部俺が取ってやってるんだからな!」
「当然だ。 それが貴様の役目であろう」
「違うけど?!」
二人の会話に、ベアトリスが「また始まったかしら…」と呆れ顔で二人を制止しようとするが、それよりも早く二人の間にオットーが割って入った。
「ナツキさん。僕もこの組み合わせで構わないので早く出発しましょう」
「お?おお、わかった」
やっぱりオットーの様子がおかしい気がするが、まあアベルが気に入らないんだろうと思い、素直にオットーの言葉に従う。
操縦席に向かっていく二人の後ろ姿を眺めるベアトリスは、思わずため息を吐いた。
「お前、随分オットーに嫌われたのよ」
「そのようだな」
「…はあ、頼むからこれ以上面倒事を増やすんじゃないかしら」
頭を悩ませる問題が増えていく現状に、ベアトリスは痛む頭を抑える。自分のパートナーはどうしてこうも面倒臭い男にばかり好かれるのか、と。
すると、ベアトリスの視線に気づいたアベルは口角を上げ、
「それがナツキ・スバルの才能であろう」
と、ベアトリスの思考を読んでベアトリスの疑問に答えてきた。その言葉に、ベアトリスはさらに顔を顰め、自分も同じ穴の狢であることが事実なので、それ以上は言及できない。
「二人とも!そろそろ検問所だから荷台に隠れとけ!」
「ああ」
「了解なのよ」
操縦席に着いたスバルがこちらを振り返り声をかけてくる。その声に従いアベルもベアトリスも荷台に移動するのだった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──案外楽に越えられたな」
すんなり検問を超えたスバル一行はヴォラキア帝国に入ることに成功し、今は整備された道を走っていた。
スバルの言葉に、オットーは「当然です」と一応こんなのでも商人として生活していたんですよと胸を張った。
「まじでお前を連れてきて正解だったな。申請もしてなかったしもうちょっと手こずると思ってたんだけど」
「それらしい荷物と理由があれば、案外行けるもんですよ。 なんせ帝国と王国とで貿易が盛んになってからは一日に何百もの商人が出入りしていますし、一人一人にそこまで時間はかけていられないはずですから」
「ふーん。まあお互いの国が仲良くするのはいいことだよな」
「ええ。 あれ、そういえば何故王国と帝国は条約を結んだんでしたっけ…」
「…さあ?」
アベルの名前が消えたことによって、大災の時のみんなの記憶がどう変わっているのかわからないが、少なくともアベルとエミリアが交わした条約の件はみんなの記憶から消えているらしい。
暴食の被害によって消えた記憶の穴を埋めるのに多少の淀みが生まれる。それが今オットーが言っていたみたいな消しきれない記憶の残影だ。
「それで、このまま帝都に向かいますが今日中に着くのは無理ですよ」
「わかってる。だからどっかで宿見つけて泊まろうと思ってるんだけど…」
屋敷を出る前にロズワールに渡された帝国用の通貨を手に、スバルがオットーに近くに宿がないか探してもらう。
ちょうど何処かの街に着いたのでオットーが宿を探している間にスバルは荷台に乗っている二人の様子を確認しに行く。
「アベル、ベア子。今日はこの街で一泊過ごそうと思うけど、大丈夫か?」
「わかったのよ。 ベティも長旅で疲れていたところかしら」
「おう、お疲れ様。アベルも大丈夫か?」
「構わぬ。…あの男は?」
「オットーは今宿探しに行ってくれてる。 待ってる間暇だし、俺たちも夕食食べる所探すか」
荷台から降りたベアトリスはドレスの裾の埃を払い、定位置であるスバルの隣に並ぶ。同じく荷台から降りたアベルは周囲の様子を見渡していた。
「皇帝なんだからお前が一番詳しいだろ。なんかオススメのとこある?」
「俺が帝都を離れ、この様な街で食事をする機会は多くない。 故に俺の経験ではなく知識として知っている場所であれば紹介してやる」
「一々回りくどい言い方…まあいいや、予算もあるからあんま高くないとこで頼むぞ」
「ふん」
すると、ちょうど宿を予約してくれたオットーが帰ってくる。 オットーに宿の場所を聞いて竜車を移動させ、アベルの案内の元、表通りにあるオシャレな食事処に入る。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「四名です」
「かしこまりました。ご案内致します」
店員さんに案内してもらった個室に入り、メニューをベアトリスと一緒に選ぶ。
「珍しい料理ばっかりだ…」
「王国と帝国とでは食文化もかなり違いますからね。僕はこれにします」
「ベティはこれがいいのよ」
「お前ら決めるの早くない?! どうしよ…全部美味しそうで迷うな…」
ベアトリスとオットーは食べたい商品を指さし、さっさとメニュー選びを終えてしまう。 こういう時、優柔不断なスバルはいつも最後まで悩んでしまう。
スバルはどれにしようか悩みつつ、まだメニューを決めていないアベルに視線を向ける。
「お前は? 何にするか決めたのか?」
「俺はいい。 毒が入ってるやもしれん食事など口にできるか」
「は? いやいや、お前がオススメした場所じゃん!」
スバルがアベルの発言に目を丸くして問い返すと、アベルは常時変わらない顔で言った。
「言ったであろう。 俺の経験ではなく知識としての案内だと。 それに、俺は食事をするなど一言も言っていない」
「はー?! 人間食事しないと死にますけど?! 」
「一食抜いた程度で人は死なん」
「屁理屈…!毎日三食食べないと元気でないだろ!」
っていうかじゃあアベルは毎回どうやって食事をとっているんだ。そんなことを言ったらキリがないじゃないか。
スバルとアベルの会話を呆れた顔で見守るベアトリスと理解できないという顔のオットー。そんな二人を横目に、「あ」とスバルはいい案を思いつく。
「それって、アベルは普段の食事は毒味してくれる人がいるってことだろ?」
「ああ」
「ならさ、俺これとこれで悩んでたから両方頼んでシェアしようぜ」
「……『しぇあ』?」
「要は半分こしようってこと」
スバルの言葉にアベルは目を細める。そんなアベルを余所に、スバルは「俺ってば天才!」と自分を褒め称えていた。
だってこうすればスバルは食べたかったものを二個も食べられるし、アベルもスバルが先に食べれば毒味したことになって食べられるし一石二鳥じゃん!
「すす、スバル、それは幾らなんでも…!ベティだってスバルと…」
「よし!そうと決まれば早速注文しようぜ」
「あ、スバル?! ひ、人の話を聞くかしら〜!」
ベアトリスが隣でスバルの肩をポカポカと叩く。全然痛くないし、寧ろそんなベア子もまじキュート。
声を掛けるとすぐに店員さんが注文を取りに来てくれる。スバルはみんなが選んでいたメニューを指さし、店員さんはそれをメモするとキッチンに帰っていった。
そして、暫く待っていると頼んだメニューがどんどん運ばれてくる。
「おお…!帝国料理なんて中々お目にかかれないけど、やっぱり美味しそうだな!」
「帝国では肉料理が主流ですが、王国とは違って品揃えも豊富らしいですね。羊の肉に馬の肉、どちらも僕は食べたことがありませんが、絶品と聞いたことがあります」
「それに、帝国では肉を生で食べる文化があるらしいのよ。ベティには理解できないかしら」
「へー。王国ではあんま見ないなと思ってたけど帝国の伝統料理だったんだ。肉を生って言うと…馬刺しとかユッケのことか?」
「…やけに詳しいな。貴様は王国の生まれではないのか」
「ん? ああ。俺はルグニカ出身じゃないぜ。でも俺の故郷ではどっちも結構有名だったけどな。…まあ、日常的には食べないけど」
運ばれた料理を興味深そうに眺めるオットーとベアトリス、スバルも人生で食べたのは片手で数える程度だが、一応知識としては知っている料理なのであまり驚きはなかった。
当然アベルも自国の料理なので特になんの反応もない。二人は羊肉をそれぞれ頼んでいるが、どうやらまだ食べるのに抵抗があるらしい。
「よし、じゃあお先に…いただきます」
「す、スバル…よくもそんな躊躇いもなく…」
「ん〜! やっぱり羊肉も美味いな! 毎日食べるのはちょっとあれだけど…偶に食べるとより一層美味く感じる気がするこの味!」
「全くナツキさんは…僕達も頂きましょうか、ベアトリスちゃん」
「わかってるかしら…いただきますなのよ」
スバルの反応に、恐る恐る手を合わせてフォークを持ったベアトリスとオットーは、豪勢に飾られた料理から羊肉を小さく切り、口に運んだ。
そして……
「お、美味しい…」
「独特な後味ではあるけど、付け合せのスパイスがいい味だしてるのよ」
「だろだろ?! あ〜、エミリアたん達にも食べさせてあげたかったな〜」
想像以上の美味しさに感動するオットーとベアトリスに、スバルが頬杖を付きながら王国に置いてきてしまったエミリアの事を思い出していると、隣でスバル達の会話を静かに見守っていたアベルの姿が目に入る。
「ほら、俺が毒味したしお前もこれで食べられるだろ? はい、あーん」
「……貴様。いや…」
スバルが差し出したフォークに、一瞬目を細めたアベルだったが、すぐに差し出さた料理を口に運んだ。
やってから、スバルはついついベアトリスにするくせでアベルにもあーんしている事実に気づく。っていうか食べるのかよ。
「えっと……う、美味いか?」
「…悪くない」
「そ、そお」
なんとも言えない気まずさからスバルが誤魔化す様に感想を聞くと、アベルは片目を閉じてそう答えた。
一部始終を見ていたオットーとベアトリスは、互いに食べる手を止め、ベアトリスはわなわなと震え、オットーは口をポカンと開けて固まっていた。
「ふっ…どうした、もう食べさせてはくれぬのか?」
「え? じ、自分で食べれるだろ! ってかわかっててからかってるだろ!?」
「あばばばば…スバルはベティのスバルでベティはスバルのベティで…」
「落ち着いてくださいベアトリスちゃん。困惑する気持ちは痛いほど分かりますが、キャラが崩壊してます」
震えながら意味不明なことを繰り返すベアトリスに、隣で二人の会話を聞いていたオットーは共感しながらもアベルを睨む。 すると、こちらの視線に気づいたアベルが挑発的に笑ったのが目に入る。
「………。」
「ヒッ?! な、なんだ?!今とてつもない寒気が… 」
「貴様の仲間はつくづく愉快だな」
「え、え?仲間?」
突如感じた悪寒に、二の腕を擦るスバルに、アベルは完璧な作法でスバルの毒味した料理を口に運びながら笑った。 スバルはアベルの言葉に終始疑問符を浮かべながらも、店員さんに追加で温かいお茶を注文するのだった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
その日の夜は、お金の都合で大部屋を一つしか借りれなかった事をベアトリスに謝りながら、お風呂を済ませてみんな布団に入った。
スバルはいつも通りベアトリスとニコイチで寝ていたのだが、その日はどうにも寝付けず、ベアトリスを起こさないようにベッドから抜け出し、部屋をでて街を歩いて夜風にあたりながら街並みを眺める。
「やっぱり…帝国は王国より星が良く見える気がする」
夜はまだちょっとだけ肌寒いが、雲の少ない空には幾千もの輝く星が散りばめられてる。スバルは、帝国から見える少しだけ眺めのいい夜空が好きだ。
こうして夜空を眺めていると、小さい頃父に連れられて見に行ったあの日の星空を思い出す。
「……父さん」
「──こんな夜中に部屋を抜け出すとは。さては悪巧みか?」
「え?!」
突然背後から声がして慌てて振り返る。 すると、そこにはローブに身を包んだアベルの姿があった。 なんでアベルがここに…
「貴様が部屋を出ていく音で起きた。俺の睡眠を邪魔するとはいい度胸だな」
「…いや、お言葉だがお前どうせ俺が部屋出ていく前から起きてただろ」
「…ふん」
「やっぱりな」
ってかアベルが熟睡どころか寝ているところも見たことないけど。ていうか、なんでアベルはスバルの後を着けて来たんだ?何か伝えたいことでもあったのだろうか。
「俺になんか用事でもあったか?」
「いや。特にないが」
「…? じゃあなんでわざわざ着いてきたんだよ」
そう聞くと何故かアベルは何も答えなくなってしまった。スバルが困惑で首を傾げるが、それでもアベルは何も答えなかった。
そのまま暫く二人の間に静寂の時が流れ、耐えきれなくなったスバルがなんとか話題を探す。
「て、てか。お前皇帝なんだから、こんな夜中に街中歩いてたら──」
言ってる途中で、(しまった)とスバルは口を塞ぐ。 余りにもアベルがいつも通りすぎて忘れていたが、アベルは今名前を暴食に奪われているのだった。 流石にこの話題は無神経が過ぎる。
スバルが焦りから下を向いていると、すぐ傍から微かに笑い声が聞こえた。
「え…?」
スバルはそのありえない幻聴に、思わずばっと顔を上げる。 すると、顔を上げた瞬間頭を叩かれる。 叩かれたと言ってもあまり強い力ではなかったが…
「貴様にその顔は似合わんよ」
「ぁ…ご、ごめ──」
「いつも通りにせよ。 元より俺に不敬であった貴様が、皇帝の身分の消えた俺にはその様な態度を取るなどおかしな話であろう」
スバルの謝罪を遮る様に続けたアベルの言葉に、スバルは息を呑む。 ずっと、いつも通り接しようと心掛けていた。でも、その気遣いは返ってスバルがアベルに気を使っている何よりの証拠だった。
アベルはきっとその事に気づいていた。その事実が情けなくて、スバルは思わず言葉に詰まる。
「…ふむ。貴様がそこまで負い目を感じているのであれば、少し雑談に付き合え」
「え? あ、うん。それはもちろん…って、雑談?」
アベルの言葉に意外そうに目を丸くするスバル。スバルの反応に目を細めたアベルが「なんだ」と問うてくる。
「い、いや。お前も雑談とかするんだなと思って…」
「貴様は俺をなんだと思っている。俺とて雑談の一つや二つ交わす」
「そうだよな。うん、それが普通なんだけど…」
今日だけでスバルの知らないアベルの情報がどんどん追加されていく。いや、今日だけじゃない。昨日も一昨日も、アベルが屋敷を訪ねてきてから少しづつアベルとの距離が縮まっている気がする。
と、そんなことをスバルが考えていると、アベルが「ついてこい」とスバルに声をかけてくる。 スバルはアベルの言葉に慌ててアベルを追いかけた。
連れてこられたのは街の水路の横にポツンと置かれていたベンチだった。 そこに腰掛けたアベルに続いて、スバルもアベルの隣に腰掛ける。
「…不思議なものだな。皇帝である俺がこうして護衛も付けず夜の街を出歩くことがあろうとは」
「皇帝って護衛なしで出掛けたりできないのか?」
「できないことは無い。 俺が望めば大抵のことは叶う。だが、俺は歴代の皇帝より武力に秀でているわけではないからな。皇帝とはそこに座しているだけで命を狙われる存在だ。俺が常より警戒を怠らないのは必然であろう」
「それって、なんか疲れるね」
アベルの言葉に、思わず考えもせず思ったことが口から零れる。 すぐに、これまたアベルに小言言われるやつだ。と嫌味を覚悟していたのだが、続いたのは意外な言葉だった。
「そうだな」
「えっ…」
「なんだ、その顔は。貴様が言った言葉であろう」
「そ、そうだけど」
まさか同意されるなんて…。思わず目を丸くすると、不服そうな顔でアベルに睨まれる。
「…この数日、皇帝の肩書きの消えた生活は平穏そのものだった」
「まあ誰だって赤の他人の命なんか狙われないしな」
「そうだ。皇帝になる前より染み付いた習慣は消えないが、こうしてただのアベルとして過ごす日々も悪くはない」
「…意外だな。お前にも人間らしい所がまだ残ってたのか」
「たわけが。貴様の不敬は留まることを知らんな」
「でも事実だろ〜」
だってアベル、不敬なこと言っても本気で怒らないし。スバルがそんなことを思いながら流れる水をぼーっと眺めていると、そっとアベルに目尻を撫でられる。
「…なに?」
「何故俺を助けた」
「はあ?急に何だ──」
アベルの質問に眉を顰めたスバルだったが、振り向いた先にあるアベルの表情に続くはずだった言葉を飲み込む。
「別に? 助けて欲しそうだったから。特別な理由なんてないよ」
「そうか」
スバルの答えにそう短く返したアベルはスバルの顔から手を離し、輝く星を見上げた。スバルもそれに合わせるように目線を上へ向けた。
「俺を覚えていたのが貴様で良かった」
「なんだよ、それ」
アベルらしくない、素直にそう思った。こんな風に自分の気持ちを語るアベルを見るのはこれで二回目だ。
でも、今回は少し様子がおかしい。
「ナツキ・スバル」
「ん?なん──」
名前を呼ばれ、振り返ったスバルは続くはずだった言葉を飲み込む。いや、飲み込まれる。
アベルの顔がゼロ距離にある。それに、唇に柔らかい感触が…これは、まさか──
「?!」
その事実に気づいたスバルが慌てて顔を離そうとする。 しかし、それを見越していたかのようにアベルの腕がスバルの後頭部に回される。
(こいつ…っ!)
偶然じゃない。わざとやってやがるこの野郎!
スバルが唸り声を上げてアベルの肩を強く押す。 すると、一瞬顔を離すことに成功するが、ムッと目を細めたアベルにまたすぐに唇を奪われる。
「ん!んん〜!」
今度は肩を押してもビクともしない。体格はそんなに変わらない筈なのになんでだよ!
すると、アベルはその後すぐにスバルの唇を解放すると至近距離で息を荒らげるスバルを見つめてくる。
「この野郎っ…なんのつもりだ…」
スバルが肩で呼吸しながら、突然奇行に走ったアベルに理由を問いただすと、アベルはスバルの瞳を見つめたままとんでもないことを口にした。
「好きだ」
「だからって……ん?」
「貴様を愛していると言ったのだ」
「…は? え?! 真顔で何言ってんのお前!?」
アベルの突然の告白に脳のキャパがオーバーしたスバルは目を極限まで見開きながら至近距離にあるアベルの顔を何度も瞬きしながら見つめ返す。ってかいい加減離せ。
「待って待って待って? 一回落ち着け?」
「俺は至って落ち着いているが」
「じゃあ俺が一旦落ち着くから。 …え?この際さっきのキスの件は一旦置いとくけど、お前が誰を好きだって??」
「この話の流れで貴様以外なことなどあるか」
「ですよね〜」
冷静に状況を整理するが、ただスバルの勘違いの可能性が消されただけなのだが。
結局振り出しに戻ったわけだが、とりあえず今はこの変態野郎から離れるのが先決だ。
「とりあえず一回離れてくんない?」
「断る」
「断られるのは予想外だった…」
このままじゃお互い話し合いずらくない?いや全然大丈夫ですみたいな顔してるわこいつ。マジでなんなの?
ってかなんでアベルはこんな平然としてんの?俺は内心めちゃくちゃ心臓バクバクいってるんですけど。え、俺弄ばれてる??
「あ、あのさ。このままだと緊張してまともに話し合えないから離れてくれません…?」
「……わかった」
スバルが恥を忍んでそうお願いすると、案外あっさりアベルは顔を離した。そのまま二人はお互いに無言になり気まずい時間が流れる。
「な、なんで俺の事好きになったの?」
無言に耐えきれなくなったスバルがアベルにそう質問すると、アベルは表情一つ変えずに答えた。
「知らん」
「し……は?はあぁぁ?!おまっ、ふざけてんのか!?」
「至って真面目に答えているが」
「真面目に答えてそれってどういうことだよ! はっ…わかったぞ。お前やっぱり俺の事からかってるんだろ? そうだ。よく考えればお前が俺を好きになるわけがない」
スバルがやっぱり弄ばれてたんだ。と頷くと、目を細めたアベルがいきなりスバルの唇を奪う。
一瞬のことに惚けていると、アベルは不機嫌な顔でスバルを睨む。
「からかってなどいない。そのように冗談にして逃げるのはやめよ」
「は…だ、だってお前が理由わかんないって言うから…」
「そんなに理由が重要か?」
「重要に決まってる。っていうかお前のその気持ちはきっと勘違いだ」
「何…?」
スバルの言葉に眉間の皺をさらに濃くしたアベルに、スバルは目を逸らしながら続ける。
「多分アベルは今この世界で唯一自分のことを覚えてるって理由で俺の事が特別だって錯覚してるんだよ。現に好きになった理由もわからないんだろ? だから暴食を倒して権能が解ければ、すぐにその気持ちが勘違いだって── 」
気づくはず。そう続けようとした瞬間、アベルに勢いよく押し倒される。突然のことにろくに受け身も取れなかったスバルはダイレクトに痛みを感じて思わず顔を顰める。
アベルの行動に文句を言ってやろうとした瞬間、首に冷たい感触がして動きを止めた。
「は…、な、なんの冗談だ?」
「──黙れ。それ以上の侮辱は例え貴様であっても許さんぞ」
首に突きつけられていたのは小型のナイフだった。何故か命を脅かされている状況にスバルが目を丸くしていると、アベルは嫌悪に顔を歪めていた。
…あ、多分これすごい怒ってる。
でもなんでアベルが怒ってるのかわからない。スバルは事実しか言っていなかったはずだ。
すると、しばらくして舌打ちをしたアベルはスバルの首からナイフを離して鞘に収める。そのままベンチを立ち上がると振り返って歩き出してしまう。
「あ、アベル!俺……」
「興が冷めた。宿に戻る」
「…わかった」
スバルの返事に反応することなくアベルの後ろ姿が見えなくなる。スバルもその場に起き上がり暫くぼーっとアベルの立ち去っていった道を眺める。
アベルは常日頃から不機嫌そうな顔をしているが、あんなに怒らせたのは久しぶりだ。 でも、アベルの目を覚ましてやらないといけなかったし、スバルは自分の発言が悪かったとは思えなかった。
「早く。名前取り戻してやんねぇと…」
そうすればアベルも自分の勘違いにすぐに気づくはずだ。スバルは特別なんかじゃない。ただ覚えていたのがたまたまスバルだっただけ。
みんなの記憶が戻ればすぐに全てが元通りになる。 それなのに、何故こんなにも胸が痛むのだろうか。
「……俺も戻ろう」
スバルは胸の痛みを無視して、静かな街を後にした。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「スバル。いい加減起きるのよ!」
「うう…あと五分……」
「その言葉五分前にも聞いたかしら!」
あの後、結局一睡も出来なかったスバルは愛おしい相棒に叩き起されていた。寝てないせいで瞼が重い。朝日が眩しい。
それでもそろそろ宿を出ないといけない時間なので仕方なく起き上がる。
「珍しいですね。ナツキさん別に朝弱い方じゃないでしょう?」
「うん。まあな」
「長旅で疲れが出てるんですかね。あれでしたら目的地まで竜車の中で寝ててもいいですよ。操縦は僕がやりますし」
「悪い、そうしてくれると助かるわ…」
このままじゃ本当に途中で倒れそうなのでオットーの言葉に甘えさせてもらう。 すると、右隣から視線を感じて思わずため息をつく。
昨日の今日で気まずいとは言え、一応二人の前だしいつも通り接しないと…
「…おはよう、アベル」
「………」
「無視かよ」
いやこっちが何事もなかった事にしてやろうとしてるんだからお前も合わせろよ。ほら、ベアトリスとオットーが不思議そうに俺たち見てるじゃん。
まあ怒らせた自覚があるので何も言えんけど…
「どうしたのよ。喧嘩かしら?」
「喧嘩じゃないけど…」
「どっちでもいいですが、早くしないと追加料金取られるので先に宿出ません?」
「え!もうそんな時間かよ?! ちょ、ちょっと待って一分で着替えるから!」
オットーの言葉に慌てて時計を見ると、確かに時間がヤバい。スバルが慌てて持ってきた外行きの服に着替えると慌ただしいままギリギリチェックアウトの時間に間に合った。
オットーの気遣い通りに操縦を任せて竜車に乗ったスバルは、早速自分の選択を後悔する。
「…よく考えればこうなるよな」
「なんだ。不満か?」
「いや別に…」
スバルが竜車に乗るということは必然的にアベルと二人きりになるということだ。 オットーは操縦しないといけないし、ベアトリスはスバルに変わって周囲の警戒をしないといけないからだ。
スバルがアベルの顔色を伺えば、目を細めたアベルに睨まれたのでそっと視線を逸らす。 このまま何時間もこの状況が続くとか耐えられん。よし、目を閉じて時が過ぎるのを待とう。
「………」
「………」
それでも尚視線を感じるが、気にしたら負けだ。耐えろナツキ・スバル。
そうして目を閉じていると、だんだん眠気が襲ってくる。スバルはその眠気に身を委ね、意識を暗闇へと落とした。
………
……………
…………………。
気がつくと、スバルは何故か辺り一面に咲き乱れる色とりどりの花々に囲まれていた。
どういうことだ?俺は竜車に乗ってたはず…
「スバル」
「…?!」
スバルが聞き覚えのある声に振り返ると、そこには母の姿があった。こちらに手を振って微笑む母の姿に、スバルは目を丸くする。
──ああ、これは夢だ。
「スバル、久しぶりね」
「母さん…」
「ええ、スバルの母さんよ。何か悪いことでもあったの?顔色が悪いわ」
「ううん。全然、悪いことなんてないよ」
目の前の存在がスバルの創り出した都合のいい幻想だとわかっていても、もう会えないと思ってた母の姿に嬉しさと申し訳なさが込み上げてくる。
「スバル!なんだ、元気がないじゃないか」
「父さん?」
「寝ぼけているのか?お前の父さんは一人しかいないだろ!」
すると、母の隣に突然父の姿が現れる。声も姿も、笑い方までまるまる父そっくりだ。
伝えたいことも謝りたいことも山ほどあるのに、そのどれもを口に出せない。二人に散々迷惑かけて、その癖最後には何も言わずに消えたスバルが、どんな顔で二人に顔向けできるというのだ。
思わず下を向いたスバルは、早くこの夢よ覚めてくれと心から願った。
すると、突然両肩に重さと暖かさを感じ、顔を上げる。
「悩み事? 大丈夫、母さん達はずっとスバルの味方よ」
「そうだぞ。だからお前が決めたことなら最後まで応援してる」
「……っ」
顔を上げると、そこにはいつもと変わらない笑顔でスバルに笑いかけてくれる母と父の姿があった。
ああ、わかっていた。母も父も一度だって理不尽なことでスバルを怒鳴ったことなどないから。いつもこうやってスバルの味方をしてくれてたのに。
スバルは情けなさと罪悪感に顔を歪め、涙を流す。そんなスバルを見た母と父は驚いた顔でスバルを励まそうとしてくれる。
「ごめん、置いていって。ごめん、感謝を伝えられなくて。ごめん…ごめんっ…ごめんなさい。親不孝でごめんなさい」
止まらない涙を拭いながら、溢れ出てくる感情を止められない。ずっと謝りたかった。許して欲しかった。どうしようもない息子でも、愛してくれてありがとうって伝えたかった。
でも、もうそれは叶わない。
すると、突然視界が大きく揺れた。 世界がひび割れ、もうすぐ夢から覚めるのだと実感する。
これで良かったという気持ちとまだここに居たいという気持ちがごちゃ混ぜになって、スバルは崩壊する世界へ必死に手を伸ばす。
「母さん!父さん!」
スバルが必死に手を伸ばすと、その手を両親がぎゅっと握り返してくれた。 スバルがその事実に目を丸くしていると、二人は同時に口を開いて…
「「愛してる」」
「………」
………
……………
………………。
「俺も……」
目を開けると、今度こそ竜車の中で目を覚ます。いつの間にか寝落ちていたらしい。それに、夢の内容も覚めたばかりで現実の事のようにはっきり覚えている。
夢の影響か、いつの間にか流れている涙に気づいたスバルがそれを袖で拭おうとしてふと違和感に気づく。
すぐ右隣から体温を感じる。 それに、今気づいたが、スバルはなにかに凭れかかった状態で寝ていた。
スバルが恐る恐る隣に顔を向けると、そこには目覚めたスバルを無表情で見つめているアベルの姿があった。 スバルはその事実に、心の中で絶叫して。慌てて身体を離す。
「ご、ごめっ…え、ってかあれ?お前俺が寝る前…」
確かスバルとアベルは対面するように座っていたはず。ならなんで隣にアベルがいるんだ??
スバルが混乱と泣いていたのを見られた恥ずかしさで口をパクパクと動かしていると、片目を閉じたアベルが口を開く。
「魘されていたが、悪夢を見たか」
「え? 魘されてたって…」
「寝言も随分と多かったが、貴様は両親と仲が良くないのか」
「そ、そんなに…? いや、別に仲は悪くない。寧ろ良くしてもらってたよ」
「ならば何故謝る」
「……俺が、沢山迷惑かけたから…」
少し間を置いてそう答えると、アベルは閉じていた片目を開け「ふむ」と顎に手を添えた。
恥ずかしいところを見られたスバルは気まずさからなんとか別の話題に切り替えようと顔を上げる。すると、次の瞬間、何故かアベルに頭を撫でられていた。
「は……な、なに?なんで俺頭撫でられてんの…?」
「…違ったか」
「え?違うって何が……」
「人を慰めるのは得意では無い。故に貴様の真似事をしてみたが、適切な行動ではなかったようだな」
「慰める…?……え?!」
スバルの反応に、アベルはそっと手を離した。慰めるって、アベルが? っていうか、そもそもアベルは怒ってたんじゃ……
スバルがそう聞こうとした瞬間、右手を掴まれてぐいっとアベルの方に引き寄せられる。 呆気なく体制を崩したスバルは顔面からアベルの胸に飛び込む形になり、鼻が痛みを訴えてくる。
「ぶはっ!急に何すんだ!」
「いいから大人しくしていろ。 前にセシルスめが抱擁には『りらっくす』効果があると言っていたのを思い出した。 どうだ?」
「それ教えたの俺じゃん…どうって…」
そもそも、夢の内容よりも現実のアベルのインパクトが大きすぎて悲しさとか吹き飛んだんだけどな。
それでもアベルが自信満々な顔でそんなことを言ってくるので頷くしかない。そもそも教えたの俺だし。
「うん。安心する、のかな?」
「何故疑問形なのだ」
「ウソウソ、めちゃくちゃ安心する。うん。ホントに…」
不思議だ、口に出すとなんだか本当にそんな気がしてくる。この歳で人肌恋しくなるなんて、やっぱりまだ夢の内容を引き摺っているんだろうか。
すると、ハグに合わせてアベルが頭を撫でてくる。完全に子供扱いされている。それなのに、妙にその手つきが優しくて、恥ずかしさよりも安心感の方が勝る。
──あ、やばい。また泣きそうかも。
「あ、アベル。もう大丈夫だから。 ちょっと離れ──」
「黙れ。大人しくしていろと言ったはずだ」
「あ、だ、ダメだって…頼むから離れ……っむぐ」
スバルが無理やり離れようとすると、アベルに顎を掴まれて上を向かされる。 既に半泣きになっていたスバルとアベルの視線が絡み合い、アベルが驚いて片眉を上げた。
「何故また泣いている。先程よりも効果があったように感じたが?」
「う、あ…アベルのバカ!アホ!マヌケ!このイケメン!!」
「む…」
スバルの口から次々に飛び出す罵詈雑言にアベルは目を細めた。多分意味は半分ぐらいしか伝わってない。 それでも雰囲気だけでスバルが怒っていることを察したアベルは顎に手を添え片目を閉じた。
「泣いたかと思えば怒り、忙しい奴だな、貴様は」
「誰のせいだと思って…っ!」
「俺のせいか」
「お前のせいだよ! あんな優しく慰められたら思わず気が緩んで安心しちゃうだろ!……って、あ」
「──ほう?」
また余計なことを言った。絶対。 ほら、アベルの口角がみるみるうちに上がっていく。嫌な予感がして距離を取ろうとするが、アベルに右手を掴まれ呆気なく失敗に終わる。
「そうか。ならば思う存分泣くがいい。余が許す」
「許されても泣かねーよ!」
「そうか?その割に、先程は可愛らしく目を腫らしていたでは無いか」
すっかりアベルを優位に立たせてしまったスバルは、後悔に顔を歪めながら大胆不敵に笑うアベルの顔を睨む。すると、アベルは何かを思い出したかのような顔で「ああ…」と口にすると、
「それと、好意を寄せられている相手の前で無防備に寝顔を晒すのは辞めた方がいい。何をされても文句は言えんぞ」
「なっ…!」
急にぶっ込んできたアベルに、スバルが顔を紅く染めると、アベルはその反応に満足そうに笑った。
そういえば、忘れてたけどアベルはまだ俺の事好きだって勘違いしてるんだった…
「痛!」
「たわけ。勘違いではないわ」
「人の心勝手に読むなよ!」
すると、急に機嫌の悪くなったアベルに頭を叩かれる。 でも、昨日はナイフで脅してきたのに今日は叩くだけだ。叩かれるのも普通に嫌だけど、ナイフで脅されるよりかはマシだ。
「…なんだ?」
「いや…昨日は結構怒ってたけど、今日はそこまででもないなと思って」
その言葉にアベルは有り得ないという顔をした後にため息をついた。スバルがその反応に首を傾げていると、アベルが無駄に長い足を組み直し、呆れた様子で話し始める。
「貴様は阿呆か。 当然貴様のその認識には憤りを感じている。しかし、それは貴様の性分故に俺が何を言おうとしようとまず直らんであろう」
「……? うん、多分?」
「…はあ、つくづく気の抜けた返事よ…まあいい。一つ教えてやるが、俺が一時の感情に躍らされあのような事を口にしたと思っているのなら、大きな間違いだ」
「…本当に?この状況で絶対なんて言い切れるのか?」
「ああ。言い切れる」
スバルの疑いの眼差しを向けられて尚、目を逸らさずにそう言い切るアベルに今度はスバルが眉を顰める。
「俺は皇帝だ。故に俺の発言は、良くも悪くも帝国の今後を動かす事になる。 そんな俺がなんの覚悟もなくあの様なことを口にするはずも無い。俺は俺の立場の重さを正しく自覚している」
「……その割に、初めて会った時は死のうとしてたけど」
「たわけ。状況を考えろ、あの時はあれが最善であっただけだ。帝国の存続は俺の責務だ。皇族として産まれたその瞬間から国のために命を懸ける覚悟はできていて当然であろう」
「全然当然じゃない。命よりも大切なものなんてあるか!」
アベルの言葉に、思わず噛み付く。誰だって命が一番大切に決まってる。死んで、それしか方法がなくても、スバルは一度だって死んで良かったと思ったことなんてないのだから。
「死んだら何も残らないんだぞ! 好きな人と話すことも、俺が死んだせいで悲しむ仲間の涙だって拭ってやれない…!」
「…何故、貴様がそんな顔をする」
「ッ…。ホント帝国嫌い! そんな考え方を当然だって受け入れてるアベルも嫌いだ!」
「なっ…」
スバルが怒ってそっぽを向くと、後ろでアベルが動揺している気配を感じる。その気配を無視していると、一拍遅れてアベルがスバルの肩を掴む。
「触んな」
「おい。最後まで話を聞け」
「やだ。今お前と話したくない」
「…どうしてもか」
「どうしてもだ!」
中々引かないアベルにスバルはついつい大きな声を出してしまう。 ハッとして少し言い過ぎたか…?と横目でアベルを見るが、特に怒った様子はなかった。
諦めたのか?と思った瞬間、
「ならば勝手に話す。聞いていろ」
「え」
「貴様を愛いと思った理由だったか。 そうさな、先ずは…」
「待て! 何言おうとしてんだお前?!」
突然そんな巫山戯たことを言いだすアベルに、スバルは怒っていたことも忘れて慌ててアベルの口を塞ぐ。すると、上機嫌に笑みを浮かべたアベルと目が合った。
「やっとこっちを見たな」
「なっ…お前!」
「先に話し合いを放棄したのは貴様だ。まさか、卑怯などとは言うまいな?」
「ぐぬぬぬ…」
アベルはスバルの手首を掴むと、今度は逃げられないように固定する。まんまと罠に掛かったスバルは悔しさで目の前のアベルを睨む。しかし、スバルの視線など何処吹く風なアベルは満足気な顔で話を続ける。
「話の続きだ。よく聞け。つまり、俺のこの感情は突発的に感じたモノではなく無自覚に抱いていた感情の蓄積だ。自覚の機会が偶然今であっただけで、遅かれ早かれ俺は貴様への気持ちを自覚していただろう」
「…うん? えーと……ごめん。あんま理解出来なかったんだけど、もっと短く纏めると…?」
「…俺は、貴様のことを随分前から好いていたということだ」
理解力の乏しいスバルの疑問を、呆れながらも簡潔かつ分かりやすく言い換えたアベルの言葉に、スバルは目を丸くした。
アベルが俺の事をずっと前から好きだった?それってアベルが俺の事をずっと前から好きだったってことだよな?え??ちょっと自分でも何言ってるかわかんなくなってきた。
突然の情報量により、脳の処理限界を迎えたスバルは自分の頭のてっぺんから湯気が出ているのではないかという錯覚に陥る。そんなことは起きるはずもないが。
すると、アベルが混乱するスバルの左頬を空いている方の手で撫でて来たかと思えば、右頬に触れるだけの一瞬のキスが落とされる。
スバルはまたも不意を突かれ、ギョッとアベルの顔を押し退ける。
「お前また! 昨日からから何してくれちゃってんだ!」
「ふっ。なんだその間抜け面は。愛いな」
「ってか、なんか昨日からずっとチュッチュッしてくるけども! 俺一回も許可した覚えないんですけど?!」
「そうだな」
「そうだな?!?!」
そういうの、イケメンにしか許されないんだぞ?!いや、アベルはイケメンだけど!!
スバルの心からの叫びは声になることは無く、アベルから離れようにも右手を拘束されていて叶わない。
落ち着けナツキ・スバル。このまま流されたらダメだ。確実に。っていうかアベルって結構パーソナルスペース狭めなのか?あんまベタベタくっつくのとか嫌いなタイプだと思ってたんだけど…
そこまで考え、今スバルの置かれている状況を客観的に見て、やっぱり距離感おかしくない?と隣同士に座り手首を拘束されてるせいでほとんど身体と身体が触れ合いそうな距離でさっきから話していた事実に戦慄する。
「──スバル」
「ひゃい!」
「…なんだ、その間の抜けた返事は」
「ふ、不可抗力だ!」
この感じ、ベア子に初めて名前を呼んでもらった時のあの感覚に似てる。 っていうかなんで急に名前呼び?
スバルがアベルの呼びかけに訝しげな視線を向けると、アベルはスバルとは対照的に笑みを深めた。
「覚悟していろ。必ず貴様の認識は間違いだったと言わせてやる」
「…やってみろよ」
アベルの宣言に、思わずスバルも強気に言い返してしまうが、言ってからものの数秒でもう後悔し始めている。 そして、スバルの答えに満足気な顔をしたアベルが何事か言おうとした瞬間──
「ナツキさん、着きました……って、何やってんですか?」
「い、いや? ちょっと二人で身体動かしてたんだよ! な?!アベル!」
「貴様…覚えていろ」
突然竜車の扉が開いたかと思うと、オットーが到着を伝えに来てくれたらしい。 この状況を見られたらマズいと思ったスバルは火事場の馬鹿力でアベルの身体をぶっ飛ばし、ぶっ飛ばされたアベルがそれをしたスバルを睨む。
オットーはそんな二人に目を細めるが、すぐにため息をついて視線を外した。
「なんだか騒いでましたが、ちゃんと休んだんですか? はあ、とにかく準備が出来たら降りてきてくださいよ」
「お、おう!」
「………」
オットーが去っていくのを見届けたスバルは、安堵のため息を吐く。危ない、もう少しでオットーに見られるところだった……
「おい」
「なんだよ」
「わかっているだろう、何故突き飛ばした」
「オットーが来たからだよ!」
「だからなんだ」
「だからなんだ?!」
もしかして、俺とアベルの価値観はだいぶ違うんじゃないか?普通あんなところ見られたら恥ずかしいだろ!?
「とにかく!人前でああいうのはやめてくれ」
「二人きりならいいのか」
「よくねぇよ!! あー、もう!お前と話してても埒あかない!」
▽▲▽▲▽▲▽▲
「着いたはいいけど、具体的にこれからどうするんだ?」
必要な荷物を荷台から下ろし、竜車を竜泊所に預けたスバル達一行は。再建されつつある帝国の地に足を踏み入れ、真っ先に建て直されたであろう帝都の中心にそびえ立つ城を見上げる。
そして、スバルの疑問に片目を閉じたアベルが顎を引く。
「…城内に入る。一つ誓え。これから貴様らに教える道は皇族のみが知る極秘の抜け道だ。他言すれば殺す」
「そんなルートあるのかよ?!ってか殺すって…極秘なら俺らここで待ってようか?」
「は?」
「えっ?! や、冗談です!このまま付き添わせて頂きます!!」
「スバル…」
スバルの提案にアベルが怖い顔になる。本当に怖かった。怯えたスバルの返事に呆れたベアトリスがため息をつき、スバル右手を改めて握ると、顎をしゃくりアベルに催促する。
「誰にも言わないから、早く案内するのよ。あと、一々スバルをいじめるんじゃないかしら」
「ふん。着いてこい」
ベアトリスの鋭い眼差しを受けたアベルは鼻を鳴らすと踵を返して歩き出す。 スバルとベアトリスとオットーもアベルの後に続いて歩き出す。
暫くして城の正面玄関…ではなく裏方の人通りの少ない場所に着くと、アベルはスバル達に屈めと指示してくるのでそれに従い、城壁を伝いながらアベルが何かを手探りに探す。
「あの、これ見つかったら割とやばいのでは…」
「そうだな。俺ら纏めて打首じゃね?」
「は、早くするかしらお前!」
「…急かすな。見つけやすいところに隠し通路があってどうする」
ベアトリスの急かす声に目を細めたアベルが最もな反論をしてくる。 でも、それにしたって今の俺達は怪しすぎる。傍から見たらただの不審者だぞ。
スバル達が物陰で極限まで身体を縮めて待っていると、アベルは何かを見つけたのか動きが止まる。 すると、アベルが小声でこっちに来いとスバル達に声をかけてくるのでスバル達もコソコソアベルが探っていた所に集まる。
そして、アベルが壁を強く押すと、硬い壁の一部が凹む。それと同時に足元の土が盛り上がり、スバル達は目を丸くしながら開いた隠し通路とやらを凝視する。
「こ、これが隠し通路…」
「見惚れている場合か。早く入れ。兵に見られれば厄介だ」
「お、おう! よし行くぞベア子、オットー!」
「しー!静かにするかしら!」
「ベアトリスさんもですよ…」
騒がしく中に入っていくスバル達に続き、アベルが最後に中に入ると、スバル達の通った穴が自然に塞がっていく。
「すごいな。どういう仕組みだ?」
「たわけ。それを言う馬鹿がどこにいる。極秘だと言ったであろう」
「あ、そうだった」
スバルの疑問を一刀両断したアベルは、通路横に掛かっているランプを手に取ると暗い廊下を先導して歩いていく。 後に続くスバルは長く暗い廊下に身震いする。
べ、別に怖いわけじゃないけど。ないけど、流石に暗すぎない?それに、埃っぽいし蜘蛛の巣とかあるし…
スバルが誰にするでもない言い訳を心の中で呟いていると、肩にぴちゃん、と音がしたかと思うと冷えた感覚が伝わる。
「うぎゃあああ!!な、なんだ!」
「…ッ。なん──」
だ、とアベルがスバルの声に顔を強ばらせ振り返る。敵襲かとベアトリスとオットーもスバルに駆け寄るが、特にスバルに害はなく。スバルが頭を抱えて「な、なんか肩に冷たいもんが…」と言うので三人が同時に上を見上げる。
「貴様…」
「…ナツキさん。 ただの水です」
「え?」
「スバル。怖いならベティを抱っこしながら歩くかしら?」
スバルがみんなからの指摘に上を見上げると、空気中に溜まった湿気が集まり天井から水が滴っているだけだ。スバルがその事実に気づき顔を真っ赤にさせると、アベルとオットーは呆れてため息をつき、ベアトリスはスバルの頭を撫でる。
「怖いのか」
「いや!全然怖くない!」
「ならばその醜態はなんだ」
「こ、これはその…なんというか…」
アベルの尋問にスバルが口ごもると、アベルが静かに右手を差し出してくる。
「…?えっと…」
「繋いでいろ。俺の傍にいれば少しは視界も良くなろう」
「あ、ありがとう」
珍しいアベルからの気遣いに、スバルが目を輝かせてアベルの手を取る。ランプを持ってるのはアベルだし、確かに近くにいれば多少は怖さも紛れるかも。
すると、不意に右手を引かれたかと思うと、右隣にいるベアトリスとその隣に居たオットーに視線を向ける。何故か二人とも頭を抱えていた。
どうしたんだ?と声を掛けようとした瞬間左手を引かれて、スバルは歩き出すアベルの後を慌てて追う。
「ちょ、待てって!…いや、手繋いでるんだから少しはこっちのペースに合わせる姿勢見せてくんない?!」
「喧しい。いいから足を動かせ」
手を引かれるがままに歩き出すスバルと同じように、ベアトリスとオットーも複雑な顔で二人の後を追った。
しばらく歩き続けていると、また階段が見えてくる。アベルが様子を見に行ってくれているのを後ろで待ちながら、合図があったのでスバル達も隠し通路を抜けてようやく城内に侵入できた。
外に出ると、そこには机とソファといった家具が置いてある部屋だった。隠し通路がこんな普通の部屋にあるなんて確かに予想するのは難しい。
「執務室へ行くぞ」
「え?! いきなりそんな動き回って大丈夫なのか?」
「待っていても状況は変わらん。それに俺は兵の配置を完璧に覚えている。見つかることはない」
「無駄に記憶力がいいのよ」
「無駄では無い。必要なことだ。現にこうして役に立っている」
「そういうことでしたら早速行きましょうか。 僕も面倒事は早く終わらせたいので」
アベルの提案をいち早く受け入れたオットーはアベルに案内するようにお願いする。 その言葉に言われなくても、とアベルが扉を開き、廊下を堂々と歩き出す。
不安だったスバルもこうなればアベルを信じるしかないので慌てて後を追いかける。 確かに、廊下に兵は居なかった。しかし、どんどんと歩き進めていくと、誰かの話し声が前から聞こえてくる。
スバルがどうするんだ!とアベルに小声で問い質すと、アベルは騒ぐスバルの首根っこを掴みすぐ隣の扉を開けるとその中にスバルを放り投げ、意図を察したベアトリスとオットーも中に入り、四人で息を潜めて隠れる。
「───、──!」
「──。────。」
暫くすると、兵達の声が遠ざかっていく。その事実に安堵の息を吐いて、スバルがアベル達に作戦成功!とピースする。
「すげぇな!ホントに兵の配置覚えてんのかよ!」
「当たり前だ。 俺を称えるのは良い心掛けだが、先を急……」
「──あれれ、そこにいるのはボスじゃありませんか!」
アベルの言葉が終わる前に、突然背後から声がして全員で振り返る。先程まで全く気配を感じなかったそこには、青髪を高く一つ結びにした美青年…セシルス・ゼクムントが笑顔でスバル達を見据えていた。
「せ、セシルス…?! なんでここに…」
「ん? さっきまでここから見えるあの木で昼寝をしていたんですが、この部屋からなんだか聞き覚えのある声がするなと思って入ってきちゃいました」
「入ってきちゃいましたって…」
たしかに、この部屋から木は見えるが、何メートルも離れている。それに、あそこから音もなくスバル達の背後を難なく取ったセシルスにスバルは頬を引き攣らせた。
動揺するスバルとは裏腹に、他の面々はセシルスへの警戒を怠らない。ベアトリスは直ぐにでも武力行使ができるように準備し、オットーは逃げ道を探す。 アベルは空へ手を伸ばしかけるが、不意に此方に向いたセシルスの視線に動作を止めた。
「精霊の子にボスの友人さん。はて、貴方は見覚えがありませんね。ボスとはどういったご関係ですか?」
「………」
「ありゃ、なんだか僕、怒らせちゃいましたか?」
やっぱり、セシルスの記憶からもアベルの存在が消えている。その事実にアベルは眉を顰める。セシルスはアベルの反応に不思議そうに首を傾げると同時に目を細める。
「うーん。可笑しいなぁ。──貴方、僕と何処かでお会いしたことはありませんか?」
「え?」
「いやあ、何故だか既視感があるんですよね。もしかして、僕と戦ったことがあったりします?強敵の顔は忘れないんだけどなぁ」
「──たわけ。貴様と剣を交えた事などあるものか。貴様が剣を向けるべきは余ではなく、余の敵だ」
「ん?結局それって僕達はあったことがあるということで?」
アベルの言葉にイマイチぴんときてないセシルスが指で輪っかを作りそれを片目に添え、アベルの顔を覗き込む。暫くうんうん唸っているセシルスに、今のところ敵意がないと判断したベアトリスとオットーが警戒を解く。
スバルは、目の前で唸っているセシルスに複雑な視線を向けながらも話しかける。
「ごめんセシルス。久しぶりな所悪いんだけど、今って帝国はどんな感じ?」
「え?どうもなにも、特段変わったことはありませんよ。ああ、でも最近は帝位継承の話題を良く耳にしますかね?」
「帝位継承?それって、もう次の皇帝が決まったのか?」
「うーん。僕あんまりそこら辺の話は興味無いのでよく知らないんですよね。 でも近々新しい皇帝が空白の玉座に座ると噂で聞きました」
「そっか…」
セシルスの話を聞いたスバルとアベルは揃って眉を顰めた。このタイミングで新しい皇帝候補が急に出てくるのは怪しすぎる。アベルも同じことを思ったのか、不意に視線が合う。
すると、セシルスがスバルの様子に首を傾げながら、そういえば、と口を開く。
「ボスが何故こんな所に?」
「え!? それは、その…」
「明らかに怪しい返事ですが。何か企んでます?」
「た、企んでねぇよ!」
「スバル!落ち着くかしら。それじゃ余計に怪しいのよ!」
「なんですか〜! 僕に隠れて楽しいことですか? それとも、帝国を脅かすことですか?それでしたら、僕も見逃してあげられないんですが…」
「違う!断じて違うから!」
腰の剣に手を掛け、声のトーンを落としたセシルスに、スバルは勢いよく首を横に振る。
この場の全員の間に緊張が走る。 すると、セシルスはぱっと剣から手を離して笑った。
「ま、ボスはそんなこと出来ない人なのは知ってますよ。すいません、少し意地悪しちゃいました」
「ほ、ホントにな…!心臓止まるかと思った!」
「それで? 今回はそこの美形なお方が関わっているとお見受けしますが…、どうです?当たってます?」
「…相変わらず、勘だけは鋭いな」
「おやおや、まるで僕のことを知っているような物言いですね〜。さて、結局誰なんですか?」
「それは……」
スバルがアベルにちら、と視線を向ける。すると、アベルは控えめに顎を引いた。 スバルはそれを見届け、セシルスに何故スバル達が帝国にいるのか、その目的を話した。
──これまでの経緯をセシルスに話したスバル達は、セシルスの動きを警戒して緊張を走らせる。
「ふむ…にわかには信じがたいですが…」
そこで言葉を区切ったセシルスは、視線をアベルに向け、暫く凝視する。セシルスの視線を真っ向から受け、それでもアベルは目を逸らさない。
「──真実なんでしょうね。きっと」
「え?」
「貴方のことを思い出そうとすると、何故か頭の隅の方が疼くんです。きっと僕と貴方との縁は浅くはなかったのでしょう。…それに、この短時間でも貴方のその溢れ出すオーラは僕の興味を唆りますし、こんな逸材を僕が見逃す筈もない!」
「…ふん。当然だ、余を誰と心得るか」
あっさりスバルの話を信じたセシルスに、アベルも片目を閉じて鼻を鳴らす。一先ず、セシルスを納得させられてよかった。
「閣下と、そうお呼びしても?」
「好きにしろ」
記憶は戻ってないが、セシルスがアベルを受け入れてくれてよかったと心から思う。きっと、それだけの事が今のアベルには支えになる筈だ。
口ではなんとでも言えるが、負った心の傷を癒すのは容易ではない。アベルもまた、例外なく心に傷を負っているはずなのだ。それを隠すのが、人よりも上手なだけで。
スバルはオットーとベアトリスに目配せして、今は二人だけにしてあげようと伝える。 すると、二人はスバルの視線に頷き、自然に部屋の隅に移動する。
「折角の主従の再開だ。俺達が邪魔しちゃ悪いよな」
「ふん。このままセシルスに任せてベティ達はもう帰ってもいいと思うのよ」
「何言ってんだよ、そりゃダメだろ」
「僕もベアトリスちゃんの意見に賛成です。あの人、ナツキさんへ向ける視線がとても友人に向けるものとは思えないんですよね」
「は、はあ?! なな、何言ってんだオットー!!」
「ちょっ、急に大きな声だしてどうしたんですか?」
鋭いオットーの発言に、スバルはまさかバレたのか?!と顔面蒼白になるが、オットーとベア子の反応からして、まだバレてないらしい。よかった。
すると、ベア子はスバルを心配そうに見つめつつ、隣のオットーに呆れながら呟いた。
「友人に向ける視線じゃない。なんて、良くもお前が言えたものかしら」
「…なにか?」
「ふん。事実を言っただけかしら」
「…?なになに、なんで急に二人が険悪な感じになってるんだよ?」
「なんでもありません」「なんでもないかしら」
「今度は息ピッタリだし…」
俺のベア子とオットーはよくこうして意味深にバチバチしてる時がある。なんでか聞いても大体教えてくれないけど。
あっちもこっちもスバルを放って盛り上がっている。妙な疎外感に少しムッとするが、仲間達の仲がいいのは良い事なので我慢我慢。
それに…と視線をセシルスと話すアベルにこっそり向ける。
こうやってアベルも元の生活を取り戻していけば、スバルへのとんでもない勘違いが晴れるのも時間の問題だろう。
喜ばしいことだ。これでスバルもアベルの行動に振り回されることが……
「おい、何を考えている」
「うおっ! あ、アベル。 セシルスとの話し合いは終わったのかよ?」
「ああ。そんな事より、貴様また余計な事を考えていたな」
「え?べ、別に何も考えてなかったけど…?」
嘘である。でも、本当の事を言ってもアベルは怒るだろうし。ここは誤魔化すのが得策だと思ったのだ。
でも、どうやらまた選択を間違えたみたいだ。だって、またアベルの顔がみるみる不機嫌になってる。
本当に、あれからアベルは感情を表に出すようになったと思う。それはアベルが信頼する人の前だけだし、機会も少ないけど。 それでも、最初に会った時に比べれば凄いことだ。
「うんうん。よかったよかった」
「何が"よかった"だ。一人で納得していないで俺の質問に答えろ」
「痛たた!ちょっ、俺の頬っぺがぺちゃんこになるだろ!」
「お前!スバルを虐めるんじゃないかしら!」
「必要以上に触れ合わないで貰えます?」
「…随分と忠実な犬だな。おい、貴様の犬であろう。噛みつか ぬ様躾ぬか」
「ベア子もオットーも犬じゃねーよ!!犬じゃなくて仲間だから!あ〜ベア子、落ち着け。アベルはああいう嫌味な奴なんだ」
アベルの言葉に今にも爆発寸前のベアトリスを宥めつつアベルをキッ、と睨む。 アベルはそれを涼しい顔で受け流し、セシルスは楽しそうに笑いながら四人のやり取りを見ていた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「それで、これからどうするよ?」
あの後、スバル達の話し声が思いの外大きかったらしく、怪しんだ兵が部屋の前に集まって来てしまったので、仕方なく城を脱出し、今はセシルスの家に居候させてもらっている。
問題はこの後の行動だ。アベルの記憶云々の前に、新しい皇帝が決まってしまったら問題がややこしくなってしまう。
──それに、
「このタイミングで新たな皇帝候補の話が急に出回るのは間が良すぎますね。 最も、僕達は事情を知っているのでそう思うだけですが」
「帝国も王国と同じく王を失ってまだ何年も経っていないとベティは記憶しているけど、それもこの男の存在がある限り全て改変された情報であることは間違いないのよ」
「ええ。それに、何故皇帝が亡くなったのか、僕は微塵も覚えていません。思い返せば、何故知らないのか不思議なくらいですよ」
「そこまで暴食の権能が万能じゃないってことだ。アベル程の人間の記憶を世界から消すには、必ず埋めきれない穴ができる」
「その穴を埋めるかのように現れた皇帝候補。必ず一連の流れには関係がある筈だ」
アベルの言葉にベアトリスとオットーが頷く。そして、スバルも同じように考える。
しかし、 誰かが大罪司教と手を組んでアベルを陥れた…とは考えにくい。何故なら大罪司教とは揃いも揃って話の通じない頭のおかしい連中の集まりだ。同じ大罪司教同士でさえ、まともな連携は取れていなかった。
そうなると、やはりこの件と皇帝の話は無関係なのだろうか。 しかし、スバルはどうにも心に引っかかりを覚える。
すると、この家の主であるセシルスがつまらなそうにスバル達の話し合いを眺め、不満げに大きなため息をついた。
「揃いも揃ってブツブツと暗い顔! つまらない! もっと面白い事が起きると期待してたのに… こう、ばーん!とやってどかーん!な展開じゃないと全く舞台映えしませんよ!」
「あのなぁ…その、ばーん!とやってどかーん!な展開に持ってくための話し合いをしてるの。戦闘が必要になったらちゃんとお前を頼りまくるから安心しろ」
「当たり前ですよ!こうして家にも匿ってるんですから!」
「何言ってんですか。危険があるようでしたら直ぐにでも王国へ帰らせますよ」
「えー!?話と違いますよボス!」
「うっ…」
スバルの発言を聞き逃さなかったオットーの鋭い視線に、スバルは思わず指と指を突き合わせながら口笛を吹く。そんなスバルの反応に、「ダメですから」と声を低くしたオットーがスバルに釘を刺す。
「わ、わかったよ。でも、ほら。やむを得ない戦闘は仕方ないよな?」
「は?ダメに決まってます。その時点で──」
「…ッ! セシルス!!」
「うぇ?」
オットーの言葉の途中、突然アベルが血相を変えてセシルスの名前を呼んだと同時にスバルの視界が一瞬にして切り替わる。 すると、すぐに続いた爆音に、スバルの頭は一瞬にして襲撃されたのだと察し、スバルを抱えて家の外へ飛び退いたアベルの腕の中、無惨に燃え上がるセシルスの家に目を向ける。
「ああ、もう…!言ったそばからこれですよ!」
「ふふ、やっと僕好みの展開…!」
「喜んでる場合か! ベア子、オットー、怪我は?」
「心配ないのよ。オットーもセシルスのお陰で無傷かしら」
無事に着地し、アベルに降ろされたスバルは同じくセシルスに抱えられて無事に生還したベアトリスとオットーに駆け寄る。腰の剣を抜き、口角を釣り上げるセシルスに若干引きつつも、スバルは目の前から近づいてくる人影を睨む。
「──素晴らしい。この奇襲を誰一人傷つかず生き延びますか」
「…名を名乗れ」
「これはこれは…私としたことが失礼いたしました。"元"皇帝様?」
「なっ…!」
炎の中から現れたのは、茶髪でマッシュの赤い目をした男だった。そして、そんな男の言葉にスバルは目を丸くした。何故この男がアベルに関する記憶を覚えているのか。その答えは明白で……
「初めまして、紳士淑女の皆様。私は時期皇帝にして、魔女教大罪司教『強欲』担当。レイシス・オースターと申します」
「…レイシス?」
「強欲の大罪司教だって…?!」
レイシスと名乗った目の前の男の言葉に、みんなの警戒が高まる。聞き間違いでなければ目の前の男は強欲の大罪司教を名乗っていた。強欲はレグルスで、前にスバルがラインハルトと一緒に殺しているはずだ。
ならば、必然的に目の前の男は新たな大罪司教という事になる。
「嘘をつくんじゃないのよ。お前は大罪司教なんかじゃないかしら」
「…と、言いますと?」
「お前は強欲の魔女因子を持っていない。大罪司教は因子に認められないとなれないはずかしら。何を考えてその名を名乗っているのか知らないけど、気安く名乗っていい名じゃ──」
「ゴーア」
ない。とベアトリスが続けようとした瞬間、ベアトリス目掛けて炎の玉が勢いよく飛んでくる。反応の遅れたスバルが手を伸ばそうとした瞬間、目の前で青が揺れる。
「話の途中で攻撃するなんて関心しませんね。どんなセリフにも舞台を盛り上げる為のスパイスが含まれていると思うんですよ、僕。それを蔑ろにしては役者としての品が下がりますよ?」
「……黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ! 部外者である貴方達に何故その様な事を言われなければならないのですか?!」
「えっ?」
突然叫び始める男に、スバルが驚いて目を丸くする。部外者も何も、襲ってきておいて反論されたら逆ギレって…。確かにその理不尽さと沸点の低さはレグルスに似ているが。
スバルがそんなことを思っていると、男は頭を掻きむしり、何事かブツブツと呟いていた。魔女教を名乗る以上異常者であることは明らかだ。 セシルスが男の反応に痺れを切らし、剣先を男へ向ける。
「ボス。 殺しますよ」
「…うん。明らかに殺意があるし、いいと思う」
「では。 お命頂戴…」
セシルスが踏み込み、男目掛けて音速を超えた速度で命を落としにかかる。目にも見えない速さに、スバルは何が起きたのか一瞬分からなかったが、鉄と鉄とがぶつかり合う音が鳴り響き、セシルスが驚きに目を見開く。
「僕の一撃を止めますか! 素晴らしい。お名前をお聞きしても?」
驚愕の表情は、すぐに歓喜に切り替わり、セシルスが突如現れ、見事セシルスの一撃を止めて見せた金色の長髪を靡かせた女に飛び退いて距離を取る。
その光景に、スバルはあっけらかんと口を開ける。アベルとベアトリスとオットーも有り得ざる光景に目を細めている。
セシルスは強い。これは嘘でも大袈裟な言葉でもなく、ただその一言でセシルスの紹介は十分だった。 間違いなく帝国最強で、アベルも単純な強さだけは手放しに認める程である。
そんなセシルスの殺す気だった一撃を、この女は止めて見せたのだ。当然スバルにもベアトリスにもアベルにも、それは容易なことでは無い。
「──貴方達に名乗る名前はない。ただ、私はレイシスの味方で…貴方達の敵」
「ええ、ええ!いいですね、強敵結構! やっぱり僕は運がいい」
女の答えに満足そうに笑ったセシルスがもう一度剣を構える。レイシスを庇うように前に出た女もセシルスに応えるように剣を構える。
一触即発。スバルが唾を飲みかけた瞬間……
「あァ、勝手に動かれたら困るんだけど。 それとも、君の福音の書にはお兄さん達を殺せとでも書いてあったのかなァ?」
「ッ…!お前はっ……!!」
両者が踏み込む直前、上から声が掛けられ、一同の意識がそちらに向く。声の主はすぐに見つかる。木の上の枝にしゃがみ込んで三つ編みを靡かせ、神経を逆撫でする笑みを浮かべたのは、スバルがこの世で最も憎む相手……
「暴食っ…!!!」
「あは! 覚えててくれたなんて嬉しいなァ!! 俺も会いたかったよ、英雄!」
「お前…お前だけは絶対、絶対に…!」
「スバル!! 落ち着くかしら! 取り乱したら相手の思う壷なのよ!」
スバルを恍惚とした表情で見つめる暴食に、スバルは顔を歪めて暴食の脳天目掛けてミーニャを放とうと手を伸ばす。しかし、それを相棒に止められ、スバルは思わず舌打ちを零す。
「ベアトリス! でも……!」
「ベアトリス様の言う通りです、ナツキさん。 貴方が取り乱してどうするんですか。──今ここであの大罪司教を感情のままに殺して、あの方の名前が戻るなら止めませんが」
「あァ、ダメだよ、ダメだね、ダメだとも、ダメかも、ダメじゃない、ダメだからこそッ!! 暴飲ッ!暴食ッ! お兄さんの僕達への激情はそんなものなのッ?! もっと怒ってッ!泣いてッ!笑ってッ!悲しんでッ!!激情こそが、食事への最高のスパイスになるからさァ!!」
「……狂人め」
スバルを落ち着かせた二人に、突然声を荒らげた暴食が叫ぶ。その耳障りな声にアベルは目を細め、軽蔑の眼差しで暴食を睨む。
オットーの言った通り、暴食の奪った記憶と名前を解放する方法がわかるまでは無闇に暴食を殺すことが出来ない。しかし、今にも暴食を殺さんばかりに睨んでいるアベルにオットーが目を細め、静止の声を上げようとするが……
「貴様は余手ずから葬ってやりたいところだが。──その痴れ者の相手は貴様に任せるぞ、ナツキ・スバル」
「え?」
「余は他に相手せねばならない相手が居る。…セシルス、女を引き離せ」
「御意!」
アベルの指示にノータイムで応えるセシルスは、次の瞬間には元いた場所から姿が消えていて、女へと剣撃を次々と叩き込んでいた。
「ほっ!てやっ!うりゃ、うりゃりゃりゃりゃ!」
「──っっ!!」
セシルスの息もつかせぬ猛攻に、後ろにレイシスを庇いながら受け流していた女の顔に一雫の汗が伝う。セシルスはその隙を見逃さず空中で剣を構え直し、重い一撃を、警戒した女が構えた剣に期待以上の斬撃を叩き込み、女は衝撃を受け流しきれず、一瞬怯む。
「…ッごほっ!」
セシルスは怯んだ女に身を捻って渾身の蹴りをお見舞いする。女は骨の軋む音に喘ぎながら、勢いよく森の奥まで飛んでいく。 セシルスは地面に着地し、視線を吹き飛ばした女の方へ向けたまま叫んだ。
「閣下! 女性の相手はお任せを!」
「チッ! ゴー…」
「余所見とはいい度胸だ。──『陽剣』ヴォラキア」
「なっ…!!」
瞬間、踏み込むセシルスに舌打ちし、詠唱を口にするレイシス目掛けて踏み込んだアベルは疾走の最中に『空』から真紅の輝きを放つ『宝剣』を抜き取ると、セシルスに追いすがろうとした破滅の炎を全て切り落とす。
レイシスがその事実に顔を歪め、それをしたアベルの顔を睨む。アベルはその視線を涼し気な顔で受け止め、陽剣の剣先をレイシスへと構える。
「貴様の相手はこの俺だ」
「ああ、これはこれは。貴方直々に私の相手をしてくれるのですか?」
「ふん。…スバル。暴食は任せたぞ」
「は?! ちょっ…」
アベルの宣戦布告を受け入れたレイシス。アベルはスバルにそれだけ言い残すと陽剣によってそれを扱うに相応しい身体能力を手に入れたアベルが戦場を駆ける。
スバルがそんなアベルに制止の声をかけるが、アベルの決定は覆らずそのままスバルとベアトリスとオットーを残してアベルはレイシスの織り成す炎魔法を次々と切り進んでいく。
「俺の相手はお兄さんがしてくれるのかなァ?」
「…クソっ。ああ、そうだよ!──ベア子、オットー。いけるか?」
「愚問かしら」
「撤退しようと言っても、ナツキさんは聞かないでしょう」
「うん。悪い!」
やる気満々なベアトリスの返事と不満げだが頼りになるオットーの返事。スバルはベアトリスとしっかり手を繋いで詠唱を紡ぐ。
「ミーニャ!」
「いいね、いいさ、いいとも、いいかも、いいじゃない、いいだろうさ、いいだろうともさ、いいだろうからこそッ! 暴飲ッ! 暴食ッ!」
「スバル!」
「オーケー!相棒!」
ベア子に手を引かれ、右に大きく飛び退く。暴食はご自慢の武器である鞭をスバル達目掛けて放ち、軽快に走り回る。スバルはベアトリスの手を取り適切な距離をたもちながら逃げ回る。
オットーはスバルが目で合図すると同時に戦場の外へと走り出す。
「ま、君も俺達の大切な食事なんだから逃がすわけないけどさ!」
「いいや!逃がしてもらうぜ!」
「かしら!」
スバル達から視線を外し、背を向けるオットー目掛けて鞭を振るう暴食。 その射線上にベアトリスと二人で立ちはだかり、ミーニャで鞭を弾き飛ばす。
「言っただろ。お前の相手は俺だ」
「あァ、そんな目で睨むなよ英雄ッ! 君たちの記憶を食べて、すぐにあのお兄さんの記憶もいただくからさァ!!」
「はっ、させる訳ねぇだろそんなこと。 お前はここで俺が殺す」
「いいさ、いいとも、いいかも、いいじゃない、いいだろうとも、いいだろうともさ、いいだろうからこそッ! 暴飲ッ! 暴食ッ──!!」
「スバル!集中、かしら!!」
「おう!!」
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ゴーア、ゴーア、ウル、ゴーアあああ!!!」
「ぴぃぴぃと喚かずとも聞こえている」
隙間なくアベルへと降り注ぐ炎の雨を見上げながら、その地獄を作り上げながらも余裕のない顔でアベルを睨むレイシスに苦言を口にしながらも手の内で、尚も煌めき、存在を主張する宝剣を握り直し、迫る死を真っ向から燃やし尽くすべく真紅の宝剣を振るう。
「『陽剣』ヴォラキア」
剣の名を呼べば、それに応えるかのように煌めきを増した剣にアベルは口角を上げると、力強く地面に踏み込む。
瞬間、降り注ぐ炎を避けながら、それでも避けきれない炎を、斬って、斬って、斬って、斬り尽くす。
その光景を目の当たりにしたレイシスは顔を歪めながらも後ろに飛び退き、両手を正面に突き出し、もう一度詠唱する。
「アル、ゴーア!!」
アベルはこう見えて武闘派ではない。今だって、陽剣の恩恵がなければまともに戦うことすらままならないだろう。
何十もの火球がアベル目掛けて飛んでくる。それを何処か他人事のように眺めながら、アベルは思う。
「世界は、妾の都合のいいようにできている。か…」
亡き妹の口癖だった言葉。アベルはその傲慢な考えを理解できなかった。
しかし、今なら少しは理解できるかも知れない。
……世界から忘れ去られ、ただ一人を除いた全ての人間の記憶から消えたアベルは、確かに自身の置かれた状況に絶望した。突然誰の記憶からも消え、今まで生きてきた人生の全てを否定されたような気さえした。
それでも、アベルが今こうして運命に抗うため立ち上がれたのは一人の少年のお陰だった。
あの日、世界からヴィンセント・ヴォラキアの名前が消えたあの瞬間。言いようもない消失感と同時に浮かんだのは、かつての友人でもなく、最愛の妹でもなく、ナツキ・スバルの顔だった。
何故スバルの顔が浮かんだのか、自分でもわからなかった。それでも、気づいたら歩き出していた。覚えている確証はなかった、それでも、心から覚えていて欲しいと願ったのも事実。
屋敷に着いた時、アベルの中でまだ葛藤があった。 会うべきではないと頭ではわかっていた。それでも会いたかった。
屋敷でアベルを出迎えたエミリアは案の定アベルのことを忘れていた。その事実にもはや悲しむことも無くスバルは居るか尋ねるとエミリアは首を縦に振った。 案内された部屋から漏れ出るスバルの声に、柄にもなく緊張していたのが記憶に新しい。
『──はあ?!なんでアベルがここに居るんだよ!?』
それでも、アベルを見ていつものように顔を顰めたスバルに、どれほど救われたかなんて、きっと誰にも想像出来ないだろう。
「──この剣は、俺の斬りたいモノを斬り、焼きたいモノを焼く」
「ヴィンセント・ヴォラキアぁぁぁぁあ!!!」
「感情に任せた行動は改めるよう忠告した筈だが。──まあいい」
「……っ?!」
アベルの命を奪うべく飛んでくる火球に、アベルは両目を閉じる。 その行為がこの瞬間命取りになることはわかっている。──それでも、瞳の裏でしか会えない大切な人が居るのだ。
『閣下』『兄上』
「──世界は、俺の都合のいいようにできている」
亡き妹、プリシラの口癖だったその言葉を口にして、アベルは珍しく頬を緩めた。きっとプリシラがその言葉を聞いたら顔を顰めていただろう。
アベルは瞳の裏の大切な人へ別れを告げ、強い意志を宿した瞳を真っ向にいるレイシスへ向ける。レイシスはそんなアベルの視線に顔を強ばらせた。
陽剣はアベルに応えた。アベルを主と認め、こうして力を与えてくれている。ことここに至るまで、陽剣を抜かなかったのはアベルの弱さ故だ。
では何故、今になってこうして陽剣を抜いたのか。それは、アベルの事を忘れないでいてくれた一人の少年の存在が深く関わっているのだろう。
「『陽剣』ヴォラキア」
名を呼べば、それに応える様に真紅の宝剣は刀身の煌めきを増し、アベルはその光景に口角を上げ、前進した。
飛んでくる火球の数は数十個。 その全てを、アベルは真っ向から燃やし尽くすべく陽剣を振るう。正面に迫る火球を斬り伏せると、続いた火球はアベルを取り囲む様に変形した。そして、その火球の全てを万倍の火力を持ってして燃やし尽くす。
そうして炎幕に囲まれたアベルの姿が一瞬見えなくなる。しかし、すぐに己の炎すら斬り裂いてレイシスに迫るアベルに、レイシスは体制を立て直すべく飛び退いて、自身の前方に炎の壁を展開する。
アベルはレイシスの行動に目を細め、助走そのままに地面を蹴り、高く跳躍する。
前方に炎の壁を展開したレイシスはアベルの跳躍に遅れて気づく。急いで上空にも炎の壁を展開しようとするが、もう遅い。
そして、目を見開くレイシスへと、アベルは渾身の剣閃を叩き込んだ。
「ぐあっ…!」
「レイシス・オースター。貴様の負けだ」
「が、ぁああああ!! 熱い! 違う!こんな、こんなことは間違っている!!」
傷口から突如炎が発生し、レイシスの身体を一瞬で覆い尽くす。その事実に声を荒らげ、炎を振りほどこうとするレイシスへ、アベルは冷たい視線を送る。
「貴様が俺に敗れるのはこれで二度目だ。敗者に待っているのは当然、死のみである」
「黙れ!! ァ嗚呼! やめろ、俺は、俺は必ず、やり遂げてみせる! あ、あぁ…だから……!」
灰に変わる身体を、必死に掻き集めるレイシスへと陽剣を振り上げる。放っておいても死ぬが、一度目も殺したはずなのに今こうしてアベルの目の前にいるのが事実だ。だからこそ、今度は確実にその死を見届ける必要があった。
アベルはこの男を許すつもりはないが、それでも感謝していた。それは何故か、
「今回の件で愛とはどの様な感情を言うのかを知ることができた。褒めて遣わす」
「あ、あぁ…」
レイシスは、己に笑みを向けるアベルに、目を見開く。 アベルのそれは無意識であったが、レイシスは人生で初めて誰かに笑いかけられた事実に、抵抗を止め、静かに目を閉じた。
──ああ、どうして、よりにもよって今……
レイシスの悲痛な叫びは、終ぞ声にはならなかった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
──好きな人が居た。何時、なんで好きになったのかは覚えていない。それでも、そんな好きな人はいつも不幸せな顔をしていたのを覚えている。
その人は、いつも身体中傷だらけだった。親から虐待を受けているらしい。かく言う私もその人と同じだった。 自分ではどうすることも出来ない現実にただ耐えていた私とは違って、その人はいつもそんな親をいつか殺してやると言っていた。
……だから、数年後本当にそれを成し遂げて私の目の前に現れたその人の姿は、今までもこれからも、ずっと忘れない。
「戦闘中に考え事とは、随分と余裕ですね」
「………」
「ありゃ、また無視ですか?」
えげつない速度で斬りこんで来るセシルスの言葉に無言を貫き通せば、セシルスは不満げな顔をする。
瞬間、二人の剣が甲高い音を立てて交わる。両者の力が拮抗し、視線が合う。すると、二人同時に後ろへ飛び退き、セシルスはその事実に顎に手を添えて首を傾げる。
「ふむ。これはまるで、鏡と剣を交えているのかと錯覚するほどに完璧な模倣ですね」
「……そう。私は相手の体内に流れるマナの動きを読み取れる。だから、貴方は今自分自身と戦っている様なもの」
「ほう…! それは面白い! 最大の敵は自分とはよく言ったものです」
セシルスがその事実に手を叩いて喜ぶ。それを見て思わず眉を顰める。話を聞いていなかったのか、自分自身に勝てる人間なんて、この世に誰一人としている訳がないのに。
セシルスは相変わらず笑顔で剣を構える。 それに合わせるように剣を構え、同時に踏み込む。全く同じ影が何度もぶつかり合う。
「私の体力切れを狙っているのならそれは無理」
「ん? 別にそんなつもりはありませんでしたが、一応理由をお聞きしても?」
「……昔から、耐えることだけは得意だから」
「そうですか! でもご安心を。そんな舞台映えしない展開は僕もお断りです! 万全の貴方を倒して見せましょう!」
「そう。無理だけど」
尚も剣を交えながらの雑談に、変化が起きる。 セシルスの動きを模倣するばかりだった女が突然動きに自我を加える。 セシルスはその不意の攻撃を咄嗟にゾーリで受け止めるが、体制が崩れたのも事実。
その隙を、女は再度セシルスを模倣した剣閃で容赦なく斬りかかる。
「……っ」
セシルスは身体を捻り致命傷を免れるが、右肩を深く斬られ、一度後ろに飛び退き体制を立て直そうとするが、そんなセシルスへ容赦ない剣撃が飛んでくる。
しかし、セシルスはその状況に、先程よりも笑みを深めた。
「ああ、面白い! 模倣と我流の二刀流! それにこの容赦のない剣撃。 嫌いじゃないです、むしろ好き」
「…狂ってるの?」
「あはは! そう見えます? 僕に言わせてみれば、ピンチこそ舞台を盛り上げる最高のチャンス。それに、貴方が強ければ強いほど僕のやる気も上がります」
先程とは違い、今度はセシルスが押され気味だ。それでも笑顔を絶やさないセシルスに女は目を細め、斬り込む速度が早くなる。 しかし、セシルスはその速度に反応して上半身を後ろに倒すと、後ろにあった木々が真っ二つになるのを見届け、女の頭に蹴りを入れる。
セシルスの蹴りを左手で庇った女だったが、勢いを殺しきれずに吹き飛ぶ。 吹き飛んだ先の木に追突して血反吐を吐く。それでも、次の攻撃に備えて剣を構え直そうとして前を向いた瞬間、目の前から剣が飛んでくる。
「ッ…!」
それを脳天直撃ギリギリのところで避けるが、避けきれなかった剣先が額を傷つけ顔の半分が血塗れになる。右目に血が入り込み、視界が悪くなる。慌ててセシルスの姿を探すが先程まで居た場所にセシルスの姿がない。
その事実に遅れて気づいた女は後ろからの殺気にまさか、と反射的に剣を構える。
「あの位置から、投げた剣に追いつく化け物がどこに居るのよッ…!」
「貴方の目の前にいるじゃありませんか!」
「くッ…!」
咄嗟に受け止めるが、体制が悪い。このままでは押し切られる。
流石は帝国最強の男。幾ら技を模倣したとしても、最初から私が敵うはずない。わかっていてもやらないといけなかった。 だって、私は…レイシスの様には……
『──。俺と来い。 この世界の全員、俺たちを見捨てた奴ら全員、殺してやろう』
「!」
諦めて目を閉じると、あの夜の記憶が鮮明に蘇る。 忘れる筈もない。 私もレイシスも血塗れで、横には私の両親の死体があった。 そうだ。あの時の約束を、守らないと。
「──ジワ、ルドぉぉぉ!!」
「…ッ!」
激情のままに叫ぶと、今まで一度も成功しなかった攻撃魔法がセシルス目掛けて一直線に飛んでいく。 突然叫ぶ──に目を丸くしたセシルスは次いで発生する魔法攻撃を剣で受けきれないと判断し、最大限身を捻ねるが避けきれない熱線がセシルスの横腹を抉る。
その隙を見て後ろへ飛び退いた──は、自身の手のひらを眺め、その現実に目を丸くする。
「…できた」
「まさか、魔法まで使えたとは予想外でした。…うーん。この傷はちょっと不味いですね」
セシルスは抉られた腹を抑え、羽織っていた着物をちぎって止血する。腹からの出血と肩からの出血。早めに本格的な治療をしないと失血死するだろう。
しかし、今ここで目の前の女に負ければ、あの場に残してきたスバルと皇帝を名乗る男に顔向けできない。
「ふぅー。──短期決戦です。これが終わったら、着物代諸々請求させてもいますからね、ボス」
そう気合いを入れ直し、踏み込むセシルスの剣閃が──に追いすがる。それを躱し、熱線と同時に剣閃を走らせる──。セシルスはその全てを音速を超えた速度で躱し、宙を舞う。
空中を高速で移動しているように見えるセシルスだが、そのカラクリは空中にあるチリやゴミを足場にしているだけなのである。
しかし、そんな事知る由もない──はそんなセシルスの神業に眉を顰め、当たらない熱線を打つのを止めてセシルスの姿を目で追う。
しかし、目を凝らしてもセシルスの動きは追い切れない。そして、──の背後を取ったセシルスが宙を蹴り、雷鳴を轟かせる。
「見つけた」
「ありゃ!?」
「忘れたの? 私は貴方自身。速度は真似出来なくても、いつどう動くのかは完全に把握してる」
剣が──の首を跳ねる直前、──が振り返りセシルスの剣を真っ向から受け止める。
セシルスがその事実に目を丸くすると同時に、お腹に鈍い痛みを感じ、後ろへ吹き飛ぶ。 蹴りを受けたセシルスは、木を一、二、三個突き破り、四つめの木に激突して漸く動きが止まる。
身体中痛みに悲鳴を上げるが、セシルスはそれを漏らすことなく気合いで耐える。花形役者が泣き喚くなんて、そんな恥ずかしい脚本はボツだ。
それにしてもかなり不味い状況だ。全力を出してこの体たらくとは、花形役者の名が聞いて呆れる。 最も、相手もセシルスを模倣しているので、セシルスは自分自身に負けているということになるが。
「そっちの方が、僕的に悔しくはあるんですけどね」
そんな悪態をついてる暇は無い。急いで立ち上がらないとすぐにまた追撃がくる。一度やってダメでも、一万回やれば通用するかもしれない。 それまで体力が持つか怪しいが、持たせるしかない。
セシルスが立ち上がろうとした瞬間、ふとスバルとの会話を思い出す。
『ありがとな、アベルのこと信じてくれて』
『何故ボスがお礼を言うんですか?』
『いや…ああ見えてアベル結構参ってるっていうか。うーん、お前は覚えてないだろうから説明がムズいんだけど。俺から見て、お前らって結構仲良かったイメージあるからさ。覚えてなくてもアベルを受け入れてくれたのが嬉しいんだ』
『へー。あの方、見た目に似合わず寂しがり屋なんですか?』
『あははは! アベルが寂しがり屋? 確かに、あながち間違ってねぇけど!』
セシルスの言葉に腹を抱えて笑うスバルに、セシルスは首を傾げる。
『そうだな。あいつは寂しがり屋だからセシルスが傍に居てあげてくれ』
『僕じゃなくて、ボスがやったらいいんじゃないですか?』
『え? いや、俺はその…なんて言うか…』
そう言って目を逸らすスバルにセシルスは仕方ないですね。と笑うと言い訳の言葉を探すスバルに抱きつく。
『うおお?! な、なんだよ突然!』
『ボスは面白いなあ! …いいですよ。あの方のことは任せてください。その代わり、たまには帝国にも遊びに来てくださいよ』
『う、うーん。手続きがめちゃくちゃめんどくさいからそれはなんとも…』
『なら、僕が王国まで会いに行きますよ。その時はちゃんと遊び相手になってください』
『それなら、まあ』
そう言って頷くスバルに満足して腕を離す。振り返って歩き出そうとすると、『セシルス』と呼び止められ顔だけで振り返る。
『もしもこのままアベルの名前が戻らなくて、万が一俺が死んでこの世界であいつのこと覚えてる人が居なくなっても、セシルスだけはアベルの傍にいてね』
そう語るスバルの顔はきっと忘れない。スバルのあんな顔、セシルスは初めて見た。
だから──
「──勝ちますよ。ボスも閣下も、纏めて救って見せましょう」
そうこうしているうちに──が座り込むセシルスに追いつく。瀕死状態だが、トドメを刺すべく剣を構える。
セシルスはその場に立ち上がり、目を閉じて腰を落とす。深く構えたセシルスに目を細める──だが、その動きさえも模倣すればどうということは……
「…え?」
対応しようとした次の瞬間、轟く雷鳴が鳴り響き、目の前で構えていたセシルスの姿が一瞬にして消え去る。 否、消えたのではなく斬られたのだ。
その事実に気づく頃には身体が真っ二つに両断され、世界が逆さになる感覚を味わう。
暗くなる視界に、最後の力を振り絞ってそれをしたセシルスへ向ける。すると、尚もセシルスは笑っている。
「ああ…これが剣術の高み…なのね…」
「素晴らしい戦いでした、お嬢さん。 名を聞けなかったのが惜しいですが。この僕と互角に渡り合えたことは素直に称賛に値しますよ」
「………」
「──もう聞こえていませんね」
動かなくなった女を見届け、セシルスはその場に大の字で寝そべる。
「流石に疲れました。ボスと閣下への援護は少し休んでからでも怒られませんよね」
そう誰に言い訳するでもなく目を閉じたセシルスは、残してきたスバルとアベルを瞳の裏に思い描きながら、少しだけと意識を暗闇に落とした。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──!──ル!」
「………」
「スバル! しっかりするかしら!」
「ベア、子?」
「そうかしら! 早く体制を立て直さないと、次の攻撃が来るのよ!」
目の前でそう言ってスバルを叱咤するベアトリスに、スバルは五度目の死に戻りから帰ってきたばかりの感覚を振り払い目の前の敵に集中する。
「ベア子! 右から次の攻撃がくる!」
「合点承知なのよ!」
「あはッ! ズルいなァ!! お兄さんのその能力ッ!やっぱり欲しいッ!」
「俺だってこんな能力あげれるもんならあげてぇよ! でも、お前らには絶対渡さねぇけど!」
「なら、無理やり奪うしかないなァ!」
「ッ…ミーニャ!」
ロイの放つ鞭がスバルの四肢目掛けて飛んでくる。 そのままスバルの身体をバラバラにする勢いで飛んでくる鞭をベアトリスが間一髪で受け流す。──しかし、
「背中がガラ空きだよッ!」
「ぐ、があああ!」
「スバル?!」
背中に鈍い痛みを感じ振り返る、そこには短剣が突き刺さっていて、今日何度目か分からない死の感覚にスバルが膝を折る。
「嫌あああ!! スバル!スバル!待って、ダメかしら、今すぐ傷を…」
「いただきますッ!」
「?!」
迫るロイを最後にスバルの意識が暗転。 遠くでベアトリスの泣き叫ぶ声を聞きながら、スバルは六度目の死を乗り越えなければならない。
「──!──、ス──!」
「……」
「──スバル! 何をぼーっとしとるかしら! 次の攻撃が来るのよ!」
「…っ」
目を覚ますと、また同じ状況でベアトリスがスバルを叱咤していた。 今回の死に戻りは死んでから戻るまでのセーブポイントの間隔が短すぎる。
さっきから、何度繰り返してもロイに致命傷を負わされ、記憶を食われる結末を避けられない。
このまま逃げても立ち向かっても結末が同じなら、違う方法でこの状況を乗り切るしない。
「…? スバル?」
「さっきまでの威勢はどうしたの? まさか、もう心が折れたなんて言わないよね、お兄さん」
「…そうだな。ああ、そうだ」
「え?」
ロイの言葉にスバルが頷くのを見てベアトリスは唖然とする。ロイは、そんなスバルにキョトンとした顔で首を傾げる。
「そうって、何がそうなのさ」
「だから。諦めるんだよ。ほら、俺の能力が欲しいんだろ? やるなら一思いにやってくれ」
「スバル?! 何を言ってるかしら!?」
スバルの言葉に目の色を変えてベアトリスがスバルの肩を揺らす。 スバルはそんなベアトリスの瞳をじっと見つめ、心の中で一言『俺を信じろ』と口にする。
ベアトリスはそんなスバルに口を開こうとするが、暫くして悔しそうに下を向く。
そうして相棒に酷な選択をさせたスバルは罪悪感を少し抱きながらも、それでも死ぬ気ではなく生きるための選択だとロイに向き直る。
「…どういう風の吹き回し? お兄さんは僕達を死ぬほど憎んでる筈なのにさ」
「ああ。今すぐ殺してやりてぇよ。 でも現実的に俺にはそれが難しい。…だからこれは賭けだな」
「賭け? 賭けって一体なんの賭けさ。 もしかして、『レイド』みたいに僕の身体を乗っ取ろうとしてるのかなァ? そんなのお兄さんには無理無理ッ! だってお兄さん、僕達の妹にも記憶を奪われたことがあるでしょ?」
「…ペラペラとうるせぇな。やるのかやらないのかハッキリしろよ」
「あァ、図星だった? まあでも、その潔さに免じて苦しまずに『名前』と『記憶』だけ頂くからさ。 それじゃあ、イタダキマスッ!!」
「……っ!」
「スバル…!」
宣言通り、ロイはスバルの魂から記憶と名前を奪い去る。 瞬間、スバルの意識は暗転し、隣からベアトリスの悲痛の叫びだけが木霊した。
………
…………
………………
「あれ、ベティは何を…」
「 アハッ! あァ! 喰ってやったさッ! お兄さんの魂ッ!! 美味い、最高だなァ。 『悪食』である僕たちでも美味い記憶を喰らうと気分が上がるッ!」
スバルの記憶を喰らったロイはその記憶の味にうっとりと頬を赤く染めた。 一方、突然目の前に知らない男が倒れているのを目の当たりにしたベアトリスは混乱していた。
この男は誰なのか、この状況から考えて暴食の被害者であることは間違いない。しかし、何故自分の瞳から涙が溢れているのか、ベアトリスは必死に目の前に倒れる男を思い出そうとするが、記憶が疼くだけで何も思い出せない。
そうして、スバルを抱いて唖然とするベアトリスへと、次の食事を始めようとしたロイが鞭を握る。 そうして、泣き崩れるベアトリスへ鞭を振るおうとした瞬間、
「…?!」
轟く雷鳴と肌を焼く烈火の炎に、それを防がれる。
「貴方が最後の一人ですね。ふむ、そこに倒れている方は……」
「大方俺と同じく暴食の被害者であろう。 ここに来るまでに感じた違和感と記憶の疼きの正体が恐らくその男だ」
「ほう。では、目の前の大罪司教を倒せば、無事にハッピーエンドですね!」
「あの二人、本当に役に立たなかったなァ。ま、最初から期待してなかったけどさッ!」
目の前の乱入者に、ロイは恐らく死んだであろうレイシスともう片方の女を頭の中から消去し、早速スバルから奪った能力を試すチャンスだと唇を舐めた。
「『月食』。さァ、お兄さんの能力、僕たちがもっと上手く有効活用してあげるよッ!」
スバルの能力を身に宿し、余裕の表情で構えるロイに、セシルスは目を細めた。
「何か能力を使ったみたいですが、パッと見じゃ分かりませんね。 ……まあ、一瞬で殺してしまえば一緒ですが」
「…え?」
すると次の瞬間、ロイは自身の身体を見上げていた。 何が起きたのか分からず、首を動かそうとするが、何故か動かない。 そして気づく、自身の身体の首から上が無くなっていることに。
「あ、ああああああああぁぁぁ!!! いぎぃぃぃ! 」
「人間、首を切られてから暫くは意識があると言うが、本当なのだな」
「やめろッ! 僕たちに近づくなッ!」
「…『陽剣』ヴォラキア」
「あぎゃッ!あ、あづぃぃぃい! イヤだッ! やめ──」
「……最後まで、醜い生き様よな」
………
……………
………………
「ほう。 では、目の前の大罪司教を倒せば、無事ハッピーエンドですね!」
「……あ?」
覚醒した意識が現実に引き戻され、ロイは唖然と口を開く。 こちらを見据える目の前の皇帝と青い雷光。その姿に既視感を感じると同時に、ロイは自身の首を慌てて撫でる。
切られていない。首は繋がっている。それでも、先程感じた痛みと恐怖は記憶にベッタリと染み付いていて──
「では…」
「?!」
ロイが先程までの死の感覚に身を震わせていると、そんな事などお構い無しにセシルスが刀を構える。ロイはそのセシルスの動きに慌てて月食を発動させて……
「あ……」
「──なんだか呆気ないですね。 本当に大罪司教ですか?」
「あ、あ、あ、ああああああああぁぁぁ」
「うわっ、突然痙攣しだしましたよこの人」
ロイは流れる血と切り離された身体を視界に収めながら、僅か数分で二度目の死を迎えた。
………
……………
…………………
………………………
……………………………
「ほう。では、目の前の大罪司教を倒せば、無事ハッピーエンドですね!」
「ああああああ!!! イヤだッ! イヤだイヤだイヤだァ!!」
「びっくりした。突然なんです?」
「ヒッ……ち、近づくなぁぁぁ!! こ、こんなのおかしいじゃないかッ! こんなの、こんな絶望ッ!! 耐えられるわけが無いッ!!」
「一体何を言ってるんですか? 僕まだ何もしてませんが…」
先程までの余裕の表情とは一変し、絶望に顔を歪め涙を流し肩を抱くロイの姿にセシルスとアベルは奇妙な物を見る目でロイを見た。
そんな中、ただ一人、そんなロイには目もくれず喪失感に震えていたベアトリスが「あ…」と声を漏らした。
「──やっぱ、ルイも耐えられなかったからお前も無理か」
「はあ…はあ…黙れ、黙れ黙れ黙れッ!! こんなの、こんな理不尽ッ! 只人が耐えられる筈がないだろうがァ! こんな力要らないッ!こんな絶望を味わってなんともないなんて、狂ってるよッ!」
「スバル…!」
目を覚まし、立ち上がったスバルの記憶と名前が戻り、もどかしさを感じていたベアトリスが全ての記憶を取り戻し歓喜の声でスバルを呼ぶ。そんな可愛い相棒へウィンクして、ついでにいつの間にか合流していたセシルスとアベルにも手を振る。
セシルスとアベルの記憶も戻ったようで、目を覚ましたスバルに二人して目を丸くしていた。
しかし、今は感動の再開は後回しにして、ロイに再度視線を移す。相変わず震えが収まっていないロイに目を細める。
「お前が望んだ力だろ。 もっと喜べよ」
「こんな力だって知ってたら欲しいなんて思わなかったッ!」
「お前らはどこまで勝手なんだ? あれも欲しいこれも欲しいって、他人の人生踏み躙っといて選り好みまですんのかよ」
「ぐっ…うるさいッ!! 偉そうに説教するなよ狂人ッ…! 俺たちは何も悪いことなんてしてないッ! 俺たちはただ最高の人生を送りたいだけなのにッ! どいつもこいつもさァ! なんで僕たちの邪魔ばっかりするんだよッ!」
「被害者ズラするなよ。 そんなクソみたいな理由でお前たちのやってきた行いを正当化するな」
スバルは冷めた目で蹲るロイを睨む。どこまで行っても大罪司教を名乗る者たちはみんな、自分のことしか頭にないクズの集まりなのだと痛感する。
その事実にもはや同情の余地はないと、今度こそロイをここで殺す決心がつく。
「出された料理は完食するのがマナーだろ?」
「ヒッ…く、来るなッ! イヤだッ! もう死にたくないッ!」
「ほら、残さず食べろよ。『悪食』」
「イヤだァァァァァ!!!」
責め立てるスバルの言葉に、ロイは大声で悲鳴を上げると、スバルとは反対方向へと逃げた。瞬く間に姿の見えなくなるロイに、素早く反応したセシルスが腰の刀に手をかける。
「追いますか、ボス」
「いや、いいよ。どうせすぐ死ぬだろうし」
「ほう? 何故言い切れる」
「だってオットーが逃がすわけないもん」
「そういえば先程から姿が見えませんね。てっきり逃げたのかと思っていましたが」
「本来の予定はベティとスバルであの男を弱らせてオットーの所まで誘導するはずだったけど、あの様子だと心配いらないのよ」
「……あれは内政官だと聞いていたが。武力にも長けているのか?」
「武力に長けてるっつうか…万全の準備をしたオットーと自然の中でやり合うのはやめとけとは言っとく」
アベルの疑問に歯切れ悪く答えたスバルは、頷くベアトリスの頭を撫でながらここに居ないオットーへとため息をついた。
「まあ、あいつだけは敵に回さないほうがいいのは確かだよ」
▽▲▽▲▽▲▽▲
「はあ、はあ…!」
ロイは、恥もプライドも捨ててナツキ・スバルから逃げるべく震える足で森を駆ける。ロイが今回死に戻りをした回数はたったの七回だった。 しかし、それだけでロイの心はズタズタに切り裂かれたように悲鳴をあげ、心の底からの絶望に顔をぐちゃぐちゃにしながら、必死に恐怖から逃げる。
──死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくな………
「あぎゃッ!!」
すると、突然何かに足を躓き、その場に転ぶ。 顔の擦り傷を抑えながら躓いた所に目をやると、そこには先程までなかった土ボコが突然現れていた。
「な、なに……」
「──初めまして」
「?!」
すると、突然後ろから声を掛けられ慌てて振り返る。 そこには、最初に逃がした男の姿があり、その男はロイを感情の抜け落ちた表情で見下ろしていた。
ロイは慌ててその男を殺そうと飛びつく。…しかし、
「貴方のせいで、あの人がまた危険な事に首を突っ込んでるんですよ」
「は?!」
「…驚きました? 僕、ちょっと森の嫌われ者とは仲がいいもので」
ロイがオットーに触れようとした瞬間、目の前に土の壁が出現し、そのままロイを飲み込む。土の中に埋もれたロイは、その事実に気づき、慌てて地中を泳ぐ。
「困るんですよ。あの人、優しすぎるので困ってる人は見捨てられないですから」
「あぶっ…ぶっ……が、はっ…」
「まあ、それがナツキさんの美徳でもあるんですけどね」
地上へ出ようと必死に土をかき分けるが、泳いでも泳いでも、どんどん下へ引きずり込まれていく。 次第に息が苦しくなっていき、ロイは目を血走らせて必死に手を伸ばす。
「……知ってますか? 死んだ人の身体をそのまま土に埋めて供養する村があるんですよ。 そうして埋めた死体は、地中に居る分解者が食べて骨にするんです」
「がっ…?! い、いだいッ! いだいいだいッ! やべでぇぇ!」
「そういった分解者が落ち葉等を食べてくれるお陰で、こうして自然は守られているわけですよ。…まあ、普通に暮らしていたらこんな話知らないですよね」
すると、オットーは蠢く土の前にしゃがみこみ、土の中で何事か叫んでいる『悪食』を感情のない瞳で見つめながら……
「──どうですか? これが『喰われる側』の気持ちですよ」
「───!!──、───ッ!!」
「もう何を言ってるのかすら分かりませんね」
そのまま、徐々に地面に空いた穴は塞がっていき、忌々しい少年の姿が見えなくなっていく。
それを見届けたオットーは、加護を使って地中に居る昆虫へ話しかけ、満足のいく返事が帰ってくると、踵を返して歩き出した。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「無事にアベルの記憶も戻って、暴食の大罪司教も倒せたし、これにて一件落着!」
「なわけないですからね?! 僕言いましたよね? 危険があるようでしたらその時点で帰るって!」
「うっ…そ、そんな事言っても今回のは不可抗力というか…」
「そうかしら! あんな危険な賭けをして、今回はたまたま上手くいったから良かったものの、あのまま記憶が戻らなかったらどうしてたつもりなのよ!」
「うぐっ! それを言われると流石の俺も言い訳のしようがねぇ!」
「騒がしい連中よな。少しは静かに出来んのか」
「貴方のことも思い出しましたよ。 今回の件、報酬はたっぷり請求させて頂きますから」
「あはは! 閣下の事を忘れていたなんて、今でも信じられません!」
みんなアベルの事を無事に思い出し、無事に暴食を倒せたはいいものの。 スバルはベアトリスとオットーからすごい怒られるし、アベルはアベルでセシルスからはからかわれ、オットーからは鋭い視線を送られている。
オットーの怒る気持ちもわかるが、今は一先ず置いておいて、休みたい。
「あ、僕の家の修理代は閣下持ちでお願いしますね」
「ああ、派手に燃えてたもんな…」
「ほんとですよ! まあアーニャとの喧嘩でしょっちゅう燃えてるんですが」
「しょっちゅう燃えてんのかよ?!」
ヘラヘラと答えるセシルスにスバルが目を丸くする。 セシルスが軽い口調で「その時は毎回僕が修理代払ってるんですよね〜」と自身の頭を撫でる。
こいつ、こんなんでもやっぱり帝国の将なんだよな。毎回修理代払えるだけの給料貰ってるんだと思うと少し羨ましい。
「はあ…兎に角、これで問題も解決したことですし、報酬の件はまた後日請求するとして、僕たちは一度ルグニカに帰りますよ」
「え?!もう!?」
「当たり前です。 問題が解決したら即帰宅だと約束しましたよね」
「そ、そうだけど…」
スバルは断固としたオットーの態度に視線だけアベルの方へ移す。 すると、スバルの視線に気づいたアベルが片目を閉じて顎を引いた。
「それで構わぬ。 改めて、大儀であった」
「えっ…」
「なんだ? 何か不満があるのか?」
「い、いや。 お前がいいなら俺も別に…」
案外あっけなく別れを告げたアベルに拍子抜けする。 よく考えて見ればそれもそうか。スバルの予想していた通り記憶が戻れば全て元通りだ。
それなのに、何故かその事実に若干胸が痛むのを無視して、ベアトリスに腕を引かれ、事後処理の話し合いをするアベルとセシルスを置いて、スバル達は帝国を後にした。
▽▲▽▲▽▲▽▲
あれから一週間、アベルからはなんの音沙汰もなく、スバルは元通りになった世界でいつも通り平和に過ごしていた。
しかし、暴食の大罪司教が討たれた事実は瞬く間に世界に知れ渡り、帝国の功績として世界中で歓喜の声が上がっている。
その事実にベアトリスは不満げだったが、オットーは余計な問題にこれ以上首を突っ込みたくないとスバルたちの名が出なかったことに満足していた。
かく言うスバルもオットーと同意見だ。 別に褒められたくてやった事でもないし、結果的にみんなの為になったたげだ。
「どうしたのスバル。ぼーっとして」
「エミリアたん」
スバルが窓際の椅子に座りレムが入れてくれた紅茶を片手に持ったまま、流れる雲をぼーっと眺めていた所、いつの間にか部屋に入ってきたエミリアが声をかけてくる。
「もうすぐレムが買い出しに行くって。 スバルも行くんじゃないかなと思って来たんだけど…」
「えっ、もうそんな時間?」
スバルが慌てて時計を見ると、既に外を眺め始めてから一時間ほど経っていることに気づく。慌てて紅茶を飲み干すと、一時間放置されていた紅茶はすっかり冷めていて台無しになっていた。
スバルはコップを机の上に置き、急いで準備する。
「ありがとうエミリアたん! じゃあ俺レムの所に──」
「あっ! ちょっと待って。そういえばスバルに伝えないといけないことがあったんだった!」
「え? そうなの?」
エミリアは笑顔で見送ろうとした手を止め、思い出した!と慌ててスバルを呼び止める。エミリアの言葉に足を止めたスバルは、辺りをキョロキョロ確認するエミリアの姿に首を傾げる。
「…?」
「あ、あのね。 みんなには内緒でって言われてるんだけど…」
「ああ、そういう事ね。 大丈夫だよ、誰にも言わないから」
「そう? 良かった。 じゃあ、はいこれ。 セシルスからお手紙よ」
「えっ…セシルスから?」
エミリアがスバルに手渡したのはセシルスからの手紙だった。何故セシルスからスバル宛に手紙を…?と顔を顰めるが、ふと思い出す。
「あ、そういえばなんか約束してたような…」
「もう。スバルはすぐ約束忘れちゃうんだから。 ダメよ?約束はちゃんと守らないと!」
「う、ごめんごめん! 気をつけます…」
スバルが手を合わせて謝ると、エミリアはよろしい。と満足気な顔をしてまだやることがあるからと部屋を出ていってしまう。
スバルは、エミリアの姿が見えなくなったのを確認して手紙の封を開ける。手紙の中には一枚の紙が入っていた。 スバルはそれを取り出すと、中身を確認する。
『ボスへ。 約束通り遊びに来ましたよー!っと言うことで屋敷の正門前で待ってますので前にボスが言っていた『でーと』とやらに行きましょう!』
「デートって…あのバカ、デートは好きな奴とするやつだって教えただろ… ってか今からかよ?! もう正門前に居るってこと?!」
確かに、いつもはオットー伝にくる手紙がエミリアから手渡されるのは珍しいとは思っていたけど!
手紙を閉じると、スバルは窓の外の正門を眺めながら悩む。今から行くとレムとの買い出しは無理だし、でもセシルスとは約束したし…
「まあ、レムとは約束してたわけじゃないし…」
買い出しはスバルが勝手についていっていただけだし、でも一応今日は用事がある旨をレムに伝えてから行こう。
スバルはそう決まると一応硬貨の入った巾着を持って部屋を出るのだった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「なっ…」
「遅い」
「これでも最速…っじゃなくて! なんでアベルがここにいんの?!」
「喧しい男だ。 俺が何処にいようが俺の勝手だ」
「そ、そういう問題じゃなくて…」
レムに一応出掛ける旨を伝えて正門まで来たスバルは、セシルスが立っていると思ってフードを被った人影に声をかけたはずだ。 しかし、振り返ってスバルを出迎えたのはセシルスじゃなくてアベルだった。
何がどうなっているのか分からず、セシルスから渡されたらしい手紙を再度読み返すが、アベルの事は一言書いていなかった。
「えっと…セッシーは?」
「先に王都に向かった」
「はあ?! なんでだよ!」
「彼奴に待てができると思っているのか?」
「………」
確かに。セシルスがお利口に待っているイメージが湧かない。どちらかと言うと忙しなく走り回ってるイメージだ。
でも、だからといってこんな手紙を渡しておいてスバルを置いていくのはどうかと思う。 アベルが居なかったらスバルは状況が分からず混乱するところだった。
「いや、だからなんでアベルがここに居るんだよ」
「話は後だ。時間が無い、セシルスを追うぞ」
「え?! あ、ちょ、待てよアベル!」
用意周到にも竜車がすぐそこに止まっており、先に乗ったアベルを追いかけてスバルも乗り込む。 いや、その前に説明が欲しいんだけど…
しかし、そんなスバルを無視して竜車は王都に向かい発車した。
暫く揺られて王都に着くと、竜車は城の目の前に止まった。
「は? いや、ここって…」
「先に用事を済ませるぞ。着いてこい」
「用事ってなんだよ!……って無視すんな!」
竜車を降りたアベルはそそくさと歩き出してしまう。こんな限られた人しか入れない場所に用事って…それ俺が着いて行っていいやつなのかよ?
「早くしろ。 俺の傍にいれば誰も文句は言えまいよ」
「わ、わかったよ…」
振り返ったアベルが手を差し出してくる。 それに眉を顰めたスバルは敢えて差し出された手を無視してアベルの隣に並ぶ。 隣から鋭い視線を感じるが無視だ。 それに、手を差し出すアベルにスバルは何か嫌な予感が脳を過ぎる。
それを振り払おうと首を横に振り、短く舌打ちしたアベルの後に着いていく。
しばらくすると絶対偉い人がいるであろう部屋の前まで案内される。 案内してくれた女の人が終始俺に何故いるんだという視線を向けてきたのが苦しかった。
でも、アベルが言っていた通りアベルの隣に居ると何も言ってこなかった。っていうか何も言えないだろ、アベルが終始視線の圧で黙らせてたんだから…
「おい。 ああいうの可哀想だからやめてやれよ」
「なんのことだ」
「…わかってるだろ」
わざとらしく惚けるアベルにスバルが目を細める。 アベルはその視線を受け流すと、改めて扉に手をかける。
スバルはその行動に思わず後ろに隠れて開かれた扉から中をこっそり盗み見る。
中には、偉そうな老人が七人椅子に座ってこちらを見ている。 どれも見た事のある顔だ。それもそのはず、部屋の中に居るのはルグニカ王国現賢人会の方々だからだ。
「皇帝陛下、わざわざ御足労頂き感謝致します。 近年のヴォラキア帝国の功績は──」
「前置きはいい。簡潔に用件を述べよ」
「ほっほっほ。これは手厳しい…」
「一つお聞きしてもいいですかな?」
「申してみよ」
「後ろの少年は…」
賢人会の人達相手にも堂々とした態度のアベルの後ろに隠れていると、スバルの存在に気づいた一人が首を傾げる。 多分まだスバルだってことはバレてない。
できるだけ存在感を消しとくからどうにか誤魔化して……
「ナツキ・スバルのことか」
「?!?!」
「ナツキ・スバルだと…?」
「な、何故エミリア様の騎士がここに?」
「どういうことですかな? 何故スバル殿と陛下が共に?」
「俺が連れてきた。 それとも、ナツキ・スバルが居ると何か不都合があるのか?」
「いえ。そのような事はありませんが…」
明らかに迷惑がられている。っていうかこいつはなんでさも当たり前かのように俺の名前だしてんだよ!
アベルの態度に賢人会の人達も困惑してる。でも、バレたからには挨拶した方がいいよな。こういうかしこまった場所は好きじゃないのに…
「えっと、ナツキ・スバルです。申し訳ありません、お邪魔しちゃって…」
「何故謝る? 貴様を連れてきたのは俺だ。堂々としていればいい」
「そんな事出来るわけないだろ…! あのな、俺はこう見えてもエミリアの騎士なんだから──」
「お、落ち着いてくださいお二人とも。 スバル殿も同席してもらって構いません。陛下の意向ですので」
「え、あ、すいません…!いつもの癖で…」
(((いつも皇帝陛下にこの態度なのか……)))
賢人会の全員が同時に同じことを思ったことだろう。しかし、それを口に出す馬鹿は誰一人として居なかった。
スバルはと言うと、ここでの立ち振る舞いでエミリアの王選に影響が出るんじゃないかと気が気じゃなかった。
一方アベルは、内心焦っているスバルを横目に、改めて賢人会へ視線を戻すと退屈そうに腕を組む。
「して、用件はなんだ」
「あ、ああ。話が逸れてしまいましたね。 用件なのですが、暴食の件です」
「ほう。 続けろ」
「コホン。 此度は王国が取り逃した暴食を討伐してくださり、帝国にはなんと御礼を申し上げれば良いのやら」
「そんな事か。 確かに取り逃したのは王国の失態だが、彼奴ら魔女教徒を名乗る連中は世界の敵である。 今回の件を反省しているのであれば、次から捕虜になどせず確実に殺すことだ」
「返す言葉もこざいません。 つきましては、帝国へ何か御礼をさせて頂きたい」
アベルの言葉に頷き、目を伏せた老人の一人が片目を開けてアベルを見据えた。 スバルはそこでようやく何故アベルがこの場に呼ばれたのか理解した。
つまり、暴食を取り逃した王国の失態を揉み消そうとしているわけだ。 理由はそれだけじゃないはず、それにより帝国に被害が出ていればアベルが黙っていないと思ったのだろう。
事件の詳細は明かされていない。みんなが知っているのはただ暴食が討たれたということだけ。アベルをこの場に呼び出したのも、言うなればアベルが怒ってるかどうか見極めるためだろう。
「くだらぬ。 余の話を聞いていなかったのか? 魔女教徒は世界の敵だ。故に帝国は国に入った異物を取り除いたに過ぎない。 それを世論がどう判断するかは余の知る限りでは無い」
「しかし……」
「くどいぞ。 それとも、貴様らは戦争をご所望か? 停戦の親書は貴様らの行動次第で燃え尽きることをゆめゆめ忘れるな」
「……皇帝陛下の寛大な対応に感謝申し上げます」
「話は終わりか? 実に下らん。行くぞ」
「え?お、おう」
スバルは終始置物だったが、重苦しい空気の流れる会議室を後にしてアベルの背中を追う。
それにしても意外だったな。くれるって言ってるんだから貰えば良かったのに。 政治のあれこれは複雑でスバルは苦手だ。アベルはその点そういったことに慣れてるし、多分賢人会の人達がしないといけない事をしてるのもわかる。
「大変なんだな、偉い人達は」
「たわけ。 エミリアも貴様の言う偉い人になるのだろう」
「あ、そっか」
エミリアが偉そうにしてるのはあんまり想像できないけど。
スバルの反応にアベルはため息をつく。
「呆れたな。 まるで自覚が足りない」
「だって…エミリアたんが難しい顔してあれこれ考えてる姿想像できないもん」
「できずともやらねばなるまいよ。 もっとも、エミリアの場合はそれが出来ずとも民を束ねる才能が他にあるがな」
「うんうん。 エミリアたんがみんなに支えられて、支えて王様やってる姿は容易に想像できるぜ」
エミリアは一人で全部考えたりするよりみんなを巻き込んで一緒にやる方が似合っていると思う。アベルとはまるで真逆だが、俺はそういう政治の方が好きだ。
そうこうしている内にいつの間にか正門に着いていた。 城を出てから、そういえば俺なんで付き添わされてるんだっけ?と疑問に思う。
「用事終わった? 俺もう帰ってもいい?」
「は?」
「え?」
そう口にすると何故かアベルにめちゃくちゃ睨まれる。 スバルは訳が分からず混乱する。
「ああ、セシルス見つけに行くんだっけ」
「いや…」
「違うのかよ!?」
「今から探しに行っても日が暮れる。 心配せずとも彼奴は死なん。 飽きればその内帰ってくる」
「アイツまじで見た目に反して中身は子供だよな…」
ってか王都をブラついててラインハルトとかユリウスに会わないといいけど。 あ、これフラグか?
自分で考えておいて何故か絶対そうなる気がする。そうなれば必然的に見つかるからまあいいか。 ん?待てよ? じゃあ俺はこれから何するんだ?
「それじゃあ俺は何を…」
スバルが顔を上げると、こちらに右手を差し出すアベルが目に入る。 デジャブだ。
その行為の意味が分からず首を傾げていると、アベルが仕方ないなと言わんばかりにため息をつき、
「仮にも貴様は騎士であろう。 ほれ、俺をエスコートしてみせよ」
「ええ…それならラインハルトとかユリウスに頼んだ方が絶対いいぞ…」
「それでは意味が無いからこうして貴様に頼んでいる」
意志を曲げないアベルの視線に、スバルは数秒考える素振りを見せ、それから渋々アベルの手を取った。
アベルはそんなスバルに満足気な顔をした。 その顔を見て、スバルは早速自分の選択を後悔し始めていた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ほんとに俺、あんまり有名な観光名所とか知らないからな」
「構わぬ。元よりその様な場所に連れて行けとは言っていない。貴様が普段行く場所に連れて行け」
城内を出てからは変装用のフードを深く被っているアベルの隣を歩きながら、「普段行く場所〜?」とスバルは暫く考えてレムやラムと買い出しに来る時に行く場所やベアトリスやエミリアと遊びに行く場所をちらほら思い出す。
「あるにはあるけど…多分お前は行っても面白くないぞ?」
「連れて行け」
「ええ…絶対もっと良さそうなところ調べた方が…」
「くどい。 早くしろ、俺の時間は貴重だぞ」
「はいはい、仰せのままに」
今日のアベルはなんだか変だ。でも、アベルの意志は固い。別にアベルがいいならスバルに断る理由もないので素直に案内することにした。
初めに来たのは、衣類やアクセサリー等が売っているお店だ。ここにはよくレムと買い出しに来る。 エミリアたんはああ見えて結構色んな集まりに行かなければならない立場なので、その為の衣装やアクセサリーをその度に買い直さないと行けないのだ
「服を着回せないって、ほんとに面倒臭いよな社交界は」
「エミリアもこの先何百とそういった場に顔を出す事になる。 そうなれば嫌でも慣れるであろうよ」
「そういえば、お前はずっと同じ服じゃん」
「国を代表する身であるならば、一目でそうだとわかる服装の方が好ましい。故にエミリアも王になればそのしがらみから解放されるな」
「へえ! あ、でもそれなら毎回どの服を着ていくか悩むエミリアたんの姿が見れなくなるのか。ちょっと残念」
「まだまだ先の話だ。 それに、そもそも王選を勝ち抜かなければ意味が無い」
「ま、それはそうな」
スバルはアクセサリーに目を向けながらアベルの言葉に耳を傾ける。 アベルも別の商品に目を向けている。
ここはロズワール御用達の超一流の物ばかり取り扱う所謂お金持ちが来るお店なので、スバルは商品を傷付けたりしそうで少し苦手だ。 でも、こうやってキラキラした宝石みたいなアクセサリーを眺めるのは好きだ。 触れるのは怖くて少し離れた所で見てることしか出来ないけど。
だから、服を選ぶのもアクセサリーを選ぶのも毎回レムで、スバルは後ろから良いと思ったものをレムに伝えることしか出来ないでいるのだが。
すると、そんなスバルの目を引くアクセサリーを見つける。それはネクタイピンだった。 エミリアの騎士とは言え、普段は屋敷で働いたりしてるので、使用人服の時に着けているネクタイにちょうどいいな、なんて軽い気持ちで値段を見た。
「せっ…聖金貨三十枚…?!」
思わず大きい声が出そうになるのをグッと我慢するが、その馬鹿みたいな値段にスバルは慌ててその商品から距離をとる。
いや、今まで怖くて商品の値段見ないようにしてたけど。 え?ネクタイピンでこれって、他の商品どんだけ高いんだよ…
スバルは改めて恐ろしさを再認識し、やはり二度と商品には触れないようにしようと心に誓う。
そして、もうそろそろここを出ようかとアベルの姿を探そうとした瞬間、先程スバルが見ていたネクタイピンを誰かが手に取る。
スバルが驚いて視線を手の主に向けると、なんとあろう事かそれはアベルだった。
「ばっ…! お、お前それ! 聖金貨三十枚だぞ!?」
「なんだその呼び方は。…ネクタイピンか。欲しいのか?」
「は? いやいや、別に欲しいとかじゃなくて、ただ普段使ってるネクタイに似合うかなと思って見てただけ──」
「そうか。 おい、これを一つ買う」
「?!?!」
「はい。かしこまりました。お預かり致します」
アベルはスバルの言葉の途中で店員にネクタイピンを手渡す。スバルはそのアベルの行動に口をポカンと開け放ち、そんな即決するほど気に入ったのか…?と、スバルとは程遠い金銭感覚のアベルに目を丸くする。
暫くしてアベルの会計が終わるのを少し離れた所から見守っていると、漸く終わったようで綺麗に梱包された商品を持ったアベルが帰ってくる。
「おかえり。 めっちゃ即決で買ってたけど、そんなにそれ気に入ったのかよ?」
「俺用に買ったのではない。 欲しかったのだろう」
「?」
アベルがそう言いながら梱包された商品をスバルの方へ差し出してくる。 アベルが何をしたいのか分からなかったが、恐らく荷物持ちをしろということだと思うので呆れながらも素直に受け取る。
「案内だけじゃくて荷物持ちもさせるのかよ」
「何を言っている。 貴様の荷物なのだから貴様が持つのは当然であろう」
「は?俺のじゃなくてアベルのだろ?」
「どこまでも鈍いな貴様は。 俺から貴様への贈り物だと言えば理解できるか?」
「え…? は……はぁ?! 何言ってんだお前!? 受け取れる訳ねぇだろこんな高い物!!」
スバルはアベルの言葉に目を見開いて、慌ててアベルに商品を押し返す。しかし、アベルは受け取らずに、腕を組む
「要らないなら捨てればいい」
「ばっっかなのお前?! 捨てれる訳ないだろ!! これ、聖金貨三十枚もするんだぞ?!」
「それがなんだ」
「だからっ…! 〜〜〜っ! もうほんとに…お前ってやつは…」
スバルが額を抑えてため息をつくと、アベルは眉を顰める。 皇帝にもなるとやっぱりスバルとは金銭感覚がまるで違うらしい。 それでも、これはアベルが厚意でくれたものだ。
「…ありがと、お前がいいなら有難く頂戴するわ」
「ふん。最初から素直にそう言えばいいものを」
「あのな! 普通こんな高価な贈り物、特別な日でもない日にプレゼントしたりしないの! そこら辺、覚えといた方がいいぞ」
「高価、か。 この程度の物が?」
「ほんとにお前そういうとこだぞ?! あーもー、わかった。 ちょっと着いてこい!」
「引っ張るな。不敬であるぞ」
文句を弛れるアベルを無視して次のお店までアベルを案内する。 お店と言っても、出店だが。
お目当ての店に着くと、アベルに待つように言ってスバルが欲しかった商品を二つ購入する。店主からそれを受け取り、アベルの元に戻る。
「はい、これ」
「…なんだこれは」
「ハンバルガーだよ。 って言っても俺の地元のヤツとはちょっと違うけど」
「はんばるがー…」
「まさか食べたことないのか?!」
スバルからハンバルガーを受け取ったアベルがハンバルガーを凝視しながら動きを止める。スバルはそんなアベルに嘘だろ?!と目を丸くする。
アベルはその反応にムッとしてスバルを睨む。どうやら図星らしい。
「まじかよ。 そう言えばお前、リンガの色も知らなかったしなあ」
「いつの話をしている。 過去のことを引き出すとは、器の小さい男だ」
「過去ってほど前でもなくない?! ってか酷い言われようだな!」
機嫌の悪くなったアベルからマシンガンのように嫌味が飛んでくる。スバルはそれに苦笑いで返しながらも、多分食べ方が分からないのかハンバルガーとにらめっこしてるアベルに思わず笑みが溢れる。
「あはは! ほら、ハンバルガーはこうやってかぶりついて食べるんだよ」
「…こうか」
「そうそう! 美味いだろ?」
そういうと躊躇いながらもハンバルガーにかぶりついたアベルに、スバルがそう聞くと、アベルは驚いたように目を丸くするとすぐにいつものように無表情に戻る。
「悪くない」
「そうだろ? 俺も好きでたまにベア子と来るんだよ」
アベルの言葉に満足したスバルは残りのハンバルガーもむしゃむしゃ食べてあっという間になくなってしまう。 一方アベルはまだハンバルガーにかぶりつく仕草がたどたどしいせいでスバルよりも食べるのに倍の時間が掛かっていた。
「あー、美味しかった。 たまにはこういうのも悪くないだろ?」
「そうだな。……スバル、少し止まれ」
「んぇ? なに──」
突然名前で呼ばれて素っ頓狂な声で振り返ると、アベルの指先がスバルの口元を拭う。 スバルがそれに驚いて目を丸くしていると、アベルは指先が離れていき、スバルは遅れてさっきのソースがついていたのだと気づく。
そうしてスバルが感謝を伝えようとした瞬間、アベルがスバルの口元から拭ったソースをあろう事か舐めた。
「は?!」
「行儀の悪い男め。 次からは気をつけよ」
「いやいや、何してんだお前!」
「何とは? 貴様の不始末を代わりに処理しただけだが」
「な、なな、舐める必要はなかったよね?!」
「…そんなことか。 なんだ、恥ずかしいのか?」
「はっ…べ、別に恥ずかしくねーけど?!」
「なら無駄に騒ぐでない。 時間の無駄だ」
スバルはプライドが邪魔して思わずそんな事を言ってしまう。 そんなスバルに、アベルは一瞬ふっと笑ったかと思えば、すぐにいつもの毒舌に戻ってしまう。
そんなアベルにスバルはぐぬぬ…と押し黙り、諦めてため息をつく。
それから、日が暮れる時間まで王都を案内して回ったスバルは、最後に王都を一望できる場所へとアベルを案内した。
登り終わる頃には太陽の光はすっかりなりを潜め、代わりに月が夜の空を照らしていた。
「ほら、綺麗だろ? ここが俺の一番のおすすめスポット!」
「ほう、悪くないな」
「だろだろ?! ここから見える王都の街並みが俺は好きなんだよ!」
珍しく肯定的なアベルの意見にスバルは嬉しくなって興奮気味にその良さを語る。 街を指差しながらあれはこの間エミリアと行ったところで、あっちにあるのはこの間ベアトリスとペトラと一緒に見に行った人形屋で、なんて説明していると、不意に隣から「ふっ」と声が漏れて聞こえる。
スバルがハッとして視線をアベルへ向けると、アベルは街じゃなくてスバルを見ていて、視線が合う。
「どうした。 続きはないのか?」
「え…えっと。 そ、そう。あっちの方はこの間オットーとガーフィールが…」
首を傾げるアベルに、スバルはそのまま説明を続けようとするが、途中で言葉が止まってしまう。 そんなスバルに不思議そうに眉を顰めるアベル。
スバルは、暫く悩んだ末に、やっぱりハッキリさせないとダメだと思い、アベルへ向かい合う。
「あ、あのさ…」
「なんだ」
「その……」
スバルは一度深呼吸して、改めて顔を上げる。
「アベルって、もう俺の事好きじゃないんだよな…?」
「………」
「いや、その。 名前も戻ったし、やっぱり勘違いだったんだよな? あの後なんの連絡もなかったし…」
「…でも、なんか今日のアベルの様子がおかしいっていうか…それに、なんだかこれって」
「『でーと』みたい」
「そうそう、まるでデートみたい……って、え?」
「呆れたな。ここまであからさまに行動に移してもまだ気付かぬとは」
アベルの言葉を肯定しようとして、スバルは目を丸くする。
な、なんでアベルがデートなんて言葉知ってるんだ? この世界にはない言葉の筈じゃ…
「よく聞け。 平素であればこの様な特別扱い、他の者にはしない」
「えっ?じゃ、じゃあなんで…」
「わからぬのか」
アベルの真っ直ぐな視線に射抜かれ、スバルは押し黙る。
わかってる。でもわかりたくない。 アベルを傷つけたくないから。スバルが答えを出せば、この関係は終わってしまうかもしれない。
スバルが何も言えずに下を向くと、アベルの手がスバルの顎を掴まえ、無理やり上を向かされる。 アベルの瞳は逃げることは許さないと言っているようで、スバルは思わず目を閉じる。
尚も逃げ続けるスバルに、アベルは舌打ちする。 そのままこの時間が終わるのを待っていると、唇に柔らかい感触がして、スバルは思わず目を見開く。
至近距離でアベルと目が合う。アベルはそんなスバルに満足したのか顔を離し笑った。
「なんだ。 可愛らしく目を閉じていたので誘っているのかと思ったが」
「ちっっがうだろ!! 馬鹿なの?!」
「馬鹿は貴様だろう。…やっとこっちを見たな」
「あっ…」
思わず反抗したスバルは、勝ち誇るアベルに顔を赤くしてまんまと騙された事実に気づく。
なんでアベルはこんなに余裕そうなんだ。ムカつく。 俺はこんなに振り回されてるのに。
そこで謎の対抗心が湧いてきたスバルは、余裕そうなアベルの表情に、ある事を思いつく。
「──アベル」
「なん…」
アベルが言い終わる前に、アベルの胸倉を掴んでアベルの唇を奪う。 スバルが片目を開けてアベルの様子を伺うと、アベルは驚愕に顔を染めていた。
スバルはそれを見届けて満足して手を離す。 すると、アベルは口を抑えて下を向いてしまう。
「はっ! 見たか! 俺だってやる時はやるんだぜ」
「………」
「おいおい、悔しくて声もでな──」
スバルが何も言わないアベルに、完全に勝った…!っと腕を組みながら誇らしげな顔をしていると……
「もがっ!」
伸びてきた腕に頬を鷲掴みにされ、そのままお返しだと言わんばかりにアベルが唇を重ねてくる。スバルは抵抗しようと試みるが、両手も片手で拘束されて頭の上に固定されてしまった。
そのまま壁際まで追い詰められたスバルは逃げることもできずアベルを睨んでいると、急に口内にアベルの舌が侵入してくる。
「?!」
急な変化に目を丸くするが、すぐに心臓が爆発しそうなほどバクバクし始め、口内を自分以外の舌が蠢く感覚に酔う。
これは所謂大人のキスと言うやつか。まだエミリアたんともしたことないのに!
悔しさと恥ずかしさと気持ちよさで頭がだんだんぐちゃぐちゃになって、もう何も考えられない。いつの間にか涙目になっていた瞳から一筋の涙が頬を伝う。
すると、アベルは動きを止めて顔を離す。スバルがぜぇぜぇと肩で呼吸しながら恐る恐る目を開ける。
まだ至近距離にあったアベルの顔は何故か怒っていて、スバルは震えながら「あ、アベルさん?」と顔を引き攣らせる。
「煽ったのは貴様だ」
「ギャー!ごめん全然そんなつもりなかったん……ってどこ触ってんだ馬鹿野郎ー!」
「暴れるな。手元が狂う」
「なら手止めて?!」
スバルが思わずそう叫ぶと、何故か目の前の男はくつくつと笑い始める。スバルがそれを疑問に思い首を傾げると、アベルは愉快そうに笑いながら言った。
「本気で嫌なら何故それをしない?」
「え? そ、そんな事したらアベルが危ないし…」
「ならば、貴様は同様の理由で俺以外に襲われても同じことを口にするのか?」
「そ、それは……」
確かに、言われてみればもし相手がアベルじゃなくて知らない赤の他人だったら、スバルは間違いなく即座に実力行使する筈だ。
アベルにその事実を指摘されて初めて、スバルは自身の気持ちを自覚して思わずアベルから顔を背ける。
「ぁ…」
「…はっ」
アベルはスバルの表情に恍惚とした表情を浮かべ、もう一度顔を真っ赤にしながらいやいやと首を横に振るスバルの唇にキスを落とす。
そして、羞恥で目を潤ませるスバルに、アベルは心の底から湧き上がる激情に震えながら、思った。
嗚呼、つくづく、世界は俺の都合のいいようにできている!
終わり。
もう、ほんっとに大好きです。 テンチャさんのアベスバが一番すきです!!