雲仙・普賢岳の大火砕流から35年、中学生だった遺族「父の年を超えてしまったが」…変わらぬ思い抱え慰霊
長崎県雲仙・普賢岳で1991年に発生した大火砕流から3日で、35年となった。43人が犠牲になった被災地では追悼行事が営まれた。 【写真】度重なる火砕流や土石流に見舞われた島原市と深江町(現・南島原市)(1993年9月)=国土交通省雲仙砂防管理センター提供
大火砕流が発生した時刻の午後4時8分には、犠牲となった消防団員らが詰めた同県島原市の「北上木場(きたかみこば)農業研修所」跡地で遺族らが、市のサイレンに合わせて黙とうをささげた。跡地では、亡くなった消防団員の山下日出雄さん(当時37歳)の長男で、同市立第一中教頭の譲治さん(48)が遺族を代表し、慰霊のための鐘を鳴らした。
35年前に中学生だった譲治さんは「父の年を超えてしまったが、何年たっても、あの日に父がいなくなったことの大きさは変わらない。なぜ父が亡くならないといけなかったのかという思いは、今もついて回る」と振り返った。
2男1女に恵まれた譲治さんは「災害を知らない世代が増えた。島原に住む者として、火山災害があることと、備えることを教えていかないといけない」と力を込めた。日出雄さんの妻・睦江さん(70)は「記憶を風化させない難しさも感じる。孫たちに夫のことを話し、家族として継承したい」と述べた。
報道陣が取材拠点としてカメラを構えた被災現場「定点」では、設けられた三角すいのモニュメントの前で手を合わせる人の姿が見られた。
普賢岳は90年11月に198年ぶりに噴火した。91年6月3日の大火砕流では、消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった。93年6月に起きた火砕流でも住民1人が亡くなり、96年6月に終息宣言が出された。