その日はたまたま用事があり王都に来ていた。
レムから頼まれていた買い出しを終わらせ、メモ用紙を確認する。
「これとこれは買ってあるな。…あれ?これはどこ入れたっけな」
「──おい」
買ったものを確認していると背後から声をかけられ振り返る。
そこにはフードを深く被った男が立っていた。
声をかけられたと思って振り返ったのだが、一向に男は話し始めないので、勘違いだと思いそのまま振り返り歩き出す。
「おい、何処へ行く」
「えっ。やっぱそれ俺に言ってる?」
「他に誰が居る」
やっぱりスバルに話しかけていたらしい、それにしても随分と上から目線な男だな。
スバルは明らかに怪しい男に警戒心を高める。
「俺に何か用?」
「……」
「なんで無言? ……俺、忙しいから困り事なら別の人に頼んでくれ」
スバルは面倒なことに巻き込まれる気配を察知し、それらしい理由を口にしてその場から足早に離れようとするが、それよりも早くフードの男に腕を掴まれ強引に路地裏まで引っ張られる。
やっぱ不審者だった!と慌てて大声を出して人を呼ぼうとしたところ、背後からフードの男に口を塞がれる。
「もがっ」
「──黙れ。大声を出すな、他の者に気づかれる」
このままだと殺される!と口を塞いでいる掌に思いっきり噛み付くと、フードの男は驚いた様子で腕を離す。その隙に男から距離を取り体勢を立て直したスバルはフードの男を睨む。
「誰だお前! 何が目的だ!」
スバルは警戒心を高め、男から目を離すまいとスバルの噛んだ掌を抑え無言のまま立ち尽くす男を睨みつける。
──すると、舌打ちを零した男はフードを外し、素顔を露わにする。
「──え!?お前、まさかアベル?!」
「たわけ。何のためにこんな回りくどい事をしているか、その足りない頭で少しは考えたらどうだ」
そうしていつにも増して切れ味の凄い言葉のナイフを容赦なくスバルに浴びせてくるのは、帝国の皇帝でありスバルとは浅からぬ縁のある男だった。
まさか、フードの男がアベルだなんて夢にも思っていなかったスバルはこちらを睨み殺しそうな勢いで見てくるアベルに慌てて駆け寄る。
「俺も必死だったとはいえ手、大丈夫か?」
「これが大丈夫な様に見えるか?」
「見えないな!ちょっと待ってろ、さっきちょうど買ってきた包帯があった筈…」
知らなかったとはいえ、噛みちぎる勢いで噛んだ自覚のあるスバルは急いでアベルの掌に簡易的な治療をしていく。
アベルはされるがままにスバルの行動を黙って見守っていた。
「よし、包帯巻いといたからとりあえずは大丈夫だと思うけど。一応壊死する可能性もあるからフェリスに見て貰おう」
「…随分と手際がいいな」
「まあ俺自身がしょっちゅう怪我するのもあってな。ある程度の軽い処置ならできるようになっちまった」
アベルは自分の掌に巻かれた包帯をまじまじと眺め、そう評価する。その評価にスバルは今までの経験の証だと事実を伝えればアベルは呆れた様子で溜息をついた。
「呆れた男だ。まあよい、それよりも治療術師の所へ行く必要はない」
「は? なんでだよ。ってかそもそもなんでお前がここに居んの?」
「…少し野暮用でな」
「へー。お前一人でって訳ではないよな?」
「当然だ。護衛にはセシルスを付けていた」
「…過去形なのはなんでですかね」
「…まさか、彼奴がこれ程まで命知らずとは思わなんだ」
「──つまり、護衛としてセッシーを連れてきたはいいものの、肝心のセッシーが迷子になったと…」
スバルの言葉をアベルは無言で肯定する。
確かに、セシルスは帝国一腕の立つ剣士であると言えるが、性格に癖があるのもまた事実。
「他の護衛は?」
「彼奴だけだ。護衛を何百と付けることは可能だがそれではわざわざ忍んで来ている意味がない。だが、あれを護衛に選んだのは間違いだったな」
「お忍びだったのかよ…確かに変なフード被ってたもんなお前。ってかあれ?さっき普通に謝っちまったけどこれ俺悪くなくない?」
スバルは改めて先程の状況を思い出し目の前でふんぞり返っている男に抗議の視線を向ける。
しかし、アベルは何食わぬ顔で言った。
「何を言っている。現象証拠だけを見れば貴様が加害者である事実は明白であろう」
「この現状だけを見ればね?! まずお前が俺に…」
「証拠があるのか?」
「ぐっ…それは無いけど…でも!」
「貴様と俺の身分の差を考えろ。第三者がどちらの意見を真と置くかなど、確かめずとも明白であろう」
アベルの言っていることは暴論だが一理ある。アベル直々にルグニカに足を運ぶほどだ。余程重要な用事がルグニカにあるに違いない。
つまり、現状ルグニカにお呼ばれしたヴォラキア帝国皇帝陛下を、一介の騎士でしかないスバルが襲ったという紛れない現実だけが残っているという訳で…
「……エミリア達なら信じてくれるし!」
「それこそ、あの娘も貴様の共犯だと思われ王戦は苦戦を強いられることになるであろうな」
「うっ… なんだ!何が望みだ!」
「セシルスの捜索を手伝え。あれは存在するだけで面倒を呼ぶ。厄介事を持ち込まれる前に回収せねばならん」
「…それくらいなら」
スバルはまんまとアベルに丸め込まれた様な気がして若干不服だが、アベルの気が変わらない内にさっさと済ませてさっさと屋敷に帰ろうと自分の運の無さに溜息を吐く。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──それで?なんか目星とかないのか?」
「ない。そも、王国に足を運んだ記憶も片手で数える程の俺に心当たりなどあると思っているのか? なんのために貴様を嵌めたと思っている」
「今嵌めたって言った?! 言ったよな?!」
とりあえず路地裏から出て大通りを二人で歩く。アベルは身バレ防止のためフードを深く被っているが、その言葉の鋭さと傲慢さはフードでは隠しきれないらしい。
「喧しい。それ、さっさと王国の中で彼奴が行きそうな所へ案内せよ」
「そんなこと言われてもなあ。武器屋さんとか?」
「無くはないが。あれは自分の愛刀を酷く気に入っている、そこらの半端な店に居るとは思えん」
「そう…じゃあ噴水のある広場!ヴォラキアには噴水ないだろ? 珍しさにセシルスもそこに居るかも!」
「ふむ…」
アベルも特に異論無いようだ。暫く歩くと、二人は噴水のある広場へと着く。
「ここも懐かしいなあ…」
「何か思い入れでもあるのか」
「俺の生まれた場所みたいなもんなんだよ」
思い返せばスバルの異世界生活はここから始まったのだ。そう考えるとスバルにとって始まりの場所とそれらしい呼び名を付けるのにうってつけの場所だ。
「生まれた…?」
一方、アベルはスバルのその呟きに訝しげな顔を見せる。
「ああ、別にほんとにここで生まれた訳じゃないぜ? 俺にとって始まりの場所みたいなもんなんだよ」
「…まさかとは思うが、俺を貴様の思い出巡りに付き合わせてはいまいな?」
「そんな訳ねぇだろ! でも、ここには居ないかぁ」
スバルは辺りをぐるりと一周見渡すが、それらしい人影は見当たらない。
セシルスは全体的に青っぽいので居たらすぐ気づくと思うのだが。
「…無駄足だったか」
「はいはい、悪かったって」
アベルはあからさまに目を細めると、暫く視線を噴水へと向けていた。スバルは何かに目を奪われるアベルが珍しくついついからかってしまう。
「何お前、まさか噴水に心奪われてんの?」
「顔が喧しいぞ。──帝国には無い技術だったのでな」
「まあ、帝国にこんな華やかな噴水がある所なんて想像つかねぇな」
そう伝えるとアベルは噴水から視線を外しつまらなさそうに呟いた。
「帝国には必要のない物だ。俺の国にこのような創作物を眺め楽しむゆとりなどないからな」
「ふーん…でもいいじゃん。王国には王国の、帝国には帝国の生き方ってのがあるんだから。比べるもんでもないだろ」
スバルは自分の意見を何となく口にすると、アベルは少し驚いた様にスバルを見つめた後、はっと鼻を鳴らした。
「…ここはもうよい。さっさと次へ案内しろ」
「はいはい。あ、その前に一個寄りたい所あるんだけどいい?」
すると、アベルはあからさまに嫌そうな顔をする。しかしスバルはそんなアベルを無視して歩く。
「別に嫌ならそこで待ってていいよ。すぐそこだしぱぱっと帰ってくるから」
「……早く済ませろ」
「え? 行きたくないんじゃなかったのか?」
スバルはそれだけ言い残し踵を返して歩き出す。すると、何故かアベルも後ろを着いてくる。
だから待っててもいいって、と再度促すが聞く耳を持ってもらえない。
「いや、着いてくるなら着いてくるで別にいいけど…」
もしかするとアベルはスバルを体のいい護衛かなんかだと思っているのかもしれない。確かに広場に一人皇帝様が待ちぼうけってのも危ないか、と気にせず歩みを進める。
「久しぶりだなおっちゃん」
「──あ?おお、兄ちゃんじゃねぇか。今日は珍しく一人か?」
「いんや連れがいる。レムは今日は屋敷で留守番だ」
スバルの寄りたかった所とはリンガ売りのおっちゃんことカドモンの所だった。
理由は先程メモを確認していたらリンガを買うのを忘れていたようだったので、忘れない内に買い足しておこうという算段だ。
「おお!そこのフードの兄ちゃんか! それで今日はリンガ何個だ?」
「ああ、三…いや、四つ貰えるか?」
「まいどあり! ほらよ、メイドの姉ちゃんにもよろしく伝えといてくれ」
「おう!サンキューな!」
スバルは支払いを済ませリンガを受け取る。そしてそのままさっき居た噴水まで引き返し、噴水の縁へ座る。
「おい…何を呑気に座っている。ただでさえ貴様のせいで時間を食われたのだぞ。一刻も早く別の場所に……」
「そんなこと言ったって俺お前に捕まったせいで昼食いそびれたんだよ。俺に会う前からセッシー探してたって事はお前も昼まだだろ?ほら、リンガ一個多めに買ったからお前にも半分やるよ」
スバルは二つに割ったリンガをアベルに差し出し座る様に促す。しかし、アベルは眉間に皺を寄せ、スバルを睨む。
「一食抜いた程度で人は死なん。今優先すべきは彼奴の捜索だ」
「この広い王都を俺ら二人で? 手がかりもなくセッシー程の自由人を今日一日で見つけるのは流石にキツくないか?真面目に探さなくてもあいつの事だからケロッとした顔で戻ってくるだろ」
すると、アベルは深いため息をつき渋々といった様子で隣に座ってくる。
この諦めの速さを見るにアベルも相当疲労が溜まっていたのだろう。ただでさえ、いつ命を狙われるかも分からない状況で肝心の護衛が居なくなってしまっては焦る気持ちもわかるが、今は傍にスバルがいる。
「ほら、食べれる時に食べといた方がいいぜ。 それにほら、毒味なら俺で実食済みだから安心だろ?」
そう言うとスバルはリンガを齧ってアベルに見せる。するとアベルは無言でスバルの掌からリンガを受け取るとしゃり、と音を立てリンガに口を付ける。
「美味いだろ」
「…悪くない」
「またそういう言い方する」
こうやって二人でリンガを齧っていると嫌でもあの日の光景が目に浮かぶ。アベルも同じことを考えていたのか齧ったリンガを感情の読めない瞳で眺めていた。
「──あの日、貴様はリンガを分かったあの場で俺に言ったな。運命とは戦えると」
「言ったっけか、そんなことも」
「……貴様はそれを証明して見せた。 今では来たる『大災』を討ち滅ぼし帝国を救った英雄などと称されている」
アベルはそこまでで区切ると、齧った部分が茶色掛り始めたリンガに目を細め、もう一度口にする。
「俺は英雄は好かん」
「…もしかして遠回しに俺の事嫌いって言ってる?」
「さあ、どうだろうな」
スバルは答えをはぶらかすアベルにまた始まった、とリンガを齧る。すると、思ったよりも果汁がでてきて吸いきれなかったそれが腕を伝う。ベタベタして気持ち悪い。
「俺は英雄は好かん。だが、貴様を英雄などと思ったことは一度もない」
「え?」
「あの日、運命に抗い戦場の前線で命を懸けて戦った騎士に、何も知らぬ凡夫達が寄って集って英雄などと、反吐が出る」
アベルの正確な表情はフードに隠れていてよく見えない。しかし、その声音は低く、酷く怒っている様子だった。
スバルはアベルの様子に驚き果汁を拭くのも忘れて唖然とその場で口を半開きにしてしまう。
「俺の知るナツキ・スバルという男は英雄の器などではない。頭が悪く剣の才能も無ければ魔法の才もない。感情的ですぐ怒りすぐ泣く」
「え? おま、何突然罵倒浴びせてくれちゃってんの?! さっきまでのいい雰囲気はどこに…」
「──然し、言ったことは守る男だ」
「は? どういう……」
「勘違いのない様に言っておくが貴様とて普通に約束は破る。エミリアと精霊の娘から聞いたが、貴様は約束破りの常習犯であるようだな」
「な…!そ、それは。 否定できないけど…」
「…俺の言った、『言ったことを守る』とは物事に置いて重要な場面での貴様の発言の話だ」
アベルが何を言いたいのか分からずスバルは首を傾げる。
しかし、アベルはリンガに向けていた視線をスバルへ移し、探るような目でスバルの瞳を射抜いた。
「貴様は言ったな。俺は星詠みでは無いと」
「言ったね」
「貴様は只人だ。しかし、只人に見合わぬ戦果と功績を貴様は挙げ続けてきた」
「…そのどれも、みんなの力あっての戦果と功績だよ」
「然し、貴様無くば成し遂げることが叶わなかったのも事実だ」
スバルはアベルの尋問のようなそれに耐えきれず顔を背ける。
しかし、アベルは尚もそんなスバルから視線を外さずに続ける。
「──星詠みでないのなら未来視の類か…いや、違うな」
「…アベル?」
「加護の類でもない…貴様の言っていたことは全て的を得ていた。何度も不可避の攻撃を予測し一瞬にして最善の処置を講じていた…まるで…」
アベルはそこまで言うと目を見開き何処か納得した様な、それでいて馬鹿げているとでも言いたげにスバルに其の揺れる瞳を向ける。
スバルは、そんな馬鹿な。とアベルの思考に唖然とすることしかできなかった。
アベルはヴォラキア帝国始まって以来の賢帝と言われる程の頭のいい男だ。それはスバルも知っているし、知り合っていく中でアベルは頭が良い奴という印象はあった。
「未来視ではない。もっと直接的な…そう、まるで結末を知っているかのような…」
「…ダメだ。やめろアベル…それ以上は…」
「──ああ、そもそもが逆なのか」
確信をつくようなアベルの言葉に、スバルは全身に鳥肌が立ち、その先を続けようとするアベルにはっとして顔を上げる。
「貴様は…」
「待て!それ以上は駄目だ!」
慌ててアベルの口を塞ごうと持っていたリンガが地面に落ちるのも構わず掌でアベルの口を抑える。
死に戻りを明かすことにはペナルティが伴う。
そのペナルティのせいで人が死ぬ事もスバルは知っている。それ故にそれ以上をアベルに言わせる訳にはいかない。しかし、アベルはスバルの掌を忌々しそうに見ると目を細める。
スバルはアベルの目線を無視し、どうやって言い訳しよう。と、そればかり考えていた。
──しかし、スバルは気づいていなかった。スバルの咄嗟の行動が、アベルの仮説を肯定するには十分すぎることに。
(……嘘だろ、こいつどんだけ頭いいんだよ。まずいまずいまずい。とりあえず何とか言い訳を考えねぇと──)
スバルがアベルの口を塞いだのをいいことに呑気に言い訳を考えていると、アベルの口を塞いでいた掌に突然生暖かい感触を感じ、驚いて手を離す。
「?!」
「──甘いな。リンガの果汁か」
スバルは何が起きたか理解出来ず、ばっとアベルに視線を向ける。すると、そこにはつまらなそうな顔で唇を舐めているアベルの姿があった。
「今、俺の手舐めた?」
「ああ」
「…なんで」
「何故だと? 貴様が俺の言葉を無視し何やらつまらぬことを考えていそうだったのでな」
「だからって舐める?普通」
「口を塞いでおいて口頭で伝えろと駄々をこねるか、貴様」
アベルは目を細め呆れた様子でスバルにそう問うてくる。
アベルにとってそれがなんでもない行為でもスバルは変に意識してしまうのだ。
スバル目の前の男の無駄に整った顔を睨む。顔のいい男は嫌いだ。何をやっても様になるし女の子にモテるし、何よりスバルの心臓に悪い。何故、スバルの周りにはこうも美形ばかり集まってくるのだろう。
「やっぱり俺、お前のこと嫌い」
「奇遇だな、俺もだ」
そう、つまらなそうにスバルの目線を受け取ると「馬鹿だな」とアベルの口から出たものとは思えないほど優しい声音でアベルがスバルに言った。
「貴様は馬鹿だ。身の丈に合わないことなどすべきではない」
「…なんの話だ」
「今更シラを切らずともよい」
そのアベルの言葉にスバルは息を呑む。
アベルにどこまで知られているのか、アベルがスバルの死に戻りについてどこまで理解したのかわからない。
何故、今更スバルの能力を暴く様な真似をするのか、アベルが何を考え今スバルの隣に座っているのか。
分からない。アベルとスバルの関係などその程度だ。そのはずだ、そうでなくてはならない。
なのに、目の前の男は勝手にスバルの心中を覗いてくる。その並外れた頭脳で、鋭い観察眼で、スバルの心を暴く。
──怖い。死に戻りを知られることじゃない。怖いのは、スバルが恐れているのは、
「ナツキ・スバル。貴様は……」
「──スバル!」
アベルが何事か言おうとした瞬間、スバルを呼ぶ声がしてアベルの言葉は掻き消される。
その事にほっと胸を撫で下ろし慌てて声のする方へ目を向ける。すると、そこには近衛騎士団『最優』とまで言われる男であり、不本意ながらスバルの友人でもあるユリウス・ユークリウスがこちらに向かって小走りで駆け寄ってきている所だった。
「ユリウス? なんでお前までここに…」
「お前”まで”?…いや、そんなことを気にしている場合では無い。急ですまないが、君の力を貸して欲しい」
珍しく緊迫した様子のユリウスにスバルはいつもの嫌味も忘れ心配そうに呼びかける。
「落ち着けよ。何かあったのか?」
「ああ、実は先程騎士団にセシルス殿が来てね。なんでも皇帝陛下を護衛中にはぐれてしまったとのことで、ちょっとした騒ぎになってしまっているんだ。このままでは国際問題になりかねないと騎士団総出で陛下をお探しているところなんだが…」
「……」
ユリウスの事情説明を聞きスバルは隣のアベルを見る。
アベルはその視線に片目を瞑ると目線を明後日の方向に向けた。
すると、アベルの存在に気づいたユリウスがはっとした様子でアベルを凝視する。実際にはフードを被った男を、だが。
「この方は…スバルの知り合いだろうか? 大変失礼致しました。部外者である貴方にまでこのような話を…それにしても、全く気配を感じなかったが…」
ユリウスはスバルの隣に座る男を怪訝な顔で見つめるが、直ぐに切り替え視線を再度スバルに向ける。
「とりあえずセッシーは具体的になんて言ってんの?」
「ルグニカに着いてすぐ物珍しさに街中を眺めていた所、気づいた時にはもう陛下の姿はなかったと」
「……」
「それだとアベルが迷子になったように聞こえるな」
「ああ、実際セシルス殿もそう言っていた。しかし、状況を考えれば迷子になったのはセシルス殿だと考えるのが妥当だろう」
ユリウスの言葉にアベルの纏う空気の温度が一気に下がる。
あの言い方ではセシルスが街を眺めていたらアベルがふらっと何処かに消えたと、あくまでも迷子になったのはアベルであるように聞こえる。
しかし、実際はセシルスが自由気ままに好奇心に従って動いた結果アベルはセシルスに着いていけず、離れ離れになったと先程説明されたが。
ヴォラキア帝国でアベルとセシルス、二人と言葉を交わしたことのあるユリウスもその事に気づいたようだったが。 二人を知らない騎士団の騎士がそれを聞いたらどう思うかなど一目瞭然な訳で…
「──おい、最優の騎士。今すぐセシルスの元へ案内せよ」
「申し訳ありません。セシルス殿は帝国の御仁でして、セシルス殿にお会いするには手続きが必要に……」
「手続きなら済んでいる。 三度目はないぞ、余を誰と心得る」
見ず知らずの男にもなんとも優雅な物言いで続けようとしたユリウスに、アベルはフードを外しもう一度強く命令する。
当然認識阻害のローブの影響で、まさか目の前の男が皇帝陛下とは夢にも思っていなかったユリウスは目を見開きばっとスバルの方へと振り向く。
「──なんだよその目は。王都歩いてたら偶然会ったんだよ。んでそのままセシルス探すの手伝ってた」
「本当に君と言う男は…ご挨拶が遅れて申し訳ありません皇帝陛下。 今すぐにセシルス殿の元へ案内致します」
「話が早いな」
その二人の内容を何処か他人事のように眺めていたスバルは、そのままアベルをユリウスに引渡しこれにてお役御免。と踵を返し屋敷へ戻ろうと歩き出す。
すると、後ろから二人の声に引き止められる。
「──おい、何処へ行くつもりだ貴様」
「え、何処って普通に屋敷に帰ろうかなと」
「スバル、君にも着いてきてもらう必要がある」
「は?なんでだよ」
「セシルス殿と離れていた間の状況を報告してもらわなければいけないからね」
「え〜、やだよ。俺は帰ってエミリアたんと夕飯食べるの! っていうか、そんなのアベルに直接聞けば……」
「くどいぞ。大体、報告云々の前に俺との話がまだ終わっていないであろうが」
行きたくないとスバルが駄々を捏ねていると、痺れを切らしたアベルがスバルの襟を掴み無理矢理引き摺られる。
その様子にユリウスが慌てて「皇帝陛下!」と駆け寄って来る。
助けてくれるのか!とユリウスのことを少し見直していたのもつかの間……
「閣下がそのようなことをされる必要はありません。スバルは私が責任をもって担いで行きますので」
「は?」
「気の利く男だ」
「は??」
スバルの意思はそこにはなく、あくまでスバルが連行されるのは確定事項らしい。
アベルは(勝手に)スバルをユリウスに引き渡すと、宣言通りスバルはユリウスに担がれる。
「は?! ちょ、降ろせ馬鹿ユリウス!!」
「スバル、暴れると落ちるぞ」
「だから降ろせって言ってんの!ちょ、嘘、まじでこのまま行く気か?!いやー!!わかった着いていくから、せめて降ろしてー!!」
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──お前ほんと死ね」
結局あのまま王宮までユリウスに担がれてきた。
街ゆく人達の視線が痛かった。まじで許さねぇ。
「ってか、もっと丁重に運べよ! 腰とか肩とか超痛いんだけど」
「君が暴れるからだろう…。ああ、それとエミリア様達には今日は王都へ泊まると連絡を入れてある」
「は?! 何勝手なことしてんだ!大体泊まるだけの金なんて俺持ってないけど?!」
「なら、ユークリウス家に泊まりに来るといい」
スバルが渡された小銭入れの中を確認していると突然そんなことを言われ、なんの冗談だよ。とユリウスを睨む。
しかし、ユリウスはキョトンとした顔をしている。嘘だと言ってくれ。
「ええ、お前とひとつ屋根の下とか死んでも嫌なんだけど…」
「何を今更。賢者の塔へ向かう道中何度も寝室を共にした仲ではないか」
「あーあー!聞こえない聞こえない!」
相変わらずなスバルの態度に、ユリウスは肩を竦めるだけで特に気にした様子はない。むしろ、少し嬉しそうだ。それはユリウスがスバルの性格を理解しているからだ。
スバルのこうした言い回しは今に始まったことでは無い。しかし、そんな二人の素直じゃない会話に突然斜め上の方から爆弾が投下される。
「──よい。それを巻き込んだのは俺だ。俺の部屋に泊める故貴様が気にする必要はない」
「えっ」
「は…?」
スバル達の会話を隣で聞いていたアベルが、平然とした顔でいきなりそんな爆弾を落とす。
ユリウスはアベルが何を言ったのか理解出来ず、思わずいつもの堅苦しい言葉使いではなく素が出てしまっているし、スバルもスバルで言葉の意味を理解した上でアベルを怪訝な顔で見る。
「恐れながら陛下。私の耳がおかしくなってしまったようなのですが……今なんと?」
「ナツキ・スバルは俺の部屋へ泊めると言ったのだ」
「……え?」
再度アベルの口から同じ内容を聞きユリウスは唖然とした顔で固まってしまう。
そんなユリウスはレアで見物だが、生憎スバルもユリウスと同じ顔をしているのでからかえない。
「元々王国へは一泊する予定であった。部屋は用意されていよう。 それに、貴様とはまだ話さねばならんことも残っていよう」
そう続けると目を細めたアベルの瞳がスバルの瞳を射抜く。
スバルは噴水での会話を思い出し、途端に目の色を変えユリアスの背後に隠れる。
「ユリウス!この際お前でもいいから助けろ!あいつについてったら俺、殺される!」
「珍しく君が素直に私を頼ってくれたことは大変喜ばしいが…」
泣きそうな顔で縋りついてくるスバルを横目に、アベルに視線を向けたユリウスが息を呑む音が聞こえる。
そして、ユリウスはアベルからスバルへ目線を移し……
「何があったかは知らないが…スバル、諦めろ」
「この野郎!友達簡単に見捨ててんじゃねーよ!」
「……」
「無視すんな!」
この薄情者!とユリウスを責めていると背中に殺気を感じ慌てて後ろを振り返る。
「ヒッ」
「茶番は済んだか。いいからセシルスの元へ連れて行け」
「はい、陛下。こちらです」
アベルは冷めた目でスバルを見ていた。
あの目は知っている。ペトラがスバルのことをたまにこんな目で見てくるのだ。 視線の意味はよく分からないがペトラもこの目をする時は大体機嫌が悪い。
だが、何故今アベルがその目を……
「もしかしてペトラ…お前も俺の事、実はめっちゃ嫌いだったのか?」
もしかして、あれは軽蔑の眼差しだったのだろうか。少なくとも喜ばしいことでは無いのは確かだ。
「いや待てよ。よく俺を軽蔑の眼差しで見つめているラムとはちょっと雰囲気が違うような…」
「呑気に考え事とはいい度胸だな」
「ヒェッ」
すると、今度は苛立ちを顕にした目で睨まれる。さっきの噴水での優しいアベルはどこ行ったんだよ、帰ってきて綺麗なアベル!
▽▲▽▲▽▲▽▲
「──いやはや、ご無事で何よりです閣下!」
「これが無事に見えるか貴様」
開幕そうそうアベルに向かい無遠慮にそう言いきったのは、スバルとアベルが探し求めていた人物。セシルス・セグムントだ。
アベルはいつものように軽い調子でそう言いきったセシルスを睨みつける。
「むむ、確かに掌に何やら見覚えのない包帯が巻かれていますね」
「は、はは…」
「…話を逸らすな。貴様、今回の件について何か言い残すことはあるか?」
「…??なんのことですか?」
「貴様の不敬を許してやっているのは貴様にそれを許すだけの価値があるからだ。その価値すら無くなった貴様に一体何が残る?」
「うーん。僕から刀を取ったら残るのは形のいいこの顔だけですね!」
「「……」」
セシルスの的を得ない回答に、スバルとユリウスは揃ってなんとも言えない顔になる。
そのセシルスの回答に頭を抱え溜息をついたアベルは、視線をセシルスから外し一瞬スバルとユリウスに意識を移す。
「…みなまで言わずともわかっている。おいセシルス、貴様は王国滞在中の間二度と口を開くな。これが今回の罰だ」
「えー!そんなのあんまりです閣下!喋れなくなったら僕死んでしまいますよ!」
「黙れ。寧ろこの程度で許されている事に感謝せよ。本来であれば極刑に処すところをこの程度で許してやっているのだ。それともなんだ、貴様は死を望むか?」
アベルの言葉に尚も反発していたセシルスだったが、アベルがひと睨みすると渋々口を閉じた。
隣でその光景を静かに見守っていたユリウスとスバルは合わせて固く口を閉ざしていた。
「おい、念の為に言っておくが今回の此奴の痴態を他者へ不用意に漏らしてみろ。…貴様らの首と胴が泣き別れすることになるぞ」
「肝に銘じておきます」
「ならなんで連れてきた…」
素直に聞き入れるユリウスと文句を垂れるスバル。同じ騎士でも全く違う返答に、お互い正気か?と見つめ合う。
「騎士団の方は貴様がどうにか話をつけろ、最優」
「謹んでお受けいたします」
「ああ、もう下がってよい。……ナツキ・スバル、わかっていると思うが貴様は残れ」
アベルの言葉に素直に従いその場を離れようとするユリウスに続き、どさくさに紛れ部屋を出ようとしたスバルだったがしっかりアベルに呼び止められてしまった。
「もういいじゃん。問題解決したじゃん」
「まだ別の問題が残っている」
「残ってない…残ってないってば」
スバルはこのまま逃げ出してしまおうかと一瞬扉に視線をずらす。すると、その事まで想定内だったのかアベルは目線だけでセシルスに指示を出すとスバルはあっという間に捕まってしまうのであった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
あの後、アベルの部屋に無理矢理連行されたスバルはもはや抵抗は諦めなんとか言い訳を考える方にシフトチェンジしていた。
セシルスはスバルを下ろして直ぐに部屋を出ていった。
部屋を去る時もアベルの言いつけを守り一言も発していなかった。
「それで、先程の話の続きを……と、言いたいところだが」
アベルはそこで言葉を区切ると、スバルをじっと見つめる。
スバルは直ぐにでも質問攻めに合うと思っていたのでアベルの反応に疑問を抱くが、段々とアベルの視線に居心地の悪くなってきて「なんだよ」と顔を逸らす。
「いや、貴様の先程の反応が引っかかってな。あの過剰なまでの拒否反応…秘密を知られたくない、というだけの話ではないだろう」
「そ、れは」
「考えられるのは秘匿の内容を口にする事により発生する呪術の類か……そうさな、例えば命をも奪う程の…」
「……っ」
「当たりか」
アベルはスバルの反応に確信を得る。それから、いつの間にか隣に腰を下ろすアベルにスバルは計らずとも瞳を不安そうに揺らしてしまう。
嫉妬の魔女にとってどこまでがセーフでどこからがアウトなのか、それはスバルすらも分からない。
こうして事実に気づいてしまったかもしれないアベルには無条件で呪いが発動する可能性すらある。
だから、できることならこのまま何も言わずにアベルと距離を置くべきだ。
「──俺を貴様の尺度で測るな」
「えっ」
「貴様の配慮など不要だ。余計な気を回すな」
「なんだよその言い方。俺はお前を心配して…」
「それが不要だと言っている。余を誰と心得る」
スバルは隣でそう声を固くした男に顔を向ける。視線は合わない。
アベルはいつだって遥か未来を見据えている。大局を見据え常に最善を勝ち取る。色々残念なところばかり覚えていて忘れがちだが、目の前の男は正しくヴォラキア帝国皇帝ヴィンセント・ヴォラキアなのだ。
「でも、お前はもう俺に関わるべきじゃない」
「…ほお?」
「お前がめちゃめちゃ頭が良くて凄い奴なのも知ってる。癪だけど。でもそんなの全部関係ないんだよ、この呪いに例外はない。いつどんな条件で発動するのかも分からない」
「……」
「ほんとお前には驚いたよ、まさかこの権能を言い当てるやつが現れるなんて思いもしなかった。だからこそお前は異例だ。前例がない以上お前はこれ以上俺に関わるべきじゃない。それが、お互いにとって一番安全な道だ」
スバル顔を上げ、アベルの目を見てそうはっきり言い切る。アベルからの返事は無い。それでいい。
アベルとスバルのこの奇妙な関係もここで終わり。元々皇帝と一介の騎士など、関わることのない関係だ。
アベルの事はいけ好かないと思うし偉そうで嫌いだ。
でも、あの日あの森で出会ったことを後悔したことは無い。少なくとも、帝国で過ごしたあの日々の中でアベルはスバルの特別になった。
「──お前は凄いやつだよ。だからこそわかるはずだろ、このまま俺と居てもなんの得もない。寧ろ危険だ。だからお互い今までのことは全部忘れよう」
スバルはそれだけ言うと立ち上がり、部屋を出ようと踵を返す。
本音を言えば少し悲しい。出会いが最悪だったとはいえ今思えば悪くない関係だった。友達になるのが無理でもこのままこの関係を続けていけるだけで満足だったのだ。
なのに、こんなことになったのはアベルの頭が良すぎるせいだと思うと無性に腹が立ってくる。
「──不愉快だ」
「は…?」
「不愉快だと言っている。貴様の思考も判断も身勝手に善意を押し付けてくるその姿勢も、全てが不愉快極まりない」
アベルの声に体を止め振り返るが、アベルはこちらを見ていなかった。しかし、その言葉はスバルに向けての物であり、声音からでも苛立ちが感じられる。
スバルは何故突然罵倒さているのか分からず一瞬呆気に取られるが、直ぐに言い返す。
「不愉快って…だからこれは快、不快の話じゃなくて……」
すると、言葉の最中で突然立ち上がったアベルはこちらに向かい一歩一歩近づいてくる。
そのままあっという間にスバルの元まで辿り着いたアベルは、そのままスバルの胸ぐらを掴むと、
「──歯を食いしばれ」
「は?……ぐぉっ!?」
直後、スバルはアベルに左頬を殴られた。
何が起きたか分からないスバルは殴り飛ばされた衝撃で床に投げ飛ばされる。
「なっ…!突然何しやがる!」
「それはこちらの台詞だ。勝手に納得し勝手に話し合いを終わらせるな。少なくとも俺はその様な結末を望んでいない」
「だからっていきなり殴ることねえだろ!」
「話の通じない相手にはこうして対話を試みる。以前貴様に学んだことだ。…今ならあの時の貴様の気持ちも少しは理解できよう。──確かにムカつくな」
「は、」
──ムカつく?アベルが?何に対して?
スバルを見下ろすアベルを睨むと、スバルはそのまま立ち上がる。
それから拳を握りしめ、やられっぱなしで溜まるか、と握った拳をアベルの頬にお見舞いする。
「ぐっ…」
「──ムカついてんのはこっちだよ! なんでわかんないんだよ…これで終わりでいいだろ?! その方が俺もお前も傷つかない!」
「ふざ、けるな。貴様は何故そうも消極的な選択しか取れない! あの時もそうだ、貴様は貴様一人が傷つけば物事の全てが解決するとでも思っているのか?! 否、そんな事はありえない!」
アベルは苦しげに殴られた頬を抑え立ち上がると、今までになく声を荒らげてスバルに詰め寄る。
…いや、スバルは前にも一度アベルが声を荒らげているのを見たことがある。その時はスバルの体が小さくなっていて、アベルのことを本気で殴れないことを後悔していたっけ。
あの日、アベルはヴォラキア帝国皇帝ヴィンセント・ヴォラキアとして、スバルはルグニカ王国エミリアの一の騎士として。二人は己の守るべきモノを守るため、あの場所でリンガを分かちあった。
では、今はどうだろうか。
珍しく感情を表に出してこちらを睨みつけるアベルの瞳を、スバルは恐る恐る覗き込む。
──ああ、怖い。
「俺は……いや、お前とこれ以上話すことはない。俺が今後お前に関わることも、会うことも、もうない」
「貴様…まだその様な戯言を」
「……頼むよアベル。何も言わずに、俺の言うことを聞いてくれ」
すると、アベルは何か言い返そうとしていたが、声に出す前に止まる。それから目を見開きスバルを見ると、
「──何故、貴様が泣く」
「…ぐすっ…うるぜぇ。見んな」
アベルは突然泣き出すスバルに珍しく動揺している様子だった。
スバルはスバルで、何故か止まらない涙を必死に目を擦って無理やり止めようとするが、止まってくれない。
きっと涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだと思うし、それをアベルに見られている。ああ、最悪だ。
「くそ、止まれ。止まれよぉ…」
「馬鹿者、その様に擦れば傷がつく」
必死に何度も何度も目を擦るスバルの手を掴み、アベルが呆れたようにそう零す。
スバルはなんと話出せばいいか分からず無言になり、アベルもまた何も言わない。
部屋にはスバルが鼻を啜る音だけが響いていた。
それから暫くしてアベルにソファに座るように指示されたスバルは大人しくソファに腰を下ろしティッシュで鼻をかむ。
それからアベルは何やら洗面所に向かったかと思うと直ぐに戻ってきてスバルにハンカチを手渡してきた。
「…なに?」
「水で濡らしてきた。これで抑えておけ。多少は腫れを抑えられよう」
「いいよ、いらない」
「…意地を張るな。さっさと冷やせ」
スバルはアベルの差し出すハンカチをアベルの方へ押し返す。
すると、アベルは無理矢理ハンカチをスバルの目に押し付けてくる。
「ちょ、馬鹿、やめろ! 冷た! わかった!冷やすから押し付けるな!」
「最初からそう言え」
「なんなんだよ…。──でも、ありがと」
「ふん」
そして沈黙。
スバルはアベルの考えが分からず冷やしていない方の目でアベルの表情を盗み見る。
すると、こちらの視線に気づいたアベルと目が合う。
「なんだ」
「いや、…怖いなあと思って」
「はっ、今更俺が怖い?笑わせる」
そういいスバルの答えを鼻で笑ったアベルにスバルは「はは」と苦笑いで返し、それから「違うよ」と自分でもびっくりするぐらい弱々しい声音でアベルに答える。
「お前はもうわかってるだろ、俺が怖いのは、恐れてるのは。──お前を失うことだ。なんでだろうな、あんなに嫌いだったのに、怖いんだ」
「───」
「俺は、俺のせいで誰かが死ぬところを、もう見たくない」
もう、全部どうでもいい。ペナルティでアベルが死のうがスバルが死のうが。
関わるなと、散々スバルの忠告を無視したのはアベルだ。
──そうだ。怖いのは、恐れているのは、アベルを失うこと。
エミリアがスバルのせいで死んだあの時の事を思い出す。目の前で好きな子が自分のせいで死んだ。スバルの弱さがエミリアを殺した。スバル一人で抱えなければならない問題をエミリアにも背負わそうとした結果だ。
だから、アベルにはそうなって欲しくない。
そんなことは、ナツキ・スバルが許してはいけない。
「──勝手だな」
「え?」
「貴様のせいで人が死ぬだと?それこそ、笑えぬ冗談だ」
「…どういう意味だ」
「貴様が何を恐れているかなど興味もない。もっとも、貴様のその在り方は正気を疑うがな」
アベルの言葉にスバルは押し黙る。
結局アベルが何を伝えたいのか分からない。興味がないのならあのままスバルを放っておけば良かったのに。
「貴様は言ったな、俺を失うのが怖いと」
「…言ったけど」
改めて言い直されるとなかなか恥ずかしい。
「貴様がそれを言うか」
「は?どういう……」
「『やり直し』のない俺達ではなく、貴様がそれを口にするのかと言っている」
「……っ馬鹿!お前、口に出すなってあれ程…!」
スバルは慌ててアベルの口を塞ぐ。直ぐにアベルの胸に耳を押し付けて心臓の音を確認する。
「良かった…」
トク、トク、と心臓の音が鳴っているのを確かめると、顔を離しほっと息を吐く。
すると、アベルの口を塞いでいた腕がアベルに叩き落とされる。
「いてっ」
「いつまでそうしているつもりだ。不敬であるぞ」
「お前な…」
「貴様の恐れているモノなど知ったことか、貴様は俺が認めた男だ。そう易々と死なれては困る」
アベルはスバルが耳を押し付けたことでついた服の皺を手で直しながらつまらなそうにそう言う。
それから短く溜息をつくと、目を細め…
「──それとも何だ。貴様は俺に二度もあの苦痛を味わえと申すか」
「ぁ…」
「生憎だがその手には掛からん。一度目はしてやられたが、二度目は食わんぞ」
アベルの目に迷いはなく。揺れるスバルの瞳を真っ直ぐに射抜く。スバルは視線を泳がせ助けを求めるが、生憎この部屋にはスバルとアベルの二人だけだ。助けてくれる仲間はいない。
それから、アベルの視線に耐えられなくなったスバルは目を逸らすが、そんなスバルをアベルは無言で見つける。
「………」
「………」
「………」
「……クソっ」
先に根を上げたのはスバルの方だった。
アベルの視線に耐えられず観念したスバルは、それからぽつぽつと話し始める。
「…わからないんだ。だってこんなことお前が初めてで、だからどうすればいいのか分からない」
「…続けろ」
「でも、正直お前がこの秘密に気づいた時、ほっとしたんだ。誰かにずっと話したかった。話を聞いてもらえるだけでも、理解してもらえるだけでずっと心が楽になった」
「ああ」
「だから、それだけで十分だったのに…。お前が俺を引き止めるから、気持ちが揺らぐ。もしかしたらって期待しちまう」
「…そうか」
「…お前、そんな優しい性格じゃねぇだろ。絶対後悔するぞ。関わるべきじゃなかったって後になって思う」
「ふん。貴様と関わるべきではなかったなど、初めてあの森で出会った時から思っている故、今更だ」
「──いいのか?俺、絶対お前のこと手放してあげられなくなるぞ」
「良い悪いの問題でもなかろう。 貴様には借りがある。一生を掛けても返しきれないほどの借りがな」
「…あれは俺が勝手にやったことでお前が貸し借りのことを気にする必要は……」
アベルの言う借りとはスバルが帝国を『大災』から救ったことを言っているのだろうが、あれはスバルが勝手にやったことだしあの戦いでスバルがやった事などほとんど無いに等しい。
ほとんどアベルとエミリア達のお陰だ。仲間はスバルを過大評価するが、スバルはそれをよく思っていない。
それも全てはこの『死に戻り』のお陰なのだから、スバルはただ起こる未来を仲間に伝えていただけ。それだけなのだ。
「貴様はそう言うが、あれは紛れもなく貴様の手柄だ。 実際、あの戦場に貴様がいなければあれ以上の苦戦を強いられることになっていたのは明白だ。 被害も貴様らの力で最小限に留められた。改めて、大儀であった」
「でも…」
「くどいぞ。 俺は借りは返す。約束も守る。あの日リンガを分かったあの場で、貴様の在り方に賭けた俺は間違っていなかったと証明してみせろ」
「俺の在り方に、賭けた…?」
「そうだ」
賭けなんて、そんな確実じゃない勝負にアベルが乗るなんて想像がつかない。
確かにあの日アベルはスバルの力が必要だと、帝国を『大災』から救うには、スバル達がいた方が勝率が上がると言った。
それならば何故アベルがスバルに賭ける必要があるのか、
「そも、貴様の力を借りること自体が俺にとっての賭けであった。星詠みではない貴様はただの理想主義者の凡人。俺が最も嫌いとする部類の人間だ」
「な、そこまで言わなくても…!」
「しかし、俺は貴様のその愚かで美しい在り方に賭けた。今までのやり方ではなく、貴様の在り方こそが大災に風穴を空ける鍵だと。 実際に貴様はあの戦場でそれを証明してみせた。──俺が、期待していた以上にな 」
「………」
言いたいことは山ほどあったが、そのどれも言葉にならなかった。
アベルの考えていることなど分からないし、理解出来ない。あの時もそうだ。だからアベルが何を思いスバルを信じたのか、あの時はそれまでのスバルの行いを総合的に見て評価したものとばかり思っていた。
でも違った。スバルが思っているよりもアベルはスバルに期待していた。
その事実に驚きと困惑でなんと言えばいいのか分からない。
「……だから、お前は俺を助けてくれるのか?」
「そうだ。しかし、一つだけ貴様の考えを正そう。助けるのでは無い手を貸すだけだ」
「…? 助けるのと何が違うんだよ」
「助けると手を貸すことでは天と地ほどの差がある。俺は貴様を一方的に救ったりなどしない。 生憎見返りを求めない善性など持ち合わせていないのでな。──貸した借りは必ず返してもらうぞ」
「お前な…」
「故に、貴様は俺の貸した分の借りを返せ」
そう言うとアベルは先程スバルが買ったリンガを一つ紙袋から取り出し、部屋に置いてあった果物ナイフで二つに割ると片方をこちらに投げてくる。
スバルはそれを咄嗟にキャッチして視線をリンガからアベルに移す。
「貴様はあの時なんと言ったか…『お前が二つに割ったリンガ、食い切るのを手伝ってやる』だったか?」
そういい片目を瞑りいつもの様に傲慢不敵に笑ったアベルにスバルも肩の力が抜ける。
「この場合、リンガを割ったのはお前だから手伝ってるのは俺の方になるんじゃないか?」
「口の減らん男だ。…して、貴様はどうする?」
アベルはスバルの瞳を真っ直ぐ見つめ、そう問いかける。
スバルはその視線に一度目を瞑り、それからもう一度アベルの視線に向き合う。
「この秘密は俺だけが背負わないといけないものだ。でも、もしお前が手を貸してくれるって言うなら、俺はお前を頼りたい。 俺が一人で抱えきれなくなったらお前の力を借りたい」
「………」
「だから、もし俺が一人でリンガを食いきれなくなった時は。その時はお前の力を貸してくれるか?」
スバルは改めてアベルにそう頼み込む。
アベルその頼みを聞き、半分に割ったリンガをしゃり、と一齧りすると、頬を緩め「ふ」と小さく笑った。
それからいつもよりちょっぴり優しい声音でアベルは言った。
「──いいだろう。その願い、このヴィンセント・ヴォラキアが聞き届けた」
「…あはは!お前の笑顔、なんか不気味だな!」
「………前言撤回だ。 貴様の問題は貴様一人でどうにかしろ」
「あー!!ウソウソ!ごめん今の冗談! アベル?! 悪かったから部屋から追い出そうとしないで?! 」
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それから、騒ぎを聞きつけて様子を見に来たセシルスは後にこう語った。
「いや〜。あんなに楽しそうな閣下を見たのは久方ぶりでした! 何かいい事でもあったんですかね?」
このアベスバ一番好きです。