なんだか、守るも攻めるも幼稚な議論ばかりで悲しくなりますね。
歴史は下記の通りです。正確に理解して、今後の政策に活かしましょう。
1)明治維新後、欧米諸国に追いつきたかった日本は遅ればせながら植民地獲得に熱意を燃やした。それ以前に、ロシアが朝鮮半島まで南下してくることを何よりも恐れた。
2)当初は「満州はロシアに取られるのは止むを得ないが、朝鮮までロシアに取られるのは困る」と考えて、ロシアに対して「満州はロシアが勢力圏にすることは認めるが朝鮮には手を出さないでくれ」と持ちかけようとした(伊藤博文首相の構想)が、見込みなしと判断せざるを得ず、ついに日露戦争という大博打に踏み切った。
3)ロシアとの戦闘は、陸海ともほぼ連戦連勝したので、日本はこれで自信を強めた。戦費の調達には苦労し、もし戦争が長びけば経済破綻(=敗北)は避けられなかったが、米国のユダヤ資本からの支援が得られ、最終的には米国の斡旋で何とか講和ができた。その後、第一次世界大戦で日本はほとんど犠牲を払うことなく戦勝国となり、世界の五大国(米英仏伊日)にも列せられるに至った。
4)しかし、「近代の戦争は経済戦争であり、長引けば日本の敗北は必至だった」という事実を知らされなかった国民の自信はたちまちして過信に変わり、マスコミも勇ましいことを言えば発行部数が増えるのを知って、国民を煽り立てたので、国民は「それ行けドンドン」ムード一色になり、欧米諸国がなおも日本を一格下に見ているようなのが我慢できなくなった。そこに世界大恐慌が襲った。
5)農村が疲弊し、経済的に追い詰められた日本は、植民地経営にしか将来の生きる道はないと考え、満州事変を起こして傀儡国家「満州国」をつくり、満場一致ででこれを非難した国際連盟からも脱退して、「満蒙は日本の生命線」という掛け声のもとに、満州を重化学工業の拠点にすべく全力を傾注した。
6)この辺で踏みとどまっていればよかったのだが、軍事力に対する過信が先行、政友会の森恪などが暗躍し、折角蒋介石政権との間で欧米列強よりも一歩踏み込んだ融和外交を進めていた幣原外相を罷免して、「露骨な内政干渉を全面に出した第5条」を含む「21ヶ条の要求」を突きつけた。さらに「首都南京を陥落させれば、蒋介石は屈服する」と信じて、露骨な対中侵略戦争に踏み切った。(これは突然キーウに進軍した今回のロシアの行動に酷似している。)
7)しかし、予想に反して蒋介石は強かで、首都を重慶に移して徹底抗戦、日本軍は各地で大きな犠牲を強いられ、戦争は泥沼化した(これも今回のウクライナ戦争に酷似)。
8)日本同様に対中利権の拡大を目論んでいた「(日本同様の)遅れてきた植民地主義国の米国」が、これを見て黙っているわけはなく、日本が中国本土から兵を引かなければ石油と鉄屑の禁輸を行うと通告、それが最終的には「ハル・ノート」という最終通牒になるが、東条首相は「ここで兵を引けば、これまで犠牲になった英霊に申し訳がたたない」としてこれを拒絶し、ついに対米戦争に踏み切った。
9)この間に日本国内では「ほぼ全量を米国からの輸入に頼っていた石油の供給が止められたらどうするか?」という議論が沸騰、シベリアの資源を求めてソ連に侵攻する(北進論)か、産油国であるインドネシアに進駐する(南進論)かの両論が闘わされたが、すぐに南進論に決し、ソ連とは中立不可侵条約を結び、南進の第一歩としてベトナム進駐に踏み切った。
10) 米英仏蘭と全面対決する「大東亞共栄圏」という考えは、「南進論」を正当化するために出てきたスローガンにすぎず、当時の大日本帝国に最初から「民族自決」を真剣にサポートする考えがあったとはとても思えない。日本は第一次世界大戦直後には、国際社会に対して「人種差別撤廃」を訴えたことはあるものの、これが到底受け入れれられないと知るや、その後はむしろとナチスドイツの「アーリア民族の優秀性」の主張に倣って、「大和民族の優秀性」を前面に打ち出していたように思える。
引用
菅野完
@noiehoie
そもそも「日本が大東亜戦争をやり始めた理由」は、日本が満蒙を植民地化したかったという理由からなんだから、アホの子みたいに「日本がアジアの植民地を開放した」とかいうお伽話を信じるのは恥ずかしいからやめようよ。
負けた戦争美化してると弱者仕草が身についてまた負けるぞ。 x.com/aginganarchist…
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