『ToR - Promise Horizon -』(第八稿)Part.5
第五幕:神の大陸
グレイから託された高精度転移艇は、
音もなく時空の壁を滑り抜けた。
向かった先は、
現代の人類史とグレイの時代(50万年後)の
ちょうど中間に位置する未来——
西暦およそ5万年の地球。
ハッチが開いた瞬間、
大地の鼻を突いたのは、
むせ返るような潮の匂いと、
大気が帯電している特有のオゾン臭だった。
眼下に広がるのは、
大西洋上に浮かぶ巨大な大理石の都市。
人類とは異なる進化を遂げた
美しき超人類『アヌンナキ』が築き上げた、
未来の超大陸アトランティスだ。
しかし、その楽園は
崩壊の真っ只中にあった。
激しい地殻変動により、
白亜の神殿は次々と砕け落ち、
美しい水路には濁流が逆流している。
大地と水原は、
グレイとの取引通り、
都市の中心部で立ち尽くしていたアヌンナキの
指導層(エンリルたち)を
転移艇へと強引に収容した。
「全システム、最大推力!
時代を跳躍する!」
水原がコンソールを叩き、
アトランティスが完全に海へ沈む直前、
転移艇は虚数空間へとダイブした。
だが、艦内に不快なアラートが鳴り響いた。
「……まずいわ。
アトランティスの地殻崩壊のエネルギーが、
転移座標の計算に干渉している!」
水原が必死に制御を試みるが、
計器の数値が狂ったように回転する。
「時空の渦から弾き出される!」
強烈な衝撃と共に、
転移艇は実数空間へと叩き出された。
窓の外に見えたのは、
未来の地球ではない。
鬱蒼とした緑と、
二本の大河が流れる未開の地。
「現在座標、紀元前一万年……
古代メソポタミアよ」
水原が顔面を蒼白にして告げた。
水原の操作ミスにより、
彼らはアヌンナキを
過去の地球に置き去りにする形で
不時着させてしまったのだ。
転移艇のエネルギーは枯渇し、
アヌンナキたちを再び乗せて
未来へ飛ぶ余力は残されていなかった。
大地たちはエンリルたちをその場に残して
帰還するしかなかった。
「これで歴史の辻褄は合ったはずだ。
奴らが過去で生き延びてくれれば……。」
そう信じて、
大地たちは再び
50万年後のグレイの時代へと跳躍した。
しかし、ハッチを開けた大地の目に飛び込んできたのは、
何も変わっていない「プラチナホワイトの死の世界」だった。
グレイたちは相変わらず無音のまま、
自死のためのカプセルに行列を作っている。
歴史の修復(エラーの解消)は失敗していたのだ。
『旅人よ。過去への介入は確認した。』
代表体のグレイから、
冷徹な概念が頭に流れ込んでくる。
『だが、我々の祖先(アヌンナキ)は、
君たちが落とした過去のメソポタミアで
致命的な選択をした。』
グレイの共有記憶が、
映像となって大地の脳裏に展開された。
紀元前一万年。
過去に取り残されたアヌンナキたちは、
その高度な技術をもって原始人類を支配し、
「神」として君臨した。
やがて氷河期の融解による『大洪水』が
メソポタミアを襲う。
アヌンナキたちは、
原始人類を奴隷として酷使し、
巨大な宇宙船(箱舟)を建造させた。
そして洪水が迫る中、
彼らはあっさりと人間たちを見捨て、
自分たちだけで箱舟に乗り込み、
火星へと逃亡したのだ。
『火星の地下で文明を築いた彼らだったが、
やがて惑星全土の海が干上がるほどの
巨大な地殻変動に見舞われた。
極限の環境を生き抜くため、
彼らは感情を捨て、肉体を改造し……
長い時間を経て地球へと帰還した。
それが、我々グレイだ。』
「……自分たちだけが助かろうと
他人を見捨てた結果が、
感情を失った今のあんたたちってことか。」
大地は奥歯を噛み締めた。
「水原、転移艇のチャージは?」
「グレイの都市システムから供給を受けて、
完了しているわ。」
「紀元前一万年。
大洪水が起きる直前のメソポタミアに飛ぶぞ。」
転移艇が降り立った紀元前一万年のメソポタミアは、
豪雨と泥にまみれていた。
大地が丘から見下ろした先には、
天空に浮かぶ黄金のピラミッド——
宇宙船『ジッグラト』があった。
その下では、
粗末な布をまとった原始人類たちが、
迫り来る濁流を前に絶望的な叫び声を上げている。
ジッグラトのタラップの上には、
かつて大地がアトランティスから救い出した
エンリルの姿があった。
彼は見下ろす泥まみれの人間たちに、
冷たく宣告を下していた。
「我らは火星(新天地)へ向かう。
資源は限られている。
進化の遅れたお前たちを乗せる余地はない。」
神に見捨てられた人間たちは、
泥の中で互いの食料や浮力を得られそうな木材を奪い合い、
醜い争いを始めていた。
大地は転移艇のコンソールを操作し、
武装システムを起動した。
「水原、
ジッグラトのメインスラスターをロックオンしろ。
警告なしで撃ち込め。」
「了解。」
——ズガァァァァンッ!!
転移艇からのプラズマ砲が、
ジッグラトの左舷スラスターを正確に撃ち抜いた。
黄金の箱舟が鈍い金属音を立てて大きく傾き、
高度を保てずに泥の海へと不時着する。
「なっ……貴様ら、何をした!」
タラップの上で体勢を崩したエンリルが、
転移艇から降りてきた大地を見て目を見開いた。
「悪いな、エンリル。
手元が狂った。」
大地はハンドガンを抜き、
箱舟の自動制御パネルを容赦なく撃ち砕いた。
火花が散り、システムが完全に沈黙する。
「自動操縦はもう効かねえぞ。
スラスターも一つ潰れた。
お前らの少ない人数じゃ、
手動で出力を安定させて
大気圏を突破するのは不可能だ。」
大地は、泥の中で争いを止めて
呆然としている原始人類たちを
あごでしゃくった。
「だが、あいつらの労働力を全部使って、
残ったブースターを
物理的に連結・拡張すれば飛べる。
……全員乗れるスペースもできるはずだ。」
「馬鹿な!」
エンリルが激昂する。
「我々の高度な技術を、
この野蛮な猿どもに触らせるだと!?
理解できるはずがない!」
「やらせるしかないだろ。
お前らも、このままここで溺れ死ぬか?」
地平線の彼方から、
すべてを飲み込む漆黒の壁——
大津波が迫ってきている。
地響きが足元を激しく揺らした。
エンリルは、迫り来る死の壁と、
破壊されたコントロールパネル、
そして泥まみれの人間たちを交互に見た。
極限の恐怖を前に、
彼はギリッと歯を食いしばり、
原始人類たちに向かって怒鳴りつけた。
「……第3バイパスの物理バルブをこっちへ運べ!!
絶縁ケーブルを巻き付けろ! 急げ!!」
その「命令」は、もはや神の宣託ではなく、
現場の指揮官としての必死な叫びだった。
人間たちは一瞬ためらったが、
津波の轟音が背中を押した。
彼らは隣人から物を奪うのをやめ、
一斉にアヌンナキの資材を掴んで
エンジン部へと殺到する。
そこからの時間は、神も奴隷もない、
生存本能に突き動かされた
泥臭い共同作業だった。
アヌンナキが技術的な指示を出し、
原始人類が驚異的な体力と数の暴力で
重いパーツを組み上げていく。
濁流がジッグラトの基部を飲み込もうとしたその瞬間——
増設された巨大なブースターから、
強烈なプラズマの炎が噴き出した。
不格好に拡張された黄金の箱舟は、
大津波を間一髪で回避し、
大空へと舞い上がった。
大地と水原は、
転移艇の中から
その光景を見届けていた。
「……飛んだわね。」
「ああ。
火星の環境が過酷でも、
あいつらが協力し合えば、
感情を捨てて
グレイになるような未来は
避けられるはずだ。」
箱舟は地球の重力を振り切り、
火星へと向けて赤い光の尾を引いていく。
他者を見捨てるという歴史のバグは、
今ここで修正された。
「これで歴史は新しい軌道に乗った。
帰ろう、俺たちの時代へ。」
大地は転移艇のコンソールを操作し、
現代(2136年)への座標を入力した。


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