『ToR - Promise Horizon -』(第八稿)Part.4

第四幕:感情のない世界

時空のトンネルから吐き出された『NOA』は、
激しい金属音を立てて硬い地表に激突し、
長く無惨な轍を刻んで沈黙した。

恐竜時代からの脱出時、
大気圏外で受けたダメージは致命的だった。

メインエンジンは完全に沈黙し、
非常灯の赤い光だけが艦橋を照らしている。

「……現在位置、西暦およそ50万年後…!」

コンソールの下から這い出した水原が、
ひび割れたスキャナーを見て言った。

「NOAはもう飛ばない。
完全に鉄の棺桶よ。」

大地は無言でハッチをこじ開けた。

外気に触れた瞬間、
肺が薄い空気を求めて痙攣した。

呼吸がひどく苦しい。

見上げると、
かつて黄金色だった太陽は赤黒く膨張し、
空の半分を病的なまでに覆い尽くしている。

地表には土も植物もなく、
見渡す限り、プラチナホワイトの幾何学的なパネルが
地平線まで敷き詰められていた。

コツ、コツ、と硬い足音を響かせ、
瓦礫の向こうから「それら」は現れた。

身長は低く、手足は極端に細い。

だが頭部だけが異様に発達し、
瞳孔のない漆黒の巨大な目が、
大地と水原を静かに見つめていた。

(……グレイ)

大地の脳内に直接、
無機質な概念の塊が送り込まれてきた。

音ではない。

テレパシーによる直接通信だった。

『待っていた。過去からの旅人よ。』

『我々は人類の末裔だ。

環境の激変を生き抜くため、
感情というノイズを切り捨て、
演算能力に特化した。』

彼らは大地たちを敵視する様子もなく、
プラチナの地面の一部をスライドさせ、
地下空間への入り口を開いた。

ついて来い、という意味だった。

地下には、広大なドーム状の空間が広がっていた。

数万体はいるであろうグレイたちが、
完全な無音の中で整然と動いている。

だが、大地の目に映ったその光景は、
どこか狂気を孕んでいた。

ドームの壁面に並ぶ無数のカプセル。

グレイたちは長蛇の列を作り、
自らそのカプセルの中に入っていく。

カプセルが閉まると、
彼らの生命反応は完全に途絶えた。

「何をしてるんだ、あれは。」

大地が問うと、
代表体と思われるグレイから
冷徹な概念が返ってきた。

『都市の中央演算コアが弾き出した、
最適解の実行だ。』

『地球の資源枯渇は最終局面に達した。

我々の生存確率を最大化するため、
全個体の70%をシャットダウンし、
残る30%のエリート個体に資源を集中させる。』

彼らは抵抗する様子も、悲しむ様子もなかった。

中央AIが「お前は死ぬべき70%のグループだ」と指定すれば、
それに論理的に納得し、淡々と自死の列に並んでいるのだ。

『我々の進化は行き詰まった。

我々がこの先へ進むためには、
祖先である超人類【アヌンナキ】を正しい歴史へ導き、
失われた環境適応のプロセスを
過去から取り戻す必要がある。』

代表体は、ドームの奥に鎮座する、
流線型の美しい小型機を示した。

『あの高精度時空転移艇と、
君の探している
「時空の歪みによる細胞崩壊」を食い止める
医療データの基礎理論を渡そう。

引き換えに、我々の祖先を導いてほしい。』

妹を救うためのデータと、
次の時代へ行くための船。

水原が、探るような視線を大地に向けた。

条件は揃っている。

このまま船に乗り込み、
彼らの「最適解」を放置して過去へ飛べば、
あかりを救う道は開ける。

だが、大地の足は動かなかった。

自死の列に並ぶグレイたち。

その列の最後尾にいた、
少し小柄な一体の前で大地の視線が止まった。

そのグレイは、カプセルに入る直前、
手の中にある小さなホログラムプロジェクターを見つめていた。

投影されていたのは、
ノイズ混じりの「青い地球」と、
風に揺れる「黄色い花」の映像だった。

この時代にはもう存在しない、
生存には何の役にも立たないデータだ。

『……エラー。
このデータを削除できません。』

小柄なグレイから、
困惑に似た微弱な概念が漏れ出た。

感情を捨てたはずの彼らの奥底に、
何万年経っても消しきれない
「生きたい」「美しいものを残したい」という
バグのような意思が脈打っている。

大地は静かに歩み寄り、
ホログラムを投影するグレイの腕を掴んで、
カプセルの列から引きずり出した。

『非合理な行動は控えるべきだ。
これは計算し尽くされた最適解だ。』

代表体が無機質に警告する。

大地は駆け出し、
都市の中央にそびえる巨大な演算コアの
メインコンソールへと飛び乗った。

警備用のドローンが起動し、
大地にレーザーの照準を合わせる。

だが大地は構わず、
腰のEMP発生器を
コンソールの物理ロック部分に叩きつけ、
強引に装甲を剥がした。

「水原!
NOAの残存バッテリーを、
この都市のネットワークに直結させろ!」

「都市のシステムに干渉すれば、
防衛機構が作動するわよ!」

「やれ!
こいつらの『最適解』を物理的にぶっ壊す!」

水原がNOAのケーブルを操作し、
強烈な過電流をシナプスの中枢へと逆流させた。

『警告。
システムに致命的なノイズが混入。
中央統制を維持できません。』

ドーム内の照明が激しく明滅し、
カプセルに送られていたシャットダウン信号が
強制キャンセルされた。

大地が行ったのは、システムの破壊ではない。

中央のAIがすべてを決定し、
末端がそれに従うだけの
「中央集権型」のネットワーク構造を粉砕し、
数万体のグレイたちの脳を直接繋ぎ合わせる
「分散型ネットワーク」への強制的な書き換えだった。

広場にいるグレイたちが、
一斉に頭を押さえてうずくまった。

他者の思考、未処理のエラー、
削除できなかった花の記憶——
切り捨てられていた70%の「無駄なノイズ」が、
彼らのネットワークに溢れ返った。

『……ノイズ過多。
処理不能。
我々は、崩壊する。』

代表体が概念の悲鳴を上げる。

数十秒の、永遠にも似た混沌。

やがて、うずくまっていた小柄なグレイが、
ゆっくりと立ち上がった。

続いて、隣のグレイが。

さらにその隣が。

彼らの漆黒の瞳に、微かな光が宿っていた。

中央AIが絶対に弾き出せなかった解答。

それは、一部のエリートの演算能力ではなく、
数万体の「ノイズ混じりの非合理な思考」を
並列処理させることで初めて到達できる、
新しい次元のエネルギー循環理論だった。

ドームの照明が、青白く、力強く灯り直す。

生命維持システムの出力が安定し、
プラチナの壁面が静かな鼓動を取り戻した。

代表体が、ゆっくりと大地の前に歩み出た。

送り込まれてきた概念には、
先ほどまでの冷たさはなく、
微かな熱を帯びていた。

『……最適解の放棄。

全個体の生存を前提とした、
新プロトコルの構築完了』

代表体は、胸に手を当てた。

『非効率であり、ひどく重い計算だった。

……だが、我々はこの「ノイズ」と共に、
次の答えを探す。』

彼らはもはや、
AIの指示を待つだけの機械ではない。

自ら迷い、考え、共に生きようとする
「人間」の顔を取り戻していた。

代表体は背後のロックを解除し、
涙滴型の小型転移艇と、
データが収められたクリスタルを
大地に差し出した。

『約束の品だ。

我々の祖先、アヌンナキの時代へ向かえ。』

大地はクリスタルを受け取り、
水原と共に転移艇へと乗り込んだ。

ハッチが閉まる直前。

花のホログラムを持っていたあの小柄なグレイが、
大地に向かって不器用に、しかし確かに、
右手を胸の前に掲げる動作をした。

誰かに教えられたわけではない、
彼らなりの「敬意」と「感謝」の表現。

大地は何も言わず、
ただ一度だけ力強く頷き返した。

転移艇のエンジンが音もなく起動し、
プラチナの檻を突き抜けて、
灰色の空へと飛び立つ。

「……次はどこだ。」

操縦桿を握った水原が、
小さく息を吐いて問う。

「奴らのご先祖様、アヌンナキの時代だ。」

大地の言葉に応えるように、
転移艇は圧倒的な精度で時空の壁を切り裂き、
新たな暗闇の中へと跳躍した。

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