東京・新宿副都心に高層ビルがまだ一つもない1969年のことだ。毎週土曜日の晩、国鉄(現JR東日本)新宿駅西口地下広場は異様な熱気に包まれた。「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)の若者たち(ヤングベ平連)のフォーク集会だった。
北ベトナムによる南ベトナムの共産化を恐れた米国が1965年、北への爆撃を開始。米施政下の沖縄・嘉手納基地から戦略爆撃機B52が飛び立ち、首都圏の基地からも燃料や物資が運ばれた。ベ平連は(1)ベトナムに平和を(2)ベトナムはベトナム人の手に(3)日本政府は戦争に協力するな、と訴えた。
生ギターの伴奏で「友よ」や、「自衛隊に入ろう」の替え歌「機動隊に入ろう」を歌い、スピーチを挟んでまた歌う。フリーの写真家中谷(なかたに)吉隆(86)はそんな「時代の流れ」を撮ろうと足を運んだ。地下広場を埋める若者たち。その姿を捉えた1枚の右端で歌っている女性が、当時20歳の大木晴子(せいこ)(74)だ。前年暮れにベトナム戦争反対の「花束デモ」に参加。大阪で活動する「北摂フォークゲリラ」を知った。仲間と大阪まで見に行った足でギターを買った。
2月28日、広場に立って覚えたての「友よ」を歌った。合間に「米(べい)タン(タンクローリー)を見たときどう思いますか。その燃料でベトナムの子供たちが殺されるのはイヤです」などと訴える。当初は小規模だったが、五月には数千人規模にまで膨らんだ。
当時21歳の山田佐世子(75)もそこにいた。島根から上京し、東京大駒場キャンパスで秘書をしながら英語を学んでいた。「近くに下宿してたんです。一人で遠巻きに見ていました」。ただ、納得のいかないことがあった。
「終わった後のごみです。歌詞カードとか、ビラとか。いいことを訴えているのにまずいよと」。山田は1人でごみを拾って、ポケットやバッグに入れられるだけ入れて持ち帰った。その姿を見ていた人がいた。テレビ東京のディレクターだった10歳年上の山田政伯(まさのり)(2001年死去)だ。取材が縁で2人は生涯の伴侶となった。
広場では、議論の輪も広がっていた。若者同士、若者と中高年が真剣に意見をぶつけ合う。だが規模が大きくなると、駅の利用...
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