🔷今年も「観藤会」開催(2026/5)
中帰連千葉支部が匝瑳市の妙福寺境内に「中帰連碑」(謝罪碑)を建立しています。私たちは境内の藤の花の咲く頃の5月5日に、毎年「観藤会」と称しこの碑の前に集い、中帰連を偲び今年も17名が参加しました。
境内には碑の建立に尽力した篠塚義雄さんのお墓もあり、近くに住む娘さんが碑の管理もして下さり、今年も参加下さいました。
篠塚さんのお墓参りの後、碑の前で参加者全員で中帰連の合唱曲『再生の大地』を歌い記念写真を撮りました。その後、お寺の庫裏に移り交流会を開き、中帰連3人の証言映像を視ました。自己紹介や思いを話あい17時過ぎに散会しました。
この集いは「撫順の奇蹟を受け継ぐ会東京支部、NPO中帰連平和記念館、日中友好協会千葉支部」の共催で毎年5月5日に開催しています。
🔷「平和のための博物館ネット全国集会」(2026/2)
今年の『平和のための博物館市民ネットワーク』の全国交流会が、2月7,8日の両日に京都で開催され、70名余が参加し10団体からの報告がありました。記念館からは芹沢事務局長と細川理事が参加しました。
初日の会場は京都市内のイベント施設「みやこめっせ」で開かれ、最初に主催者共同代表の丸山豊さん(ピース愛知)から開会挨拶がありました。
その後、立命館大学の勝村誠さんから (初日の会場「みやこめっせ」)
『植民地支配と戦争の記憶ー京都の戦争遺跡から』と題した基調講演があり、続いて各地からの報告では『戦後80年のアンケートから』(兼清順子・他)と、『無言館複製画展へのお願い』(安斎育郎・他)の報告がありました。
途中休憩を挟んで下記の10団体から報告があり、当記念館は芹沢事務局長が『中帰連と記念館の20年』のタイトルで報告しました。報告団体は下記の通りです。
①「NPO中帰連平和記念館」 ②「原爆の図丸木美術館」 ③「伝言館」 ④「市民ネット」全国会員 ⑤「佐喜眞美術館」
⑥「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」
⑦「平和のための博物館国際際ネットワーク」
⑧「満蒙開拓平和記念館」 ⑨「山梨平和ミュージアム」
⑩「女たちの戦争と平和資料館」
2日目は会場を宇治市の「ウトロ平和祈念館」に移しで開かれました。最初に同祈念館の金秀煥副館長から凡そ一時間に渡り、ウトロと祈念館の説明がありました。その後、館内見学、交流会、総会などが開かれ13時過ぎに散会しました。
【ウトロ平和祈念館】
https://www.utoro.jp/
(二日目の会場『ウトロ平和祈念館』)
◆「李徳全女史訪日70年」記念イベント(2025/12)
「李徳全女史訪日70周年、戦後80年、日中平和友好記念プロジェクト『平和のバトン』」が、東京・後楽園の日中友好会館で12月13~18日まで開かれ、李徳全女史のお孫さんの羅悠真も参加しました。
女史は日本赤十字社に当たる中国の「紅十字会」の当時の会長で、日中国交回復前の1954年に日赤の招聘で来日しました。そこで管理所に収容さている「戦犯名簿」が始めて公開されました。
彼らはこの時点で管理所に4年、シベリアに5年、更にその前に戦争体験と15年前後行方不明でした。その夫や子どもの生存が確認されて、どんなに嬉しかった事でしょうか。彼らはその9ヶ月後に天津「塘沽港」から3回に分かれ興安丸にで舞鶴を目指し出航しました。
帰国に際しては新しい「服、靴、毛布」と現金50元まで支給され、お土産を買って帰国しました。
港では管理所の職員の皆さんが手を振って見送ってくれまました。憎しみあっていた敵と味方が此所まで理解を深めたのです。それは周恩来総理が赦してくれた事で、戦犯たちが反省し、反省した事で職員も赦してれれたのです。
イベントは中帰連ご遺族の伊東秀子さん(弁護士・元衆院議員)が実行委員長で札幌から駆けつけ、袴田秀子さんも浜松から駆けつけてくれました。
伊東さんのお父さんは元憲兵隊長でマルタを731に送っていました。2010年の訪中で伊東さんは初めて撫順管理所を訪ね、「父の展示」を見て歩けないほどショックを受け、帰国後に『父の遺言』を出版しました。
◆「スパイ防止法」チラシ(A4三つ折り)
◆「中国中央TV(CCTV)」記念館紹介(2025/10)
https://content-static.cctvnews.cctv.com/snow-book/video.html?item_id=14947265938149531657&toc_style_id=video_default&share_to=wechat&track_id=1ae29f97-b2b8-4d28-850c-1746e525568c
◆「受け継ぐ会・関西支部」が来館(2025/10)
「撫順の奇蹟を受け継ぐ会・関西支部」の3人が10月26日に来館しまた。前日は遠藤美幸さんの案内で慶應義塾大学日吉台キャンパスの「日吉台地下壕」を見学し、当日は記念館近くのホテルに泊まりました。
翌日来館し記念館の見学の後に、同会「東京支部」の4人が合流し交流を深めました。記念館で持参の昼食を摂り、午後からは芹沢事務局長の案内で、城下街の川越を案内し同日夕方の新幹線で帰阪しました。
◆「目取真俊さん来館」(2025/10)
1997年に『水滴』で芥川賞を受賞された沖縄在住の本名・島袋正さんが9月10日の午前中に靖国を見学し、午後から「その対極に在る記念館を訪ねたい」と突然電話が入りました。
「来館者名簿」には本名記載だったので、多くの賞を受賞しいる芥川賞作家の目取真さんと解ったのは退館後でした。
「沖縄の人にも知ってもらわなくては」と何冊も本を買って下さり「カンパ」も戴きました。
いま「辺野古」に力を入れているとの事でしたが、今年8月、辺野古監視中に「フェンスを壊した」との容疑で家宅捜索受け、パソコンやスマホなどを押収される弾圧を受けています。(琉球新法)
その後、早速、沖縄で目取真さんと面会予定の大手出版社の編集者が「目取真さんに推められた」と来館しました。
◆「JR東労組来館」(2025/10)
JR東労組・大宮地本の皆さん12名が、10月15日に来館しました。大宮地本は上部組織の東労組と共に「記念館会員」です。
また同労組が定期的に訪問している『平頂山惨案記念』には何時もJRの「花輪が飾ってあります。その近くの『撫順戦犯管理所』にも寄って下さっています。殆どの皆さんは「中帰連」を知らず初めての体験でした。
当日は2時間ほど在館し中帰連のプロジェクターで説明の後に、中帰連北海道支部の熊谷潔さんが36年前に札幌市立平岸中学で、自ら描いた戦場の油絵を見せながら証言した『絵で語る中国侵略』を見てもらいました。
この映像には当時の戦場や管理所の映像も含まれ説得ある映像です。前編は「人間から鬼へ」、後編は「鬼から人間へ」の2部構成です。
◆松本で「戦争遺跡保存ネット全国シンポ」(2025/8)
信州の「松本第一高校」を会場に8月23~25日、『戦争遺跡保存ネット全国シンポ・信州まつももと大会』が開かれ、四国や九州からも参加し両日で述べ300人が参加しました。
初日の「全体集会」は来賓、主催者挨拶に続き、大串潤児さん(国立歴史民族民族博物館 教授)による『戦後80年を生きる―戦争に向かいあう心理と論理』のテーマの記念講演がありました。
(全体集会) (第三分科会)
その後、基調講演として「戦争遺跡保存運動の現状と課題」、地元からの地域報告として「松本の戦争遺跡16年の変化。登戸研究所の疎開」の3本の報告がありました。
集会終了後に総会が開かれ「運動報告、会計報告、運動方針案、18人の運営委員」などが承認されました。その後、懇親会が開かれ多くの皆さんと交流を図りました。
二日目は第一分科会は「保存運動の現状と課題」、第二分科会は「調査の方法と保存整備の技術」、第三分科会は「平和博物館と次世代への継承」と3つの分科会別れ発表がありました。当記念館は芹沢事務局長(理事)が「中帰連と記念館近況」のテーマで報告しました。
最終日の3日目は希望者による半日、1日コースに分かれ、地元の戦争遺跡を巡る「フィールドツアー」が用意されました。
(市民タイムス) (信濃毎日新聞)
◆ウェスタ川越で 『敗戦80年、治安維持法100年』集会開催(2025/8)
当記念館主催で『敗戦80年、治安維持法100年』の集会を8月2日に、ウェスタ川越で開催し160人余りが参加しました。中国大使館や、中国、韓国からも研究者が参加し、メディアは朝日さいたま支局、信濃毎日、赤旗などが取材しました。当日の参加者には48頁の「レジュメ」も配流しました。集会は三部に別かれ昼食を挟み11時~16時半まで質疑応答を含め活発な集会でした。
最初に記念館理事でもある石田隆至(上海交通大学研究員)から『新中国の戦犯裁判と中帰連』のテーマで約30分の講演がありました。
続いて第二部では「満州国の『治安維持法』」のテーマで下記の3人の方から発言がありました。
最初に理事長でもある荻野富士夫(小樽商科大学名翌教授」からは「満州国の治安体制と抗日運動の弾圧」、細川清和(記念館理事)から「満州国の治安政策と古海忠之」、続いて對馬テツ子からは「731部隊への送致ー特移扱」のテーマで講演しました。
昼食休憩では会場後方の展示資料も多くの皆さんはが見て下さいました。午後からの第三部は「山東省に展開した59師団の供述を読む」のテーマで下記の10人から報告がありました。皆さん中帰連会員で月一回ペースで、戦犯たちの「供述書を読む会」で勉強しています。
・星野泰久(読む会代表):絵鳩毅「侵略戦争、 体験と反省」を手が
かりに
・佐藤 潔(撫順の奇蹟を受け継ぐ会」東京支部)総論:山東省におけ
る旧日本陸軍の治安戦
・笠原十九司(都留文科大学名誉教授)山東省における抗日根拠地・ゲ
リラ地区の展開
・遠藤美幸(「不戦兵士を語り継ぐ会」共同代表) 初年兵教育:刺突
訓練・殺人教育
・内田知行(大東文化大学名誉教授)集体殺人・個人殺人(戦闘時、平
和時)、捕虜殺人
・龍野瑤子(加害者としての戦争を語る会) 放火・家屋破壊
・荻野富士夫(小樽商科大学名誉教授)掠奪(綿花、小麦、食料、家畜、
現金、資源)
・藤原麗子(侵されまい人権、自由、平和科学者9条の会)性暴力(殺害、
凌辱、強姦、慰安所)
・吉澤倫子(米国の原爆投下の責任を問う会)毒ガス戦
・山本潤子(中帰連平和記念館会員)労工狩り、強制連行
(朝日新聞・埼玉版) (信濃毎日新聞)
◆今年も「7・7集会」開催(2025/7)
埼玉県浦和駅前のパルコで今年も『7・7集会』が開催されました。元軍人4団体(中帰連、不戦兵士の会、日中友好元軍事の会、関東日中平和友好会)が、日中全面戦争のキッカケの1937年7月7日を忘れないために毎年『7・7集会』を持ち回りで開いて来ました。
彼らの亡き後、それぞれの後継団体(撫順の奇跡を受け継ぐ会、不戦兵士を語り継ぐ会、日中友好8・15の会、関東日中平和友好会)が持ち回りで開き、今年も浦和パルコで開催されました。後援の中国大使館からは康暁雷参事官など3人も参加したました。
当日の講師は元朝日新聞編集員の上丸洋一さんが、「レジュメ」を用意下さり、南京大虐殺などについてお話し下さいました。
◆韓国から研究者など来館(2025/6)
韓国から研究者と学生、女性映画監督が29日に8人で来館しました。10時半に来館し16時近くまで在館でした。中帰連の事は大凡ご存知の皆さんでした。
最初に双方の自己紹介に続きパワーポイントで中帰の説明の後、45分の中帰連映像を視て戴き、昼食挟んで感想や意見交換などもしました。館内資料など真剣に視ていました。
◆「抗日戦争勝利80年」レセプション(2025/6)
中国大使館で6月25日『抗日戦争勝利80年集会』レセプションが開かれ、記念館から荻野理事長と芹沢事務局著が参加、30の友好団体、300人余りが参加しました。
最初に金杉憲治大使の挨拶があり、その後に徳島から駆けつけた97歳の元木光子さんが挨拶された。元木さんは敗戦後に徴用で看護婦として八路軍に従軍した女性で、骨折のリハビリ中で医師に無理と言われながら、二人の看護師に付き添われ参加しました。
次に政党や参加団体などの挨拶があり、その後に『紫金草合唱団』50人による40分に渡る「紫金草物語」の全曲合唱が披露されました。
休憩を挟んでの「昼食会」では 各団体の挨拶があり、記念館は荻野富士夫理事長が挨拶し、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」からは飯田弓子さん(記念館理事)、「不戦兵士を語り継ぐ会」からは遠藤美幸さんが挨拶しました。
◆今年も「観藤会」開催(2025/5)
私たちは「中帰連千葉支部」が匝瑳市の妙福寺に建立(1997.7)した『中帰連碑』(謝罪碑)の前に、境内の藤の花が咲く頃の5月5日、毎年『観藤会』と称した集いを開き、中帰連を偲び思いを新たにする機会にしています。
この集会は「受け継ぐ会東京支部、中帰連平和記念館、日中友好協会千葉支部」の3団体共催で開催しています。
今年は初参加の人を含め20人余りが参加して下さり、8月の「NHKスペシャル」制作中(731部隊の番組)で、先日記念館にも取材に来たNHK報道部の安部康之チーフディレクターも参加しました。また中国哈爾浜から陳英傑さんが、日中友好協会事務局の藤原さんと参加下さいました。
当日は碑の建立に尽力下さった篠塚良雄さんの墓前にお参りした後、、中帰連碑の前で『撫順の朝顔』を皆さんで合唱しました。その後、お寺の庫裡をお借りし、懇親会を開き自己紹介や中帰連の思い出などを話し合いました。最後に2000年の「国際女性戦犯法廷」で性暴力の加害証言をし、NHKにカットされた金子安次さんの戦争体験の証言映像を視ました。
来年の5月5日の再開を期待し16時過ぎに散会しました。
🔷NHKが「731資料」求め来館(2025/2)
NHKの報道部・報道番組センター社会番組部の安部康之チーフディレクターが「731部隊」の番組制作のため資料を求め来館しました。
731研究者の西里扶甬子さんやABC企画の和田千代子 さんなどに同席戴き、可能な範囲の資料を提供しました。
🔷「韓国から研究者来館(2025/2)
過日 来館した「ソウル大学」などの研究者が3人が、2月5日に「中帰連研究」のため再来館しました。
「中帰連・記念館」を知ったのは過日来館した『ハンギョレ新聞』の金・元編集長がハングルで出版した本を読んで知ったとの事で「また来ます」と帰国されました。
◆「クレアモント博士 再来館」(2025/2)
記念館の「10周年集会」にもご主人と参加下さった「シドニー大学」のクレアモント康子博士が2月1日に再来官下さいました。
日本で和解に努力している市民運動を纏めた先生の『CITIZEN POWER』(左頁英文、右頁和文)が、「外国人記者クラブ」で毎月1冊、英語で出版された本を推薦し、著者に講演依頼する本に選ばれ講演もされました。
今回の来日はお姉さんとの再会(米寿祝)が目的でしたが、長野の「満蒙開拓平和記念館」や、鶴岡の「戦犯収容所」の関係者などとも交流しました。。
記念館では荻野理事長や理事らと意見交換し、豪州の歴史や現状などもお聞きしました。午後からはご要望で「丸木美術館」や東秩父村の「和紙の里」(細川和紙・世界遺産)に案内しました。80歳を過ぎた今もお元気で研
「平和のための博物館ネット」全国交流会(2024/12)
昨年は長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」で開催された「平和のための博物館ネット」全国交流会が、今年は11月30日12月1日の2日間、「東京大空襲戦災資料館」の担当で江東区内の2カ所の会場で開かれました。集会は60人余りが参加し、記念館からは荻野理事長、芹沢事務局長、橋本理事が参加しました。
初日の会場は「江東区総合区民セントが-」で、最初にネットワークの共同代表の丸山豊さん(ピース愛知)から主催者挨拶がありました。続いて「東京大空襲戦災資料館」館長の吉田裕さんから「基調講演」があり、その後、東京大空襲の体験者の話もありました。
午後からは8団体からの発言があり、夜には「懇親会」も開かれ交流しました。
2日目は会場を「江東区文化センター」に移し4団体の報告があり、芹沢事務局長がトップで報告しました。中帰連のことはこの集会で何度か報告しているので、「中帰連と記念館近況」のタイトルで報告しました。レジュメの代わりに記念館の『ブックレット』を配布しました。
各自、発言時間は15分なので、皆さん時間が足りず苦労していました。両日とも纏めて「質疑応答」の時間もありました。
2日目の午後からは希望者による「戦災資料センター」の見学ななどの「フィールドワーク」も設定されました。
◆元憲兵・三尾さんの「アルバム」寄贈(2024/10)
先日、中帰連東京支部の三尾豊さんのさんの三女の明子さんから、貴重な三尾さんの『アルバム』2冊を寄贈戴きました。
三尾さんは731部隊に「マルタ」を送り込んだり、拷問などもした元憲兵でした。56年の特別軍事法廷で赦されて帰国後、中帰連に参加し、自らの罪業を証言し謝罪を続けました。731の裁判でも証言台に立ち、「731部隊展」でも証言をしていました。帰国後、訪中し周恩来総理とも面会しています。三尾さんの記録は小林節子さんの『撫順の空へ還った三尾さん』に詳しく記されています。尚、明子さんには長い間、記念館会員として多くのご支援を戴いております。
(三尾さんの小学校卒業写真) (周恩来総理との面会,2列目左から4人目)
◆ 埼玉県毛呂山町に「兒嶋文庫」開館(2024/10)
記念館前理事長の松村髙夫先生(慶応大額名誉教授)の教え子で、長岡大学教授の兒嶋俊郎先生には記念館の理事もお願いしていました。
しかし、その兒嶋先生は 2018年8月19日63歳で急逝(「会報」23号掲載)され、松村先生は「教え子が先に逝くとは」悲しみを体験しました。
松村先生が共同代表をしている『米国の原爆投下の責任を問う会』や、当記念館関係者などで、当時、兒嶋先生のマンションや大学の研究室に遺品整理に伺いました。
その兒嶋先生の膨大な本や研究資料の処分について、毛呂山町に土地と建物を持つ金野正晴さん(原子力科学者)が収納場所として提供下さり、長岡から毛呂山町へ移送しました。そして、この度『兒嶋文庫』として10月6日開所式を迎えた次第です。。松村先生の教え子など含め44人が参加しました。式典の後に懇親会も開かれまた。
◆戦争遺跡保存ネット「北九州やはた大会」(2024/8)
第27回戦争遺跡保存全国シンポジウム「北九州やはた大会」が福岡県の九州国際大学で8月17日~19日に開かれ、当記念館からは芹沢事務局校が参加しました。
初日の全体集会は開会挨拶や歓迎挨拶に続き、武末純一さん(九州近現代考古学談話会会長)の『近現代考古学と住民参加』と題した講演があり、その後、基調報告と地域報告がありました。
その後「総会」が開かれ活動報告や会計報告などが承認され、17時からは「全国交流会」が開かれました。
二日目は「保存運動の現状と課題、調査の方法と保存整備の技術、平和博物館と次世代への継承」の3つの分科会に分かれ、各6団体からの発表がありました。当記念館は第三部会の「平和博物館と次世代への継承」で50分ほど中帰連の説明と記念館の近況を報告しました。その後、全体報告会がありました。
三日目は希望者による現地の「戦争遺跡見学ツアー」が設定されました。
(全体集会) (第三部会)
◆中国と米から研究者が来館(2024/7)
中国の南京師範大学から2人の女性教師と、米のデューク大学とプリンストン大学の博士課程の院生2人の4人が7月29日に来館しました。
二人の女性は同期生で共に「中帰連」を研究し、東京神田に「東亜高等預備学校」を設立し、周恩来や魯迅にも日本語を教えた松本亀次郎(静岡県掛川市出身)の広報運動をしている、鷲山恭彦先生(元学芸大学学長)を訪ね掛川市に行き鷲山先生とも面会して来たとの事です。
男性は「撫順産業史」などを研究し、研究のため一時2ヶ月ほど日本に滞在中との事した。(中央女性は在日中のホストマザー)
10時から17時まで一日資料や映像を視たり、芹沢事務局長と話したり「有意義な時間を過ごした」と喜んで下さいました。
◆「中帰連」のお孫さんが来館(2024/7)
中帰連・埼玉支部会員だった榎本正美さんのお孫さんが、お爺さんの写真を処分できずに「参考になれば」と持参下さいました。
資料の中には貴重な『軍人勅諭』もありました。小さい頃から抵抗なく「証言集会」などに連れて行かれたとのことです。お爺ちゃん子でお爺ちゃん大好きだったとの事でした。
◆早大、慶応の学生さん来館(2024/7)
昨年、来館くださった早大の教員が、早大と慶応の学生10人ほどを同行し7月6日来館下さいました。
殆ど「中帰連」のことは知らずビックリした事でしょう。研究者やジャーナリスト以外は普段あまり若い人は来ないので有難う御座いました。「また来ます」と言ってくれた学生もおり嬉しく思います。
◆ 今年も「観藤会」開催(2024/5)
中帰連千葉支5月5日に中帰連が匝瑳市の妙福寺境内に建立した『中帰連碑』(謝罪碑)の前に今年も仲間15人が集いました。
この集いは「撫順の奇蹟を受け継ぐ会、、中連平和記念館」の共催と、日中友好協会千葉支部」の協力で毎年開催しています。
当日は境内にある碑の建立に尽力した篠塚良雄さん(元731少年隊)のお墓にも参拝し、生前に貴重な証言もて下さった篠塚さんの思い出なども話し合い、体験談の証言映像も上映しました。
◆「群馬と東京から来館」(2024/4)
「以前来館した友人から聞いた」と群馬と都内の皆さん5人が4月6日に来館しました。女性たちは都内千代田区の伝統ある「女子学院」の同級生で、車椅子の男性は大学教員との事です。
パワーポントを使った芹沢事務長の説明の後に、貴重な映像も2本視て戴きました。重大な加害虐殺をしながら赦された「戦犯・中帰連」の事は詳しくは知らず「勉強になった」と感謝され、この後2時過ぎに車で「丸木美術館」に向かいました。中国では一般市民1000万人が虐殺され(日本人犠牲者310万人)ており、その加害は中帰連だけの体験ではなく、日本兵の殆どが体験していますが、加害は語らずに亡くなりました。
◆「中帰連に学ぶ会」開催(2024/3)
3月16日「中帰連に学ぶ会」を開催し、講師には内海愛子先生(恵泉女学園大学名誉教授)にお願いしました。
『戦争責任・戦後責任―植民支配の視点から考える』のテーマで20名ほどでお話しを伺いました。当日は8頁の貴重な「レジュメ」(同封)も配布されました。
最初に「日本国民とは」と基本的な話があり、戦時中は朝鮮人も台湾人も「日本国民」であったが、昭和天皇の最後の勅令で「当分の間、外国人とみなす」となり、「外国人登録証」の常時携帯を義務づけられた。 そして、1952年の対日平和条約発行直後に民事局長通達で朝鮮人及び台湾人の日本国籍が剥奪され「日本国民」から旧植民地出身を排除した。
Ⅰ 戦争裁判と植民地支配
カイロ宣言とポツダム宣言、極東軍事裁判(東京裁判)、BC戦犯裁判、朝鮮人軍属の話しをされた。
Ⅱ現場から考える――泰緬鉄道
大本営は「泰緬鉄道」(タイービルマ間約415キロ)の建設に、日本軍1万5千人他、捕虜5万人余、アジア人ロームシャ10万人余を注ぎ込み4ヶ月の突貫工事で4~7万人が犠牲になった。
Ⅲ サンフランシスコ平和条約
1956年朝鮮戦争勃発、警察予備隊発足、平和条約により独立、東京裁判、BC級裁判、戦犯の復権、靖国合祀、天皇の戦争責任など。
Ⅳ 記憶を語るー戦犯裁判の実相の刊行
戦犯たちが裁判にどう臨んだのか、また
その思いなど、戦犯たちは「巣鴨法務委員会」を結成、裁判の実相を伝えるために『戦犯裁判の実相』を刊行し、取調べ段階から裁判までの間にどんなことがあったか主張している。
Ⅴ 援護法と戦犯
当初、刑死者、獄死者は援護法の対象外で生活保護しかなかったが、その後、法が改正され恩給を含め、戦没者と同じ扱いとなった。
Ⅵ アジア侵略・植民支配の精算
大韓民国と「日韓条約」を締結し、敗戦前の戦死者には補償したが、3年の時限立法のため補償金を受け取った遺族は半数にも満たなかった。
◆事務局長「東京・目黒」出張講演(2024/3)
東京・目黒の「目黒東急会館」で3月13日、芹沢事務局長が「10~30代」の若い現職の皆さん30名ほどに、パワーポイントを観てもらいながら「中帰連・戦争」の話をした後に、中帰連の記録映像を観てもらいました。
皆さん初めて聴く・知る話で真剣に聴いて下り、質疑応答も活発でした。
記念館の来館者は研究者やジャーナリストは別として、一般の方はどうしても年配者が多く、若い皆さんへの話は久しぶりで張り合いがあり有難う御座いました。この集会は昨年8月に『女のしんぶん』の取材で来館下さったた小林美咲さんが設定して下さいました。
◆「中国中央TV、人民日報」が取材(2024/2)
2月17日に中国のNHKと言われる「中国中央TV」(CCTV)から2人の記者が取材に来ました。館内取材の後に芹沢事局長と宮本司書がインタビューを受けました。また同28日には『人民日報』の東京支局長と特派員も取材に来ました。
※以下『CCTV』放送画面の「URL」です。写真は『人民日報』の記者
https://content-static.cctvnews.cctv.com/snow-book/video.html?item_id=14947265938149531657&toc_style_id=video_default&share_to=wechat&track_id=1ae29f97-b2b8-4d28-850c-1746e525568c
◆韓国から研究者来館(2024/2)
2月3日に韓国から2人の大学教員の女性研究者が来館しました。お二人は友人同士で大学も別で、別行動で来日し日本で合流し来館したそうです。
「中帰連」を知ったキッカケは、過日来館した『ハンギョレ新聞』金・元編集長がハングルで書いた本『私は戦争犯罪人です』(右)を読んだり、この記念館のホームページを見たりして知ったそうです。「慰安婦問題」なども研究しているとの事です。この後、長野県の「松代大本営」も尋ねるそうです。
28日には別の大学の男性研究者が3人で来館しました。この皆さんももこの金・元編集長の本で「中帰連」を知ったそうです。
◆ ラオスから再来館(2024/1)
昨年5月にライスから来館下さった村山昭雄さんが、年明けの1月に再度来館下さいました。
村山さんは神奈川県大和市の少年施設などに勤務した後、青年海外協力隊に参加しラオスに派遣されました。現地女性と出会い結婚し、30年余り現地で暮らしています。二人の娘さんが名古屋で暮らしている関係で、年1、2回帰国するそうです。
中帰連を知ったキッカケは、『週刊金曜日』とのことで、「受け継ぐ・関西支部」のズームに参加し、講師だった石田隆至理事と繋がり「是非!記念館に」と推薦されたとの事でした。
当日は10時過ぎに来館し15時過ぎまで「戦犯たちの告白、命をかけた日中友好~岡崎嘉平太、フィルムは見ていた~南京大虐殺」などの映像を観て戴きました。
◆「中帰連に学ぶ会」開催(2023/12)
今回は9月に松村前理事長から引き継いだ荻野富士夫新理事長に「治安維持法と『大東亜治安体制』―日本・台湾・朝鮮『満州国』」のテーマで講演戴きました。
ご承知の方も多いと思いますが、荻野理事長は長い間、小樽商科大学に勤め停年をになり同大学の名誉教授で、「治安維持法」の第一人者でありTVや新聞でお顔を拝見した方多いかと思います。当日は狭い記念館閲覧室一杯の30名ほどがご参加下さいました。 当日は10頁の「レジュメ」も配付され約1時間余りの講演の後、「質疑応答」もありました。
講演内容1980年代以降の東アジアの社会変革、第二次大戦後の台湾・韓国における軍事独裁政権の存続、治安維持法100年を前に治安維持の法の「悪法性」をより性格にするためにと進みました。レジュメには詳しい同法の検挙者数や起訴率など、何点もの詳しい資料と共に話しをお聴きしました。
最後に「ファッシズム国歌での比較」として、占領地域におけるドイツの「治安体制」、ポーランド、オランダ、フランスなど治安法令治安構想にも触れました。
次回は「3月16日(土)」13:30から講師は内海愛子さんの予定です。
◆「平和のための博物館市民ネット」全国交流会 4年ぶりに「満蒙開拓平和記念館」で開催(2023/12)
「平和のための博物館市民ネット」の全国交流会がコロナで開けず、対面での全国交流会が4年ぶりに、長野県阿智村の開館10年を迎えた「満蒙開拓平和記念館」で12月2、3日に開催され、50名余が参加し10人から発表がありました。
長野県は開拓団犠牲者が31,246人と一番多く二位の山形の13,252人の倍以上の犠牲者を出しています。また県内でも阿智 「(満蒙開拓平和記念館」長野県阿智村)
村を含む下伊那・飯田地域の犠牲者がダントツに多く犠牲者を出しています。
初日は主催者代表として丸山豊さん(ピース愛知)の挨拶の後、開催館の「満蒙開拓平和記念館」の寺沢秀文館長の挨拶で始まりました。
最初に主催館事務局長の三沢亜紀さんから「10年の歩みレポート」報告があり、続い北村栄美さん(89歳)が「親子で辿る満蒙開拓の歴史」と題し親子で掛け合いながら、開拓団の辛い体験談や「語り部」を始めたキッカケなどについてお話し下さいました。
その後、地元の県立松川高校ボランティア部の生徒の皆さんが、4組に分かれた参加者に館内の展示説明をしてくれました。
その後「会員報告」に入り「ひめゆり平和祈念資料館、伝言館、飯田市平和祈念館を考える会、法政大学非常勤講師」の順で、各15分の持ち時間で発言がありました。その後、全体討論として質疑応答や意見交換がありました。
二日目は会員報告で「山梨平和ミュージアム、アウシュビッツ平和博物館、wam、立命館大学、平和友の会、ピース愛知」の順て発言があり、休憩を挟んで「質疑応答、意見交換」もありました。
閉会・お礼の挨拶には寺沢秀文館長の挨拶に続き、最後に共同代表の池田恵理子さん(wam)から主催者挨拶で閉会しました。
この集会は翌3日の『信濃毎日新聞』と『中日新聞』で大きく報道されました。
来年は「東京大空襲・戦災資料センター」です。 (信濃毎日) (中日)
◆仁木ふみ子と「平和の環」展 開催(2023/11)
関東大震災から100年の今年10月29日~12月27日の間、記念館のエントランスで記念館の初代理事長・仁木ふみ子(2012年8月、85歳で逝去)の業績展示をしています。
11月25日には「記念講演」が開かれ30人余りが参加し、中国大使館から岑松一等書記官も駆けつけました。講演には仁木が上海の「華東師範大学」で講師をしいた時の通訳兼助手として、長い間、公私を共にしてきた王智新さん(大学教授)が、仁木との出会いなどを含む話がありました。
仁木は大分で高校の国語教師でしたが、最後は日教組本部の婦人部長を勤めました。
『震災下の中国人虐殺』や『無人区 長城のホロコースト』など多くの著書があり『宋慶齢選集』の翻訳もされました。教師仲間の後輩たちと『中国山地教育を支援する会』を組織し、戦争被害が大きく貧しかった中国奥地の興隆や温州などに学校建設やレントゲン
機器や文房具などの支援もしてきました。
また宋慶齢を尊敬し「宋慶齢基金会」の名誉理事もし、関東大震災下の王希天など中国人虐殺なども研究し、「女子研」(女子教育問題研究会)も首謀していました。「中帰連(中国帰還者連絡会)」関連の「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の代表や、「中帰連平和記念館」の理事長は最後の仕事でした。
当日は『仁木ふみ子追悼文集』(A5版、294頁 \2000)が届き、追悼文を寄せた皆さんに配付されました。
(中央・大使館)
◆新刊『撫順戦犯管理所長の回想
~こうして報復の連鎖は断たれた』
元「撫順戦犯管理所」の金源所長(2002.3.7逝去・享年75歳)の貴重な証言記録が今月出版されました。この本は「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」や「季刊中帰連」が中心になった金源先生の回想録を新たに翻訳出版したものです。
金源さんは中帰連の皆さんとは並々ならぬ信頼関係があり、帰国後も度々訪中し面会していました。鄭英順夫人はご健在です。金源先生は夫人と共に非常に日本語が堪能で中帰連の皆さんとのコミュニケーションも非常にスムースでした。当初、金源さんも戦犯たちへの厚遇に納得出来ませんでした。
管理所の事だけでなく、子ども頃の貧しく朝鮮から満州に渡った子ども時代からの経緯もあります。
著者:金 源 、監修:大澤武司、訳者:中川寿子
出版:桐書房 定価2000円 発行:2020.6.15 四六版 342ページ
※ご希望方は記念館まで (税、送料サービス)
E-mail:npo-kinenkan@nifty.com TEL&FAX:049-236-4711(水、土、日) 〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6 (「振込用紙」同封でお送りします。)
◆『ブックレット』作成(2020/1)
日中戦争で中国の日本軍は南京大虐殺や3000人もの中国人の「生態実験・解剖」などの虐殺(731部隊)をしました。そして、戦闘だけではなく1000万人もの市民を虐殺し、強姦は日常的に行われました。
しかし、1956年の「特別軍事法廷」では1000人余の戦犯のうち、起訴されたのは僅か45人で、他全員「起訴免除」とされ釈放されました。そして、周恩来は起訴の45人にも「死刑も無期」も認めず1964年までに全員帰国しました。
この彼らの体験と歴史を『撫順の戦犯が赦された歴史を忘れない』を作成しました。希望者には送料込500円でお送りします。(B5版28頁、全カラー、年表、参考図書・映像資料掲載
E-mail:npo-kinenkan@nifty.com TEL&FAX:049-236-4711(水、土、日) 〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6 (「振込用紙」同封でお送りします。)
「NPO中帰連平和記念館」の前で記念写真
◆「中帰連に学ぶ会」開催(2019/3)
「中帰連に学ぶ会」が2月24日(日)開かれ、今回の講師は「方正友好交流の会」の大類善啓理事長にお願いしました。「方正」とは731部隊の在った哈爾浜郊外の東方180キロに在ります。
8月9日のソ連参戦で国境付近に貼り付けられた開拓団は「哈爾浜まで行けば関東軍がいる」と信じて逃避行を続けました。しかし、関東軍は開拓団を棄民し我先に逃げ出していた (公墓の在る「中日友好園林」)
ことは知られた通りです。哈爾浜を目指した開拓団はこの方正まで辿り着きましたが、飢えと寒さや疫病などで約3000人がここで犠牲になり仮埋葬されました。
戦後、その仮埋葬の白骨の山が出現し、その状況を見かねた残留婦人の松田ちゑさんが地元政府に「埋葬許可」を願い出ました。その要望が中央政府の周恩来総理にまで届き、周総理は「それは中国政府がやらせてもらいます」との返事が届きました。その結果この方正に開拓団犠牲者のために中国政府が建立した「方正地区日本人公墓」が在ります。その現地と交流しているのが「方正友好交流の会」です。当時、中国政府は開拓民はもとより、一般兵士も含め「一部の軍国主義の犠牲者」との解釈をしていました。
この公墓の隣には残留孤児が建てた「中国養父母公墓」と、集団自決悲劇の「麻山地区日本人公墓」も並んでいます。
開拓団の犠牲一番多かったのは長野県南部ですが、その長野県阿智村には「満蒙開拓平和記念館」が在り、機会がありましたら是非お出かけ下さい。
(中国養父母公墓) (方正地区日本人公墓)
【「撫順戦犯管理所」関係者一行が来館】
「撫順戦犯管理所」の孫所長(館長)など6人が6月21~25日来日し、24日には記念館にも来館しまた。来館前には札幌の伊東秀子さん(「中帰連」上坪鉄一氏の遺族)や、都内の元中帰連事務局長の髙橋哲郎さんにも面会しました。
記念館の「懇親会」では理事らが参加し交流を図りました。記念館側からは档案館などに所蔵されている「中帰連関連資料」の開示要請があり、今後よりいっそうの交流を深めることを確認しました。(写真は「記念館」での交流会)
【記念館基本情報】
住所:〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6
最寄り駅:東武東上線「鶴ヶ島駅」西口(タクシー10分)
JR川越線「笠幡駅」徒歩25分
【開館日】「水、土、日」10:30~16:30(なるべく事前にご連絡下さい)
TEL:049-236-4711
E-mail:npo-kinenkan@nifty.com
HP: http://npo-chuukiren.jimdo.com/
郵便振込:(00150-6-315918)
口座名義:「中帰連平和記念館」年会員:5000円 (カンパ歓迎)
名誉顧問:むのたけじ(フリージャーナリスト)
理事長:松村髙夫(慶応大学名誉教授)
地図:https://goo.gl/maps/6svNN7sVCpF2



