『それじゃ、ちょっくら行ってくる。帰りは明日になっちまうけど……何度も言うけど、無理して『試練』受ける必要はないから、少しは休んだ方がいい』
『わかってますーってば。スバルったらもう、そんなに心配そうな顔しないでよ。ちゃんと言いつけ通り、今日は大人しく休んでることにするから』
「…スバル様は確かこの後……」
フレデリカが記憶を辿る。
「…ダメよ、スバル。戻ったら……きっと」
エミリアが願うのは、スバルの幸せ─ただそれだけなのに。
村人を村に戻す。
それが、スバルの出した成果だ。
『ありがと、ね。スバルが言い出してくれなきゃ、私、こんなことにも気付かなかったかもしれないから』
『エミリアたんはエミリアたんで大変な立場なんだし、周りのことでフォローすんのは俺らに任せてくれたらいいって。まず、目の前の一大事。他のことはうまいこと回してみせるから、安心してくれていいぜ』
『わかった。スバルのこと、頼りにしてる。だから……』
『わかってるって。みんなを送り届けたらすぐにそのままとんぼ返りしてくるよ。屋敷に忘れたお気に入りのぬいぐるみとかあったら、ついでに持ってくるけど?』
『そんなのもうずいぶん前に卒業したもん。それに早く帰ってきてなんてお願いしてないじゃない。それはもちろん、早く帰ってきてくれた方が嬉しいけど……』
『じゃ、なんて言おうとしてたの?』
『……気をつけてねって。早いのも嬉しいけど、何事もなければその方がいいから』
「──大変なのはいつだってスバルじゃない。私がスバルより大変だったことなんて……」
「……エミリア」
『スバル。精霊術師にとって約束は……』
『超大事、だろ。学習したし、痛感もしたよ。俺はエミリアたんとの約束はもう破らん。なるたけ、他の人との約束も守るよう努力する。そんなとこで納得お願い』
「…ぅ、どうして……」
エミリアの紫紺の瞳が揺らぐ。
もう、スバルが死んでしまうとわかっているから。
竜車で聖域を抜け、村へ向かう。
途中まではガーフィールがいたが、聖域を抜けてからはオットーとスバルで。
『ナツキさん、このまますぐにとんぼ返りですか?』
『さすがに性急すぎるし、小休止してからでいいだろ。それに屋敷に顔出して、フレデリカとペトラに事情も説明しなきゃいけねぇしな』
そうスバルが口にすると、オットーも行商人仲間と話を詰めたいとのことだった。
やることは互いに沢山ある。
「…ナツキさん……」
「……スバル、どうか─」
─必要以上に、傷つかないで。
『執務室ならフレデリカがいんだろ。とりあえず、ペトラに会ってから……あと、ベア子も探さないとな』
『謝る……ってのも変な話だけどな。悪いことした自覚がねぇから……』
『まずは前哨戦……って思ったんだけど』
『灯りつけたまま出るって、しっかり者のペトラらしくねぇけど……ここにいないってなると、ひょっとして執務室でお勉強中?』
『いやいや、まだまだ四則演算ができる上では俺の方が優位のはず!現代日本の義務教育を舐めたら、あかんぜよ!』
『そうだ。こんな隠し通路があったんだ。覚えてる、覚えてるよ』
『パックに氷漬けにされた、んだと思うが』
『それがどうして今……』
『なにから、逃げるために?』
『それなら、フレデリカが書き置きの一つもしてないのが不自然すぎる。それにアーラム村の人たちはなにも気付いてなかったし……魔女教みたいな危なすぎる奴らがくるなら、村人を巻き込まないために行動を起こすはずだ』
『フレデリカとペトラはたぶん、屋敷を出てる。……それなら、俺は』
『俺の知ってるベアトリスは、そんな空気の読めるガキじゃねぇ』
『引っ張り出してやる……!』
『そうと決まれば――!』
隠し通路に背を向けて、スバルは息を鋭く吐くと執務室を飛び出す。
ベアトリスを見つけ出すのに、もっとも確実なのは屋敷中の扉を片っ端から全て開けていくことだ。
スバルならばその途中で、ベアトリスの禁書庫に繋がっていそうな扉が『なんとなく』わかる。
それを頼りに、彼女を見つけ出せばいい。
まずは最上階の扉を片っ端から――、と、勢い込んで駆け出す足がふいにもつれてスバルは転んだ。
なんとも出だしの悪い姿に情けなさより気恥ずかしさが先立つ。
格好付けた矢先がこれではイマイチ決まらない。
通路の絨毯に手をついて、スバルはなにに躓いたのかと振り返る。
見れば、執務室の扉の少し先になにかが落ちていた。
桃色のそれはずいぶんと長く、そこから数歩離れたスバルの足下まで続いている。
それを辿り、いったいどこまで続くのかと追いかけてみればなんのことはない。
――それは、スバルの裂けた横腹からこぼれ落ちていた。
「……ぇ」
エミリアの口から、小さな吐息が漏れたあと、耳を劈くような悲鳴が。
「すば、スバル……いや、どうして……?」
「スバル、ベティーなんて気にしなくていいのよ!逃げて、早く……!」
涙の溢れる音がする。
「…こ、れは」
ラインハルトは気付く。
それは、嘗て自分の取り逃がした殺人鬼の仕業であることに。
「…僕の、せいで」
英雄は、強い。
強いだけだ。
『――は?』
服の左腹が綺麗に裂けて、そこから桃色の内臓がこぼれ出していた。
それは執務室の扉を出たところから始まり、スバルの足下で今絡んでこちらの足を取ったところで、それはつまりいつの間にか腹部を切られていたということで。
『……ぉぶ』
それらを呑み込んだ瞬間、せり上がる血塊が喉を塞ぎ、視界が真っ赤に染まった。
腹圧に耐えかねて溢れ出す内臓を、震える指先で体内に押し込もうとして、力が足りずにその場に膝から崩れ落ちる。
体が支えていられず、上体が倒れた。
なにが起きたのかわからない。
今、スバルは確かに、走り出したところで。
『――言ったでしょう?約束をしたでしょう?』
『次に会うときまで、腸を可愛がっておいてって』
「腸、狩り……」
ラインハルトがそう囁くのと同時に、ヴィルヘルムの小さな声がラインハルトの耳に届く。
──なぜ、あの時討たなかったのか、と。
『墓所の中、か……?』
『最初の『試練』の直後ってことか……?ここまで戻って……いや、それより』
『――エミリア!』
『今回がダメなのはわかってるんだ……』
『す、ばる……?』
『ああ、そうだ。俺だよ、エミリアたん。大丈夫か?』
「…自分が死んだ直後に、どうして……」
エミリアは迷惑をかけてばかりだ。
謝っても、スバルは優しく笑うだけなのだろうが。
『それにしても……また、か』
『それが嬉しいかどうかは別の話だけどな。自分のモツ見て空腹感とか恍惚とか覚えるような倒錯した感性の持ち合わせはないし……そんなんがあるのは』
『ここで『腸狩り』の再登場ってことかよ……勘弁しろや……』
『姿は見えてなかったが、エルザに間違いねぇだろ。っつか、あんなんが他にいるとか思いたくねぇ。エルザでいこう』
『傷はない、って見る方が無難か。回復魔法のこと考えると、死ぬ以外はどうにかなりそうだもんなこの世界。俺だって、それ言い出したら何回も死んでるし……いや、実際死んでんだけど』
『エルザが屋敷にいた理由と、フレデリカたちがどうしたのか』
『少なくとも、あの夜までは何事も起きてなかった……ってことか?』
『ラグマイト鉱石と違って、結晶灯は日中に大気中のマナで充電する必要がある。付けっ放しでいると、持続時間は半日ももたないってのは経験談で知ってる』
『昼もずっとついてたなら、夜に灯りが残ってたってのはおかしい。前日以前から屋敷が空って線は消していいはずだ。そうなるとリミットは……六日目の夜。今が二日目の夜だから、四日後。いや、三日と半日の間』
『あの『腸狩り』に襲われた屋敷の防衛、もしくは屋敷の奴らの安全の確保』
『あの避難通路がアホほど長いトンネルで、どことも知れない場所に繋がっててそこへ落ち伸びたケース。もしくは……』
『ユリウス以上、ヴィルヘルムさん以下……もしくはってとこだ。とてもじゃねぇが、俺がちょっと頑張ったくらいで歯が立つ相手じゃない』
『今回も無敵のラインハルトさんがたまたま通りかかってくれれば最高なんだが……いくらあいつが主人公補正バリバリのイケメンキャラでも、この局面に顔を出してくれるってのは虫が良すぎる』
「…私以上……とてもじゃないが、この戦力では……」
「スバル……僕は」
『エルザが屋敷にきた理由は……やっぱり、前回と同じで王選の妨害か。けっきょく、あいつは誰に雇われてエミリアの邪魔をしてやがんだ』
『他の候補者見たあとじゃ……そうも言い切れないような』
『プリシラ……あの傲岸不遜なお嬢様が、こんな暗闘みたいな真似好んですんのか?俺の見誤りじゃなけりゃ、あれは本気で自分が世界の中心だと思ってる類の人間だぞ。能動的にこんな手を打つように思えねぇ。そうなるとアナスタシアさんだが……』
『ユリウスの奴がそれを見過ごすとも思えねぇ、か。いや、別にあいつのことを評価してたりするわけじゃないけどね。うん、ただまぁ、そんな気がするだけで』
『候補者から候補がいなくなる。ただ……それでも、考える余地はいくらでもあんだよな。エミリアの、扱われ方を考えると』
『ただそうなると事実上、依頼人の身元を暴くのは不可能になっちまうな。エルザ本人が吐いてくれない限りは』
『こっちの陣営の貧弱さが思いやられるな。俺はばっちりダメ。オットーも数えるだけ無駄。エミリアはパックが健在なら善戦できて、ラムは長期戦になる可能性を考慮するとスタミナに不安。ロズワールはケガ人で安定の役立たず。フレデリカがどれぐらいやれるのかわからないのと、ペトラがまさかの隠された力を持ったチートキャラ設定……ってのは無理がある。となると』
「……まさか、味方に裏切り者がいるとは思わないかしら」
「…いや〜ぁ、返す言葉もないね〜ぇ」
ベアトリスが小さく舌打ちをし、その眼光は鋭くなる。
『――こんなとこでなァにをうだうだやってやがんだよォ?』
『ちょっと整理したいこととかがあってな、考えごとしてた。エミリアは?』
『お姫様ならまァだグースカと寝てやがんぜ。『モロロクのうたた寝は一昼夜続く』なんてことにならねェといいがな』
『なぁ、ガーフィール』
『んっだよ』
『お前は最強、なんだよな。誰にも負けない自信がある、そうだろ?』
『あァ?ったりめェだろうが。誰っだろうと俺様がぶっ潰して、ぶっ飛ばして、ぶち殺して勝ち誇ってやんよ』
『この『聖域』から外に出たら、お前のその力が必要になるときがすぐにくると思うんだ。そうなったとき、お前の最強に頼ることがあると思う』
『あんだと?』
『その言葉、証明してみせてくれよ。それが一番、頼りになりそうだ』
『バルス、まだエミリア様は……』
『んにゃ、そろそろ起きてるはずだよ。――エミリアたん、顔出しづらいんだろうけど、話をしようぜ。みんなもそれを待ってるからさ』
「最強…」
まるでそれが戒めであるとでも言いたげに、ガーフィールは自らの下唇を噛む。
最強ならなぜ、スバルを守りきれないのか。
いつもいつも。
『その……迷惑ばっかりかけて、ごめんなさい。墓所の中でも、それに今も……』
『エミリアたんにかけられる迷惑は迷惑じゃなくて俺のやりたいことだから平気。それより、どっか重かったり痛かったりしてない? なにか変な感じがするところがあるんなら、俺が優しく撫でて擦って癒してあげるけど』
『ん。ちょっと倒れたときに腰を打ったみたいで少しじんじんして……』
『よしわかった。さっそくそこを入念に……ラムさん?ラムさん?杖の先端が俺の肝臓付近に突き刺さってますぜ!?』
『エミリア様、お加減は大丈夫でしょうか。バルスの無礼な発言は忘れて、ラムにははっきりとご自分の体調をお伝えください』
『う、うん、大丈夫よ。中の……『試練』の話をしなくちゃだもの、ね』
『それで、中に入ったナツキさんが無事だったのはなんでなんです?』
『言ったろ?『資格』をもらったから中に入るんだ、って。どこでもらったかって話をするなら、たぶん昼間の墓所でだ。それで、中に入ってどうなったかっていうと……俺もエミリアたんと同じ『試練』ってやつを受けた。結果は、通ったみたいだけどな』
『前もって言っておくけど、別に俺の方が優秀だったから『試練』を抜けたとかってことじゃない。『試練』は過去と向き合うことだった。そこそこ折り合い付けてた俺にとっちゃ、ボーナスステージだったってだけの話だ』
『でも、さっきのエミリア様の話からすると、『試練』は一つで終わりではないのでしょう? まず、という言葉には続きがあることが予想できるから』
『俺が『試練』を攻略したときに聞いたんだが……『試練』への挑戦者が二人同時に入ると、次の『試練』には進めないらしいんだ。日を改めなきゃ入れない』
『俺とエミリアたんが二人で墓所に入ると、エミリアたんの『試練』が始まるばかりで俺は『試練』を……第二のそれが受けられないってわけだ』
『今の話の流れからすると、ナツキさんも『試練』に挑戦する腹積もりなわけですか?もともと、これはエミリア様の功績にするためのものなんじゃ……』
「…ぅ、スバル……」
嘔吐くように吐息が漏れる。
『今のって、どういうことなの?』
『エミリアたん、落ち着こう。今のはその……』
『誤魔化さないで、ちゃんと教えて。――お願い、スバル』
『エミリアたんが『試練』をクリアすれば、アーラム村の人たちは人質から解放されるし、『聖域』の人たちもこの土地に縛られる生活からおさらばできる。『試練』が攻略できれば、その二つの陣営からの支持を得られるはず……ってのが、事の本当の目論見ってやつだったんだよ』
『……そんな、の。スバルは、知ってたの?』
『いや、言われるまで全然さっぱり気付きもしてなかった』
『全部、ロズワールの思惑だ。正直、俺はあいつのケガすらもそのためのパフォーマンスの一環じゃないかって疑ってる』
『いくらロズワールでもそこまで……なんて、言い切れないのよね。今の状況を考えてみたら、それぐらいのことしかねないもの』
「それ以上のことをしていたのだから、笑えないかしら」
「…ベアトリス様」
「止めるんじゃないのよラム、この先スバルがもしも酷い目に遭わされたなら、べティーは魔法が使えずとも拳を振るう他ないかしら」
『俺は君の力になりたい。『過去』と向き合って君がなにを見たのかわからない。でも、あんなに苦しそうで、あんなに泣きじゃくって、それで心が砕けそうになる辛さを味わうんなら……手を差し伸べてあげたい』
『『試練』を受けて、『聖域』を解放するだけなら俺がやっても問題ないはずだ。その手柄が必要だってんなら、俺のものは全部君にあげる。俺の功績は君の功績だ。誰もかれもが『過去』を抱えてるけど……その全部が、折り合いをつけなきゃいけないものだなんて決めつけるのはよくないもんな』
『悩んでるならそれでもいい。すぐ決断できることじゃないってのはわかってる。――それならそれでもいいから、せめて明日一日は俺に譲ってみてほしい』
『どっち道、これだけ疲弊してるエミリアたんを明日も墓所に連れてって『さあ、試練を受けろ!』なんて鬼教官はやれねぇよ。それなら二個目の『試練』を先に予習する意味でも、まだ余裕のある俺が挑んでおくべきだ。その結果、俺がもしも『試練』を突破できるようなら、儲けものって話でさ』
『黙って聞いてりゃァ、そうやって好き勝手に話進めてやがっけどよォ』
『俺様ァ、そのお姫様……エミリア様以外が『試練』を受けるのなんざ反対だ。少なくとも、てめェにだけは絶対の絶対の絶対に、解放してもらいたいたァ思わねェ』
『いいか?繰り返すぜ?俺様ァ、エミリア様以外が『試練』を受けるのを認めねェ。これァ、ババアにも曲げさせねェ俺様からの条件だと思っておけや』
「…反対……」
ガーフィールの顔に、曇りが。
エミリアはそれを何とかしようとするが、何ともならない。
「ガーフィール……」
太陽を失った地面には、光が差し込むことは無かった。