『ちゃんとしつければ、犬でも許可が出るまで食事を我慢できる』
『つまり、言いつけを守るということは犬ですら守れる最低限の約束事と言えるわ』
『犬でも守れるような約束事が守れない生き物は、果たしてなんと呼べばいいのかしら?バルス、わかる?』
『すみません、だなんて謝罪を求めていたように聞こえた?質問が聞こえないばかりか、話の前後まで聞こえていないようね。ラムの忠告がそもそも耳に入っていなかったのだと思えば、納得できないことでもないようね』
『はーぁいはい。ラムもそのあたりで許してあげなーぁって。どーぉせ、エミリア様にも同じようにお説教されたんでしょ?繰り返してもしょーぅがないことだし、被虐趣味のスバルくんを喜ばせるだーぁけだからね』
『まーぁずはご無事に戻られてなによりです。『試練』の前に躓かれては色々と予定も狂ってしまいますかーぁらね。スバルくんのことは完全にただの手違いだけどねーぇ』
『いつもなら擁護してあげたいけど、今日はスバルが悪いもの。……ラムからそんなこと言われてたって知ってたら私だって』
スバルを先に行かせたりしなかった、と言いたげに。
だが、エミリアは自分の無力を知っている。
だからこそ。
「私、聖域でスバルに何をしてあげられた……?」
『時にエミリア様……墓所は、いかがでしたか?』
『……スバルのこともあったから、あまりゆっくりと見て回ったりはできなかったの。でも、空気の嫌な臭いと肌に刺す不快な感触は覚えてるわ』
「すごーく嫌な感じがしたわ。それこそ、お墓って言葉がすごく似合うくらい」
『俺とお前で、なんかずいぶんとペナルティの重さに差があるな。入っただけの俺と違って悪さしたんじゃないか』
『同じ拒絶でも被害の大きさが違う……てーぇいうのはよく気付いたね。実際、わーぁたしとスバルくんの受けた傷の違いは大きい。でも、理由は簡単だ』
『……マナの、ゲートの暴走』
『墓所に入ったとき、すごーく嫌な気分になったの。あれはゲートに一方的な干渉を受けたからだと思う。条件に引っかからなかったから、私は見逃してもらえたみたいだけど……条件に合わない人に、あの干渉が牙を剥くんだわ』
『干渉はゲートを通じて対象に襲いかかる。……それなら、ゲートの数が多くて大きい人ほど、受ける干渉が大きくなって』
『つまり、魔法使いとか才気溢れる人間ほど死にかけるってことか。意識不明だけで済んだ俺が、魔法使いとしての器が小さくてよかったってこったな』
「スバルったら、胸を張って言うことじゃないわ」
『話が戻りますが、資格があってなぁーによりでした。これでエミリア様は墓所の『試練』を受けることができます。となると、聞かなくてはならないことが』
『簡単なお話です。――『試練』を受けて、いただけますか?』
『答えの前に聞きたいんだけどよ。その『試練』って、どうしても受けなきゃなんねぇもんなの?』
『らしいといえば君らーぁしい質問だーぁけどね。『試練』を受けないと、『資格』があるものは聖域から出ることができない。このあたり、ガーフィールから聞いたりしてないかーぁな?』
『それは聞いてる。けど、それはエミリアたんがやらなきゃいけないって理由にはなってねぇだろ。『強欲の魔女』の墓所なんてキナ臭ぇ場所なんだ。どんな危険が起こるかわかったもんじゃない。そんな場所に、王選参加者で大事な身の上のエミリアたんを行かせるなんて、どうなんだよ』
『ふーぅむ。まーぁ、正論といえば正論だーぁね。単純に『試練』を受けるだーぁけなら、他の資格持ち……それこそ、そこのガーフィールでも構わないわーぁけだし』
「……でも、契約でそれは出来ない」
「本当に、面倒が積み重なりすぎかしら」
『まーぁ単純に言えば、『聖域』から住人を解放するための条件が『試練』の突破なわーぁけだけど、その試練に挑むのは資格を持った外部のものでなくちゃーぁならないってこーぉと。つーぅまり、現状だと……』
『対象は私しかいない、ってことよね』
『そーぉして、そのことはすでに『聖域』の住人もみーぃんなが納得済み。エミリア様が『試練』に挑み、それを突破されることを期待してるってーぇわけです』
『こんなこと聞いて及び腰になってるなんて思われたくないけど……仮に、私以外の人が『試練』に挑んだ場合はどうなるの?』
『これまで、少なくとも儂が生まれてからの時間で、『試練』に挑んだものは皆無じゃ。故にその仮の話はできん。挑んだことがないのは、住人もそれ以外も同じことよ』
『とにかく、事情はわかったわ。私はどっちにしろ、『試練』を乗り越えられなきゃこの聖域から出られないってことなんだし、受けて立つわ』
『決意のエミリアたんも勇ましくて見惚れるけど、もうちょい慎重策を探った方がよくね? 裏道でも抜け道でもなんでも探して、挑むのはそれからでも遅くねぇと思うんだけど』
『人がやる気になってるのに、そうやって水差すの、すごーくよくないと思う』
『なんか、怪しいっていうか乗せられてるっていうか、そんな違和感が拭えねぇんだよな、実際。ちょっと状況が整いすぎてるってか、この道に乗るように整備された上に交通整理までされてるみたいでさぁ』
『全然意味がわかんない。たまにスバル、すごーくわからんちんなこと言うもの』
『いやいや、そうじゃなく、この状況は仕組まれてる感がすごいってこと。ハーフが外に出られなくなる場所に呼びこまれた挙句、出るにはエミリアたんが頑張らなきゃな状態。おまけにすでに周囲は説明済みの納得済みて』
『仕組まれたって、誰に』
『誰って、そんなの一人っきゃいねぇじゃん』
ロズワールに、視線が向けられる。
『相変わらず察しがいい。実際、この状況をわーぁたしは望んで作ったからね。もーぉちろん、舞台自体にまで手を加えたりはしてなーぁいけどさ』
『まず、おかしいと思ったのはロズワールのケガだよ。そもそも、『試練』に挑む資格がないことをロズワールは知ってるはずなんだ。ここがもともとメイザース家の管理する土地ってこともあるし、ガーフィールとかと面識があって当たり前なんだから』
『となると、資格がない自分が墓所に入ったら拒絶されることをロズワールは知ってたはずだ。それなのに、どうしてロズワールは中に入った?特に理由もない世の中への反抗か?それとも、被虐趣味が我慢の限界に達したか?どっちも有力だけど、俺はどっちでもないと思う』
『こうしてケガしてるのはロズワールの思惑通りで、意味がある。そんでもってその意味ってやつはたぶん、王選にも関係してると俺は睨んだ』
「全部仕組まれてたなんて、すごーく嫌な気分」
「エミリア、一発くらいなら殴ってもべティーは怒らんのよ」
「流石にそんなことはしないわよ!」
『不満そうな顔、してるじゃーぁないの』
『……当たり前だろ。けっきょく、思惑に乗せられてることは変わらねぇ。乗ってることに気付かないから、乗ってることに気付いても乗らざるを得ないに変わっただけだ』
『言いそびれたけど、ケガの原因だけどよ』
『うんうん、言ってごらん。採点してあげよーぅじゃないの』
『パフォーマンス。いや、布石ってとこだな』
『軟禁状態に入って、アーラムの人たちがあっさりとそれを受け入れたとも思えねぇ。当然、反発はあったはずだ。それを収めるために、なにかしら行動を示す必要があったと思う。領主のあんたが大暴れしてガーフィールとかを追っ払えればそれでよかったんだろうが……聖域の人たちも領民だ。そんな真似はできねぇよな』
『ガーフィールたちが出す条件を呑むしかない。つまり、『聖域』からのハーフたちの解放。だけどこれにはエミリアたんの協力が不可欠。けど、それじゃ村人も住人も納得しちゃくれない。となれば、話は簡単だ。――『試練』に挑んでみせて、要求を呑む意思も、軟禁状態から解放しようとする意志もどっちもあったと示せばいい』
『瘴気でどんだけダメージ食らうかまで予想してたかは知らねぇけど、死なない予測がついてりゃ挑めない賭けでもない。結果的に受けるダメージが大きければ大きいほど、真剣味も伝わるし同情も買える。その後の真打ちにも、期待がかかるって寸法だ』
『――いーぃやぁ、おーぉどろいたよ。これは本当に、実に実にじーぃつに、驚いてしまった。ほんの数日で、きーぃみになぁーにがあったって言うんだろうねーぇ』
『すーぅばらしい。ほぼ、完璧な正答といっていーぃとも。そこまで読み切られるとは思ってもみなかった。やーぁっぱり、君は拾いものだったじゃーぁないの』
『そらどーも。反吐が出るぜ』
「スバルきゅん、本当に成長したよね」
「あれだけの事があったんだもの。そうならざるを得なかったのかもしれないけど……」
『白鯨を落とし、さらには屋敷を狙った魔女教の大罪司教を撃退。候補者であるクルシュ様と同盟を結び、前述の戦いのどちらでも功績を上げた――ふーぅむ』
『……はっきり言って、妄言の類を疑うような活躍ね。いつから冒険活劇の登場人物に鞍替えしたの、バルス?』
『お前に言われると微妙に癪に障るんだが……我ながらちょっとどうかと思う活躍ぶりだと思う。これ、自分評価でも他人評価でも軽くヤバい貢献度だよね?』
『望外の結果、という他になーぁいじゃないの。まーぁさかここまでやってくれるとは、私も……そう、誰も予想なんてできなかっただーぁろうしねぇ』
「ええ、スバル殿は信じられない功績を積まれている。当人にもっとその自覚を抱いて欲しいところですが」
「スバルは少し謙虚すぎるところがある。それも彼の美徳だと私は考えますがね」
「でも、あんまり謙遜されると気分良くないなーってフェリちゃんは思ったり?」
『私の立場からの感謝の大きさは別として、スバルくんがやってのけたことの大きさは誰の目にも明らか。そーぉして、それに見合った報酬を与えないことでわーぁたしに向けられる失望やら不平不満やらというものも簡単に想像できるわーぁけ』
『……つまり、どうしてくれるって?』
『見合った報酬を。――スバルくん、王選の広間でのことを覚えているかね?』
『覚えてるぜ。忘れるわけがねぇ。……忘れちゃいけねぇと、そう思う』
『ならば、私は君の功績に対してこう報いたいと思う。あの場での、君への言葉を本物のものにしよう。――無事、ここを出た暁には君を騎士に任命する』
『公爵と共に白鯨の討伐に参戦し、魔女教の大罪司教の一人を討ち取る手柄を立てたものが無名であっていいはずがない。君の名は、『騎士』ナツキ・スバルの名は名誉あるものとして賞賛とともに国中で語られるべきだ。――そうなれば、あの広間で語った君の言葉を、もう誰にも笑うことなどできない』
『誇るべき功績だ、誰にも馬鹿になどさせまい。エミリア様の隣で、胸を張って立つ権利を君は手にした。己の力で』
「そうね、スバルは本当に、本当にすごーく頑張ってたの」
「そうですね、賞賛を浴びて当然の」
『次はバルスの方から、ロズワール様へ聞きたいことがあるのでしょう?そのために、話し合いの場からエミリア様まで遠ざけて』
『お前の鋭さは話の進行を早めるのに助かるな。……エミリアたんを邪魔者扱いするわけじゃねぇけど、あの子がいるとロズっちの口が固くなりそうだったんでな』
『それでリューズ様に付き添わせて、『聖域』の視察……ね。バルスがここに残るって聞いて、エミリア様はかなり心細そうにしていたけれど?』
『頼られんのは嬉しいんだけど、後々のことを考えると目先の欲望で突っ走ってばっかもいらんねぇなと。たぶん、途中でオットーが合流するだろうし、エミリアたんが一人っきりになる心配は……オットーの野郎がエミリアたんにちょっかいかけたらどうしよう。エミリアたん、超絶可愛いから心配になってきた』
『喋りながら自分で自分を不安にさせるのよーぉくないと思うよ?ともあれ、君の考えも間違った話じゃーぁない。――事実、わーぁたしはエミリア様に聞かせたくない内容なら決して、口にしたりしないだろーぉうからね』
「ナツキさんほんと僕のことなんだと思ってんですかねぇ!?」
「信頼の裏返しってやつじゃないかしら?」
「そうよ、静かにしなさい耳障りだから」
「扱い酷いな!!」
『意図的にエミリアたんに伝える情報を制限してやがるだろ。……いったい、なに考えてそんな真似してやがる』
『情報の取捨選択は必要なことだと思うけーぇど? 王選候補者であるエミリア様の御身の重要性はわーぁたしよりもはるかに上。だけど、いまだその身は、知識は、資格に伴うほどに洗練されてはいない。学ぶ途上にある方に、あまりに多くを押しつけても無理が生じるだーぁけで……』
『それはエミリアたんに、のびのびと学ぶ環境を用意してやれる奴が口にしていいお題目だろうが。知らないことで状況が詰むような情報を、知ってた奴が伝えないってのは道理に合わねぇ。お前にとっても、いいことじゃねぇだろ』
『まーぁ、確かにいずれは突っ込んで聞かれることだーぁろうとは思っていたよ?だからこそ、私も今回ばかりはちゃーぁんと覚悟を決めていたわけだーぁからね』
『はぐらかすのもほどほどに、スバルくんの質問に答えてあげよーぅって覚悟。逃げようにもこの大ケガの有様だし、ちょーぅどいい塩梅だと思うけーぇど?』
『……どういう、風の吹き回しだよ』
『こーぉこまで信用がないのもいくらかさびしいもんだーぁね。もっとも、これまでの君と私の関係を思えばそう思われても仕方のないことだーぁとは思うけど』
『警戒心剥き出しで悪いとは思うが、これまでのことがあるとさすがにな。お前、ちっとばかし秘密主義が過ぎるぜ。……今回は、信じていいんだろうな』
『もちろん』
『この数日で、君が上げた功績は私の閉ざした心を開くには十分なものを証明してみせた。安心していいとも。これで私は君を信用し、私の心の内を――共犯者として、迎え入れることを認めさせたってーぇわーぁけ』
「……共犯者」
「……何が、信用なのよ?都合のいいことばかり言って、軽薄なやつかしら」
ベアトリスの顔が険しくなる。
どことなく、その場にいるみなも。
『共犯者云々ってのは別として、とりあえず聞きたいことを聞かせてもらおう。――エミリアたんに色々、情報制限してる理由だ。まず、話はそっからだ』
『答えろ、ロズワール。エミリアたんに王様になってもらいたくて、そのために途中で脱落されたら困るのはお前も同じのはずだ。それなのに、どうしてわざわざエミリアたんの不利になるような情報を隠し持つ。道理に合わねぇ』
『その質問に、それならば私はこう答えよう。――君の指摘は全てその通りであり、その通りだからこそ私はエミリア様へ伝える情報を制限している、と』
『……!?意味がわからねぇ。エミリアが知らないことが不利になる情報を隠しておいて、それが王選に勝ち抜くために必要だってお前は言うのか?』
『そうだとも。その価値は、あったと思うけーぇどね?』
『スバルくん、君が言いたいのはつまりこーぅいうことだーぁろう?エミリア様の王選参加の報を聞き、魔女教が動き出す可能性があった。事実、魔女教は動き出し、私の領地に襲撃をかけてきた。私はそうなる可能性があったことも、そうなった場合に備えてなんらかの対応策を練ることもできたはずだ、と』
『……そ、そうだよ。その通りだよ。誰だって思う、当たり前の話だろうが。俺は知りゃしなかったが、このあたりじゃ魔女教とハーフエルフの関連性ってやつは当たり前の常識ってもんなんだろ?実際、お前も知ってたはずだ。それなら、どうしてなにも準備せずに……いや、それ以前に、なんで屋敷を離れて『聖域』にこもった?』
『私は『聖域』に軟禁されていたわけで、意識して何日も屋敷を留守にしたわけじゃ……』
『詭弁は通用しねぇよ。お前がそのケガして軟禁状態に入ったのは、アーラムの住人の不満感情を発散するために墓所に挑んだからだ。つまり、魔女教対策で俺が村から人払いした結果……その前にお前が戻らなかったのは、お前の意思だろうが』
『理詰めに怒っている相手とは議論の甲斐がある。じーぃつに、いい傾向だ』
エミリアが瞳を見開き、ベアトリスが拳を強く握る。
エミリアは複雑に入り混じった感情を、ベアトリスは強い怒りを瞳に宿して。
「……ベアトリス様」
「分かっているかしら、今何をしても得策ではないのよ。……でも、時に理性とは全く逆の選択を感情に取らされることがある。お前は誰よりもそれを理解しているはずかしら」
「……」
『怒っているように見えるけど、君は激昂なんてしちゃーぁいない。我を忘れて殴りかかるなぁーんて、話し合いを無碍にする選択は取れないはずじゃーぁないかね』
『どういう、意味だよ……』
『簡単なことだーぁよ。以前までの君なら、これまでの話のどこかで激発し、怒鳴り散らして話し合い事態をおじゃんにしてしまっていたことだろう。それをせず、怒りを噛み殺しながらも議論を継続できる……大人になった、ということだーぁね』
『さーぁて、これ以上、若人をいじめていても大人げがない。君が成長の兆しを見せてくれたかーぁらには、私の方からもちゃーぁんと大人の器量を示すべきだよね』
『……そうしてくれ。とにかく、さっきの質問の明確な答えだ。はぐらかすのは抜きで答えろ。お前はどうして、エミリアに魔女教のことを隠してた。どうして、魔女教がくるのがわかってて、最大戦力のお前が屋敷を離れた!』
『どちらの質問の答えも、一つで答えられるとも。――私が魔女教と相対することを避けるために、私はそれらを行った』
『は――?』
『意味が、わからねぇ。お前が魔女教と戦わないためって……なんのために?生理的嫌悪感があいつらにあるとか、そんな話じゃねぇだろうな!?お前が……お前がいれば、あんな奴ら一網打尽だったんじゃないのか?被害だって……』
『なるほど。たーぁしかに私がいれば、今回の騒動の被害はきーぃっと減らせたことだろうと思う。私は自分の力量を正しく理解しているつもりでいるし、この国で十指に入る実力者であることを自覚してもいる。断言しよう。私がいたならば、此度の魔女教の襲撃はあっさりと撃退せしめたことだろう』
『それがわかっててなんで――!』
『だから、だよ』
『私が活躍してしまえば、それはエミリア様の手柄にも君の手柄にもならないだろう?私が名を上げても、仕方がなーぁい』
「…そのためだけに?」
「ロズワール……!」
ベアトリスの怒りに満ちた声が響く。
ラムはそれを止めようとするが、それ以外の誰もそれを咎めることなく。
「ラムさん、僕らの誰にも、それをする資格はありませんよ」
塞がったと思われた亀裂は、確かに生きていた。
『否定の言葉は出ないよ?せっかく、起こるのがわかり切っている災いだ。うまく利用しない理由が、どこにあるというのかーぁな?』
『お、お前……なに言ってんのか、自分でわかってんのか……?』
『――?スバルくんがなにを問題にしているのかの方が、わーぁからないね。あれかな。アーラム村に出かけた被害であるとか、魔女教を撃退するために力を貸してくれた傭兵団やクルシュ様の私兵であるとか……そのあたりの損害に関して、どうにかできたんじゃないのかみたいな話がしたいのかな?』
『結果論、だろ。お前がなにを言いたいのかは、なんとなくわかる。魔女教の襲撃に対して、誰が指揮を執って誰が手柄を上げるかってのが王選に少なくない影響を与えるってのは理解できる。……ロズワールがそれをしちまったら、望んだ効果が得られないっていうのも。でも!』
『お前が不在で、なにも伝えなかったのが原因で何人死んだと思ってる!?確かにでかい被害はなかった。なかったけど、ゼロじゃないんだ。人が死んだぞ。こっちだけじゃなく、魔女教の奴らだって……』
『私がいたところで、魔女教徒への対処はなにも変わらない。全員、ことごとく灰に帰すだけのこと。こちらに味方したものの損害への非難は受けるけど、敵対したものたちに対する恨み言は筋違いじゃーぁないかね』
『――ッ。それでも、もっと穏便に……違う、そんなことじゃない!なにもかも結果論だって話なんだよ!確かにうまくいったさ。被害は少ない、相手は全滅させた。エミリアたんは無事だし、アーラム村の人たちだって無事に避難させられた。……でもそれもこれも、全部たまたまだ。本当だったら――』
『死んでた、はずなんだ。今回みたいになんか、うまくいったりしないで……みんな無惨に、苦しめられて、辛い思いをして……殺されてたんだ』
「スバル…」
「その通りかしら、今べティーたちが生きているのは、スバルが屍を踏み越えてきたから。それを、忘れてはいけないのよ」
呼吸を忘れるように冷えた空気が充満する。
分かっていたのに、恨みは冷えることなく、燃え盛り続けて。
『お前がいれば、あんなこと起こらなかった。……お前は知ってて、見殺しにしたんだ。お前が何度も、あの人たちを殺したんだ……』
『履き違えてもらっては困る。襲撃したのは魔女教であって、私じゃーぁない。そして魔女教の襲撃は君の手で未然に防がれていて、君の言う被害者なんてものは出ていない。――妄言の繰り返しに過ぎない』
『……俺がなにもできないダメな奴のままだったら、お前はどうしてたんだよ。エミリアに王になってほしいのは、お前も同じはずだろ。レートが偏りすぎて、賭け事として成立すらしてねぇ。……ここで終わる可能性の方がずっと高かったはずだ』
『でも、君はその下馬評をひっくり返してくれた。――それじゃ不満かね?』
『不満だよ。お前はそんな、不確定な要素に身を委ねるような奴に見えない』
『お前は賭けなんて、そもそもやらないタイプだ。どうして、そうできたんだよ』
『――信じていたんだよ、君のことを』
『真面目に答える気はねぇってことか』
『君が私の話を信じるか信じないかは別として、私は真実を語っているよ?今夜のこの場所で、君を欺くようなことはしないと決めているからねーぇ。言えないことには言えないと言い、都合の悪いことは口を噤んで語らない。だが、口にしたことが偽りでないことだけは誓おう』
『もう一度、言おう。――私が今回のような判断をしたのは、君を信じていたからだ。君ならばエミリア様の状況悪しと見れば、クルシュ様との同盟を成立させるために奔走し、その上で魔女教撃退に尽力して為し遂げ、功績を上げると信じていた』
『仮にそれが事実だとして、どうして俺なんぞを信じるなんて判断になるんだ!お前が俺のなにを知ってる!たった一ヶ月の付き合いで、そんな信用が置かれるほど俺がなにか成し遂げられる男に見えたのか?』
『そんなわけがねぇな。お前と別れたとき、俺は正真正銘のクズだった。そのクズが多少なりともマシになったのは、その後のことがあったからだ。そしてその後のことは、俺の中以外のどこにも残ってない。――俺の、なにを信じたんだよ!』
『話にならねぇ。今のままじゃお前、頭空っぽの馬鹿なガキが全部うまいことやってくれるって信じて、領民もなにもかもほっぽり出して遊んでたってことになんだぞ。自分の立場も未来も賭け金にするには、遊び心に溢れすぎてて言葉もねぇよ!』
『……どうやら、今日の話し合いはここまでのようだーぁね』
『お前がまともに話をする気がない以上、なにを言ったって無駄だろうよ。今の話し合いのあとでなに言われたって、もう信じる気になんてならねぇ』
『君の中で私の評価が大暴落したのが純粋に残念でなーぁらないとも。……確認は不要だと思うけど、今夜のことはエミリア様には』
『言うわけねぇだろ。内容そのままでも脚色したのでも、話して得られるメリットがありゃしねぇ。そこまで計算してるから、べらべら適当ほざいたんだろうが』
『なにもかも理解して、私への堪え難い怒りを抱えてなお……テーブルをひっくり返すような真似はできない。やーぁはり、君は私が見込んだ通りだったよ』
「…ッ!」
エミリアが声にならない感情を息に乗せ、眉を吊り上げる。
スバルの抱いた怒りを、エミリアは理解したのだ。
「…」
少しの深呼吸の後、エミリアは姿勢を戻す。
その顔には、信頼とは背中合わせの感情を灯したまま。
『君こそまさしく、私の共犯者にふさわしい――とね』
『……てめぇ、碌な死に方しねぇぞ』
『知っているとも。私は間違いなく、地獄に落ちる。だからこそそれまでに、できる限りの横暴を現世で尽くしておかないといけないね』
『――お前の思惑通りに、誰も彼もが踊ってやると思うなよ』
『それだけはやらせねぇ。あの子は……エミリアは、俺が守る』
『――それがこの『聖域』で、俺がやらなきゃならねぇことだ』
「……私が、もっとちゃんとしてたら、こんなことにはならなかった」
「エミリア、それは違うかしら!そんなことを言うなら、べティーは……」
空気が、冷え込んでいく。
太陽は、いまだ目覚めることなく。